アホっぽいタイトルに油断することなかれ!

ティーヴン・ヘレク『ビルとテッドの大冒険

 


2020年にまさかの続編が公開される、まだ無名時代のキアヌ・リーヴス主演の作品。

 

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ロックスターになりたいのにギターがロクに弾けないビルとテッド(笑)。

 

 

タイムトラベルものなのですが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の製作費の1/10もないと思います。しらんけど。

 

映画のテイストが1970年代にとにかく、マンガを原作とした映画を量産していた鈴木則文のテイストが濃厚で、とにかく全体の作りがチープ(笑)。

 

じゃあ、つまんないのか?というと、実はそうではないんですよ、コレが。

 

主人公の二人である、ビルとテッドが特に何の努力もせず、適当にタイムトラベルをし、ナポレオン1世、ソクラテス、ビリー・ザ・キット、フロイト(ビリー・ザッパ・キットが投げ縄で捕まえます・笑)、ベートーヴェンジャンヌ・ダルクリンカーン、チンギス・ハンたちを次々と拉致するんです(笑)。

 

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ソクラテスビリー・ザ・キッド

 

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電話ボックスがタイムマシーンです。

 


なんでこんな事をしているのか?が前半なんですけども、そこは見てください。


ただですね、前半は正直タルいです。

 

なんなのよ、これ。と不安になる事この上ないですね(笑)。

 

しかし、この人たちが現代に揃ってから、脚本が異様なまでにノッてきます。

 

しかも、前半にまいておいた伏線が絶妙に生きてきます。信じられない事に(笑)。

 

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ナポレオンですね(笑)。絶妙に似てないのがツボです。


登場人物のほとんどがボケキャラなので、誰も突っ込まない壮大なボケコントである前半が醸し出す不安が、後半の見事に解決していくという凄さ。

 

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フロイトを捕まえようとしているビリー。


アホのフリをして実はものすごく頓知がききまくった展開は、ホントに面白いことこの上ないです。


冗談抜きで、コレがキアヌ・リーヴスが注目させるキッカケになった映画だったんでしょうね。


鈴木則文も一見、東映のコテコテ路線にそのまんま乗っかっていた監督のフリをした、実に反骨精神を持った人でありまして、『徳川セックス禁止令 色情大名』という、日本映画史上に残る傑作を残してますよね。


そうなのです。コレは、「アメリカの鈴木則文映画」なのですね。


この映画の第3作目をキアヌ・リーヴスの提唱で作られたというのは、酔狂なのではなくて、Covid-19の感染に苦しむアメリカの人々に笑いと勇気を与えるために、「ビルとテッド」のおバカコンビを復活させたのでしょう。

 

映画史的には何の重要性もないと思いますが、アメリカの素晴らしさが満載の快作として記憶に強く残ります。

 

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Excellent !!!! ビル役のアレックス・ウィンターは現在は映画監督です。

 

勝新太郎度120%の振り切れた怪作!

勝新太郎『顔役』

 

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1971年に公開された、製作、監督、主演、脚本がすべて勝新太郎という、大阪ヤクザの抗争に介入していく型破りな刑事を描いた映画。というと、おお、なかなか面白そうじゃないですか。と思いますよね、普通。


しかしですね、この映画はそんなに生易しい映画ではないんですよ(笑)。


唖然とするのは、画面構成です。

 

とにかく、異様なまでにアップのショットが多く、見る側は全体像が常に掴みづらいんですね。


ストーリー自体はそんなに難しくはないんですが、大阪の歓楽街のドギツイ映像をとにかく凝りまくったアングルとものすごいドアップのショットの連発で見せるんです。

 

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なんと、勝新前田吟のコンビなのです!

 


なんというか、リアルを超えてサイケデリックですらあるんですよ。


私も大体強烈な映画は見てきましたから、すごい映像にはある程度の耐性はついているものと思ってましたが、勝新太郎の演出はそれを遥かに超えていました(笑)。


しかしながら、勝新の演出がかっ飛んでいるのは私には初体験ではありませんでした。


映画界の衰退は止まることがなく、勝もやむなく大映を独立、勝プロダクションを立ち上げ、テレビドラマの世界に雪崩れ込んでいくんです。


当時、市川崑木下恵介三隅研次深作欣二などなど、名だたる映画監督がテレビドラマを作っており、勝もその流れに乗りました。


1970年代がテレビドラマ黄金期であったのは当然でして、映画界の人材がこぞってテレビに参入し、しかも、フィルムで撮影して作っていたのですから、実質、40分ほどの短い映画を作っているようなものだったんですね。


それはすごいものができるわけです。


で、勝プロが作った代表作は、なんと言っても『座頭市物語』及び『新座頭市』3シーズンで、全100話にも及びます。


座頭市はなんと言っても勝をスターダムに押し上げたキャラクターですし、この特異なキャラクター造形の弛むことなき試行錯誤なくして、役者勝新太郎はなかったと言っても過言ではない。

