ジョセフ・L・マンキヴィッツ『イヴの総て』
なぜイヴは若くして権威ある賞を受賞するに至ったのか?
タイトルは知ってるけども、見た事がない。という映画の代表格と言ってよいでしょう(笑)。
1950年度のアカデミー賞を6部門を受賞した名作。というだけで見た気になってしまうんですね。
夏目漱石を読んだ事がない。みたいな事に似ているのでしょう。
しかし、面白いものは面白いのでありまして、別に昔の作品だから見ないというのは誠に勿体ない。
内容は演劇界のキタナイ舞台裏。という辛辣な内容で、冒頭のナレーションでアカデミー賞ディスすらしているという、なかなか尖った作品です。
演劇界の話なので、全体として、ハリウッド及び、西海岸を文化的に低く見ていますし。
現在だったら炎上してるんでしょうか。
本作のヒールとして見事な演技を見せるのは、ベティ・デイヴィスです。
ベティ・デイヴィスの名演が光ります。
1930年代の彼女の全盛期はもう私にはわかりませんが、『何がジェーンに起こったのか?』という、ロバート・アルドリッチが撮ったサイコ・サスペンス映画で初めてデイヴィスを見たんですけども、とにかく、怪物のようにコワい役で、痛快な映画ばかり撮っていたアルドリッチがこんなエゲツないほどにコワい映画撮っていた事にも驚きましたが、ベティ・デイヴィスという女優は、私には、このコワいおばちゃんでした(実際、当時の人たちもかつてのデイヴィスとはあまりにもかけ離れた役で、かなり唖然としたらしいです・笑)。
こんなコワいメイクでサイコキャラをやってました(笑)!
若い頃はこんななのに!
それにしても、1950年というのは、アカデミー賞としても面白い年でして、作品賞にノミネートされた作品に、ビリー・ワイルダーの名作『サンセット大通り』があります。
こちらは、すでに世の中からスッカリ忘れされたサイレント期の女優のお話しであり、しかも、それを演じるのは、実際のサイレント期の大女優であったらグロリア・スワンソンであり、彼の執事を務めるのは、コレまたサイレント期の偉大な監督である、エーリヒ・フォン・シュトロハイムです。
『サンセット大通り』のグロリア・スワンソン。圧倒的な演技でしたねえ。
監督であるワイルダーはもとも脚本家上がりで、そこもマンキヴィッツ監督とキャリアが似ています。
『サンセット大通り』の主人公は、しがない脚本家のウィリアム・ホールデンであり、彼からみた、往年の女優の狂気が描かれますが、本作はデイヴィス演じる、マーゴ・チャニングであり、このベテラン女優からみた、イヴという演劇女優志望の女の子への黒い黒い嫉妬が描かれています。
スワンソンとデイヴィスという大女優を起用している事、一方は演劇界、もう一方はハリウッドですが、この作品はちょうど視点が正反対なんですね。
このような好対照な作品が同じ年に公開され、共にアカデミー賞にノミネートされ、結果としては本作が作品賞にはなりますが、共にアメリカ映画史上に残る名作というのは、とても面白いですね。
個人の好みとしては、ワイルダーのシニカルで残酷な視点をより高く評価しますけども、本作のベティ・デイヴィスのうまさ、いやらしさはやはり、すでに主演女優賞を二度も受賞している実力は、生半可なものではありません。
デイヴィスの演技は、4度目の主演女優賞か?と思われましたけども、イヴ役のアン・バクスターもノミネートされてしまったので、票が割れてしまい、受賞できませんでした。
本作と『サンセット大通り』に共通するのは、「老いる恐怖」です。
『サンセット大通り』のスワンソンは、最後は脚本家のホールデンを射殺した後に発狂して、サイレント時代のような大仰な演技を見せて終わりますけども、本作は現役の舞台女優である、デイヴィスが「40歳の大台に乗った」事への恐怖、それがそのまま若いイヴへの嫉妬へとつながっていますね。
『サンセット大通り』は、文字通りのシチュエーションや脚本の巧みさなんですけども、本作は現実のデイヴィスの置かれた状況そのもの。という、生々しいリアルを持ち込んでいるわけですね。
また、ともに客観的には全体を見ている立場の人がおりまして、『サンセット』だと、ウィリアム・ホールデンになります。
彼は冒頭でプールに浮かんで死んでおりまして、「なぜ、私がこんな風に死ななきゃならなかったかについて話しますね」という、なんともシニカルな始まり方なのですが、本作では、ズバリ、演劇評論家である、デウィット役のジョージ・サンダースが、「なぜ、イヴが、演劇界を代表するような権威ある賞を若くして受賞したのか?を見てみましょう」という、視点で描かれています。
デウィットは、イヴにダイヤモンドの原石を見る。
初めはマーゴの熱狂的なファンであったが、その実は。
要するに、冒頭で両方ともオチがわかった状態から始まるところまでおんなじなんですよ。
コレは、どちらかが内容をスパイして制作したんではないのか?と勘ぐりたくもなりますが、どうなんでしょうね。
それはさておき、ホールデンは、狂言回しとして、パッとしない役を演じる事でスワンソンの狂気を引き立てているんですけども、評論家を演じるサンダースは、そんなに出番があるわけではないんですけども、要所要所で冷徹な分析をしていて、あたかも、死神のように、デイヴィスの事を見つめているんですね。
恐らく、かつて、この評論家デウィットは、才能ある女優として、マーゴの事を見出し、大絶賛したんだと思います。
しかし、それがやがてマンネリ化し、最近は力量が落ちているのでは?と思い始めている矢先に、イヴ。というダイヤの原石を見つけた事に喜びを覚えるのと同時に、王座が入れ替わる瞬間を見たいとという残酷な欲望が生まれているんですね。
そういう、見る側の残酷な眼差しをマンキヴィッツは、評論家のデウィットという存在に象徴されて描いているところが、実は、最も秀逸です。
よーく見ると、マリリン・モンローが出演してるんですよ。初々しい!
1950年のアカデミー賞の脚本賞がワイルダーで、監督賞がマンキヴィッツというのは、納得のいく評論だと思いますし、サンダースが助演男優賞というのも、まさに正当な評価ですね。
そして、そのサンダースとともに、後半になると本性を現し始めるバクスターがコワいんですね。
そこまでの道のりが、今見るとやや冗長ですが、アン・バクスターも主演女優賞にノミネートされたのがわかる、ギラギラとしたコワさがあります。
ともかくも、『サンセット大通り』とコンビで見たい作品です。