人生は祭りだ。

フェデリコ・フェリーニ『81/2』

 

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もう一体どんだけの回数見たかわからないくらいに見ましたね。

多分、今まで見た映画の中で最も好きなのが、コレかもしれません。

劇場のフィルム上映で見たもので1番よかったのは、『2001年宇宙の旅』で、もう、コレは絶対的に揺るぎませんが、『81/2』は、不思議と映画館で見ても、VHSでも見ても、DVDで見ても、感銘が変わりませんね。

 

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そういう意味では小津安二郎も同じですが、それはともかく、とにかく、好きすぎて何を語ったらいいのかもうわかりません。

もう、主人公のグイド・アンセルミの年齢に私も近くなってしまった事に愕然としますが、キャメラ、美術、衣装の素晴らしさは、もう、ことばが出ません。

 

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グイド。43歳。

 

これと渾然一体というか、ほとんど溶け合ってしまっているニーノ・ロータの音楽は、キャリアの頂点でしょう。

セリフすら音楽に聴こえ、イタリア語が一切わからなくても面白いです。

この映画を見ていると、映画はカラーなどになる必要が全くなかったと思います。

もう、ここでの白黒映像はほとんど完璧と言っていいくらいで、映画はこの映画をもってその歴史を終えてもよい。

黒沢明オーソン・ウェルズベルイマン、そしてフェリーニがなかなかカラーに移行しなかったのかが、私には、痛いほどわかります。

白黒映像にこそ、映画の魔法が宿っているからですね。

とはいえ、カラー初期のフランス映画の美しさは、無上のものがありますが。

『ぼくの伯父さん』や『まぼろしの市街戦』、『気狂いピエロ』をご覧になれば、それがウソではないことがわかりますけどもね。

マルチェロ・マストロヤンニ扮する映画監督のグイド(43)には奥さん(アヌーク・エーメ)がいますが、愛人もいます(フェリー二の好みのグラマラスな女性です)。

 

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ルイザ。

 

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グイドの愛人。

 

その事は、奥さんも知っているわけですが。

しかし、グイドには、妄想の中で理想とする女性、クラウディア(クラウディア・カルディナーレ)がいます。

 

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クラウディア。

 

映画製作をプロデューサー側からせっつかれ、アイディアも固まらず、どうしようもないスランプに陥っているグイドは、肉体的にも精神的にも追い詰められています。

そこで、温泉療法を兼ねて、保養地で休養するのですが、コレがほとんど休養とはならず。

映画監督。という職業上、とにかく、いろんな人との付き合いが絶えません。

それらのほとんどは、うわべだけのもので、右から左へと移ろいでいくだけのものです。

それをフェリーニは、躁病的に、かつ、流麗に見せていきます。

その時の空っぽで空虚な内面をマストロヤンニは見事に動きで表現してますね。

この映画で、マストロヤンニは大きく成長したと思います。

女優さんがどれもこれも素晴らしい。

グイドの回想(妄想?)に出てくる、怪物サラギーナすら素晴らしいです。

 

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サラギーナ。

 

お話は、映画製作で追い詰められていく、現実と、グイドの回想が交互に進み、それらがやがてごっちゃになってきて、あるいは、現実の登場人物を妄想の中で勝手に動かしてみたり(それが映画監督という仕事なのですが)、カタストロフを生むのですが、コレは言葉にするととても陳腐なので、見ていただくしかないですね。

 

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グイドの妄想が生み出したハーレムのシーンは屈指の名シーン

 

全編が何かの夢のようでもあり、次から次へと展開する見世物のようでもあり、そこにはフェリーニという、孤高の作家が虚構に虚構を重ねてさ末に行き着いた真実というものがありますね。

グイドの夢の中で、出てくる両親との会話のシーンは、フェリーニとしては珍しくロケーションなのですが、コレが非現実を見事に表現していて素晴らしいです。

すでに父親は亡くなっている事を示唆していますね。

 

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グイドと父親の対話シーン。

 

私も小学校の頃の作文で事実ではないことを織り交ぜて書いたら、それがウケてしまって、学級通信に載ってしまった事があるのですが(笑)、フェリーニのウソをつく事からストーリーテリングが起動してしまうという能力は、私も身に覚えがあるので、よくわかります。

「この映画は別に自分をモデルにしたわけではない」と言ってますが、これほど自分を晒せ出してしまっている映画はないですし(こう言うあり方は、ウディ・アレンがとても影響を受けていると思います)、であるが故に、本作は永遠の輝きがあるんだと思います。

 

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人生は祭りだ。