スタンリー・キューブリック『スパルタカス』
鉱山で剣闘士として買われるスパルタクス。
タイトルの通り、ローマ共和政末期に起こった、スパルタカスの反乱の顛末を描いた3時間を超える大作。
コレでキューブリックの世界的な名声が確立したんですが、キューブリック本人は、亡くなるまでこの作品を認めなかったようです。
というのも、この映画、主演をつとめる、元祖マッチョアクションスターであるカーク・ダグラスによる企画で、最初はアンソニー・マンが監督していたんですが、両者が対立してしまい、マンが降板してしまったピンチヒッターとして、すでに映画監督としてのキャリアはありながらも、まだまだ若手であったキューブリックが起用される事になったんですね。
当時、キューブリックはなんと31歳!
ダグラスは言う事を聞かないベテラン監督ではなく、無名で言う事を聞くであろう(しかも、かつての作品でも支援した事のある)、若くて無名の監督を選んだのでしょう。
そして、この「雇われ監督」という待遇について、終生恨み言を言い続け、この映画の最大の出資者であるカーク・ダグラスは、この事に大変激怒したそうです。
事実、これ以後、キューブリックはユニヴァーサルでは映画は撮っておらず、すべてワーナーで制作しており、しかも、ハリウッドではなく、イギリスに移住してそこで映画を作り続けました。
カーク・ダグラスに対してというよりも、ハリウッドの映画制作のスタイルそれ自体が気に食わなかったのでしょう。
キューブリックは、ワーナーと契約するにあたって、一切映画制作に関して干渉しない。という文言を認めさせたほどです。
余程、この映画での仕事が悔しかったのでしょうね。
と、なんともネガティヴな書き出しでありますが、確かに、これ以後のキューブリック作品のような、あらゆるところにまで神経の行き届いた作品ではないにせよ、本作は、キューブリックのキャリアを確実に上げるだけの興行収入をもたらし、しかも、今見ても全く恥じる事のない、堂々たるハリウッド歴史大作です。
当時、ハリウッドは歴史大作をたくさん作り、その大半は現在は見るに堪えないものですが、本作は、ソウル・バスによる見事なタイトルクレジットからして並々ならぬモノを感じさせます。
キューブリックとソウル・バスのコラボレーションですよ!めちゃカッコいい!
しかも、脚本は、ハリウッドを事実上干されていた、ダルトン・トランボーが久しぶりに実名を出して書いているのです。
カーク・ダグラスが本作を、単なる流行に乗って儲けてやろう。的な安易な考えて企画していない事がわかりますよね。
しかも、キューブリックの才能を見抜いていたわけですから、カーク・ダグラスのプロデューサーとしての能力は、並大抵ではないでしょう。
この才能は息子のマイケル・ダグラスにも引き継がれる事になりますよね。
音楽も名匠アレックス・ノースですし(全編にわたってフルオーケストラのサントラが張り付いているのは、ちょっとシンドイですが)、撮影監督はオーソン・ウェルズの『黒い罠』で素晴らしい仕事を遺したラッセル・メティです。
キューブリックさん、文句言い過ぎ(笑)!
リビアの鉱山で奴隷として働いていたスパルタカスは、剣奴を養っている に買われます。
ここでの過酷なトレーニングとジワジワとスパルタカスたちをいたぶる様子は、今思えば、『フルメタル・ジャケット』の原形ですよね。
訓練場での過酷なトレーニング。
まあ、コッチはマッチョな大スターなので、イジメは実にソフトですが、とはいえ、ローマ市民を楽しませるためにデスマッチをするための奴隷という境遇は相当な不条理ですよ。
そんな剣闘士たちの様子を見に来た、クラッススとの運命の出会い。
いやー、クラッススを演じる、ローレンス・オリヴィエのいやらしさ。うまいですねえ。
この怒りをスパルタクスたちが貯めていき、コレが大爆発して反乱に至るという構図はまさにヤクザ映画です。
黒人の剣闘士が、ローマの権力者クラッススに襲いかかるシーンは序盤の見せ場ですけども、明らかに公民権運動の盛り上がりを暗示してますよね。
この2人の不条理極まりない決闘が反乱の原点となる。
トランボーの反骨精神、ココにあり。
些細なことから訓練場で暴動が起き、ローマの元老院もこれを捨て置けなくなって討伐隊を派遣するのですが、クラッススの政敵、グラックス(似たような名前でわかりづらい!)がワザとクラッススの腹心を行かせるべきだと元老院の議論を誘導してマンマと成功させるシーンも素晴らしいですね。
元老院議員の面々。ローマの最高権力者たち。
このグラックスを演じるチャールズ・ロートンの老獪ぶりがもっとも素晴らしく、作品に奥行きを与えていますね。
グラックスの舎弟は、かのユリウス・カエサルであり、彼から帝王学を学んでいる野心的な若手政治家です。
このスパルタクスの反乱では彼は特に軍事面での活躍はないので、アンマリ出てきません。
やたらと美男子ですが。
あと、注目すべきは、公開当時は没となってしまっていた、クラッススの入浴シーンが復元された事ですね。
トニー・カーティス演じる奴隷アントニヌスがオリヴィエの身体を洗っているわけですけども、同性愛を彷彿とさせるので、当時はカットとなりました。
腐女子にはたまらない、二大色男の入浴シーン!