 

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よって、時にかなりの冒険や異色作がテレビドラマシリーズには結構ありますが、彼が作り上げた枠組みを完全に破壊するような事(それこそ、北野武座頭市』のように、実は目が見えてました。みたいな身も蓋もないような自己破壊など)は流石にやっていないので、彼のキャリアの中でも最も安定と充実があったのは、実はこのテレビドラマ版の『座頭市』というのは、映画スターである勝新太郎を語る上での大いなる矛盾ではあります。


が、本作が彼のキャリア中での突出して異様なのは、なんと言っても自分のカネで好きなように監督、主演で撮っている、オリジナル作品だからです(笑)。


恐らくはその場で即興的に思いつくままにそのシーンを演出していたんだと思いますが、各シーンの凝り具合は生半可ではありません。


その愛深き故に全体の構成やバランスが著しく歪んでしまい、異形の構築物に成らざるを得ず、よって緻密な脚本というものが勝新太郎監督作品には必然的に無用となります(黒澤明作品の常連であった、菊島隆三の脚本がクレジットされているにも関わらずです)。

 

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勝演じる熱血刑事は生ぬるい大阪市警の方針に激怒して、警察手帳を叩きつけてしまいます。

 


彼が最も何ものにも邪魔される事なく、好きなように作ったのが本作であり、映画としては最初で最後であったと思います。


詳しくデータを見たわけではありませんが、本作の興行は恐らくは惨憺たるものだったのではないでしょうか。


つまり、大映と日活の倒産を益々促進させただけであったと(本作はダイニチ映画が配給です。ダイニチ映画は経営が厳しくなった大映と日活が共同で設立した配給会社です)。


とは言え、この余りにも個性的な映画を単なる駄作と切って捨てるのは余りにも魅力的であり、勝新太郎の天才的な才気が全編に渡って漲っている本作はやはり傑作と言わざるを得ないんですね。

 

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若山富三郎も出演しております!


ここでの失敗を取り戻すため、勝新太郎やすぐに『新座頭市物語 折れた杖』を監督主演する事になるのですが、こちらは稿を改めて。


アントニオーニも驚くべき破壊力のある映画監督でしたが、彼の破壊力は計算された美しさです。

 

勝新太郎それは初めから壊れているところにあり、それがあの天然の破壊美を生み出してあります。必見!

 

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とにかく、誰にも予測不能なラストは必見!

 

 

 

 

タランティーノが多大な影響を受けた大傑作!

セルジオ・レオーネ『Once upon A Time in The West』


そんな映画あったっけ?in Americaの間違いでは?といわれそうですが、たしかにこの映画は存在しており、in The Westなんです。


タイトル通りの西部劇なのですが、マカロニ・ウェスタンの監督が、このジャンルを締めくくるべく作ったのではないか?というくらいの入魂の3時間近い大作です。


が、ストーリーのスジは別に難解でもなんでなく、レオーネの演出の仕方がどうしても長時間にならざるを得ないためなのですが、その事への無理解が、映画会社からの約20分のカットを食い、日本では、『ウェスタン』という、あまりにも酷い邦題がつけられ、そのカット版が上映されました。

 

まあ、『in America』は、もっと悲劇的なカットと編集をされてしまい、更に興行的にも散々だったのですが。


DVDではすでにカットされたシーンをもとに戻したものが販売され、レンタルもされてますが、映画上映は日本では今回が初めてです。


さて、問題はなぜレオーネ作品は長くなるのか?という事なんですけども、それを説明するには、この映画の冒頭、約15分もの時間をかけた主人公、チャールズ・ブロンソンの登場シーンですね。

 

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冒頭のカッコよさはもう言葉では説明不可能です!


時代は鉄道敷設ブーム真っ只中の

カリフォルニア州の某所。


その駅に明らかに怪しげな男が三名やってきます。


駅にいるのは、小柄なおじいさんの駅員と、汽車に乗ろうとしていたネイティブ・アメリカンの女性。


この3人の男たちはとても電車に乗ろうとしているようには見えず、明らかに誰かに雇われているガンマンです。


汽車に乗っている男を殺そうとしています。


その待ち構える3人の殺し屋の様子を延々と10分は撮り続けるんですね。


この辺は映画館よりもDVDでディテールを確認しながら何度も見たくなります(本作のDVDはそのためにあると思います)。


極端なアップと引きの絵を巧みに組み合わせ、そこに風力計がキイキイと音を立てて回る音、しずくがテンガロンハットに落ちていく音、指をポキポキと鳴らす音を延々と写すんです。


このジリジリとする緊迫感をコレだけで継続させていくようなレオーネの演出は、映画という表現意外ではなし得ない表現です。


とりわけ、殺し屋の一人の顔にまとわりつくハエをアップで撮り続けるシーンですね。

 

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当時はCGなどありませんから、このまとわりつくハエはほんものなのです!


