アンドレイ・タルコフスキー『僕の村は戦場だった』
タルコフスキーの長編第一作。
びっくりですね。こんなにキャメラが動きまくって、登場人物が動きまくり、結構ベタなサントラがバッチリ貼り付いている。
タルコフスキーといえば、静謐で説明的な描写はほとんどなく、画面もゆっくり動くのが特徴ですけども、もっと劇的な手法で撮っていたんですね。
とは言え、タルコフスキーの重要なモティーフである、「水」や「火」はすでに出てきます。
もう「水」や「馬」が出てきます。
結論から言ってしまえば、タルコフスキーはこの題材で映画を撮りたくなかったんだと思います。
ストーリーのベタさは、およそ、後のタルコフスキーとはあんまりつながりません。
それが、時折挿入されるハッとするような映像美に感じます。
黒澤明を影響を感じますね。
監督の意気込みと題材が空回りしてるんですよね。
コレは明らかに作りたくなかったんだろと。
しかし、知名度も実績もなかったので、「この題材で撮れ」と言われてもイヤとは言えなかったのでしょう。
とはいえ、タダでは転ばないのが、タルコフスキーであり、明らかに黒澤明『羅生門』を思わせる、戦争で廃墟になってしまった町のシーン、白樺が生い茂っているシーンなどなど、並々ならぬ才能はすでに開花していて、当時のソ連にはとんでもない才能がいる事が、この一作で十分伝わってくるんですね。
どこか、アントワーヌ・ドワネルを思わせるイワン少年は、戦争の恐さ。というものがわかっていません。
とはいえ、一応、第二次世界大戦のドイツとの戦いを描いてはいるものの、戦闘シーンはそんなに重要ではなく、どこか緩慢です。
しかし、時折挿入される、イワン少年の夢や回想シーンが実に素晴らしく、タルコフスキーの才能が羽ばたいています。
こういう、のびのびとした感性をもっと伸ばしていけるような環境で映画を撮っていたら、もっと違った彼の側面を見る事が出来たでしょう。
1960年代のソ連はまだまだ元気があり、インテリ層もソ連への期待がありましたから、タルコフスキーは注目を集めることになりまして、次第に映画製作も彼の望む形になっていきます。
が、結局は亡命してしまうのですが。
ラストシーンは、今見てもなかなか物議を醸し出します。
映画監督としての表現はまだ未熟ですけども、だからこそ、いろんな発見のある映画でした。