人類は危機に於いて団結できるのか?

アダム・マケイ『Don’t Look Up』

 


もし地球に巨大な隕石が100%の確立で衝突し、地球上の生物を残滅させる事がわかったとしたら?


と、なんだかどこかで見たことがあるような設定ですが(笑)、マケイ監督は、「絶対に人類は団結しない!そんなのはウソ!」という観点から描く、SFの傑作であり、『マネーショート』、『ヴァイス』と続く、「政治3部作」とも言える、トランプ政権批判にして、リベラル批判でもあります。


主人公のレオナルド・ディカプリオはややザナックス依存症になっている、中西部、ミシガン州立大学天文学の教授です。

 

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いつものように天文観測をしていたら。。

 


いつものように、助手や大学院生たちと天文観測をしていると、ジェニファー・ローレンス演じる大学院生の女の子が偶然、彗星を発見しました。


この彗星の大きさを分析すると、直径10kmにも及ぶ巨大なものである事がわかりました。


ディカプリオ演じる大学教授は、彗星の軌道計算の専門家であり、直ちに彗星の軌道を計算してみたところ、何度やり直しても、半年後の地球に衝突する結果に。


慌てた彼はNASAに連絡し、大統領にこの深刻さを直接伝える事に。


しかし、メリル・ストリープ演じる大統領は、間近に迫っている中間選挙の事でアタマがいっぱいであり、ワイトハウスのスタッフも全く本気にしていません。

 

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ドナルド・トランプヒラリー・クリントンが融合されたような大統領を演じる、メリル・ストリープが最高です!


やむなく、新聞に記事を書いてもらったり、やテレビのモーニングショウに出演してこの危機を訴えるのですが、反応はほとんどなく(笑)、むしろ、ジェニファー・ローレンスが生放送でブチ切れした映像がネットでミーム化して、違った意味で盛り上がってしまう羽目に(笑)

 

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アホアホワイドショーはディカプリオたちをネタとしてしか見てません(笑)

 

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アリアナ・グランデがほぼカメオ出演してます。


そんな彼らは、FBIに逮捕され、またしてもワイトハウスに連れて来られます。


マスコミに機密を漏洩したという容疑ですが、大統領は、念のために、天文学の優秀な学者たちにディカプリオたちが示したデータを検証させていて、その結果は、100%巨大な彗星が地球に衝突するという結論に至ったんです。


ディカプリオたちは、大統領が対策を立ててくれる!と、ようやく安心するのですが、実はお話はココからが大問題なのです(笑)。


スタンリー・キューブリックの凍りつくような傑作『博士の異常な愛情』は、米ソの核戦争による、人類の滅亡を描いていますが、ついに、この傑作を更新したのが本作であると思います。

 

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一人で三役をこなす、ピーター・セラーズの才能が爆発した傑作、『博士の異常な愛情』。

 

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「事件は会議室で起きている映画」の古典でもありました。ジョージ・C・スコットが演じる将軍はカーティス・ルメイがモデルだと言われてます。

 


ネタバレさせてしまいますが、要するに、「人類は最期の最期まで団結する事なく、実にしょうもなく争い、そして死んでいく」という事を、キューブリックはトコトン人間への不信の根底に置いて、凍てつくようなラストで終わりますが、同じような人類滅亡を描きながらも(ああ、バラしちゃった!)、マケイ監督には、キューブリックのような人間不信と徹底したニヒリズムはなく、どこかそんな人間を愛おしむ心があり、ラストは散々なのですが、それでもヒューマニズムとユーモアを持ち合わせています。

 

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この映画を一月に見てから、ウクライナとロシアの関係がみるみる内に悪化し、まだCovid-19 が両国で大問題のはずなのに、ついにロシアの大軍が全面的に侵攻を開始し、戦争となりましたが、まさに本作の最大のメッセージである、人類はもっと平和のために団結できないのか?」というテーゼが、現実世界でとてつもなく痛切になってしまったのは、なんともですね。。


優れたフィクションはリアルを穿つ。という事を見事に証明した、人類必見の傑作。


コレだけのためにNetflixに入る価値がございます!


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レジェンド級の傑作に挑んだスピルバーグに拍手を!

