奉俊昊(ボン・ジュノ)『パラサイト』
アカデミー賞受賞式のボン監督。
カンヌでパルムドール、アカデミーで作品賞を取ってしまった作品。
しかも、アジアでの作品でアカデミーで作品賞を取ったのは史上初。
アカデミー賞というのはグラミー賞と同じで、アメリカ人の、アメリカ人による、アメリカ人のための賞であるので(ですから、外国語映画賞という賞があります)、ベルイマンもフェリー二もタルコフスキーもトリュフォーも今村昌平もハナから作品賞の対象外です。
アカデミーの授賞式は世界で中継されるので、勘違いされますが、あくまでもハリウッド映画の祭典です。
カンヌは本当に世界中の映画が受賞対象なので、コッチが最大の映画祭であり、意味的には、カンヌ受賞の方が歴史的には大きいです。
で、アメリカ人監督でカンヌでパルムドールを受賞すると、アカデミー作品賞が取りづらくなる傾向がありますね(ロバート・オルトマンやクエンティン・タランティーノなど)。
しかし、その慣例をこの作品はどちらも打ち破ってしまいました。
コレは明らかに、アカデミーの評価基準が変わったのであり、ボン監督が傾向と対策を施した結果ではないですし、ボン監督は長編デビュー作『吠える犬はかまない』からすでに並外れた才能を発揮してます。
『吠える犬〜』は最初から最後まで人を食いまくる快作/怪作でしたけども、本作は前半は実に良くできたブラックコメディです。
ソウルで半地下を借りて生活しているキム一家は全員失業中でした。
この半地下というのは、実際のソウルには結構たくさんあるらしく、というのも、ソウルは地下がとても高いらしく、所得の低い人々は普通の賃貸物件借りる事ができないようなんです。
そんな人々に向けて、半地下を貸すという事があるんだそうです。
宅配ピザのケースを折りたたむ内職をして糊口をしのぐ、キム一家。
地上に住む住人のWiFiを利用して、スマホを使う兄妹。トイレの位置がおかしいですね。
この映画の冒頭は、一家の家の窓を移すところから始まるんですが、窓は部屋の上の方にあるんですが、その窓は地上ギリギリなんです。
そして、細長いんですね。
あんまり光が入ってきません。
しかも、その窓には、酔っ払いが
ゲロをしそうになったり、立ち小便をしそうになるような位置なんですね。
半地下。とは一体どういう事なのか?を言葉による説明抜きで冒頭でわからせてまうこのカメラと構図。
唸りました。
半地下生活者の貧しさを象徴する窓。
その一家で徴兵を挟んで大学受験を四浪して挫折し、フリーターになってしまったキム・ギウのもとに大学院にまで進学した友人が。
その友人が英語を教えている高校生の女の子の家庭教師の仕事を引き継いでくれないか?と頼まれます。
取り立てて、やる事もなかったので、引き受けたのですが、この子の家は、ソウルの丘の上にある、IT企業の社長の大邸宅で、もともとは著名な建築家が作った家なのでした。
建築家が設計したという邸宅は異様なまでにガランとしてます。
この邸宅には、キム一家と同じく四人家族が住んでいるんですが(キム一家は兄妹ですが、この金持ち一家は姉弟です)、キモは社長夫人である、お母さんですね。
善良な社長と夫人。格差とは悪とは何であろうか。
バカ富裕層というのを絵に描いたような、脳みそが雲の上にあるような人でして、ほとんど会話が無内容なんです。
それでいて、妙なタイミングの時に会話が英語になる(笑)。
まあ、脇がガラ空きなんですよね。
そんな母親が溺愛している息子がバカでないハズがないではないですか(笑)。
初めて訪問したギウに向かって、おもちゃの矢を放ったり、して広い家の中で好き放題しているんですね(笑)。
「はいはい、ぼっちゃま、いけませんね〜」的に住み込みの家政婦がインディアンの扮装をしているバカ息子を担ぎ上げて連れて行くとか、バカっぷりが実に見事に描写されていきます。
