ヴァレリオ・ズルリーニ『激しい季節』
戦争とは無関係に生きる人々。ちょっと『ベニスに死す』っぽくもあります。
コレもなかなか見る事が困難だった作品で、幻の作品になってました。
ようやくDVD化して容易に見ることができるようになりました。
すでに連合国軍は、イタリア本土に迫っております。
冒頭に、浜辺で遊ぶ人々の所にドイツ軍のメッサーシュミットが超低空で飛来し(CGなどありませんから、ホントに飛んでるんですよ!)、人々は逃げまどいます。
ホントに低空飛行させてます!スゲエ!!
映画が公開されたのは1959年ですから、第二次世界大戦の記憶が生々しくというか、出演しているほとんどの人がその経験者という事です。
ジャン=ルイ・トランティニャン演じるカルロは、北イタリアの避暑地(フェデリコ・フェリーニの故郷ですね)の別荘に戦火を逃れていた際に、先述の事態に巻き込まれ、その時に逃げ遅れた女の子を助けました。
避暑地のような場所もすでに危なくなっていたんですね。
その母親が、エレオノラ・ロッシ=ドラーゴ演じる、ロベルタで、大邸宅に住む富豪でした。
彼女の代表作ですね。トランティニャンも若いです。
要するに、トランティニャンとロッシ=ドラーコは、ファシスト政権におけるエリート階層なのですね(笑)。
ファシスト政権下で恩恵を受けてきた人たちの姿を描きながら、それはそのまま、戦後の、日本で言うところの太陽族の姿を描いていると言う、ちょっとヒネリの効いた戦後の日活映画みたいな作品です。
イタリアのアイドルが出演しているので、ちょっと日活青春映画みたいな雰囲気がありますね。
ロベルタの旦那さんはイタリア海軍の軍人で、あえなく戦死してしまい、未亡人となります。
そこに、「ハンサム」を絵に描いたような、カルロ。
不倫(厳密に言うと、不倫とも微妙に違いますが)は一挙に加速していくんですね。
ハンサム!
カルロは父親がムッソリーニ政権の中で権勢を振るう人物のようなのですが、カルロは典型的なノンポリのおぼっちゃまで、父の政治活動にもファシズムにも無関心な高等遊民です。
トランティニャンは、後にベルナルド・ベルトルッチ『暗殺の森』で、「体制順応主義者」を演じていますが、この作品を踏まえて、ベルトルッチは配役したのでしょう。
さて。1943年。と、ワザワザ冒頭に出てくるのですが、第二次世界大戦に多少詳しい方ならおわかりの通り、ムッソリーニ政権が崩壊する年ですね。
要するに、ちょうど大混乱のイタリアを描いているんですよ。
お話の後半でムッソリーニは首相を辞任し、海軍元帥であるバドリオを首班とする臨時政府が国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ3世によって指名されました。
ムッソリーニの像が倒される。何度も見たシーンですね。
アレッ。国王?
実は、イタリアは1946年まで王国でして、ムッソリーニも、ヴィットーリオ=エマヌエーレ3世のもとで首相となっていたので、国家元首はあくまでも国王でした。
戦後、国民投票により王政が廃止され、王族たちはイタリアを去りました。
閑話休題。
この作品を見ていて、フト、思い出すのは、やはり、ルキーノ・ヴィスコンティですよね。
不穏な時代に背を向けるように生きる人々とその没落を常に描いてきた映画監督ですけども、本作の脚本を担当している人を見ると、その一人に、スーゾ・チェッキ・ダミーコがいるではありませんか。
彼女は、『若者のすべて』、『山猫』、『ルートウィヒ』などのヴィスコンティ作品の多くに関わっていた名脚本家ですね。
ヴィスコンティとダミーコ。名コンビです。
ファシスト政権の特権階級たちの子供たちの姿は、そのまんま、フェデリコ・フェリーニの大傑作『甘い生活』のラストの狂乱の宴会のようでもあり、本作は、ネオリアリズモから60年代のイタリア映画黄金期へのちょうど転換期に出てきた作品ですね。
ヴィスコンティ的でもあり、フェリーニ的でもあり、全体的な雰囲気が石原裕次郎主演の日活映画でもあるという、不思議な魅力のある逸品です。
ビング・クロスビーを使ってデカダンを表現するなど、音楽の使い方もセンス満点です。
ちなみに、コレは公開時にはカットされたシーンです。
ラストが、サム・ペキンパーもびっくりな衝撃を与えるのが、今見ても驚きですけども、まだイタリアが戦場になってから20年も経ってないという時代ですから、そりゃ生々しくなるのは、ある意味当然なのでしょう。
戦闘シーンが今見てもかなりの迫力です。時代のなせ業でしょう。