リースル・トミー『リスペクト』
アリーサ・フランクリンは、ソウル史上最高の女性ヴォーカリストです。
まず、この点を押さえておきたいのです。
飛行機恐怖症であった事もあり、アリーサは2018年8月16日に亡くなるまで(なんと、エルヴィス・プレスリーと亡くなった日が同じ)、日本への来日はなかったので、一般的な知名度がやや落ちる気がしますが、ブラックミュージックをいささかでも愛好する人にとっては、ジェイムズ・ブラウンやサム・クックと並ぶ、最大のアイコンです。
私が初めてアリーサを初めて聴いたのは、1971年3月のフィルモア・ウェストでのライヴの模様を録音した、『Aretha Franklin at Fillmore west』ですが、そのあまりに素晴らしい内容に唖然とてしまったのですが、映画ではこれは丸ごとカットされ、なかった事になってます(笑)
コレは後に発売された、前座のキング・カーティスのライブも含めた完全版です。
コレは、ウソとかそういう事ではなくて、ストーリー構成上必要なカットである事は見ているとわかります。
本作は、1950年代の初頭のアリーサの天才少女時代から1972年、ロサンジェレスにある、「The New Temple Missionary Baptist Church」で2日間に渡って行われた、今や伝説となったゴスペル・アルバムの収録、撮影の様子までを描いている、伝記映画です。
最後に有名なコンサートを持ってくるという構成は、日本で驚異的にヒットした、『ボヘミアン・ラプソディ』を思い起こさせます(恐らく、意識はしたでしょう)。
この映画でのジェニファー・ハドソンの名演はもう多くの人々が絶賛されているでしょうから、私は違うところを論じていきたいと思います。
ジェニファー・ハドソンなくして、本作は作らなかっだでしょう。
当時の黒人の教会が行う説教巡業というのは、大変よく行われたのですが、アリーサの父、クラレンス・ラヴォーン・フランクリンはデトロイトどころか全米で有名な牧師であり、彼の説教はレコードとして販売されるほどで、彼もまたアメリカの各地を巡業しておりました。
キング牧師と並ぶC.L. フランクリン。2人は同志でした。
映画ではフォレスト・ウィテカーが演じてます。
フランクリン家は、黒人としてはかなり裕福だったんです。
この巡業で、天才的な歌唱力でゴスペルソングを歌っていたのが、アリーサです。
アリーサは少女時代にすでにかなりの知名度を持っていたんです。
しかしながら、この巡業、実は別の側面もありまして、それは「セックス巡業」の側面がありました。
実は性的な面における解放の意味も持っていたようなのです。
そして、その事が本作でも暗に示されており、アリーサが少女時代にレイプされていた事を匂わせる、かなりショッキングな描写が出てきます。
この事は、デイヴィッド・リッツ『アレサ・フランクリン リスペクト』という書籍によって明らかにされているのですが、生前のアリーサは「この著作に書かれている事はすべてデタラメである」と言ってます。
リッツの伝記は一つの決定版でしょう。
本作はこの極めて厳密に記述されたリッツの伝記によるところが大きいと思います。
アリーサがこの伝記を全面否定し、自分の意にそう伝記本を刊行しているのですが、この件からわかるように、アリーサという人はあまり、自分の内面の問題を他人に打ち明けるのがとても苦手な人であり、その事が彼女をかなり苦しめている事が映画でも描かれています。
彼女の苦悩は父が運営する教会での問題があるんですね。
映画でも出てきますが、アリーサは、父親が不明の子供がデビュー前なすでに3人もあり、なんと、デトロイトの自宅で育てているんです。
コレは側から見ていると相当な感覚ですが、それが若い頃のアリーサの日常でした。
メアリーJブライジ演じる、ダイナ・ウォーシントンは本作に強烈なインパクトを与えますが、当時の黒人教会の巡業がセックス巡業である事は黒人であれば誰でも知っていた事である事が、彼女のセリフから読み取れます。
また、アリーサの母親は、アリーサが幼い事に別居しており(最後まで離婚してなかったようです)、定期的に子供たちは会っていたようです(母親は心臓発作で1952年に急死します)。
アーマ、アリーサ、キャロリンの三姉妹でした。
映画ではハッキリとした描写はありませんが、夫クラレンスのDVがあったものと思われます。
また、クラレンスにはゴスペル歌手である、クララ・ウォードと長年愛人関係でした。
実際のクララ・ウォード。
このようなかなり厄介な家庭環境で育っている事は、アリーサの人生に大きな影響があったかと思われますが、本人はその事を他人に語る事はなかったようです。
映画は彼女の苦悩を具体的な描写ではそれほど示しませんが、よくよく見ると、それらはすべてわかるように描いています。
コレが前半になります。
コロンビアはアリーサの良さを引き出す事ができませんでした。
そして、アトランティックと契約し、シングルやアルバムの傑作群が、まるで洪水のように溢れ出てくるのが後半になるのですが、興味深いのは、オーティス・レディングが既に大ヒットさせていた「リスペクト」をカヴァーし、全く別の次元に曲をはってんさせ、事実上、アリーサの曲にしてしまう過程を実に丁寧に描写しているところです。
アトランティックのジェリー・ウェクスラーとの出会いがアリーサの音楽人生を激変させる事になります。
この経緯はすでに多く論じられていますから、一切省略しますけども、音楽ファンには必見です。
最後のコンサートは、コンサートの模様を忠実に再現するような事はむしろ避け、アリーサの主観を描いています。
アリーサという、不世出のソウルシンガーの半生の、かなり際どいところにまで踏み込みつつ、それらの問題を決して露悪的ではない手法で描きつつ、その口に出して言えない苦悩はすべて、あの圧倒的な歌唱、素晴らしい曲によって昇華されていくという描き方は、ホントに素晴らしいです。
とにかく、後半の音楽の使い方のうまさが光ります。
アリーサの実際のゴスペルコンサートの模様を撮影した『アメイジング・グレイス』とともにご覧ください。