清水宏『有りがたうさん』
静岡209ということは、それくらいしか県で走っている車がないんですね。
戦前、とりわけ1920年代にとてつもないペースで映画を撮っていた清水宏の代表作。
上原謙(若大将のお父さんです。若い方はご存じないでしょうね)が山道のバスの運転手をやっており、馬車などにどいてもらうたびに「ありがとう」というものだから、いつしか「ありがとうさん」というあだ名がついてしまったという、ビックリするくらいノンビリした映画ですが(しかも、1936年公開ですから、2.26事件が起こっているような時期の映画です)、案外、日中戦争前夜でも日本はまだ呑気でした。
車を使っての移動撮影をしてますが、当時、そんな事をしている監督は日本ではほとんどいなかったと思いますが、呆気なく清水宏は敢行していて、しかし、あまりにもノホホンとした映像に上原謙の抑揚のない「ありがとう〜、ありがとう〜」がかぶさるので、すごさがわからないというね(笑)。
山道を歩いて行くのがこの頃は普通
こういう所が損しているような、超然的なのかよくわからん監督ですね、清水は。
伊豆のとある漁村。
それぞれの理由で「ありがとうさん」のバスに乗り、その道中を淡々と描くという、今風に言えば、ロードムービーですが、よく考えてみると、そんな映画、戦前のアメリカにもほとんどなかったような。
ホントに動いているバスに機材を持ち込んで撮影しているんですね。
セットじゃなくて、オールロケです。
ハッキリ言って、当時はこんな撮影はないです(笑)。
斬新すぎる!
役者たちがバスに乗っているシーンもホントにバスが動いていて、それを撮ってます。
つまり、上原謙はシーンによっては、ホントにバスを運転してるんですね、コレが(笑)。
ホントに運転してます。
映画史上初なのではないですか、スターがバスを運転している映画というのは。
バスの中。という、極端に限定された空間に登場人物たちがいて、特に主役がない。というと、ジョン・フォードの『駅馬車』を思い出しますが、コッチの方が先に作られているのです!
その事で清水宏が実はかなりすごい監督であるのかが、少しはわかりました?
彼ら彼女らの会話から、日本の経済が余りよくない事がうっすらわかる辺りも、なかなか反骨を感じます。
「この頃、失業して村に帰ってくる人が多いんですよ」というセリフが実際出てきます。
本作の通奏低音にあるのは、少女の身売り。というかなりシリアスなものですね。
娘を身売りをしてしまったことを悔いるあまり、発狂した人がフラフラと山道を歩いているシーンすら出てきます。
かなりきわどい表現です。
チラリと朝鮮半島から出稼ぎに来ている人たちの悲劇側でてくるのも注目。
トンネルや道路を作っているのですね。。
ありがとうさんの運転するバス以外の車が初めて出てくるのが、映画開始の12分くらいたった頃です(笑)。
今日的には、かなりチャラい人なのでしょうね(笑)。
清水はある時から伊豆を舞台にする映画を撮るようになるのですが、写っているのはホントの戦前の伊豆の風景なのですが、おとぎ話に出てくるような光景ばかりで、戦後、日本の風景がものすごいスピードで変わっていったのがよくわかりますね。
道路の舗装などありません。
ところで、清水演出は役者に演技らしい演技をさせないというのが特徴で、セリフはほとんど棒読みです。
同い年の小津安二郎が役者の演技をとても嫌っていたのは有名ですが、小津の場合は、画面に写っているのはやはり役者である事がわかるように撮ってます。
ちゃんと各キャラクターに存在感がありますから。
しかし、本作は、なんというか、役者である必要すらないくらいに普通の人たちが写ってます。
多分、上原謙と数人の主要なキャラクター以外は素人が多いのではないでしょうか。
こんなネオリアリズモのずっと前にこんな映画を撮っていた清水は、ちょっと天才的です。
しかし、やたらとノンビリした、しかし、不景気の世相はキッチリ描くという描き方は、何度も言いますが、すごさがわかりにくく、死後は過小評価されているように思います。
「流行歌の入ったレコード」や「水之江ターキー」「シボレーのセコハン」などの、都会、あるいは、東京の香りをさりげなく送り込むところもうまいですね。
清水はモダニストで作風もものすごくモダンだったのだそうですが、もうその頃の作品は散逸しているようです。
本作ほサントラがやたらとモダンなのもそういう清水の趣味だと思います。
戦後は戦災孤児を引き受けて伊豆に広い土地を購入して共同生活をするという事をしてしました。
ちょっとすごい人だったんですね。
交通インフラがバスしかない場所をバスから定点観測するという、まるでドキュメンタリーのような手法で撮られた清水の余りにも早すぎた作品。
ロバート・オルトマンもびっくりです。
要再評価。
原作は川端康成。
溝口健二『浪華悲歌』、『祇園の姉妹』と合わせて見てください。