スティーヴン・スピルバーグWest Side Story

 


アーサー・ローレンツ脚本、スティーヴン・ソンドハイム作詞、レナード・バーンスタイン作曲による、1957年に初公演されたミュージカルを、1961年にロバート・ワイズ版、ジェローム・ロビンス振り付けによって映画化され、アカデミー賞を10部門を独占したミュージカルのリメイク。


このリメイクが製作中。しかも、スピルバーグが。というのを映画館の予告編を見た時の率直の感想は、「なんと無謀な」と思いました。


しかも、主演のトニー(アントン)を演じるのが、『ベイビードライバー』のアンセル・エルゴートであるというのも、ますます恐ろしくなってきたのですね。

 

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アンセル・エルゴートの頑張りは評価すべきでしょう。問題はスピルバーグにあると思います。


『ベイビードライバー』はエドガー・ライト監督の現時点の最高傑作であり、2010年代を代表する傑作でした。


なので、怖かったんですね。


どうしても、あのベイビーの素晴らしさとの残酷な比較と更にハリウッドのレジェンドとの比較になってしまうわけですよね。


アンセル・エルゴートはコレからキャリアを積み上げていく役者さんであって、いきなりそんな一番厳しいところに突っ込まなくても。と、心配でならなかったんです。


スピルバーグ本人の失敗は、それほどの事ではないと思ってました。


彼の映画はもはや、自分のカネで作っていて、リスクを自分で取っての制作ですし(超リッチな自主制作映画ですよね、もはや・笑)、彼自身が既にレジェンドなのですから、もうよほどの失敗をしなければ、経済的危機になる事もないわけです。


それでも、何という無謀であろうか。とは思いましたが。


という前置きが矢鱈と長くなってしまっておりますけども、結論から申し上げれば、その不安はほぼ杞憂にすぎなかったです。


とにかくですね、ダンスシーンの凄さですね。


オリジナルは背の高い人たちをキャスティングしているので、ダンスが優雅なんですけども、スピルバーグ版は主演のトニー以外はそんなに背の高い人がおらず、コレは意図的にそのようにキャスティングしているんでしょうけども、それはものすごくスピーディでパワフルな振り付けに大胆に変えていて、何というか、ジャニーズの凄さを見ているような感覚です。

 

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とにかく、ダンスシーンの凄さは素晴らしいとしか言いようがなく、これだけで元が取れています。アニータ役は助演女優賞にノミネートされました。

 


しかも絵としては引いて見せているので、そのダイナミズムを味わうのは映画館ですね。


DVD等で見ると、どうしても音響的にも魅力が相当落ちてしまいます。


さて。


ココからが問題なのですが、それはミュージカルという、ある種のファンタジーとこの作品が描いている人種間抗争や都市問題という、1950年代のニューヨークのリアル(それはジャズ、サルサ、ヒップホップなどとも結びついてくる問題でもありますが、今回は割愛します)の問題です。


私はミュージカル映画というものをそんなに見ている方ではなく、その乏しい経験則に基づいての書いている点をご容赦いただきたく思うのですが、ミュージカルというのは、なんと言っても歌って踊る事の素晴らしさなわけですよね。


余りにも当たり前すぎて、バカみたいですが(笑)、そこと先ほど言ったようなリアルは果たしてどううまく噛み合うのか。という事なんです。


結論から述べると、ミュージカルはこういう問題と構造的にも噛み合わせが良くない事がハッキリしたのだな。という気がつきしました。


プエルトリコ系の人々をワイズ版は白人が肌を浅黒くメイクして演じていたんですが(現在では大変に問題のある手法です)、今作は、完全に中南米の人々でキャスティングされていて、しかもダンスはより素晴らしいですし、スピルバーグの演出が最も爆発しているところです。

 

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オリジナルは、プエルトリコ系のシャークスのメンバーを白人が浅黒くメイクして演じてました。

 

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とにかく、プエルトリコ系を演じる、中南米の人々のダンスは圧倒的!


