アーヴィング・ラパー『黒い牝牛』
原題は「勇気ある者」。そのものズバリを描いております。
日本ではほとんど忘れ去られていた映画ですね。
監督のアーヴィング・ラパーは1898年(あるいは、1902年)生まれで、本作を撮っている頃にはもう結構な年齢のベテランです。
しかし、これまた忘れられています。
とは言え、1941年にOne Foot in Heavenという作品が、アカデミー作品賞にノミネートされた事もあったそうで、実力がないわけではありません。
さて。お話の舞台は1950年代のメキシコの貧しい農村です。
奥さんが亡くなったお葬式の日に、牧場主の代理人が尋ねます。
「お前の持っている牝牛に私の牧場の焼印が押してあるようだが?
「いえ、ダンナ。この牛は私のものです。ダンナ様の姪御さんを助けた時にお礼にもらったものです。今度生まれる子牛も私のものです」
と持ち主は言います。
この牝牛、チャパの事の可愛がっているレオナルド少年は、自分たちが飼っている牛が持っていかれるのではないかと不安で仕方がありません。
ある嵐の日に、その可愛がっているチャパがなぜか外に飛び出して木の下敷きに。
牛の鳴き声に気がついたレオナルドが駆け寄ると、チャパは死んでしまいます。
しかし、子牛を出産していたのでした。
レオナルドはこの子牛に、「ヒターノ」(ジプシーの意味)と名付けました。
生まれたばかりのヒターノ。ハウス名作劇場的なかわいらしさです。
はい。コレが冒頭部分なのですが、恐ろしくシンプルで地味なお話しです。
スターらしき人が皆無ですし、興行的にもダメだったらしいです。
しかし、こんな地味なお話を書いたの人が後に、ダルトン・トランボーである事が判明するんですね。
ご存知のように、トランボーは、赤狩りの餌食となって、アメリカでは脚本家として活動する事が出来なくなってしまいます。
しかし、その才能を惜しむ人々は少なくなく、偽名を使って結構な数の映画のための脚本を書いたと言われています。
その最も有名な作品が、ウィリアム・ワイラー『ローマの休日』でして、イアン・マクレラン・ハンター名義(実在する脚本家です)でした。
本作では、「原案 ロバート・リチ」という偽名で、事実上脚本を書いています。
映画はかなり地味な作りですが、レオナルドが学校で習う歴史はフアレス大統領の頃のメキシコの歴史であり、つまり、フランス第二帝政に政治干渉を受けている時代を教えていたりと(ハプスブルク家から擁立された皇帝、マクシミリアンが即位していました。フランスの傀儡政権です)、なかなかハードコアな授業でして(笑)、さすが反骨の人、トランボーだな。と思います。
フランスのナポレオン3世による露骨な政治干渉と戦った、フアーレス大統領。初の現地人の大統領でした。
メキシコ皇帝マクシミリアン。のちに反乱軍によって処刑されます!
動物のシーンは、かなり待ちまくっていい絵を撮っているのがわかるかなりの苦心のシーンでして、動物自体は当然のことながら演技ではなく、のびのびと動いているだけなのですけども、それが癒されてますよ(笑)。
コレとほとんど同じですけども、恐らくはほぼシロウトであろう、レオナルド少年の純朴さがいですね。
多分、映画の出演はコレしかないのでしょうけども、であるがゆえの素晴らしいさですね。
ホントにどこにでもいそうな感じで、それがいいんです。
ヒターノの事が好きすぎて、ついつい学校にまで連れてきてしまうシーンとか、もう子ども好き、動物好きの私は溶けました(笑)。
子どもと動物の組み合わせは基本的にズルいです(笑)!
ちなみに、メキシコで雄牛を育てる。というのは、闘牛用の牛を育てる事を意味するようでして、ヒターノも当然のことながら、闘牛となる運命なのですね。
闘牛になる運命を知るレオナルド少年。
レオナルドは子どもですから、お父さんからその事を告げられてもどうしてもその事が理解できないんですね。
ヒターノは、結局、牧場の焼印を押されて、牧場主のものになってしまいます。。
法的にどうしようもないのでしょう。しかし、学校の先生にお願いして牧場主に手紙を書いてもらうと、牛は返してもいい。という返事が。
意外にも話しのわかる人なのでした。
トランボーの優しいの視点を感じますね。
登場人物がみなとても優しいです。
やんちゃな子どもたちを叱るシーンが全然ないんですよね。
後半にメキシコの大統領が出てくるんですが、大統領も優しいのです(笑)。
牧場主のドン・アレハンドロは本業はカーレーサー(!)なのですが、ヨーロッパでのラリーレースの事故で亡くなってしまうのです。
一番左の人がドン・アレハンドロ。
ここからレオナルド少年の大冒険が始まるのですが、ココからは見てのお楽しみです。
イタリアのネオリアリズモの影響をトランボーが受けて、こういう映画になっているのかもしれませんけど、音楽が大巨匠のヴィクター・ヤングがフルオケのサントラがたっぷりついているのが、今となってはかなりの違和感がありますけど、当時のハリウッド映画というものは、そういうものですので、仕方がありません。
個人的には、1950年代のメキシコシティのロケの映像が見事でしたね。
当時のメキシコシティで行われていた闘牛が見られるのは、とても貴重です。
ストーリーはご都合主義が強いですけども、子どもを主人公にしたファンタジックなお話にもかかわらず、ラストに原題The Brave Oneが示す勇敢さ、崇高さというものが描かれている点は、特筆すべきであり、後のスタンリー・キューブリック『スパルタカス』を思い起こさせます。
傑作とは言えませんが、それでも特に後半は心に残ります。