無論、二人のその後の生涯に全く接点はないが、二人の人生に、ここでの苛烈な経験が、深く影響を与えていることは間違いない。
本作をみても、奥崎の生き方を肯定する要素はほとんど見出せないが、彼の人生をここまで狂気じみたものにしてしまったのは、やはり、戦争体験という他なく、そういう意味では、1つのPTSDの症例を見ていることになるのだと思う。
彼の所属する部隊の上官が行った犯罪を、暴力まで使って(明らかに奥崎はカメラを意識してノリノリでやっているのがヤバいわけだが)自白させている。
どこまでが狂っているのか、演技なのか、見ている側にはよくわからんところも含めて、まさに、「現代の高山彦九郎」としか言いようがない。
逮捕上等、聞き出すためには暴力も厭わず。しかも、カメラ目線で。という、もう戦争犯罪(ポツダム宣言を政府が受諾してから、23日も経ってから兵士を銃殺した。という 上官の犯罪を追求しているのである)を追及しているのか、奥崎のパフォーマンスなのか、だんだんわからなくなってくる。
その過程で、実は、敵前逃亡による銃殺刑。というのは名目で、食べるために殺害しているのでは?という事が判明するのだが、ここが核心となり、銃殺の命令を下した小清水隊長、そして、その命令を受けて実行した瀬尾軍曹への追求が、本編の1つのヤマ場。
ココから、ドンドン事実が明るみになっていく。
この、かなりギリギリな手法で戦争犯罪を追求する奥崎を淡々と撮り続けている、原一男もワルい人だと思いますが(笑)、それを見ている私たちだって、実は、すでに「共犯者」では?と、原はいってるんですね。不敵です。