ココは先ほどの問題に引き寄せると、とてもいい部分です。


しかし、そこが素晴らしいが故に、細かい問題がどこかに飛んでいくといいますか、とにかく身体の圧倒的表現を素晴らしく撮影してしまえばましまうほど、要するに源氏と平氏でもいいですし、赤軍と白軍でもいいのですが、問題が具体的ではなく、とても抽象的になってしまって、現実を穿つているように見えないんですね。


要するに単なるAとBの勢力の対立にしかならない。


それは、プアホワイトである、ポーランド系のジェット団を描く様子も、どうしてもそうなってしまう。

 

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ポーランド系ジェッツのリフはだんだんと魅力的になってくるんですが、ミュージカルとリアリズムはやはり噛み合わせが悪いのではないかと。。


ミュージカルという性質上、歌とダンスが優先されるのですから、難しい事を論じさせる事がどうしても困難でもし、それをやりながらもダンスシーンがあったりしたら、映画があっという間に4時間くらいになり、ボリウッド映画になっていしまいます(スピルバーグが作ったボリウッド映画というのはとても興味がありますが)。


スピルバーグ版が盛り込んだ、トランスジェンダーの問題、ポーランド系の人々の苦悩(コレは現在の白人のホワイトカラー層とダブらせているものと思われます)が全部、ミュージカルという構造を食っておらず、ふりかけの役割にしかなっていないんですね。


コレはスパイク・リー監督『アメリカン・ユートピア』に唐突に挿入される、デイヴィッド・バーンの主張と果たしてどういう整合性があるのか?という、ジャネール・モネイの黒人差別を告発する歌のシーンと同質なものを感じざるを得ないです。


実は、ちゃんと社会的テーマとミュージカルが完全に噛み合った映画は存在します。


それが、スタンリー・ドーネン監督の、コレまたレジェンド級の作品『雨に唄えば』です。

 

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余りにも有名なシーンですか、ココがクライマックスではない事はあんまり知られていないのでは。

 

この作品が巧みなのは、映画がサイレントからトーキーに移行する時代のハリウッドを描いている事でなんです。


この映画はジーン・ケリーが雨の中で歌って踊るシーンばかりがフィーチャリングされてしまい、なんだかもう見た気になってしまう映画のチャンピオンだと思うのですが、サイレント映画からトーキーに移行する事を描いており、それはすなわち、トーキーでカラーであるミュージカル映画であるという構造と密接な内容になっていて、トーキーである事、カラーである事が作品と不可分なのです。


こういう構造レベルにおける更新はスピルバーグ版には特になく、ダンスシーンの更新。という、無難なレベル(とはいえ、それはとてつもない水準なのですが)にとどまっているように私には思います。


スピルバーグや脚本の苦心と努力は認めつつも、構造の問題にいたることがなかった点が私には少々不満でした。


また、ダンスシーンを素晴らしくするために、メインキャストの体格が大体同じで、衣装もリアリズムを追求するあまり、みすぼらしい格好に変更されているので、しばらく登場人物のアイデンティファイがしづらいのも難点です。


コレに対し、トニーがベイビーフェイスなのに飛び抜けて身長がデカい(あんまりダンスシーンがないから。というのもあるのでしょう)という事で際立つようにしてますが、『ベイビードライバー』ほどの魅力に達していなかったです。

 

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マリアとトニーはかなりの身体差があります。


しかし、オーディションで選ばれたマリアを演じたレイチェル・ゼグラーは素晴らしかったです。

 

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マリアの素晴らしさが光りました!


前作にも登場したリタ・モレーノがとてもいい役を演じたのはとても素晴らしいですね。


ベルナルドのリアルさは私にはむしろトゥーマッチで、見せなくてもいいものを見せられている気がしまして、私はファンタジックな美しさを持つ、ジョージ・チャキリスがどうしても素晴らしく思えます。


私にとって、ミュージカルは素晴らしきファンタジーであるという事なのでしょうね。


ココがそうではないという方には私の評価は逆転するでしょう。


と、結構な問題を指摘しましたが、現在、これほどの格調を持った作品を作る事ができる監督はいないです。

 

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衝撃のゴダール的わらしべ長者話でした(笑)

クリント・イーストウッド『クライ・マチョ』

 

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なんでこんな素っ頓狂なタイトルなのか?は見てのお楽しみなのです。

 

 

イーストウッド監督作品をすべて見ましたが、コレはイーストウッド作品史上、最も緩い作品です(笑)


いやー、驚驚くべき冒頭シーンでした。


それはいるのかと(笑)


