スタンリー・キューブリック『時計じかけのオレンジ』
高校生の頃、初めて見ましたが、コレはぶったまげました(笑)。
高校の頃に、アレハンドロ・ホドロフスキー『エル・トポ』、デイヴィッド・リンチ『イレイザーヘッド』というぶっ飛び映画を見たわけですけども(笑)、これらを抑えて君臨するのが、『時計じかけのオレンジ』ですね。
前二者は、非常に低予算で作られたインディーズの映画ですから、ある意味、ハナからメチャクチャやってるわけですが、キューブリックは、大資本のワーナーです。
そこで、このウルトラバイオレンス作品です(笑)。
アレックスとドルーグの根城であるミルクバー。
唖然としてしまいますね。
もう、40年以上も昔の映画ですから、この映画よりももっとひどい暴力描写の映画など、それこそいくらでもあるのですが、残念ながら、これらは見慣れてくると、どうということはなくなってしまいます。
そう。
画面上で起こっている事以上に、そのカメラの冷静さがとてもコワイ。
こういう恐さ、ちょっと見たことないです。
麻薬入りのミルクを飲んでバッチリとキメ、ホームレスの老人をぶちのめし、敵対グループと打ちのめし、勝手に他人の家に上がりこんで女性をレイプし、クルマを暴走させる。
「雨に唄えば」を歌いながらの作家夫婦を襲撃するシーンは、もはや伝説。
『仁義なき戦い』という素晴らしい映画を撮った深作欣二は、菅原文太たちと一緒になって興奮し、役者たちもヴォルテージが300%になって、画面で暴れまくり、キャメラも興奮しまくりですが、キューブリックは、アレックスたちの狼藉、そして、その後にアレックスが受ける様々な報いを、ジッと見つめるんですね。
アレックスが持ってるのは、一応、作品の中では「アート作品」となってます(笑)。ただのチンコですが。
これは、ある意味、キューブリック作品に一貫してるものかもわかりません。
と、恐ろしくバイオレンスシーンが印象に残りますが、この映画、そういうシーンは、実は、それほど多くないんですね。
まあ、一番宣伝しやすいし、画面のデザインが飛び抜けて素晴らしいですので。
ダダとマム。
刑務所でのアレックスの聖書を読みながらのアホな妄想はなかなかツボ(全然反省してないんですね)。
それにしても、人類愛を歌い上げるベートーヴェンの「第九」がここまでひどい使われ方をされた映画は他にないでしょうね(ちなみに、アレックスが聴いているのは、フィレンツ・フリッチャイ、ベルリン・フィルの1958年の録音です。若き日のディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウが参加してます)。
ちなみに、コレを自宅の部屋で聴こうとする時に、その前に入っていたテープはGogly Gogolという、実在しないミュージシャンのテープで、あたかもポリドールから出ているようにそっくりのものを作ってます(キューブリックの遊びですね)。
とりわけ前半の見事な美術と衣装のセンスは、未だに素晴らしいですし、音楽を担当した、ウェンディ・カーロスのアナログ・シンセサイザーの音楽は今聴いても斬新です。
卑猥な形をしたアイス。よく、こんなの考えつくなあ(笑)。
この役が余りにもインパクトが強すぎて、その後パッとしないのも、ある意味、仕方がありません。
前編のインパクトばかりが取りざたされますが、実はそれは伏線でして、それが後半にすべてアレックスに報いとなって返ってきて(情け容赦ない「ホラーショー」の連発です!)、皮肉などという言葉では追っつかないオチが待っております。
その装置の残酷さ!
ロシア語を思わせる隠語を巧みに使った字幕は大変秀逸で、なんと、キューブリック本人が絶賛したそうです。
キューブリックは、字幕が気に入らないと、その国でのソフト化を一切認めなかったのだそうですが、『フルメタル・ジャケット』の海兵隊の訓練シーンの下品な字幕に絶賛し、『時計じかけのオレンジ』の字幕も認めたという話があるですね。
このお話で何が一番怖いのかは、オチを見ると、ヨークわかります。
あと、全編にわたって言えますが、ホントに役者さんがみんなうまいです。
イギリスの役者の層の分厚さは尋常ではありません。
それしにしても、「健全」とはなんなのでしょうね。
マムが完全にサリーちゃん。