EU映画って、初めて見ましたね(しかも治療付き)

マーレン・アーデ『ありがとう、トニ・エルドマン』

 

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 仕事に追われまくる娘を案じる父。

 

ドイツ映画。というのは、ヴィム・ヴェンダースヴェルナー・ヘルツォーク辺りしか見ることはないんですけども、この映画はそういう西ドイツ時代の巨匠と並べても何ら遜色のない出来栄えでした。

おおざっぱに言ってしまえば、「父と娘」という、人類の歴史開闢以来の普遍的なテーマでありますが、コレをちゃんと、現在の問題として、更新できているところがこの映画が卓越しているわけですね。

なにが新しいのかというと、EUって、今、こんな事になってるんですよ。という事がこんなに物語に自然に取り込まれているのか。というところでして、ホントにコレは驚きました。

本作の主な場所は、なんと、ルーマニアの首都、ブカレストなんですよ。

EUを実質的に支配し、「帝国」として君臨しているドイツですが、そんなドイツにとって、東欧諸国はまさに「植民地」なんですね。

主人公のザンドラ・ヒュラー演じる企業コンサルタントは、ルーマニアの油田会社を合理化するために(要するに、大量リストラの請負をしてるわけですね)ブカレストに派遣されていているんです。

えっ。ルーマニアに油田?と思うかもしれませんが、実は、ルーマニア共産党独裁政権時代から産油国でした。

しかし、もともとは農業国としてそこそこうまくやっていたのを、チャウシェスク大統領が、無理な工業化を推し進めてしまって経済が一挙に混乱してしまい、大変な事になりました。

コレが、国民の怒りを買っていたのですが、独裁政権ですから、不満は無理くり抑え込んでいたんです。

しかし、チャウシェスクがイケないのは、権力を自身に集中させるだけでなくて、「共和国宮殿」なる豪勢な私邸を作ったりなど、一族とその取り巻きによる私利私欲が始まったんです。

ですので、一連の東欧諸国での共産党政権の崩壊時において、最もひどい幕切れなったのは、ルーマニアで、ただでさえ経済的に停滞していた東欧諸国の中でも、最低ランクの経済力でした。。

チャウシェスク大統領とその妻のは、なんと、公開処刑です。

で、その後、ルーマニアがどうなったのかがよくわからなかったのですが、ポーランドブルガリアハンガリーチェコと一緒にEUに加盟しました。

これらの国々は、かつてのドイツやオーストリア帝国勢力圏だったので、実は、ドイツ帝国オーストリア帝国の領土が戻ってきた事を意味します。

当然ですが、ここにドップリとドイツの資本がEUの名の下に入って行き、経済的に支配されるわけですね。

結果として、東欧諸国の人々はドイツやフランスにも出稼ぎができるし、製造業が進出してくるので、経済的にはよくなっていくんですが、主導権はすべてドイツが握るという構図が出来上がります。

コレが、ドイツの経済の強みなんですね。

そういう中で、主人公は、ルーマニアの油田会社のリストラという、ヨゴレ仕事を担っているわけです。

 

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お得意さんの取締役をうまいこと自分たちのプランに引きずり込むのが仕事。

 

 

そんな娘の事が心配なのが、お父さんなんですけども、この人のエクセントリックさが、本作を際立たせておりますね。

休暇をとってブカレストの娘の会社に突然現れるのですけども、そのアプローチの仕方がかなり変わっている(笑)。

娘からみて、父というものが、多かれ少なかれ、ウザキモい存在であるのは、変わらないと思うんですが、そこに、「トニ・エルドマン」というキャラクターを作り上げて迫ってくるんですよ(笑)。

それが本作のタイトルなんですね。

 

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すごい造形の「トニ・エルドマン」。

 

要するに、藤井隆が一時期テレビ番組で作り出していた「マシュー南」みたいな事をして、娘の同僚やお得意さんに絡んでくるんですよ。

これはもう、ウザいを通りこしたものがあります。

コレ、たぶん、アメリカ映画だったら、ロビン・ウィリアムズがもっと達者でキレイに演じたんだと思うんですけども、何しろドイツ映画なんで(笑)、結構ドギツいんですよ。

「トニ・エルドマン」というのは、フレディ・マーキュリーがひどくなったみたいな顔面に、デブってしまって残念なマラドーナが合体したみたいなどうしようもないキャラで、ホラばかり吹いている、要するに、「ばばっちいほら吹き男爵」でして、なんでそんななのか?は、映画を見終わっても特によくわからないし、それは別にどうでもよくなっていくところがいいんです。

 

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 ホイットニー・ヒューストンを熱唱するハメになるシーンは必見!

 

しかし、「マシュー南」になって言えることがあるように、「トニ・エルドマン」になって言えることがお父さんにもあるわけで、それがなんなのかは見てのお楽しみという事なのですが、まあ、若干ネタバレさせますと、お父さんというものは、古来、娘さんの事なんて、よくわかんないし、そんなに会話できてないわけですよ。

そういう事を克服するためのキャラ、「トニ・エルドマン」なのであって、それは、そのまんま、カウンセラーと患者の関係にそのままスライドしているんだと思います。

お父さんらしい、雑で粗っぽい「治療」とそれによって「治癒」されている娘との過程を大変ユニークに描いておりますね。

また、本作のキモは、ドイツ映画ではあるのですが、コレは同時にルーマニア映画なのであり、EU映画なんですよね。

ヨーロッパの映画を見ていて、実はあんまりEUである事をそれほど意識させる作品に出会っていなかった気がするのですが、本作の会話がドイツ語、英語、ルーマニア語が行き交う状態でお話が進み、ある人は、ドイツ語と英語がわかり、別な人はルーマニア語と英語がわかり、あるいは、ルーマニア語しかわからない人というのが混在しながらお話が進んでいくんです。

こういう複雑な言語の状況によって、ルーマニアの置かれている状態がハッキリと浮かび上がってきていて、しかも、それはEUそのものの縮図にもなり得ているという点が実に巧みです。

脚本が大変優れていますよね。

物量は本作よりも桁はずれにかかっているであろう、『エヴァンゲリヲン』が言いたいことの中心は、ほとんどこの作品で解決している気もするんですが、どんなものでしょう。

かなり長い映画なのですけども、長さを一切感じさせない映画でした。

 

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 ザンドラ・ヒュラーの演技も見事でした。