「お前はクビだ!」というだけのシーンです。


ストーリーはシンプルというものを通り越していて、ほとんど幼稚園の頃に読んだ、昔話のようでした。


イーストウッド監督には『運び屋』という、メキシコの麻薬カルテルの運び屋をしていたのが、園芸のおじいさんだった。というトンデモ事件からインスピレーションを得た緩い作品がありましたが、久々にイーストウッド本人が主演でもあり、やはり、程よい緊張感のある、佳作でしたけども、本作の、とりわけ前半部の緩慢さとサスペンスの欠如、画面の暗さには、不安を覚えるほどです(笑)。

 

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昔のイーストウッド作品は「画面が暗い」とよく言われ、実際、暗いのですが、本作の前半はこんな感じです(笑)。誰だかわからないくらい暗いですね。

 


まさか、イーストウッド作品を見て、不安を覚えるとは思いもしませんでした。


イーストウッド演じる元ロデオスターのマイロは、一年前に解雇された牧場経営者から、「メキシコに住んでいる息子のラファエルをアメリカに連れてきて欲しい。経費と報酬ははずむので」という頼みをスンナリ受けてメキシコにやってきます。


コレがですね、なんのサスペンスもないんですよ。  


呆気なくメキシコシティにある、ラファエルの家に到着するのですよ(笑)


余りにも何も起きないんで、たまげました。


でですね、ラファエルもそれほど大した苦労もなく、見つかるんです。


もうね、どうしたんだと(笑)


しかしですね、ここから始まる、わらしべ長者級のおとぎ話が始まりまして、テイストがかなり変わってくるんです。

 

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マイロとラファエルのおじいちゃんと孫としか言いようのない交流がだんだんと話しを転がしていきます。


なななんと、ココからなかなか面白くなってくるんですよ!安心しました(笑)!


で、後半にちょっとしたサスペンスとアクションがあるんですね。


おお、キャラハン刑事が久々にチラッと出てきました。

 

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馬を扱うと、流石にマイロは凄腕である事がラファエルにも伝わります。


ネタバレさせたとて、それほど込み入った話でもないので、盛大にネタバレさせても構いませんけども、それはやめときまして、この映画の重要なポイントを言っておきましょう。


ほぼ、わらしべ長者と化すイーストウッドが演じているのは、口の悪い頑固ジジい。という、まあ、ある意味、いつもの彼なのです。


彼が若い頃に演じてきたキャラクターは、良くも悪くもマチズモそのものでした。

 

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ラファエルの闘鶏のパートナー、マチョ。タイトルとのダブルミーニングに担っておりますが、オット、その先は言えねえ言えねえ。

 


イーストウッドは『許されざる者』以降、しばしば、このキャラクターの贖罪をいくつかの作品で行っていますが、そのピークが『グラントリノ』出会った事は間違いないでしょう。


もうネタバレさこの作品ででイーストウッド演じる老人は凄絶な最期をとげ、しかも、これをもって主演はリタイアすると宣言しました。


しかし、これは『運び屋』によって撤回され、ここでもテーマは家庭を顧みない男の贖罪です。


この作品では、なんと、イーストウッドの実の娘が娘役として出演し、彼女にイーストウッド演じる、家庭を顧みル事のなかった老いた造園家を激しく罵らせるのです。


しかし、『グラントリノ』のような痛ましい最期とはかなり違ったラストが設けられ、イーストウッドの考えが変わった事が伺えます。


さて、本作ですが、イーストウッドは『運び屋』でのラストも更新し、驚くべき方向、すなわち、「わらしべ長者」が始まるのです。


この具体的内容はここでは触れませんが、結論を述べると、それは、「真の世直しとは一体なんなのか?」という事へのイーストウッドならではの結論であり、それは「マチョとは何なのか?」という劇中のイーストウッドのセリフに端的に現れており、コレは元殺し屋を主人公とした、『許されざる者』の結論もなまた修正しているのです。


そして、彼が身をもって示す「世直し」は、それはひいてはアメリカの民主党共和党を支持する人々双方への批判にもなっているように思います。


老人と少年、そして、クルマと警官と悪党がいれば映画になるのだ。という事も身をもって示してしまった、ほとんどゴダールのような映画でもあります(ゴダールイーストウッドはともに1930年生まれ)。


タイトルの意味は最後にわかるのですが、映画館で腰が抜けました(笑)


皆さんも是非体験下さい。

 

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リドリー・スコットによる『蜘蛛巣城』!

