ようやく日本でも全国公開となりました!

ロベール・ブレッソン湖のランスロ

 

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いきなりこんな殺伐とした映像の連続で始まります!

 

12世紀後半の詩人、クレティアン・ド・トロワによる『ランスロまたは荷車の騎士』という中世の物語詩を主な原作とする、孤高の映画監督、ロベール・ブレッソンの1974年の作品。


ランスロ。は日本だと馴染みがないですが、要するに、アーサー王と円卓の騎士で1番有名な騎士のランスロットのフランス読みですね。

 

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正面向いてるのが、円卓の騎士の一人、ランスロです。


アーサー王についての文学作品はイングランドウェールズ、フランス、ドイツなどに様々見られまして、ものすごく研究されていますが、この辺の煩雑な話は割愛します。


本作は、聖杯(新約聖書に出てくる、キリストの最後の晩餐で使われたとされる杯の事。東方正教会にはない)の探索を、円卓の騎士たちが創作したが、見つからず、アーサー王(ここではアルチュール王になります)の城に戻ってきてからの後日談です。


この映画は最初に上記の簡単な説明をするだけ、他の説明は一切ないまま進むので、この後日談を全く知らない人にはかなりとっつき難いです。


この点が本作を見る上で、日本人にはかなり不利かもしれません。


よって、事前にWikipediaなどである程度、調べてから見たほうがよいかもしれません。


ネタバレというか、もう、西ヨーロッパ諸国にはもう、牛若丸と弁慶の五条大橋の出会いみたいなものなので、フランスではもうネタバレ全開なのですが(笑)、この映画は、そんな話を、ブレッソンが作ったらどんな事になるのか?がミソなのです。


円卓の騎士ランスロはアルチュール王の王妃、グィネヴィアとの不倫物語と、同じく円卓の騎士モルドレッドの裏切りと反乱を、たったの90分弱で描きます。

 

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現在のアメリカで作ったら、2時間半になりそうな大作ですが、この短さがブレッソンです。


冒頭の騎士同士の闘いのリアリズム。

 

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甲冑のカシャカシャとする音、ものすごいスプラッターが示され、あのロマンティークなアーサー王物語ではないのが、ものの数分で示され、サントラらしいものはタイトルクレジットのみです。


ホントに甲冑を着て戦うという事、そして甲冑をつけて動き回るという事はどういう事なのかをトコトン見せ、そのリアリズムの追求の仕方がもはやコントにすら見えてこなくもないですが、ブレッソンは笑わせようとしている気は微塵もないと思います。

 

役者たちを快活に絶対に動かさない。という意志すら感じます。


この作品の最大の特徴は音響効果の使い方ですね。


前述の甲冑の音、騎乗した騎乗の模擬戦手のバグパイプの合図、時間を知らせる鐘の音、突然の嵐の夜のドアのガタガタとする音。


サントラがほとんどないので、こういう音がものすごく際立ち、作品のリズムになっていて、それ自体が音楽にすら思えます。


そして、ブレッソンが得意する手のアップの多様、騎乗するシーンを何度も反復したり、騎士が落馬してしまい、森を走り回る馬のショットを何度も割り込ませたりと、コレまた不思議なリズム感が編集によって生まれ、コレまた音楽的です。

 

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ランスロの愛の証である指輪を探す、王妃。


つまり、本作は、音楽が欠落しているのに、とても音楽的なのです。


というか、もうほとんどそれだけを見せている作品と言えなくもないですね。


メインキャストがほとんど甲冑を身につけたまんま、常に身体の動きが独特なのも、見ていてとても不思議な感覚を与えます。


およそ、歴史劇を見るという、例えば、ルキーノ・ヴィスコンティなどの絢爛な世界を堪能するというものとは全く真逆の美意識であり、デレク・ベイリーらが1960年後半から始めた、即興音楽のような趣すらあるように思います。

恐ろしく呆気なく終わるのも、一切の神話的な要素を拒否する


ブレッソンの精神的師匠である、カール・テオドール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』と合わせて見たいです。

 

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ココから多少はアクションがあるのか?と思わせてたら、呆気なく完。