リー・ワネル『透明人間』
一体何回目のリメイクなのかわかりませんが、「なぜ今更?」としか思えなかったのですが、いやいやどうして、コレはめちゃくちゃ面白かったですよ!
『ドント・ブリーズ』以来の傑作ホラーサスペンスです!
「透明人間」って映画的にものすごく美味しいネタだと思うんです。
要するに見えないわけですから、クリーチャーとかを作る必要がないですよね。
安上がりなんですよ(笑)。
でも、透明人間というのは、存在それ自体がなくなっているわけではなくて、見えないという事ですから、それこそ、人の気配は消えませんし、転んだりしたら、ドスンと音がしてしまいますよね?
映像として、「実はここに透明人間がいるんですよ」という事を、いろんな方法で見せる事それ自体が楽しいわけです。
なにしろ、1897年にH.G.ウェルズの小説が発表されると、コレを原作として1933年にはもう映画になっているんです。
それから、まあたくさんの透明人間映画が作られているですけども、どうやって透明人間になるのかという透明人間である「科学的根拠」もいろいろ工夫されてますが、共通しているのは、透明人間側から描いている事が多く、透明人間という存在それ自体の面白さのバリエーションにだったように思います。
が、本作はウェルズの小説を原作としつつも、透明人間の悲劇、喜劇に注目してするのではなく、メインとなるのは、なんと、女性の自立なんですよ。
しかも、透明人間は、マッドサイエンティストによって作られた、ものすごいハイテクで作られたスーツなんですよ(笑)。
有り体に言えば、士郎政宗『攻殻機動隊』に出てくるようなアレです。
ですから、透明人間になってしまった事による悲劇みたいなものはないんですね。
何しろ、特殊なスーツ着ているだけですからね。
というネタバレがあっても、この作品の面白さは些かも損なわれません。
このお話しは、R.ケリーを地で行くような、女性を極端なまでに拘束するようなかなり病的な研究者から、奥さんがいかにして逃げるのか?というサイコサスペンスになってるんです。
映画の冒頭が奥さんがサンフランシスコの郊外にポツンとたっている超モダンで恐ろしく厳重なセキュリティに守られた邸宅(このセキュリティがあくまでも侵入者から守るためにあるのではなく、嫁を屋外に一歩も出さないためのものであるのところからして異様です)から、なんとか逃げ出すところから始まります。
目の下に最大なクマのメイクまでして頑張るエリザベス・モスの熱演が見ものです!
この奥さん、セシリアは、ジョーンズという友人の黒人刑事の家にいるしばらく逗留する事にしたのですが、いつまた狂った夫が連れ戻しに来るのかが、恐ろしく、家から一歩でも出るのがコワイんですね。
ジョーンズたちもこの事件に巻き込まれていく事に!
そんなセシリアの事をジョーンズとその娘さんは心配しているのですが、そんな所に妹がやってきます。
なんと、夫であるアドリアンが自殺したと。
しばらくすると、遺産相続があるので、アドリアンの兄トムが手紙をよこしてきました(アレッ、ここに逗留している事がどうしてわかったんでしょうか?)。
アドリアンの兄、トム。彼もまたアドリアンの支配下にあるのでした。。
トムは、「500万ドルが相続される。毎月10万ドルずつ支払います。ただし、犯罪を犯したり、心身喪失状態になった場合は支払いを停止しますが」と告げます。
実は、ジョーンズの娘、シドニーは美大への進学を考えていたのですが、セシリアは、この相続のお金の一部をシドニーの進学のためにあげる事にしました。
なんだか、呆気ないほど、人生が好転してしまうんですが、セシリアの人生はここから一挙に暗転していきます。
サスペンスものですから、ここからは内容に立ち入る事は極力避けて、話を進めていきましょう。
おわかりの通り、この暗転の原因はもうタイトルでバレていますから、言ってしまいますが、セシリアの人生が驚くべき速度で暗転していく原因は、サイコ野郎のアドリアンです。
この暗転のさせ方が、まあ、エゲつない。
この男の狡猾な頭脳とサイコな内面が透明人間スーツという、自ら開発したハイテクと結びつく事で起こる出来事。
この見せ方がもう、とにかく映画的な快楽に満ち満ちていて、ホントに堪能できるんですね。
透明人間の見せ方それ自体は、もはや、現在のCGの水準を超えるものではなく、それほど驚くべきものではないんですが、本作の面目躍如は、その見せ方であり、アドリアンという人間の完全に狂った欲望、そしてそれを貫徹しようという意思と行動力の凄まじさに圧倒されるんですね。
とにかく、「見えないサイコ野郎」というのは、こんなにも恐ろしいのかと。
コレにひたすら翻弄される、セシリアを演じる、エリザベス・モスの演技がホントに素晴らしいです。
透明人間というは、内容の性質上、透明人間でないもののが演技するしかないので、事実上の一人芝居になるんですけども、モスの熱演は見る者をサスペンスに没入させますね。
当然の事ですが、監督であるリー・ワネルの脚本が実に素晴らしい事は言うまでもなく、サスペンスの成否のかなりの部分はやはり良くできた脚本です。
で、ほぼサイコ夫に一方的にやられまくっているセシリアですけども(その肉体的、精神的な追い込み方は尋常ではないです)、この反転攻勢がコレまた信じられないところから開始されます。
そして、実に清々しいラスト(笑)。
とにかくですね、荒木飛呂彦ファンにはたまらんと思います。
タイトルからは到底想像もつかない、実に映画的な見せ方に徹した秀逸なエンターテイメントでした!必見!