リドリー・スコット『ハウス・オブ・グッチ』

 

 

 

見ていてすごく驚いたんですよ。


80歳を過ぎたリドリー・スコット監督が全く枯れていないんですよ。

 

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2022年1月で84歳。未だに創作意欲が衰えない、リドリー・スコット監督。

 


このところ、映画の制作ペースがイーストウッド並みになってきていますが、日本では前作『最後の決闘裁判』の公開から1年も経っていません(笑)


まあ、Covid-19 で公開予定がぐちゃぐちゃになっているのもあるのでしょうけども、この2作で驚いたのは、かのリドリー・スコット監督が、ここまで黒澤明が好きだったのかという事を臆面もなく告白している事なんですよ。


リドリー・スコット黒澤明を結びつけて考えた事って、正直、今まで一度もなかったんですけども、この連続すること2作が、それぞれ、『羅生門』、『蜘蛛巣城』である事から最早、スコット監督のクロサワ愛は間違いない。と思いました。

 

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クロサワ、ミフネを世界の人々に鮮烈に印象づけた『羅生門』。

 

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シェークスピアマクベス』を戦国時代に置き換えた、黒澤明蜘蛛巣城』。

 


絵を見た限り、「うわ、クロサワそっくり!」みたいな事はさすがにないですし、「あらら、ミフネそっくりな役作り」もやってません。


さすがに、スコットは年齢的に「オタク世代ではない。


しかし、よくよく考えてみると、黒澤明はかねてから指摘されているように、1920年代のサイレント期のドイツ映画の影響が強いと言われています。


スコット監督の代表作であり、映画史上の金字塔と言ってよい、『ブレードランナー』は、明らかに、フリッツ・ラングメトロポリス』の世界観の影響を強く受けています。

 

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かの手塚治虫生にも多大な影響を与えた、フリッツ・ラングメトロポリス』!


クロサワとスコットはどちらもサイレント期のドイツ映画の影響があるんですね(後のスコット監督の映像は、これがだんだん見られなくなりますけども)。


恐らくですが、スコット監督は、年齢的に見て、自身のキャリアの総決算に入り始めていると思われますけども、そこで自分のキャリアに最も強く影響を受けたであろう、黒澤明に敢えて真正面から取り組んだ2作なのでしょう。

 


本作はすでにニュースやドキュメンタリー番組で知っている方も多いでしょうし、ファッション業界においては、最早、関ヶ原の戦いの顛末くらいの出来事ですから、ネタバレも何も、公然たる事実ですので、どうなるの?のサスペンスは皆無です。


問題は、コレをどう撮るの?どう演出するの?に傾斜しているわけです。


まあ、なんと言ってもレディ・ガガですよね、本作の素晴らしさは。


現在、大河ドラマ三谷幸喜脚本の、『鎌倉殿の13人』の放映が始まっていますが、実は内容が偶然にもカブっております。


レディ・ガガ演じるパトリツィア・レッジャーニはまさに北条政子であり、本作同一人物なのではないのか?としか見ていて思いませんでした(笑)


レディ・ガガは、ほぼ北条政子であり、小池栄子なのだ。という点が重要です(笑)


とにかく、圧がすごく、獣の嗅覚だけで生きているような人物を見事に演じているんです。


パトリツィアは、グッチ家の、マイケル・コルレオーネたる、マウリツィオ・グッチ(アダム・ドライヴァーが演じており、一族のビジネスに関わらず、弁護士をめざしています)にグイグイ接近し、マンマと夫人の地位を手に入れてしまいます。

 

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実際のパトリツィアとマウリツィオ。源頼朝北条政子です!

 


ココにも至って、ガガ=小池栄子は、小池百合子に風貌まで変わっていくのが、本作最大のキモではないのかと思います。


嫁が旦那をけしかけて、ドンドンと出世していくという構図はまさに『マクベス』であり、要するに『蜘蛛巣城』なのです。


そういえば、アダム・ドライヴァーは、どこか『鎌倉殿〜』の大泉洋とキャラがコレまた被っていて、そこもまたツボです


名門でありながら、隅っこに追いやられているところとか。マウリツィオは自分からそうしている、典型的な下降志向のお坊ちゃまで、頼朝は罪人として伊豆に流罪となっているのですが。


佐殿殿はスケベ殿。という点も同じだったりしますけど(笑)


