エドワード・ヤン『牯嶺街少年殺人事件 A Brighter Summer Day』
私はコレをVHSで見たんですが、残念な事に画面が不鮮明で、夜の場面が多い映画なので、夜のシーンが悲劇的なまでによく見えず、作品の価値が半分以下になっていて、余り楽しめませんでした。
しかし、ヤンが亡くなってから、作品のデジタルリマスタリング作業が進み、2017年に本当に久しぶりに劇場上映される事となり、それを見る事が出来たんですね。
こういうシーンがホントに多く、VHSでは真っ暗になってわからないんです。。
それによって、もともとわかりづらかったストーリーがかなりわかりやすくなり、登場人物の判別がなかり容易になり、理解がとても進みました。
主人公が建国中学校の夜学部に通っているという事があり(手続き上の手違いなのですが)、いきおい夜のシーンが多くなりまして、しかも、ヤン監督は敢えてハッキリ見えるように画面作りをしているため、わかりにくい場面が多い。
デジタル リマスタリングでこんなに夜のシーンが鮮明になりました!
また、登場人物が大変多く(作中で、不良少年グループ「小公園」のリーダーであるハニーが『戦争と平和』に感銘を受けたというセリフが出てきますが、そこまででないせよ、ホントに多いです)、コレがかなりキャメラが引いた絵で大半を見せるので、顔が判別しづらい(小さいテレビで見てしまうとかなりキツいです)。
「小公園」のリーダー、ハニーと小明の久々の再会シーンなのに、こんなに遠くから撮るんです。
ちょっと悲しげで利発そうなハニーの登場シーンがもっと多かったらなあ。
複雑な人間関係や、少年グループの抗争での敵対関係がわからないと、ストーリーを追うのが結構ツラい作品なのですが、ブラウン管テレビでVHSで見てしまうと、ホントにわかりづらかった。。
私もレンタルVHSを見た段階でこの話の構図を理解するのがホントに大変で、インターネットであらすじをみてようやく理解できたくらいでして(笑)。
とは言え、本作が上記の理由でのわかりづらさは、実は、デジタルリマスター版でも完全に解消されるわけではないです。
というか、エドワード・ヤン監督は、このお話の全体像が、4時間も見ているうちに、ディテールがドンドン失われていく事自体良いことなのだ。とすら考えているフシがありますよね。
本作のあらすじをものすごくシンプルに言ってしまうと、1960年に、建国中学校夜学部を退学になった少年が、同じ夜学部に通っていた女子生徒を刺殺してしまうという、実際に台北で起こった殺人事件までの顛末を描いているわけですが、その顛末に4時間という時間をかけているんですね。
ホンモノの建国中学校。
しかも、決して、親切でわかりやすい語り口ではありません。
彼は、本作を単なる「少年殺人事件」ではなく、中京内戦が共産党の勝利に終わり、蒋介石率いる国民党は、台湾に逃げてしまい、ここを「中華民国」としたという、激動の歴史を丸ごと描こうとした、一台叙事詩としたかったんですね。
しかし、ヤン監督は同時に、それをすべて描くことなど到底できないし、理解などできないんだ。という事も描いています。
エドワード・ヤン監督は、一貫した演出哲学があります。
それは、どの登場人物にもある一定の距離感を保ち続け、決して、内面に入り込んでいくような事をしないんですね。
本作でも、室内撮影に特に顕著ですが、ある部屋を撮影するとには、ほとんどキャメラがその隣の部屋から覗くように置かれていて、人物たちに決して寄っていきません。
本作の典型的なショット。隣の部屋から撮っていて、右側が襖がしまっていて、全体が見えないように撮ってますね。
「小公園」(主人公の小四はこちらに属します)と、敵対する「215」という不良少年グループの抗争が、次第にエスカレートし、とうとう日本刀(植民地時代の日本軍の軍刀です)を振り回しての凄絶な殺し合いにまで発展しますが、これすら、キャメラは寄っていかず、闇夜の中で何が起こっているのか、敢えてハッキリと写そうとはしません。
ハニーが敵対グループ「215」のリーダー、山東に殺されてしまったことが抗争を激化させる。
また、主人公の張小四(友人や家族は更縮めて「スー」と呼びます)の父親が、数日間不可解な拘束と取り調べを受けるのですが、コレもなんの説明もしない。
ただ、1960年当時の台湾社会が、とても不安定で不穏な空気に包まれていた事は、わかるんですね。
ある程度、台湾の歴史を知っていると、台湾が日清戦争によって、日本の領土となり、1945年まで日本領であったこと、国民党の敗北によって、中国大陸から、膨大な中国人が逃げてきて、その人たちが「外省人」と呼ばれ、それ以前から台湾に住み続ける「内省人」と対立関係が生まれていた事は知っていますが、それをヤン監督は、仄めかすように描いています。
転校生の小馬の部屋。父親が軍人なので、裕福である。何かやんちゃをしてしまい、夜学部に入ってきたのです。
主人公の張一家は、上海から逃げてきた外省人でして、台湾政府内に友人がいる事を頼りに、要するにコネを頼りとするのですが、コレがうまくいかなくて、経済的にも社会的にも明らかに困っています。
小四の父親が仕事が次第に苦境になっていく姿が痛々しい。
小四少年もその事を薄々感じ取りながら生きているんですが、彼も不良少年グループの世界にも、明らかにコネによってのさばっている現実を目の当たりにします。
この不条理への怒りが、やがて殺人という悲劇に結実してしまうのですが、この小四の心の動きにヤン監督はむしろ距離をとって入り込んでいきません。
監督は何かわかったかのような同情を登場人物たちにするのではなく、彼もまた、この悲劇を理解しようとしており、その事を観客にも求めているのでしょう。
このシーンは辛いですね。。
安易な同情と紋切り型な図式化は、複雑な台湾社会への理解を狭めてしまう事を警告するように、暗くて、人物の判別も難しくなるほどのキャメラアングルで敢えて撮ったのだと思います。
それにしても、4時間にも及ぶ作品であるのにもかかわらず、ダレることもなく見せてしまうエドワード・ヤンの演出力の高さには、驚かざるを得ません。
ゆっくりと、そして、確実に零落していく中国大陸から移住してきた、インテリ家族(かなり頭の良さそうな小四が昼学部の入学試験が良くないので、夜学部に入ってしまうという不可解な出来事から、ゆっくりと悲劇に向かって転げ落ちていくのです)の悲劇を、複雑なと台湾社会が重層的に絡み合いながら、静かに語られる、強く打ちのめされる名作。