巻き込まれ型サスペンスの古典

ルフレド・ヒチコク『知りすぎた男』

f:id:mclean_chance:20180319123513j:image

家族でモロッコ観光をするつもりが。

 

『ハリーの災難』という怪作を生み出した翌年、1956年の作品。

それにしても、ものすごいペースでこの頃のヒチコクは映画撮ってますねえ。だいたい年に2本くらいのペースで映画を作りまくってます。


彼のファンだったら知ってるでしょうけども、本作は、1934年にイギリスで作られた『暗殺者の家』をリメイクしたものなんです。

 

f:id:mclean_chance:20180319123616j:image

コレがオリジナルの方のタイトル。

 

原題はどちらも同じ『The Man Who Knew Too Much』でして、リメイク版の邦題が直訳になってるんですね。

主演は、ジェームズ・スチュアートドリス・デイです。

 

f:id:mclean_chance:20180319123659j:image

デイは「誰かに見られている」という嫌な予感を。

 

f:id:mclean_chance:20180319123938p:image

スチュアートが大男である事を利用したギャグシーン。座りづらそうなソファ。

 

ドリス・デイは実際に歌手として大変有名ですけど、主婦に専念するために歌手を引退したという役でして、コレが本作に上手く機能してます。

その夫で外科医役がスチュアートで、2人の間には男の子がいます。

平凡な人たちがとんでもない事件に巻き込まれていく。という映画は、たくさん作られていきますが、本作はその古典となった作品といっていいでしょう。

ただ、今の目で見ますと、最初のモロッコ観光のシーンはタルいですし、イスラーム文化の描き方が、ハリウッド的なエキゾの域を出ていない気がしますが、スチュアートの一家が、殺人を目撃してしまい、その死にかけている男からメッセージを託されてから、俄然スイッチが入ってきまして、面白くなってきます。

 

f:id:mclean_chance:20180319123806j:image

スチュアートは、暗殺事件かロンドンで起こる事を知ってしまう

 

ヒチコクとしては、のんびりとした観光を突然切り裂く殺人というその背後にあるより大きな事件に巻き込まれる落差を演出したんだと思うんですけども、ヒチコク映画って、ロケーション撮影に極端に鈍感というか、興味がないというか、映像がボヤっとしてるんですね。

多分、モロッコにも北アフリカにも何の興味もないんですね、彼は(笑)。

しかし、サスペンスが始まり出すと、やっぱりヒチコクです。

主人公たちはアメリカ人ですが、モロッコ、イギリスと常に外国にいる。という事が、やっぱり効いていて、モロッコではそこがダメダメなんですが、イギリスに舞台が移ってからは、水を得た魚なん

ですね。

 

f:id:mclean_chance:20180319124322j:image

息子がホテルに戻っていない!

 

f:id:mclean_chance:20180319124122j:image

知りすぎてしまったが故に、息子が誘拐されてしまう。

 

コレはネタバレさせてもいいと思いますが、スチュアート夫妻は、息子を組織に誘拐されてしまいます。

その解決のカギは最早、男の遺言だけであり、それがロンドンなんですね。

しかも、この組織は政治家の暗殺をロンドンで企てているようなんです。

 

f:id:mclean_chance:20180319124415j:image

暗殺計画を請け負う組織のリーダー。

 

一介の外科医でしかないスチュアートはとんでもない事に巻き込まれ、息子まで誘拐されてしまうという、私的な事件と国家レベルの事件の2つを一挙に抱えなくてはならなくなってしまったんですね。

 

f:id:mclean_chance:20180319124256j:image

 

ジェイソン・ボーンのシリーズだとかシチュエーションでも使われて、猛烈なカーチェイスやアクション、ハイテクノロジーを駆使した追跡/逃亡がド派手に展開すると思いますが、1950年代で、ただの外科医と元歌手が息子を助けるのと政治家の暗殺を食い止めるのに頑張るので、ド派手なシーンは、全然ないんです。

しかし、それでも面白いのは、彼らが外国人であり、ロンドンの土地勘もなく、「息子を殺す」と組織に脅迫されているので、警察にも事実を話すこともできない。という極端に不自由でもどかしいシチュエーションを作ってるんですね。

しかも、今よりもずっとローテクです。

この状況を作り出していること自体がヒチコクの戦略に観客がまんまと引っかかる仕組みになっていて、「オイオイ、どうなるんだよ!」と引き込んでしまうんですね。

この巻き込まれ型の最高傑作と言えるのが、『北北西に進路をとれ』なのですが、本作は、スチュアートとデイですから、走り回らせても、絵になりません。

なので、ヒチコクはアクションに頼らず、このシチュエーションをどうやって切り抜けるのか?という設定をうまく作り出して、そこをポンコツながらもなんとかクリアしていく。という所にサスペンスを感じるように作ってるんですね。

それが本作での有名な、アルバート・ホールでのシーン(指揮者は音楽を担当しているバーナード・ハーマン本人がカメオ出演してます。ちなみに、この曲はハーマンの曲ではなく、オリジナルで、使われた曲をハーマンが編曲したものです)なんですね。

 

f:id:mclean_chance:20180319124527p:image

バーナード・ハーマンのホントのリサイタルを、アルバート・ホールで行うという面白さ。

 

f:id:mclean_chance:20180319124708j:image

フルオケにコーラスまでつけるという、贅沢なシーン。こういう豪華さはヒチコクには珍しいですね。

 

f:id:mclean_chance:20180319124832j:image

 

スチュアートのポンコツをリリーフするのが、なんと、ドリス・デイの歌であったりするのが実にうまいんですね。

どうしても、グレース・ケリーで場所本作はダメだったんです。

政治家暗殺の阻止。などというデカい話しっぽいのに、軽く終わってしまうのも、面白いですね。

この、キレイなのにコワイ。そして、キレイに終わる。という、ヒチコク・サスペンスの美学が貫かれた本作は、流石に『ダイヤルMを回せ』や『裏窓』級の大傑作とは言えませんが、やはり卓越した佳作として今見ても面白い作品です。

 

f:id:mclean_chance:20180319124900j:image

デイが歌う『ケ・セラ・セラ』は、アカデミー賞を受賞しました。