このハエは演技をしているのではないのか?と思うほどシツコク男のヒゲにまとわりつきます。


コレをストーリーに関係のない、意味もないものとしてカットしてしまっては、全くもって台無しです!


そこに汽車がゆっくりと到着するのですが、目当ての男が降りてこないので、3人はうろたえますが、チャールズ・ブロンソン演じる男は反対方向に降りていて、列車が走りすぎると現れます。

 

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同じ場面をあえて両側から超ロングで見せるという演出!やりすぎですが、レオーネだと許せてしまいます!

 


そこから銃撃戦が始まるのですが、コレがあっという間に終わります。


ココにレオーネのバイオレンス表現の緩急の凄さがあらわれてますよね。


この早撃ちシーンを印象付けたいがためのタメだったんです。


ものすごい演出ですよね。

 

こういう大きな構えがレオーネの演出の基本なので、どうしたって長くなってしまいます。


この演出をどう評価するのか?がこの監督の作品への評価軸になると思うのですが、私はココに酔いしれてしまいますね。


『in America』は1920〜68年のニューヨークを描いた大作で、その背後に、民主党が政権を握るために労働組合とマフィアが結託していたという、アメリカ史の暗部を背景としていましたが、あそこまで手はこんでいないものの、鉄道敷設という一大事業と、土地をめぐる争いが大きな背景になっており、マクベインというアイルランドから移民した一族がもつ土地を相続する事になってしまった、ニューオーリンズからやってきたクラウディア・カルディナーレが、マクベイン氏が自分の土地を駅に作り変え、街にするという、壮大な計画も引き継ぐ事になります。

 

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フェリーニヴィスコンティが取り合っていたクラウディア・カルディナーレヘルツォーク『フィツカラルド』もよかったですね。

 

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フランクたちはマクベイン一家を皆殺しに!


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結婚するためにやってきたカルディナーレは、いきなり一家が惨殺される羽目に。。

 


この土地を奪いとって駅の利権を奪い取ろうとしているのが、モートンという資本家で、その彼が組んでいるのが、ヘンリー・フォンダ演じる、フランクという悪党です。

 

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ドーン!

 

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バーン!こういうドアップがとにかく連発するんです!

 


ストーリーが進むとだんだんわかってくるのですが、ブロンソンを襲撃しようとした3人の殺し屋は、フランクの手下でした。


なぜ、フランクはブロンソンを襲撃させたのか?というのは見てのお楽しみですが、土地争いの描いた西部劇というのは、『シェーン』など、本家のアメリカの西部劇にもある題材ですから、別に新しくないんですけども、鉄道敷設が絡んでいるのがユニークでして、実際、ストーリー上、線路がドンドンとできていくんですよ。


この土地争いにフラリとやってきた凄腕の早撃ちの男が、争いに偶然巻き込まれていくのではなく、むしろ積極的に初めから関与している点がかなり異色であり、また、従来、女性が西部劇で重要なキャラクターになる事はとりわけレオーネの撮るマカロニ・ウェスタンには少なかったですが、クラウディア・カルディナーレは終始、ストーリーに関与し続け、コレはネタバレしても構わないと思いますけども、実は彼女こそがこのお話しの勝利者です。

 

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話しの持っていき方で説明をカットしましたが、シャイアンという賞金首のかかったガンマンを演じるジェイソン・ロバーズもすごくいいです。

 


単純に図式化してしまうと、ガンマンたちは全員敗北し、勝利するのは、なもなき民衆である。という、ほとんど『七人の侍』のようなラストになっていきます。

 

この点が、アメリカの西部劇も含めて、ほとんど見られない結末でしょうね。


ヘンリー・フォンダが冷酷が悪役を演じているのが、意外なほどハマり役でして、コレはホントに驚きました。

 

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一応、ラスボスはモートンなのですけども、『コマンドー』におけるアリアス大統領のような存在感です(笑)。

 

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フォンダ演じるフランクは冷酷非道なキャラクターですが、とても魅力的です。


この頃は、もう過去の名優扱いになりつつあったフォンダですが、コレはもはや彼の異色の代表作と言って良いと思います。


主人公の名無しのガンマン(最後まで名前が不明です)を演じるブロンソンはフォンダやカルディナーレと比べて、当時は明らかに格下だったと思いますが、堂々と渡り合っております。

 

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名優ヘンリー・フォンダを相手に頑張っております、我らがブロンソン


撮影監督トニーノ・デリ・コリ、音楽エンニオ・モリコーネの布陣も鉄壁です。


『さらばわが友』で一挙に大スターになる寸前の機が熟しきったブロンソンの素晴らしさも堪能できます。


できれば映画館で堪能し、確認のためにDVDをご覧ください。

 