身も蓋もない言い方ですが、グッチ一族のドロドロ劇ですので(笑)、いくらでも露悪的に描く事はできるのですが、スコット監督は意図的にかなり図式化した構成、キャラクター造形にし(ココがまさに黒澤的です)、ことのほかサクサクと話を進めていきます。


このサクサク感は、川島雄三とか、増村保造などの映画のテイストにちょっと似ていて、実はギトギトデロデロのメロドラマを期待している人々には肩透かしかもしれないですけども、グッチ家の深い傷口に塩を刷り込むような所業である事は間違いないのであり、そこはスコット監督も配慮しているんだと思います。

 

 

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グッチの創始者グッチオ・グッチ。息子のアルドとルドルフォが跡を継ぎました。


しかしながら、本作の最大の功労者は、アルド・グッチ(アル・パチーノが演じています)の不肖の息子、パオロを演じる、ジャレット・レトです。

 

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映画ではややすちゃらか社長として描かれる、アルド・グッチ。グッチを世界的なブランドにした大功労者です。


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実際はあんな酷い風貌ではない、パオロ・グッチ。東映喜劇におけるフランキー堺の役割です。

 


正直、言われるまで全くわからないほど別人の風貌になっているのですか(笑)、あの超がつくイケメン俳優が、完全に落武者ルックに信じられないほどダサい服を着ているのですが、彼の完全な「気狂いピエロ」ぶりがとにかく素晴らしいとしか言いようがありません。


この、極端なまでにデフォルメされたピエロが、ドロドロの悲劇を喜悲劇に昇華しており、彼無くして本作のクオリティはここまでにはならなかったと思います。


このところのスコット監督作品はちょっと長いのですが、予想外に胃にもたれない作りであるのも素晴らしかったです。

 

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現在のパトリツィアです。

 

2021年、年間映画ベスト!

2021年年間映画ベスト(同不順)

 

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【新作】

原一男水俣曼荼羅

ジェイムズ・ガン『ザ・スーサイド・スクワッド

エストラヴ『The Summer of Soul』

シドニー・ポラックアメイジング・グレイス

フレデリック・ワイズマン『ボストン市庁舎』

ロド・サヤゲス『Don't Breathe 2』

レミ・シャイエ『カラミティ』

村瀬修功機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ

リースル・トミー『リスペクト』

サラ・フィシュコ『Jazz Loft』

 

【旧作】

川島雄三『とんかつ一代』、『グラマ島の誘惑』

デイヴィッド・クローネンバーグ戦慄の絆

ルネ・クレール巴里祭

ジョナサン・デミ『Stop Making Sense』

山中貞雄『人情紙風船』、『丹下左膳余話・百万両の壺』

フランク・ペリー『泳ぐ人』

中平康『牛乳屋フランキー』、『あいつと私』、『紅の翼

大林宣彦『四月の魚』

森田芳光間宮兄弟』、『の・ようなもの』

『Les Triplettes de Bellesville』

リチャード・フライシャー『ラスト・ラン』

S・クレイグ・ザラー『トマホーク ガンマンvs食人族』

胡波『象は静かに座っている』

デイヴィッド・ロウリー『A Ghost Story』、『セイント』、『さらば愛しきアウトロー

 

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アリーサの光と影を描いた秀作!

リースル・トミー『リスペクト』

 

アリーサ・フランクリンは、ソウル史上最高の女性ヴォーカリストです。

 

まず、この点を押さえておきたいのです。

 

飛行機恐怖症であった事もあり、アリーサは2018年8月16日に亡くなるまで(なんと、エルヴィス・プレスリーと亡くなった日が同じ)、日本への来日はなかったので、一般的な知名度がやや落ちる気がしますが、ブラックミュージックをいささかでも愛好する人にとっては、ジェイムズ・ブラウンサム・クックと並ぶ、最大のアイコンです。


私が初めてアリーサを初めて聴いたのは、1971年3月のフィルモア・ウェストでのライヴの模様を録音した、『Aretha Franklin at Fillmore west』ですが、そのあまりに素晴らしい内容に唖然とてしまったのですが、映画ではこれは丸ごとカットされ、なかった事になってます(笑)

 

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コレは後に発売された、前座のキング・カーティスのライブも含めた完全版です。

 


コレは、ウソとかそういう事ではなくて、ストーリー構成上必要なカットである事は見ているとわかります。


本作は、1950年代の初頭のアリーサの天才少女時代から1972年、ロサンジェレスにある、「The New Temple Missionary Baptist Church」で2日間に渡って行われた、今や伝説となったゴスペル・アルバムの収録、撮影の様子までを描いている、伝記映画です。