ギウが教える女の子は、そんな二人を反面教師にしているのか、家族の中ではマトモです。
こんな様子を見て、ギウはある企みを思いつくんです。
家族全員をあたかも赤の他人を装って、その邸宅の仕事に就かせてしまおうと。
最初は妹のギジョン。美大の受験に失敗しているのですが、グラフィックデザインの技術があり、兄が家庭教師する時は、名門延世大学の学生の身分をパソコンで偽造したりしてる、なかなかの才人ですが、彼女はバカ息子の絵の教師兼カウンセラーになります。
まんまとアメリカ帰りの美大生を演じるギジョン。
社長夫人は、バカ息子に絵の才能があると勘違いしていて(どう見ても、「ボブ・ディラン画伯」の自画像にしか見えないような絵を描いているのです)、彼の絵の教師にまんまと就任します。
「画伯の絵」です。
そして、次は、社長の運転手に父親の、ソン・ガンホ演じる、キム・ギテクをあたかもベテランドライバーでもあるような体で、もともとの運転手を策略に陥れてまんまと就任。
ソン・ガンホの活躍は後半です。
同様に、母親ヨンギョも(元ハンマー投げ選手です)もともとの家政婦を姦計に陥れて失脚させて、まんまと家政婦に。
こうして、キム一家による「国盗り物語」がまんまと成功してしまうんです。
奇行の多いダソンのためにと、IT社長一家はキャンプに出かけたのをいい事に社長の邸宅でキム一家はバカ騒ぎの酒盛りで「わが世の春」を迎えるまでが前半ですが、おそらく、ココからの先の展開を予想できた人はほぼ皆無でしょうね。
それぐらい話が一挙にとんでもない方向に進んでいき、完全に「ボン・ジュノ・ワールド」にドンドンと引き摺り込まれます。
というか、この異世界にひきずりこための前準備が、「国盗り物語」なのであって、ここからが予測不能のストレンジな展開の連続となっていきます。
初めから最後までストレンジな『吠える犬はかまない』、まさかの事件の結末と、あの落とし所のないとんでもないラストの『母なる証明』ではない、後半がストレンジにして、このラストはどう考えたらいいの?がもうないまぜになっていて、ボン監督は更にディープはゾーンに到達したと言わざるを得ません。
また、本作も韓国社会のもつ厳しい経済格差が描かれていて、半地下生活者と丘の上の邸宅。という露骨な対比を描いており、この、垂直線は、デビュー作のボイラー室と屋上、『グエムル』の地下道と漢江の向こう岸の高層ビル群という形でもよく使われていますね。
今回のドラマは、かなりデフォルメされたドラマなので、社会の細部を描くという事は少ないですが、半地下生活者が多く住んでいるソウルのゲットーの生々しさは、ものすごいものがあります。
そのかわりに、階級を示すものとして、「匂い」が極めて効果的に使われていますが、これはお話の根幹に関わる事なので、あまり言わない事としましょう。
物語の後半で、ゲットーでは大変な事が起きるのですが、恐らく、この出来事は実話だと思います。
この実話をもとにボン・ジュノは本作の構想を膨らませたのではないかと想像します。
彼の作品を見ていて痛感しますが、ホントに脚本がよく練られてますね。
映画のかなりの部分は脚本で決まってしまうのですね。
またしても、とんでもない映画を作ってしまったボン監督の次回作はもう制作が始まっているようですが、本作でもはや、巨匠という粋に名実ともに達したのではないのかとすら思わせる、圧倒的な、そしてまたしても見事な喜劇を私たちに提供してくれたことに感謝。
それにしても、『万引き家族』、『パラサイト』、『Sorry, We Missrd You』、『JOKER』と格差を描く映画が作られ、高い評価を得ている矢先に、新型コロナウィルスの世界的な流行というのは、一体。。