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本作をもって巨匠と呼ぶにふさわしい監督になったのではないか。

奉俊昊(ボン・ジュノ)『パラサイト』

 

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アカデミー賞受賞式のボン監督。


カンヌでパルムドール、アカデミーで作品賞を取ってしまった作品。


しかも、アジアでの作品でアカデミーで作品賞を取ったのは史上初。


アカデミー賞というのはグラミー賞と同じで、アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のための賞であるので(ですから、外国語映画賞という賞があります)、ベルイマンもフェリー二もタルコフスキートリュフォー今村昌平もハナから作品賞の対象外です。


アカデミーの授賞式は世界で中継されるので、勘違いされますが、あくまでもハリウッド映画の祭典です。


カンヌは本当に世界中の映画が受賞対象なので、コッチが最大の映画祭であり、意味的には、カンヌ受賞の方が歴史的には大きいです。


で、アメリカ人監督でカンヌでパルムドールを受賞すると、アカデミー作品賞が取りづらくなる傾向がありますね(ロバート・オルトマンやクエンティン・タランティーノなど)。


しかし、その慣例をこの作品はどちらも打ち破ってしまいました。


コレは明らかに、アカデミーの評価基準が変わったのであり、ボン監督が傾向と対策を施した結果ではないですし、ボン監督は長編デビュー作『吠える犬はかまない』からすでに並外れた才能を発揮してます。


『吠える犬〜』は最初から最後まで人を食いまくる快作/怪作でしたけども、本作は前半は実に良くできたブラックコメディです。


ソウルで半地下を借りて生活しているキム一家は全員失業中でした。


この半地下というのは、実際のソウルには結構たくさんあるらしく、というのも、ソウルは地下がとても高いらしく、所得の低い人々は普通の賃貸物件借りる事ができないようなんです。


そんな人々に向けて、半地下を貸すという事があるんだそうです。

 

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宅配ピザのケースを折りたたむ内職をして糊口をしのぐ、キム一家。

 

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地上に住む住人のWiFiを利用して、スマホを使う兄妹。トイレの位置がおかしいですね。

 

 

この映画の冒頭は、一家の家の窓を移すところから始まるんですが、窓は部屋の上の方にあるんですが、その窓は地上ギリギリなんです。


そして、細長いんですね。


あんまり光が入ってきません。

 

しかも、その窓には、酔っ払いが

ゲロをしそうになったり、立ち小便をしそうになるような位置なんですね。


半地下。とは一体どういう事なのか?を言葉による説明抜きで冒頭でわからせてまうこのカメラと構図。


唸りました。

 

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半地下生活者の貧しさを象徴する窓。

 


その一家で徴兵を挟んで大学受験を四浪して挫折し、フリーターになってしまったキム・ギウのもとに大学院にまで進学した友人が。

 


その友人が英語を教えている高校生の女の子の家庭教師の仕事を引き継いでくれないか?と頼まれます。


取り立てて、やる事もなかったので、引き受けたのですが、この子の家は、ソウルの丘の上にある、IT企業の社長の大邸宅で、もともとは著名な建築家が作った家なのでした。

 

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建築家が設計したという邸宅は異様なまでにガランとしてます。

 

 

この邸宅には、キム一家と同じく四人家族が住んでいるんですが(キム一家は兄妹ですが、この金持ち一家は姉弟です)、キモは社長夫人である、お母さんですね。

 

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善良な社長と夫人。格差とは悪とは何であろうか。

 


バカ富裕層というのを絵に描いたような、脳みそが雲の上にあるような人でして、ほとんど会話が無内容なんです。


それでいて、妙なタイミングの時に会話が英語になる(笑)。

 

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まあ、脇がガラ空きなんですよね。


そんな母親が溺愛している息子がバカでないハズがないではないですか(笑)。


初めて訪問したギウに向かって、おもちゃの矢を放ったり、して広い家の中で好き放題しているんですね(笑)。


「はいはい、ぼっちゃま、いけませんね〜」的に住み込みの家政婦がインディアンの扮装をしているバカ息子を担ぎ上げて連れて行くとか、バカっぷりが実に見事に描写されていきます。


ギウが教える女の子は、そんな二人を反面教師にしているのか、家族の中ではマトモです。

 

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こんな様子を見て、ギウはある企みを思いつくんです。


家族全員をあたかも赤の他人を装って、その邸宅の仕事に就かせてしまおうと。

 

最初は妹のギジョン。美大の受験に失敗しているのですが、グラフィックデザインの技術があり、兄が家庭教師する時は、名門延世大学の学生の身分をパソコンで偽造したりしてる、なかなかの才人ですが、彼女はバカ息子の絵の教師兼カウンセラーになります。

 

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まんまとアメリカ帰りの美大生を演じるギジョン。

 


