マノエル・ド・オリベイラ『メフィストの誘い』
またしても、独特の味わいです。
オリヴェイラの作品は、ホントに誰とも似てないですね。
ジョン・マルコヴィッチ(オリヴェイラ作品に結構出演してますね)がシェイクスピア研究をしている大学教授役で、その奥さんがカトリーヌ・ドヌーヴ。という、結構なキャスティングです。
マルコヴィッチ教授夫妻が、ある文献を求めて、ポルトガルの修道院までやってきます。
教授は、自身の「シェークスピア=ユダヤ人説」の肉付けのために修道院を訪れますが、ココが何か奇妙な修道院なんです。
敢えて薄暗い映像で見せていますが、この修道院の責任者である、バルタールという男は、悪魔崇拝者のようですね。
つまり、修道院の外観を持ちながら、その内実は悪魔崇拝の拠点であったと。
これに対して、彼のもとで働いているバルタザールとマルタの夫妻は、カトリックを装って、白魔術を行なっているようですね。
とてもオカルト的な話なんです。
このお話しの核心はシェイクスピアではなくて、実は、ゲーテ『ファウスト』なんです。
ゲーテ。という人は一見、穏当な文学者のようですが、『ファウスト』を読むと、明らかにキリスト教を逸脱どころか、実は、アンチ・キリストなのでは?とすら思わせるところがあり(ですので、ニーチェは唐突にドイツに出てきたわけではないんです)、オリヴェイラは、その事を踏まえて、本作を作っているんですね。
「闇から光が生まれた筈なのに、光が闇を滅ぼそうとしている」
という、『ファウスト』の中でのメフィストのセリフにあるように、「光=神、闇=悪魔」というキリスト教の構図がそのままヨーロッパへの文明批判になっており、同時にキリスト教批判にもなっている事をオリヴェイラはお話しに組み込んでいます。
そこがわからないと、本作はチンプンカンプンになってしまうでしょう。
オリヴェイラは、ゲーテ『ファウスト』にキリスト教批判を見出しているんですね。
「メフィストの誘い」を受けているのは、ドヌーヴでして、修道院の管理者が次第に「メフィスト」になっていきます (誘惑者になる時はドヌーヴの母語であるフランス語になります。召使いたちにはポルトガル語、マルコヴィッチには英語で話します。悪魔ですから、言葉が巧みなのですね)。
この「誘惑者」を演じるルイス・ミゲル・シントラが素晴らしいですね。
ヘレンの嫉妬心につけ込むバルタール。
淡々としているのに、ジワジワと恐さが滲み出てきます。
彼は、ドヌーヴの嫉妬心につけ込んでいるんですね。
マルコヴィッチの助手をやっている若い女性、ピエダーテへの嫉妬です。
ビックリするようなCGもなにも出てきませんが、人間の弱さにつけ込んでくるというのが、やはりコワイ。
このピエダーテと管理者である、バルタールの対話が本作の最大の見どころでして、マルコヴィッチとドヌーヴは一見主演なのですが、実質は助演なのでした(笑)。
こういう世界的な大スターを逆手にとってうまいこと観客を誘い出し、自身の世界に巧みに誘い出してしまうオリヴェイラこそが、実は最高の「誘惑者」なのでは?とイジワルな事を言って、本論を終わります。
私の言っていることは、そのまま信用してよいものではありません。