まるで松竹映画見ているようであった。

アッバス・キアロスタミオリーブの林をぬけて


『友だちのいえはどこ』に感銘を受けたので、早速次々作(実際にはドキュメンタリーを劇映画の合間にも撮っているので、正確な言い方ではない)を見ました。


なんと、またしても舞台は同じコケル。


映画監督は、現地の人々を使って映画を撮っている悪戦苦闘が、人々のほほんとした超マイペースな雰囲気によって、悪戦苦闘に見えてこないのがミソという、更なる傑作。


登場人物のほとんどは完全に素人であり、演技らしい演技はしてません。


ありのままを撮影しているので、ドキュメンタリーみたいに見えてくるのですが、それ自体が監督の演出というのが実に巧みで、自分が見ている作品が何なのかを軽く混乱させます。


とにかく、テヘランから来た監督以下スタッフの思惑通りには一切いかない、田舎の素朴な人々が最高で、違った意味での「地獄の黙示録」です。

 

ある意味、全員、天然のカーツ大佐みたいな(笑)。


ちょっとコッポラに似てなくもない(?)監督は、こうなる事は想定していたようで、マチの間に撮影を見に来た子供と雑談したり、なかなか根性が座っていまして、しかも、子供をうまくゲームに巻き込んでいくのがうまい。

 

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巧みに人の心に入り込む、監督。


映画の撮影で一番苦労を背負っているのが助監督のシヴァで、うまくセリフをしゃべる事のできない配役を交代させたり、新しい人にセリフを覚えさせたり、監督の意向を受けて仕事をしています。


この映画のテーマは、そんな撮影現場でわかってきた、2人の若い男女の恋愛です。


その描き方が、小津安二郎を見ているような錯覚を起こしそうになるほどよくできてまして、ぷりぷり姫のタヘレとイケてないホセインくんを、キアロスタミの分身である監督の目を通して、優しく描かれます。

 

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タヘレとモハマド


恐らく監督は、テヘラン大学を出ているようなイランの中ではエリートに属する人なのでしょうけども、そういう感じがせず、村人の中に自然と入り込み、彼ら彼女らの話を聞き出そうとしていくんですね。


なんだか頼りなさそうなモハマド青年が、意外にも鋭い事を考えていたり(文字が読めない人どうしが結婚してはいけないなど)、一見、無学な人々(恐らくは義務教育すら全員にはいきわたっていはいないように見えます)にも、キラリと光る知恵がある事が浮き彫りにされています。


さて、本作の通奏低音には、実は、10000人もの死者を出した震災があります。


登場している村人たちの話を聞くと、誰しもが親族に犠牲者がいるほど辛いものです。

 

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しかし、それを乗り越えるような、ホセインとタヘレの、まるで往年の松竹映画を思わせるような奥ゆかしい恋愛映画が核心にあって、ラストはあえて曖昧に描いてますけども、なんともしらん清々しさがまことに見事なんです。

 

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イランの映画。というとなんともとっつきにくそうですが、キアロスタミはココロにスッと入ってくるのが素晴らしいですね。