ヴェルナー・ヘルツォーク『ノルフェラトゥ』
F.W.ムルナウの同名タイトルの古典的名作のリメイク。
全編にわたってムルナウというか、サイレント映画へのオマージュが散りばめられていて、かなりの力作です(白黒で撮ったら、もっとよかったですね)。
クラウス・キンスキー扮するドラキュラ伯爵の手の動きの気持ち悪さが素晴らしいですね。
ホーカー夫妻ですね。
なんというか、大暴れとか大立ち回りを期待する方には本作は完全に期待外れですけども、コレを「ヘルツォーク映画」として見ると、彼が撮りたいことは、リメイクであろうとなんであろうと変わらず一貫していますね。
ヘルツォーク映画とは、
1. 森、密林、秘境好き
2. 狂人、怪人への偏愛
3. 未開社会への憧れ
にほとんど集約され、本作もすべて登場します。
1.は、ドラキュラ伯爵の居城ですし、2.は、ドラキュラ伯爵その人です。3.は、ロマが出てきます。
コレを吸血鬼。と表現しきったムルナウがスゴイ!
コッチがムルナウのオリジナル。
で、西ドイツ期のヘルツォークで2.を重荷になってきたのが、クラウス・キンスキーなのですが、困ったことに、本作で一番インパクトあるのは、実は、ルーシー・ホーカー役のイザベル・アジャーニです。
サイレント映画の映像、動きを再現するために、アジャーニのメイクは、異様なまでに濃いです。
濃い(笑)!そして、コワイ(笑)!!
このサイレント映画の表現を見事に再現したシーンはスゴいです。
コレもうまいですねえ。鏡にアジャーニを写すという。
しかも、あのハッキリとした顔立ちの美女で、カッと目を剥いて、コウモリに驚いたりするんですが、その顔のインパクトが本作で一番怖いです(笑)。
なものですから、キンスキーの懸命なキモ演技が、アジャーニの恐怖顔のインパクトで霞んでしまって、なんだか存在感がいつもの狂気絶好調キャラぶりがかなり減衰しているんです。
太陽を浴びても、キンスキーは、ウワーッといってひっくり返るだけという表現も、どんなもんでしょうか。
ペストという疫病の象徴としてドラキュラが描かれていて、そういう得体の知れないジワジワと迫ってくる恐怖がアジャーニによってすべて減衰してしまって、全体的にボンヤリしてしまっていて、もう、主演のブルーノ・ガンツがどうでもよくなってしまっている程です(左利きなんですね)。
ドラキュラ伯爵とともにやって来たネズミを介してペストがロンドンで流行!
ヴァン・ヘルシング教授の活躍も全然ないんですよ。
この、結局、特に何か起こりそうで何も起きない感じって、70年代のヘルツォーク作品に一貫しているんで、コレは彼が狙った演出ではあるんですが、本作はそれがアジャーニのインパクトに全部持っていかれたのと、ムルナウへのオマージュが強すぎて、恐怖映画としてのサービス精神がかなり欠如してしまっているのが、ちょっと今ひとつな作品でした。