社長夫人は、バカ息子に絵の才能があると勘違いしていて(どう見ても、「ボブ・ディラン画伯」の自画像にしか見えないような絵を描いているのです)、彼の絵の教師にまんまと就任します。

 

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「画伯の絵」です。

 


そして、次は、社長の運転手に父親の、ソン・ガンホ演じる、キム・ギテクをあたかもベテランドライバーでもあるような体で、もともとの運転手を策略に陥れてまんまと就任。

 

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ソン・ガンホの活躍は後半です。


同様に、母親ヨンギョも(元ハンマー投げ選手です)もともとの家政婦を姦計に陥れて失脚させて、まんまと家政婦に。


こうして、キム一家による「国盗り物語」がまんまと成功してしまうんです。


奇行の多いダソンのためにと、IT社長一家はキャンプに出かけたのをいい事に社長の邸宅でキム一家はバカ騒ぎの酒盛りで「わが世の春」を迎えるまでが前半ですが、おそらく、ココからの先の展開を予想できた人はほぼ皆無でしょうね。


それぐらい話が一挙にとんでもない方向に進んでいき、完全に「ボン・ジュノ・ワールド」にドンドンと引き摺り込まれます。


というか、この異世界にひきずりこための前準備が、「国盗り物語」なのであって、ここからが予測不能のストレンジな展開の連続となっていきます。


初めから最後までストレンジな『吠える犬はかまない』、まさかの事件の結末と、あの落とし所のないとんでもないラストの『母なる証明』ではない、後半がストレンジにして、このラストはどう考えたらいいの?がもうないまぜになっていて、ボン監督は更にディープはゾーンに到達したと言わざるを得ません。


また、本作も韓国社会のもつ厳しい経済格差が描かれていて、半地下生活者と丘の上の邸宅。という露骨な対比を描いており、この、垂直線は、デビュー作のボイラー室と屋上、『グエムル』の地下道と漢江の向こう岸の高層ビル群という形でもよく使われていますね。


今回のドラマは、かなりデフォルメされたドラマなので、社会の細部を描くという事は少ないですが、半地下生活者が多く住んでいるソウルのゲットーの生々しさは、ものすごいものがあります。


そのかわりに、階級を示すものとして、「匂い」が極めて効果的に使われていますが、これはお話の根幹に関わる事なので、あまり言わない事としましょう。


物語の後半で、ゲットーでは大変な事が起きるのですが、恐らく、この出来事は実話だと思います。


この実話をもとにボン・ジュノは本作の構想を膨らませたのではないかと想像します。


彼の作品を見ていて痛感しますが、ホントに脚本がよく練られてますね。


映画のかなりの部分は脚本で決まってしまうのですね。


またしても、とんでもない映画を作ってしまったボン監督の次回作はもう制作が始まっているようですが、本作でもはや、巨匠という粋に名実ともに達したのではないのかとすら思わせる、圧倒的な、そしてまたしても見事な喜劇を私たちに提供してくれたことに感謝。

 

それにしても、『万引き家族』、『パラサイト』、『Sorry, We Missrd You』、『JOKER』と格差を描く映画が作られ、高い評価を得ている矢先に、新型コロナウィルスの世界的な流行というのは、一体。。

 

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永遠の映画少年の遺作にしてまたしても問題作!

大林宣彦『海辺の映画館キネマの宝箱』

 


いやもう、圧倒されました。


大林宣彦は長編デビュー作『HOUSE』から常に問題作を作り続けていたんですけども、遺作までもが問題作とは!


およそ、その穏やかなタイトルからは微塵も読み取れないような、躁病的な実験精神、過激な編集(監督自らが行ってますが、彼の凄まじい編集が全編に漲っております)、凄まじい反骨精神。


すでに肺がんによって余命宣告まで受けている方が作っているとは思えない、異様なまでの生命力。


そして、天井知らずのイマジネーションの奔流!


巨匠といわれる監督の多くの遺作がその肉体的精神的な衰えを露呈してしまいがちであるところ、この遺作は彼の人生の総決算でもあり、しかも、最後まで映画青年のままある事を刻印した痛快作だったというのは、日本映画史上の痛快事でもあります。


お話は広島県の小さな港町、即ち、尾道のフィルム上映している映画館の最終日に戦争映画オールナイト特集が行われるのですが、そこにやってきた3人の青年と少女が映画の中に入り込んでしまうというファンタジーで、こう書いてしまうのなんとも軟弱に見えてしまうのが残念なのですけども、大林作品をよく知る方は、その実態がとんでもない技法を駆使して繰り広げられる事が容易に想像されると思うのですが、その「いつもの大林マジック」の更に心地よく裏切っていくのが、恐ろしいです。


まずは、宇宙船が出てきます(笑)。


ね?もうすごいですよね(笑)?


