努力賞はあげてもよいでしょう。

ドゥニ・ヴィヌーヴ『ブレードランナー2049』

 

※公開したばかりですので画像は一切ございません!あしからず!

 

まさかの『ブレードランナー』の続編。

 

タイトル通りの30年後のロサンジェレスを描いておりまして、前作のラストのデッカードとレイチェルの失踪がお話しの中心となります。

 

冒頭で説明されますけども、タイレル社は、暴動や反乱ばかり起こすレプリカント(ネクサス8型)の製造は禁止してしまい、タイレル社も倒産してしまいます。

 

しかし、それをウォレス社という、なんだかモンサントを彷彿させる会社が「大停電」に伴う食糧危機の後に台頭し、宇宙への植民地経営が進んでいくことで桁外れに巨大な企業となり、タイレル社のノウハウもウォレス社が買収してしまいました。

 

ウォレス社は宇宙植民や地球での労働力を確保するために、新型レプリカントの生産を行い、日常生活にもレプリカントが溢れるようになりました。

 

それに伴い、ネクサス8型は旧型として違法な存在となり、ブレードランナーに処刑されていくことになります。

 

主人公のK(カフカの小説の主人公を彷彿とする名前ですね)はウォレス社の新型レプリカントブレードランナーです。

 

前作のデッカードは、レプリカントなのか?どうなのか?という所をハッキリさせてませんでしたけど、ライアン・ゴズリング演じるKは、レプリカントです。

 

つまり、新型が旧型を始末する。という、かなり残酷な構図になっています。

 

そんなKがある旧型レプリカントの処刑時に、木の下に埋まっているのスーツケースのを発見します。

 

中身は完全に白骨化した遺体なのですが、なんと、コレがレイチェルである事が判明します。

 

なんともショッキングですが、ココでKとデッカードがつながってくるわけなんですけども、さらに驚くべきことに、どうやら、レイチェルの死因は出産であった事が遺体から推測されました。

 

タイレル社のレプリカントは、とうとう妊娠するという事すらできるようになっていたという事実が判明(それはデッカードとレイチェルの間に子供ができたという事です)したという事ですね。

 

実は、この事をウォレス社の社長のウォレス氏も察知していて、秘書として使っているレプリカントのラヴを使って、デッカードと子供の捜索をさせます。

 

本作の基本構造はコレでほぼ明らかになりましたけども、本作を理解するためには、どうしても前作の内容を知らなくてはいけないので、『ブレードランナー』についても言及しなくてはなりません。

 

前作の『ブレードランナー』は、とにかく、近未来世界をどう見せるのか?という事がまずもってとてつもない作品でした。

 

シド・ミードがデザインした2019年のロサンジェレスは、その後の近未来SFの世界観を一変させてしまったと言っても過言ではなく、また、ほとんど曇天と夜のシーンで酸性雨が降り注ぐような、環境破壊が相当進んだ陰鬱かつスタイリッシュな映像の連続で、そのインパクトは今もって強烈であり、コレに影響を受けたクリエイターは世界中におります。

 

ブレードランナー』を全く見たことのない人が見ると、「元ネタは全部コレだったのか!」と驚くに違いありません。

 

フィルム・ノワールとサイレント期の傑作『メトロポリス』が融合したような、独特の世界観は、現在の近未来の表現の基本となってしまいました。

 

そのような金字塔的な作品の続編を、リドリー・スコットが製作総指揮して作られる。という話しを聞いた時、正直、無謀だと思いました。

 

あの大傑作に匹敵する映画など作れるとは思えなかったからであり、とんでもない失敗を見せられるのではないのか?としか思えませんでした。

 

しかし、それはほぼ杞憂と言ってよく、気鋭のカナダ人映画監督、ヴィヌーヴは、160分もの時間を使って、ジックリと「コレが30年後の世界なんですよ」という事を、言葉で説明するのではなく、映像で丁寧に丁寧に見せていくのがとても誠実な作りでした。

 

酸性雨が降り注ぐ陰鬱なロサンジェレスはそのままに、前作ではほぼ描かれていないその外側が描かれ、あの閉塞感タップリな小宇宙的な世界がもう少し俯瞰して見えるようになっているのと、合間合間に出てくるテクノロジーの30年間の微妙な進歩(あるいは退歩)を見せているのは、好感が持てました。

 

あの、「ブレードランナー光」とも言えるあの独特なライティングは、ほぼ封印し(チラッとだけ使ってるシーンがありますが)、はしゃぎ感をなくしているのも良かったです。

 

そういう実に細かい演出の積み重ねを評価するのか否かが、ドップリはまっていけるかどうかの分岐点ですね。

 

しかし、この昨今のハリウッド映画に逆行するようなタイム感覚こそが本編の魅力であり、それは、新作でも忠実に引き継がれていて、好感がもてます。

 

という事で、あの金字塔の名を汚す事なく、30年後のやっぱり救いようのない世界のレプリカント達の一筋の希望(しかし、それは人類にとっては危機的な問題なんですけどと)。を描いたSF作品でありましたけども、若干の不満も申し上げておきましょう。

 

それはなによりも音楽です。

 

前作のあの暗い映像(好きになってしまうとそれが堪らなくなってしまいますが)に潤いを与えていたヴァンゲリスの音楽は、明らかに名作に高めるためにかなりの貢献をしたものと思いますが、ハンス・ジマーベンジャミン・ウォルフィッシュの音楽は、音楽というよりも激越な音響であり(実際の音響効果もものすごい低音がききまくってます)、私には、ちょっとキツかったです。

 

ハンス・ジマーの仕事ぶりは、クリストファー・ノーランの諸作で聴けますが、この圧迫音楽はハッキリ言って私はやりすぎと思ってます。

 

なので、その轟音音響効果とサントラがエゲツないくらいに劇場を圧迫いたしまして、なんというか、ハードコアなクラブに来ているのか、池田亮司のコンサートに来ているのか?と錯覚してしまうほどで、ちょっと勘弁してもらいたかったです。

 

シナトラ、プレスリーが出てくるのが嬉しかったですが、必然性は感じません。

 

ヴィヌーヴには、音楽への愛が少々足りないのではないでしょうか。

 

あと、アクションとかバイオレンスの説得力が、前作よりも明らかに落ちます。

 

ブレードランナー』は、アクションシーンがとても少ないのですが、しかし、そのインパクトがホントに強烈で、ここだけでリドリー・スコット監督は歴史に名前を残してよいくらいコワイんです。

 

レプリカントのロイ・バッティを演じるルトガー・ハウアーのジワジワと伝わってくるあの怖さは、映画における悪役史に残る名演ですが、やはり、コレに匹敵する怖さは、今回はなかったです。

 

レプリカントレプリカントというシーンが多いので、アクションはド派手になりますが、それに反比例して怖さはなくなっているのが不満ではあります。

 

この辺は、『攻殻機動隊』の影響が逆輸入されてしまったのかな。という気はしてます(映像にもチラチラと押井守の影響を感じます)。

また、ネタバレになるので詳しく事は書きませんが、唐突に出てくるあの反乱軍とその依頼、そして、その物語としての解決は、私はちょっと弱いと思います。


こういう不満もありがながらも、とても長い映画でありながら、一切ダレることなく長さを感じさせずに見ることができたのは、ヴィヌーヴの力量はものすごいものがあります。

 

本作だけを見ても楽しめるように作られますが、やはり、『ブレードランナー』を見たほうが明らかに面白いと思いますので、是非両方ともご覧ください。

 

2049は70点、2019は400点というのが、私の率直な評価でございました。