ロバート・ワイズ『サウンド・オブ・ミュージック』
実は見ていなかったシリーズ(何回めでしたっけ)。
正直申し上げると、ミュージカルは苦手です(笑)。
理由はゾワゾワするから。
キレイな衣装を着て、バッチリメイクして、そんなに両手を広げて高らかに歌うのですか、街中で。というのが、どうしても物心ついた時から納得がいかないのだ。
なので、オペラもダメですね。
音楽だけ聴くのはイケるんですが。
多分、テレビのCMなんかで劇団四季のキャッツとかウエストサイド物語を見た時に感じたのでしょうね。
チンチクリンな日本人がやってるのが更に違和感を増幅させてしまったのでしょうね。
デコラティブでキラキラしていている世界がどうしてもダメなのでした。
私の好きなファンタジーはフィリップ・ド・ブロカ『まぼろしの市街戦』とか、ジャック・タチ『ぼくの伯父さん』とか、『赤い風船』なので、アメリカのファンタジーが全体的にダメなのですね。
それを日本語訳すると益々ゾワゾワしてきて、逃げ出したくなります。
とまあ、散々悪態をついてしまいましたが、ホントにスゴイもんは、それを乗り越えて圧倒的にスゴイ。
冒頭からジュリー・アンドリュースが両手を広げて「サウンド・オブ・ミュージック」を高らかに謳い上げるのですが、もう参りましたね。
ヘリコプターでの撮影!
なんちゅうか、文化の力の凄さというものを心底感じました。
ヴェトナム戦争が始まり、ビートルズが上陸してきたという混迷の時代にも関わらず、アメリカ芸能界はこんなにもスゴイのかと。
真実とか愛とか正義というものが本当にあって、それを信じている国民が作っている(なんだか半島の独裁国家みたいなギリギリな言い草ですが(笑)、そういう皮肉ではなく)映画である事が心底伝わってきます。
トランプさん。あんさんが取り戻さなくてはならんのは、コレじゃないですかな?
とはいえ、実は、ミュージックはすでに斜陽ジャンルでした。
なので、本作には、工夫があります。
それは、ホントにオーストリアでロケをするんですね。
ウソみたいに美しいザルツブルク。
リアルをうまく混ぜ込んでいくんですね。
昔は撮影所でオールセットで撮るのが普通です。
ダンスとかのテイクがどうしても多くなるので、天候に左右左たくないわけです。
しかし、それに真っ向から挑戦したんですね。
ロバート・ワイズはもともとキャメラマンでそこから監督に転向してリアルなB級映画撮ってた人ですけども、そこでの手法が活きてるんですね。
何が幸いするのか、わかりませんね。
修道院のシーンもセットではなくロケーションでとても重厚感があってとてもリアルです。
さすがに全てがファンタスティックな映像ではアメリカ人にも説得力がなかったのでしょう。
もう、マーロン・ブランドやジェイムズ・ディーンのリアリティのある存在感を見てしまっているんからなのでしょう。
しかし、カラーでとても開放的な屋外撮影をしているミュージック映画というのは、こんなにも印象が変わるんですねえ。
当時の人たちは私よりももっとびっくりしたに違いありません。
ですから、ジュリー・アンドリュースの動きも、完璧な振り付けではなくて、思うがままに飛んだり走ったりしている姿を撮っていて、しかもキャメラはコレをとてもいいアングルで撮るんですね。
とにかく、アングルが素晴らしいですよ、この映画は!
映画のキャメラの教科書として今でも学ぶところは大と言えましょう。
ダンスが入るシーンになるとさすがにセット撮影になりますけどもね。
しかし、トラップ大佐のオーストリア帝国軍の厳しい規律をそのまんま子供達に応用するというギャクみたいな設定、キャラ立ちした7人の子供達。
長女役は将来を嘱望されていたのですが、本作をもって引退。
とにかく、キャッチーですなあ。
それにもまして、ジュリー・アンドリュースの素晴らしさ。
どのシーンのロケーションも素晴らしい!
日本の少女マンガの主人公の造形の1つの基本となる、お転婆で清純なお姉さん。というのは、ほぼ、このジュリーの演じるマリアなのではないのか?というくらいにもう古典の素晴らしさですね。
もう1つは『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンなのでしょう。
ともにショートヘアですね。
あと、やはり、1930年代のオーストリアのお話し。という題材も秀逸と言わざるを得ません。
ヨーロッパがナチスドイツにやがて蹂躙されていくという時代背景は(しかも、実話がベースですから)、ミュージカルである以前にもう史実が劇的です。
これ以後、大ヒットしたミュージカル映画である『エヴィータ』や『レ・ミゼラブル』は、本作の大成功を踏まえているものと考えていいでしょう。
あと、コレはアメリカらしいですが、オーストリア帝国が解体し、共和制になって、しかも奥さんが亡くなっているという貴族の一家の苦悩を、マリアが来たからモンマンタイ!という感じで完全にオミットしている凄さですよね(笑)。
ヴィスコンティにそんな事は絶対にできません(笑)!
まあ、アメリカが2度の世界大戦に勝っている覇者なので、できちゃうのでしょう。
まもなく、ヴェトナム戦争という、未だにアメリカを苦しめる地獄が待っているわけですが。。
ただ、ナチスドイツがキバを剥くところは、本作のトラップ一家の亡命という重要な部分なので描かれます。
ゲオルク・フォン・トラップは上流階級の人なので、成り上がり者が中心となっているナチスドイツの台頭を心底から憎んでおります(果たして、ナチズムへの批判があったのかどうかは私にはわかりませんけど)。
名シーンだらけの映画ですけども、頑固オヤジ状態であったゲオルクが子供達に合わせて歌いだすシーンが結構好きです。
それにしても、ザルツブルクのロケーションの素晴らしさと言ったらないですね。
ドレミの歌のシーン。
ホントにおとぎ話に出てくるような景色です。
ブルーレイで見ると更によくわかります。
『ディア・ハンター』や『地獄の黙示録』が作られるのは、本作からわずか10数年後です。
この間にアメリカがどれだけ劇的に変わってしまったのか。という事ですね。
ちなみに、「エーデルワイス」「ドレミの歌」(レはレモンのレ。はなかなか無茶な和訳です。reはlemonのreなので)と本作から名曲はたくさん生まれましたが(リチャード・ロジャース作曲、オスカー・ハマースタイン2世作詞)、この映画から最も有名になった曲は、何と言っても「My Favorite Things」だと思いますが(JR西日本のCMで使われ続けているのも大きいです)、この曲はジャズの巨人であるジョン・コルトレインが殊のほか愛した曲であり、彼が生涯にわたって演奏したことで(記録された最後の録音でも演奏しております)、ジャズのスタンダード曲になりました。
My Favorite Thingsを歌う名場面
コルトレインがミュージカル版を見ている姿を想像するのは、とても微笑ましいものがあります(笑)。
もはや、史実のトラップ一家をしのぎ、こちらこそが真実になってしまった(あたかも、吉川英治『宮本武蔵』が史実にすり替わっていったように)、最後のハリウッドミュージカル大作(その意味で、同じ頃のヴィスコンティ(山猫』とまた違った愛惜が漂います)。
ただし。
現在でもオーストリアでは本作の評価はオーストリアの歴史をかなり歪曲して伝えているため、とても低いです。
この点は注意してご覧ください。
※追伸
このような訃報が。長女リーズル役の方が亡くなりました。合掌。