しかも、乗っているのはミュージシャンの高橋幸宏ですよ。


役名は「爺ファンタ」です(笑)。

 

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なんなのだ、この宇宙船の内部(笑)


『HOUSE』に「ファンタ」という役名が出てきますが、それを更に超えてくるわけです。

 

 

もう、80歳を過ぎた老人の発想とは思えないです。


ねらわれた学園』という、薬師丸ひろ子主演の角川映画ねらわれた学園』で、峰岸徹が演じていた大魔王ほどのルックスのインパクトは流石にありませんが、この映画の語り部的な役割として、未来から宇宙船で映画館にやってきます。


この映画館の映写技師が、『さびしんぼう』で出番は少ないですけども印象的な演技をしていた小林稔侍です。

 

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支配人で映写技師役です。


コレはネタばれというほどの事ではないので事前に言ってしまってしまってもいいですが、これまで音早く作品に出演してきた役者がいろんな場面に出演しております。


大林宣彦にとってのアントワーヌ・ドワネルである、尾美としのりは当然の事ですが、ちゃんと出演しておりますのでご安心を。


さて、映画に入り込んでしまった3人は、「私を助けて!」という希子という謎の少女を助けようとするファンタジーなのです。

 

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希子を演じる吉田玲は大林監督が大抜擢した新人ですが、見事に大林ワールドの住人になっています。

 


が、先ほど述べたように、その入り込んでいく映画は、オールナイト戦争映画特集なんです。


という事は、主人公たち(毱男、鳳介、茂)は近代以降の戦争に巻き込まれていく事に必然的になります。

 

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左から、団茂、馬場毱男、鳥鳳介。

ドン・シーゲル、マリオ・バーヴァ、フランソワ・トリュフォーのもじりであり、監督の分身です。


つまりですね、この映画は大林宣彦流の幕末から第二次世界大戦までの歴史語りになっているんです。


しかし、その語っている主体があの大林宣彦ですから、決して一筋縄ではないですし、その根底には彼の戦争体験があります。


大林作品はどれもこれも天衣無縫で、後年はやや落ち着いてはきますけども、やはり、常に映像における実験は一貫してまして、そこが些かも巨匠感を醸し出す事が亡くなるまでありませんでしたが、常に作品の根底に戦争が横たわっておりまして、その点では岡本喜八と共通します。


しかし、岡本喜八のそれは、言い知れぬ怒りの表出であり、それは上層部の曖昧でいい加減な判断が現場を苦しめるという事に修練していくのですが、大林監督は、詩人中原中也の詩や文章を何度も引用しながらも、文明開化ではなく、「野蛮開発」としての日本の近代化のその端的な現れとしての戦争という蛮行への批判、そして、取りも直さず、女性が犠牲となってきた事を本作は描いております。


その犠牲者を成海璃子常盤貴子山崎紘菜かそれぞれ、時間と空間を超えて、複数の役を演じております(これは彼女だけでなく、同じ役者が何役も演じ、見ている側をかなり混乱させ、しかも、役者が「そういえばどこかであったような」とすら言わせています)。


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成海、常盤、山崎の3人が複数の役を演じています。彼女らを通じて「野蛮開発の歴史」を明らかにしていきます。


一応、時代順に言いますと、坂本龍馬暗殺、戊辰戦争鳥羽伏見の戦い会津戦争西南戦争日中戦争沖縄戦、そして、広島への原爆投下が、まるで、みなもと太郎風雲児たち』のように全体を俯瞰するような視点で未来からやってきた爺ファンタやその娘の中江友里が語り、更にナレーションが時にセリフにかぶり気味に入り、必要だったり不必要なタイミングにスーパーが挿入され、しかもサントラも流れ大林監督自ら行なっている恐ろしくせわしない編集時間軸は基本的錯綜しているという、とにかく情報量が普通の意味の過多ではおっつかない凄絶さがあります。

 

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武田鉄矢坂本龍馬を演じさせるというベタ(笑)!


どこまで本気なのか冗談なのか判然としないところも結構あるので、見るものはますます混乱してしまいます(笑)。


「わかりづらいよ!」と散々批判された大河ドラマ『いだてん』ですが、本作と比べれば、『カラマーゾフの兄弟』と『キン肉マン』くらいの差があります(笑)。


ただ、福島、満州、沖縄、広島の戦争の惨禍を救うべく、主人公の3人が映画の中で右往左往している話なのだ。という事さえ掴んでいると、それほど混乱はしないのでさが、いかんせん、そこに打ち込まれる情報量が尋常ではないです。

 

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映画の終盤は監督の一番言いたかった事と伏線の見事なる結実がありますが、コレは見てのお楽しみに。

 


