アルフレッド・ヒチコク『ダイヤルMを回せ』
電話などの小道具の使い方が実にうまい作品です。
ヒチコクのワーナー作品。
レイ・ミランドがほとんどジェームズ・スチュアートに見えるのですが、それは、ヒチコクがそういう記号的な役割を主演にさせているという事なのだと思います。
ヒチコクは、小津安二郎とはまた違った意味で役者に演技力をほとんど求めておらず、役者がどのように見えるのかは、演出やキャメラワーク、編集によって決まってくると思っていたようで、よって、役者は出来るだけ記号的な存在に近い人物が求められていて、それに最適だったのが、スチュアートだったのでしょう。
理由はわかりませんが、本作ではレイ・ミランドが主演となってますけど、しかし、その役割はスチュアートのそれとほとんど同じです。
ただ、スチュアートは「巻き込まれる側」や「むやみに首を突っ込んでしまう男」という、いわば天然キャラを演じてますが、ミランドは完全犯罪の遂行者です。
そういう使い分けなのかもしれません。
ヒチコクの演出はそれくらい徹底していたという事が、ここからわかります。
それは同じく主演のグレイス・ケリーにも言えて、要するにものすごく端正な白人の美女。という記号として起用しているんでしょう。
こういう感覚って、小津安二郎とキューブリックくらいしか、他はいないかもしれませんね。
ごくごく平凡な夫婦と思われますが、
実は奥さん(グレース・ケリー)には愛人がおりました。
それにしても、冒頭のレイ・ミランドと の会話だけで(しかもサントラなし)、延々と話が進むのですが、それだけでグイグイと引き寄せてしまうという演出のすごさ。
ミランドが語る妻、グレイス・ケリーの不倫と招かれた男との関係。
ミランドが淡々と語る完全犯罪計画のコワさ。
妻の不倫を延々と語る、レイ・ミランド。
レイ・ミランドははっきり言って二流の人だと思いますが、ここではとんでもない名演を繰り広げていて、恐らく畢生の演技だと思います。
ヒッチコック演出のものすごさですよね。
前科のある男の行状をトコトン調べ上げて精神的に追い込んで共犯者に仕立てていく異様さ。
バイオレンスもアクションも何もないのに巧みな会話だけで進行していく犯罪計画。
犯行プランを話し始めると、急に俯瞰したキャメラワークに変わるのも絶妙としか言いようがない。
犯行計画になると、突然アングルが俯瞰になります。うまいですねえ。
そして、前科者が100ポンドを懐に入れて初めてサントラ。
精緻に狂っております。
この冒頭のサスペンスのうまさは、彼の作品史上でも屈指だと思います。
それはすなわち、映画史上屈指の出来ばえという事ですが。
そして、後半の犯罪シーンと二転三転するサスペンス(ここからは実際にご覧になってください)。
見た目は一見、端正なハリウッド映画なのですが、その内実はかなり変態的で、それは別に『サイコ』や『鳥』のようなショッキングな作品だけでなく、彼の作品に一貫しているものです。
このアブなさが、観客を魅了し、んと、ゴダールやトリュフォーすら虜にしてしまったんですね。
映画はほとんどが主人公の自宅のリビングしか出て来ず、同年に作られた『裏窓』(こちらはパラマウント作品)と対をなしておりますね。
『裏窓』はスチュアート/ケリーで犯人を捕まえるお話であり、スチュアートの自室とそこから見える景色だけで成り立っており、本作はミランド/ケリー主演で、ミランドの完全犯罪がリビングで行われるというお話です。
サスペンスというものを映像に於いて、極限の至芸にまで高めてしまった監督のすごさをご堪能下さい。
それにしても、ジェームズ・スチュアートにしか見てませんね。
完全犯罪は成功するのか?