しかし、まだ、キリスト教が成立する前のローマの社会で、同性愛は悪徳ではありませんから、主人がそのまま奴隷と恋愛関係になってしまっても、「あんさんもお好きねえ」程度のことでしかないんですね。
トニー・カーティスは、スパルタクスに共鳴して、勝手にクラッススの元を脱走してしまいます。
さて、ヴェスヴィオ火山に立て籠もり、着々と奴隷を解放して仲間を集め、コミューンと化していくスパルタクスたちの姿とトランボーの理想とする政治や社会のあり方は恐らくはダブらせているのでしょう(トランボーはアメリカ共産党の党員でした)。
でも、見ていると、アメリカの古きよきコミュニティにも見えますよね。
「よき父」として人々を統率してい流理想像としてのスパルタクスという。
さて、完全に烏合の衆であると油断しきっている討伐軍はスパルタクスたちに呆気なく敗れ、クラッススの腹心はほうほうの体でローマに戻って結果を報告します。
討伐軍全滅の失態の責任をとって、クラッススは私設の軍団を解散し、一切の公職を辞任してしまいます。
スパルタクスたちは新天地を求めて、貴族から略奪した金品を元手に船によってイタリアから南へ向かう事とします。
ホントに雪の中を大勢のエキストラが移動しているのは、ものすごい迫力です。
本格的な討伐軍の派遣が決まりますが、指揮官をやりたがる人はいません。
結局、当代きっての名指揮官であり、貴族で大富豪であるクラッススにお鉢が回ってきます。
すでに世界史の教科書でご存知の通り、スパルタクスとクラッススの戦いは、スパルタクス側の敗北に終わりますが、問題はその描き方になります。
ローマ軍最高司令官にして第一コンスルに就任したクラッススは、ローマにスパルタクスたちをおびき寄せて壊滅しようとしますが、スパルタクスはこれと真っ向から戦います。
船でイタリア半島を脱出できなくなってしまったための決死の覚悟です。
キューブリックの真骨頂は、この2つの戦いにほぼ凝縮されますね。
ゾッとするほど冷徹なまでの統率の取れたローマ軍の描き方は、私は明らかにキューブリックを感じますね。
こんなに望遠でローマ軍を撮るキューブリックのすごさ!
手前のスパルタクス軍との冷酷な対比!
そして、ラストはどうか実際に見ていただきたい。
トランボーの真骨頂はココにきわまったと言ってよいでしょう。
冷徹な知性の持ち主であったスタンリー・キューブリックと反骨の士であるダルトン・トランボーは、本来ならば全くの水と油ほども違うわけですが、本作は両者の素晴らしさが見事に活かされた名作と言えるのではないでしょうか。
本作をボロカスに言っているキューブリックは、結局は、『博士の異常な愛情』での統合参謀本部という密室での醜い権力闘争、『バリーリンドン』での戦闘シーン、『フルメタル・ジャケット』の凍りつくような海兵隊の訓練シーンなど、実は、後に重要となるモティーフが、すでに本作で明らかになっているんですよね。
そういう意味でも、とても重要な作品なのではないかと思います。
近代において、カール・マルクスが再評価し、ローザ・ルクセンブルクやチェ・ゲバラらのアイコンとなった、伝説の人物の一代記をご覧ください。
「スパルタクス愛のテーマ」は、マリア・シュナイダー・オーケストラの定番曲です。
※コレが「スパルタカス愛のテーマ」です。