ゲオルギィ・ダネリヤ『キン・ザ・ザ!』
ヴラディーミルとゲダバン。
正式な邦題は、『不思議惑星キン・ザ・ザ』なんですけども、実際に見たインパクトは、原題をそのまま音写した方が説得力があると思います。
まあ、「キン・ザ・ザ!」ではなんのこっちゃわからないので、不思議惑星。をくっつけたんだと思いますけども。
本作は、ソヴィエト末期、即ち、ゴルバチョフ政権下で制作された作品で、ソ連最後の破壊的な傑作の1つだと思いますが、まあ、邦題の「不思議」なんてどこかに行ってしまうほどのすごさで(笑)。
130分ほどの作品で(体感的には、3時間に感じますが・笑)、主な登場人物はたったの4人。
エンジニアのヴラディーミルと学生のゲダバン(グルジア人です)、そして、キンザザ星雲ハヌード星出身のチャトル人のウエフ、バッツ人のビーだけです。
ある日、ヴラディーミルが妻からお使いを頼まれて街に出ていると、若者に、「おじさん。あそこに困っているホームレスの人がいるんだよ」と言われる。
どれどれと話を聞くと、「この惑星の番号を教えてくれないか?」というのです。
ああ。心を病んでる方なのかな。と、2人は思ったのです。
「私はなんとか番号の○○星から来たんだけども、ココがどこかわからないので、戻れなくて困っているんだよ。番号教えてくれたら、この転送装置で帰れるんだよ」
と、男は訴えるのです。
で、ヴラディーミルはその「転送装置」と言っているもののボタンを押してしまいます。
途方に暮れる2人。。
果たしてこのヤバいおっさんが言っていることは真実であって、ホントに転送されてしまいました(笑)。
しかし、ヴラディーミルは、カフカス地方の砂漠に転送されたと合理化して、街があるであろう方角に歩くわけです。
ゲダバンは、もう半ば他の惑星に転送してしまったことを認めていますが。
そうこうしていると、そこに飛行物体がやって来て、着陸します。
2人が出てきます。
ウエフとビー。
ゲダバンがロシア語、英語、フランス語、ドイツ語で話しかけてみますが、相手は、
「クー」
としか言いません。
しかも、何やら、大道芸らしきものを披露するのです。
ヴラディーミルは、「町まで連れて行ってくれないか?」と訴えますが、どうも通じておらず、その飛行物体は2人を乗せて飛び立ってしまいます。
「どうしようもないなあ」と、マッチを擦ってタバコに火をつけると、途端に飛行物体は、引き返してくるのです(笑)。
よくこんな酷いデザイン考えつきますね(笑)。ちなみに、宇宙船です、コレ。
2人はしきりに「カツェ、カツェ!」というのですね(笑)。
ヴラディーミルとゲダバンは、何のことかわからないのですが、なぜか、飛行物体に乗ることができました。
乗ってしばらくすると、なんと、ロシア語で話しかけてくるのです。
「なんだ、ロシア語がわかるじゃないか!」とヴラディーミルは怒りますが、
「お前たちの言語に合わせるには、ちょっと時間がかかるんだよ。もう1人のヤツがグルジア語で考えているものだから」と答えます。
ああ、ココは地球ではないことを、ヴラディーミルとゲダバンは、このセリフによって決定的に知るわけです。
ここに至って、彼らがいる場所がキンザザ星雲のプリュクという砂の惑星(エネルギーに転換するために水は使い果たしてしまった結果、不毛の惑星となりました)であることがわかるのです。
ちなみに、彼らにとってマッチは、途方もない価値があり、コレがとても重要なファクターになります。
『マッドマックス』におけるガソリンですね。
『マッドマックス』と真逆の哲学ですね(笑)。ミニマムというか(笑)。
ココから、いかにして地球に帰るかのすったもんだが、恐ろしくゆる〜いテンポ感とバットテイストで進んでいきます(笑)。
本作の面白さは、そのバットテイストにあります。
社会構造が絶対的な権力者のPJ様を頂点とする、エツィロプという特権階級の支配する身分制度社会であり(地球人はココでは最下層民のバッツ人に分類されます。グリーンの反応が出るので・笑)、日常生活のありとあらゆる面で出てくる機械や道具や建物がひたすらポンコツで(宇宙船が悲劇的に汚いのです!)、登場人物の身なりもほぼ、サン・ラ・アーケストラのメンバーか、マッドマックス並で、経済も半ば物々交換です。
サン・ラです(笑)。
アーケストラ(笑)。
にもかかわららず、兵器や宇宙船のテクノロジーが異様に進んでいて(笑)、怖いくらいなのです。
宇宙船の燃料費を稼いでいる一行。
それを見てる人たち(笑)。
社会的インフラが慢性的な財政の悪化によって(軍事費に金をかけ過ぎているのと、肥大化する官僚機構という病で瀕死状態でした)、とてもよくないのに、原子力潜水艦や宇宙ロケットはあるというソヴィエト連邦そのものを、プリュクという奇怪な惑星で表現しているものと思われ、さすがアネクドートの国であるなあ。と、ほとほと感心しました(笑)。
あと、このプリュクを当初、「カフカースの砂漠だ」と表現するセリフがありますけども、ソ連邦のなかで、「カフカース地方」というのは、ザックリ言って、中央アジアを指しており、暗に「遅れた地域」として見なしていることがチラッと示されます(第一部のラストシーンとか)。
ウエフとビーという関係は、実は、そのままヴラディーミルとゲダバンの関係でもあるんですね、実は。
これは、現在につながるとても根深い問題ではありますが(恐らくゲダバンはグルジア正教徒でしょうから、ムスリムではないと思われます。同じ正教徒だから、この程度であったともいえますが。。)。
もはや鬱的。を通り越して、痛快になってしまっているストーリー運びのうまさ、しかも、ちゃんと時空を遡ったりするワザを駆使するSFのテクニックも結構冴えています。
また、いちいち出てくる不条理なディテール(笑)。
あの独特の挨拶は忘れられませんし、「ステテコ様」て(笑)。
ツァーク(笑)。
また、この作品にバッド感を与える、現代音楽の高名な作曲家、ギア・カンチェリのサントラです。
「ママ、ママ、どうしよう!」となんども出てくる、まるで、○原彰○が作ったとされる歌にも似たどうしようもない感がハンパではない(笑)。
ロシアの人たちにとって、黒歴史を思い起こさせる本作でありましょうが、私たち日本人にも、1995年に地下鉄で猛毒のサリンをばら撒くという事件の首謀者(彼は刑務所で狂人になってしまっているようですが)を思い出させるという側面がありますね。
意図的にチープなシンセで作ったと思われる絶妙なまでに薄口なインストも素晴らしい。
コレは、ソ連末期という状況でしかできえない作品です。
それにしても、名門「モスフィルム」でこんな怪作が制作されたのは、驚くほかないですけども、あある意味、ペレストロイカのお陰ですよね(笑)。
『未来惑星ザルドス』と並ぶ、ソ連時代のSFの作品です。クー。
何のシーンかはお楽しみ。