最後は大林宣彦監督自身のナレーションすら入ってきます。


しかも、映画の中に入り込む。という、「大林ワールド」と言ってよいファンタジーに主人公3人の青年を放り込んでいるので、もう縦横無尽にジャンルが切り替わり、マキノ雅弘の戦前の傑作『鴛鴦歌合戦』を思わせるミュージカルになったり、サイレント映画になったり(サイレント映画特有のシャカシャカした動きのチャンバラを再現してます)、岡本喜八『独立愚連隊』を思わせる、関東軍八路軍のとの戦いなどなど、とにかくこれでもかというくらいのテンコ盛りでして、しかも、デジタル技術。という新技術がコレを加速化させ、見るの者の情報処理の限界に挑んでくるようです(笑)。


明らかにチープなCGをここまであからさまに大ベテランがおもちゃで遊ぶように濫用しているという、この狂気(笑)。


大林作品を見る。というのは、自分の経験とか価値観をいったん放棄し、彼の溢れ出る愛を浴びる。という事を是と出来るか否か。で、彼の評価は完全に変わるでしょう。


私は完全に彼の忠実な信徒であり、よって、彼の作品を冷静に分析する事など原理的には不可能ですが(笑)、しかし、彼の映画は好きとか嫌いとかそういう次元の問題ではなく、彼の世界、すなわち、「映画とはココロのマコトを描いた絵空事なのだ」という哲学をアタマではなく、ココロでいう受け止められれば、彼の世界に入ることができるでしょう。


日本の映画界が全くの斜陽になって以降、自主制作、CM監督という全くの異端的ポジションから彗星の如く現れ、ものすごい数の映画を作り続けた真性の天才の遺作を堪能しましたら、是非とも過去作も見て欲しいです。


たくさんの発見があると思います。

 

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RIP 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボン・ジュノは最初からボン・ジュノだった!

 

奉俊昊(ボン・ジュノ)『ほえる犬は噛まない

 

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グエムル』でも活躍するぺ・ドゥナ

 

奉監督の長編デビュー作であり、彼の作品は見たものはすべて好きなのですが、私はコレが一番愉快で好きですね(笑)。


韓国のとある団地で起こる珍事件を描いた、一体どういうジャンルに分類したらいいのかわからない感が、彼の作品の中で群を抜いていて、ホントにどう形容したらいいのかわからない怪作にして快作。


原題を直訳すると『フランダースの犬』なのですが、直訳の方がパンチが効いててよいです。


とはいえ、「このどう分類したらいいのか?」という感覚は決して不快ではなく、見事に「映画という快楽」と直結していて、何度でも見直したくなるんですね。


しかも、奉監督はそれを難解なアート作品としてではなく、アクションやサスペンス、独特のブラックなユーモアとで見せてくれるのが嬉しいです。


そんな彼の作品に一貫する不思議な味わいは、長編第1作から濃厚でして、ロケーションをかなり限定した低予算にもかかわらず、いい味わいのキャラクター(彼の作品は脇役がとても充実してますね)

 

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友人と食べるインスタントラーメンがチープなのに妙に美味そうなのだ。

 


主人公は団地の管理会社の事務員の女の子を演じるペ・ドゥナ(裵斗娜)と、大学教授になるために学長になるために頑張っている青年の2人です。

 

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韓国社会ではほぼ接点がない2人を引きつけるのが、子犬なのでした(笑)。

 


この、現実にはほとんど出会う可能性のない2人を結びつけるのが、タイトルにある犬なんです。


本作には犬が3匹の飼い犬が出てきてます。


日本でもそうですが、団地で犬を飼うことは原則禁止なのですが、事実上、住居者は勝手に飼ってまして、実はその事がお話の起点になるんです。


最初の1匹目は、隣の住民の飼っている小犬です。


吠えてうるさいので、大学院生は屋上からほうりなげてしまおうとするんです(笑)。  

 


大学教授の職がなかなか得られない事にイライラしているとはいえ、余りにも飛躍している行動なのですが、屋上で切り干し大根(正確にいうと違うんですが、日本で似ているのもというと、コレになりますね)を作っているおばちゃんがいるので諦めてしまいます。


怒りのやり場が変な形で削がれてしまい、そのままボイラー室のある団地の地下に何となくきてしまい、小犬を閉じ込めてしまいます。

 

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ちょっと小林克也っぽいボイラーおじさんの語る「ボイラーキム」は爆笑モノです。

 


その小犬を探している子供が管理事務所にやって来て、飼っていた小犬がいないので、ビラを貼りたい。とやってきたので、ペ・ドゥナ演じる事務員は、団地の敷地内で貼り紙をしても良いための許可のハンコを押してあげます。


ここから、犬を通じて2人がだんだんと近づいていく事になるのですが、とにかく、なんでそうなるの?の連続と、なんなのその人?が絶妙なタイミングで出現して、話が絶妙に横滑りしつつ、面白い方に転がっていきます(笑)。

 

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見ていて、「よくこんな展開考えられるよね」の連続でして、全くオチというものが全く見えてこないです。