最後に有名なコンサートを持ってくるという構成は、日本で驚異的にヒットした、『ボヘミアン・ラプソディ』を思い起こさせます(恐らく、意識はしたでしょう)。


この映画でのジェニファー・ハドソンの名演はもう多くの人々が絶賛されているでしょうから、私は違うところを論じていきたいと思います。

 

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ジェニファー・ハドソンなくして、本作は作らなかっだでしょう。

 

当時の黒人の教会が行う説教巡業というのは、大変よく行われたのですが、アリーサの父、クラレンス・ラヴォーン・フランクリンはデトロイトどころか全米で有名な牧師であり、彼の説教はレコードとして販売されるほどで、彼もまたアメリカの各地を巡業しておりました。

 

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キング牧師と並ぶC.L. フランクリン。2人は同志でした。

 

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映画ではフォレスト・ウィテカーが演じてます。


フランクリン家は、黒人としてはかなり裕福だったんです。


この巡業で、天才的な歌唱力でゴスペルソングを歌っていたのが、アリーサです。


アリーサは少女時代にすでにかなりの知名度を持っていたんです。


しかしながら、この巡業、実は別の側面もありまして、それは「セックス巡業」の側面がありました。


実は性的な面における解放の意味も持っていたようなのです。


そして、その事が本作でも暗に示されており、アリーサが少女時代にレイプされていた事を匂わせる、かなりショッキングな描写が出てきます。


この事は、デイヴィッド・リッツ『アレサ・フランクリン リスペクト』という書籍によって明らかにされているのですが、生前のアリーサは「この著作に書かれている事はすべてデタラメである」と言ってます。

 

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リッツの伝記は一つの決定版でしょう。


本作はこの極めて厳密に記述されたリッツの伝記によるところが大きいと思います。


アリーサがこの伝記を全面否定し、自分の意にそう伝記本を刊行しているのですが、この件からわかるように、アリーサという人はあまり、自分の内面の問題を他人に打ち明けるのがとても苦手な人であり、その事が彼女をかなり苦しめている事が映画でも描かれています。


彼女の苦悩は父が運営する教会での問題があるんですね。


映画でも出てきますが、アリーサは、父親が不明の子供がデビュー前なすでに3人もあり、なんと、デトロイトの自宅で育てているんです。


コレは側から見ていると相当な感覚ですが、それが若い頃のアリーサの日常でした。


メアリーJブライジ演じる、ダイナ・ウォーシントンは本作に強烈なインパクトを与えますが、当時の黒人教会の巡業がセックス巡業である事は黒人であれば誰でも知っていた事である事が、彼女のセリフから読み取れます。


また、アリーサの母親は、アリーサが幼い事に別居しており(最後まで離婚してなかったようです)、定期的に子供たちは会っていたようです(母親は心臓発作で1952年に急死します)。

 

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アーマ、アリーサ、キャロリンの三姉妹でした。


映画ではハッキリとした描写はありませんが、夫クラレンスのDVがあったものと思われます。


また、クラレンスにはゴスペル歌手である、クララ・ウォードと長年愛人関係でした。

 

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実際のクララ・ウォード。

 


このようなかなり厄介な家庭環境で育っている事は、アリーサの人生に大きな影響があったかと思われますが、本人はその事を他人に語る事はなかったようです。


映画は彼女の苦悩を具体的な描写ではそれほど示しませんが、よくよく見ると、それらはすべてわかるように描いています。


コレが前半になります。

 

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コロンビアはアリーサの良さを引き出す事ができませんでした。


そして、アトランティックと契約し、シングルやアルバムの傑作群が、まるで洪水のように溢れ出てくるのが後半になるのですが、興味深いのは、オーティス・レディングが既に大ヒットさせていた「リスペクト」をカヴァーし、全く別の次元に曲をはってんさせ、事実上、アリーサの曲にしてしまう過程を実に丁寧に描写しているところです。

 

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アトランティックのジェリー・ウェクスラーとの出会いがアリーサの音楽人生を激変させる事になります。


この経緯はすでに多く論じられていますから、一切省略しますけども、音楽ファンには必見です。

 

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最後のコンサートは、コンサートの模様を忠実に再現するような事はむしろ避け、アリーサの主観を描いています。


アリーサという、不世出のソウルシンガーの半生の、かなり際どいところにまで踏み込みつつ、それらの問題を決して露悪的ではない手法で描きつつ、その口に出して言えない苦悩はすべて、あの圧倒的な歌唱、素晴らしい曲によって昇華されていくという描き方は、ホントに素晴らしいです。

 

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とにかく、後半の音楽の使い方のうまさが光ります。

 


アリーサの実際のゴスペルコンサートの模様を撮影した『アメイジング・グレイス』とともにご覧ください。

 

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スパッと90分で終わる、川島雄三の遺作!快哉!

川島雄三『イチかバチか』

 

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本作の公開前に亡くなった川島雄三。享年45歳。

 


川島雄三の遺作にして、なんと社会派。


本作の公開の直前に自宅で急死してしまいました。


もともと、難病のALSを抱えながら映画監督をしていたんですよね。


しかし、そういうものを微塵も感じさせないバイタリティを遺作に於いても封じ込める事に成功しており、決して長生きとは言えませんが、川島雄三の監督人生は、多くの傑作を残す事ができ、幸福だったのではないでしょうか。


本作は主役が前半と後半では交代してしまいます。


ココが相変わらず斬新ですよね(笑)


前半は大阪出身で裸一貫で製鉄会社を作り上げた、伴淳三郎


後半は愛知県の架空の小都市の市長のハナ肇です。


めちゃ面白いコメディアンが主演を交代するという、コレまたおかしい。


だいたいにして、東北弁のイントネーションが生涯抜ける事のなかった伴淳三郎に大阪人の役をやらせているのがどう考えても無茶なのですが(笑)、前半のおかしさはこの社長のドケチぶりを、伴淳三が強引にヘッドハンティングして側近にしてしまう、高島忠夫(お若い方は知らないかもですか、俳優の高島兄弟のお父さんです。議題の気配り精神と関西の富裕層出身という、物腰の柔らかさを活かした司会業か成功してしまい、司会業がメインになってしまいました。ホントは大変歌やダンスの上手い方でした)の目を通しての、伴淳三郎の「ドケチのセオリー」を垣間見るというお話です。

 

後半はの伴淳が計画する製鉄所の移転計画をいち早く察知した市長のハナ肇の強引な勧誘となぜそこまでして頑張るの?が明らかになっていきます。


とにかくですね、本作の見どころは、当時、東映、そして、渡辺プロの大スターであったクレイジーキャッツのリーダーたるハナ肇の圧倒的な存在感ですよね。


ある意味、お笑い世界の世代交代にもなっているとも言えます。


伴淳は本作から2年後の1965年に、内田吐夢監督の『飢餓海峡』で、函館の刑事役で、見事な演技を披露し、シリアス路線を見出しましたが、もしかすると、ココでのハナの凄まじさに、自らがお笑いとしてはオールドスクールになっている事を痛感させられたのかもしれません。


その意味で本作は結構残酷なモノが刻印されてしまっている側面があるのですが、そういうモノを吹き飛ばしてしまうほどハナ肇が素晴らしいです。

 

クレイジーで活動しつつ、ハナは単独で山田洋次作品の主演をつとめたりするようになっていくのですが、本作は案外そういう契機になった作品なのかもしれません。


また、前半と後半ではテイストがガラッと変わってしまい、なんと、架空の小都市である「東三市」の市議会の利権問題がクローズアップされてくる、実は多くの自治体に今でもギロギロと存在する、利権の構造を食い破らんがために孤軍奮闘する市長のハナという構図になっていき、ラストはドタバタしつつも一挙にシリアスなテイストに持っていくのですが、しかしながら、川島雄三はダンディズムの人なので、呆気ないほどにスパッと終わらせてしまいます。


ココから先は現実の政治問題としてやってくだいネ。という川島監督一流のダンディズムでありましょう。


このような登場人物も多く。錯綜したドラマを90分で仕上げてしまう川島雄三は最後まで素晴らしい監督でしたね。


最近、ようやくDVDになりましたので、容易に見ることができるようになりました。


また、川島雄三は根強い人気がありますから、名画座で上映してくれるかもしれませんので、それを待つのも手でしょう。

 

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使える画像がほとんど転がってるないので、殺風景になってしまい、スンマソン!