切り干し大根おばちゃんもいいのですが、ボイラーおじさん、地下室に住んでいるホームレスのおじさんなどなど、とにかく、クセの強いキャラクターが登場してきまして、この一筋縄ではいかないお話に絶妙にからんでくるんですね。


もちろん、犬がもう2匹出てきます。

 

それにしても、奉監督はロケーションがホントにうまいですね。


団地という、特殊な環境を屋上から地下室までを使って表現される韓国の下層社会のリアル。

 

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そして、彼の作品で一貫して描かれる賄賂社会としての韓国。


学歴によって露骨に経済的社会的にポジションが決まってしまう、厳しい学歴社会(しかし、大卒が幸せでもない)。


コレらを拳を上げて怒るのではなく、愛すべき個性的なキャラクター使って、彼ら彼女らのアクションで語らせるのが実に巧みです。


奉俊昊は最初から奉俊昊でした。必見。

 

 

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なぜ『フランダースの犬』なのかは見ているとわかります。

猟奇的な事件をある種のユーモアを交えて描く傑作!

 

奉俊昊(ボン・ジュノ)『殺人の追憶


1980年代から90年代にかけて、実際に起こった連続殺人を元に作られた衝撃作。


シリアルキラーものそれ自体は、アメリカなどで既に多く作られてきたので、それ自体は目新しさはないのですが、その描き方がとても新鮮であり、見るものを唸らせる、奉監督の実力を知るには最適な作品です。


静かな村で女性が連続して同じ出口で殺害されたのを、地元の警察が捜査するのですが、その捜査のあまりの杜撰さ、非科学的な手法、拷問による自白の重視をかなりコミカルに描いていますが、よくよく考えると、かなり酷い捜査であり、韓国の黒歴史そのものを、殺人の異様さ以前に描いているのが興味深いですね。

 

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2番目の殺人事件からストーリーが始まります。

 


奉監督は、朴槿恵政権のブラックリストに載っていて、危険人物としてマークされ続けていた事が後に判明しますが、彼の作品には必ず韓国社会の持つ様々な問題をシッカリと包み隠さずに描いている(しかも、必ず独特ブラックユーモアを交えます)ところが、保守派から危険視されていたようで、そのような反骨精神を持って映画を現在も撮っている人です。


しかし、奉監督は、それを非常に優れたエンターテインメントとして見せており、シリアスな社会派映画には絶対になりません。


彼のどこかシュールで素っ頓狂な部分だけで撮られた長編デビュー作品『ほえる犬は噛まないからして、決して一筋縄ではいかない、かなりの曲者で、本作でも、主人公の地元の刑事を演じる、今や韓国を代表する俳優となった、ソン・ガンホ(宋康昊)は、初めはコテコテのダメ刑事なのですが、ソウルからやってきた、腕利きの刑事がやってきたのを、最初は毛嫌いしてしつつも、次第に彼の手腕を見直し、次第に捜査に本格的に取り組んでいく姿を見事に演じております。

 

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ソウルから派遣された刑事の捜査が、地元刑事たちを奮い立たせます。

 


この映画の独特なところは最初の容疑者とされるペク・グァンホが知的障害を持っている事で、当初はこのグァンホを犯人と決めつけて、ソン・ガンホと相棒が、自白を強要したり、証拠の捏造すらしてしまうのですが、調子に乗って、デタラメな現場検証をテレビなどのマスコミのいる前で行った時、焼肉店を経営するグァンホの父親が「息子は殺人なんてできない!」と叫び始めると、グァンホ

「とうちゃん!オレ、やってないよ!!」と騒ぎ始めてしまい、いい加減な操作が明るみになってしまう事です。

 

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知的障害がある青年が容疑者とされるという設定は『母なる証明』でも継承されました。

 

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刑事課長も更迭されるという大失態です。

 


よくよく考えると、かなり酷いのですが、ココを独特のユーモアで表現できてしまうのが、奉監督の並々ならぬ所であり、このシリアスな場面ほど側から見ていると実に滑稽であるというのは、力量が遺憾なく発揮されるところです。

 

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また、彼が一貫して描くのは、韓国社会に色濃くある、様々な格差です。

 


ソウルから来た、大卒の刑事と短大卒と高卒の地元刑事という形でも端的に示されてますね。

 


オチはすでにわかっているように、迷宮化してしまうのですが、それが分かっていてもドシンと主人公を打ちのめす事実は決して劇的にではなく、極めて静かに示される事で見るものに瞬間的な衝撃ではなく、ジワジワとそして確実に見る者のココロの中に沁みていきます。

 

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この一体どう気持ちを落とし込んだらわからないような終わり方は、『母なる証明』で更に深められていきますね。

 


コレまた必見の作品です。

 

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※2019年にようやく連続殺人事件の容疑者が逮捕されました。