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昭和後期がバッチリ映ってますよ!

クロード・ガニオン『Keiko』


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大阪万博の時にカメラマンとして来日し、そのまんま居ついてしまったカナダ人が撮ったという、なかなかトンデモない映画。

ガニオンは現在はカナダに帰国して、相変わらず映画を撮ってるのですが、ATGで制作されたこの長編第1作は、いろんな意味で衝撃的であった。

ATGは極めて優れた映画をたくさん作ってますが、大島渚市川崑岡本喜八長谷川和彦寺山修司と言った、信じられないようなラインナップが揃っていました。

それは、低予算ですが、いろんな工夫をしたして、おチープな映画には絶対に仕上げないという凄みすらありました。

東陽一『サード』は、小学生の頃にたまたまテレビで放映されていて(たしか、日曜日の昼にやっていたと思います)、途轍もない衝撃を受けましたが、30歳過ぎて見直しても、ヤッパリ強烈な作品でした。

しかし、このクロード・ガニオンの第1作は、明らかにこのATG系譜とはちょっと違いますね。

この映画を撮っている頃のガニオンは明らかに映画の撮り方の基本がわからない状態で、恐らくは見よう見まねレベルで撮ってるとしか思えないんですよ。

まず、冒頭のエロ教師とケイコの会話シーンからビックリです。

こんなボンヤリとしたいと不明なアングルでキャメラを固定して撮影している人、少なくともプロレベルで見たことないですよ(笑)。

ガニオンはカメラマンですから、構図とかはわかっているはずなのですが、なんでこんなのか?の連続です。

そうかと思うと、急にショット、ショットで会話を突然つないでみたり。

何というか、撮影方針がめちゃくちゃというかね(笑)。

音声は、すべて一発録りです。

低予算なので、こうなったのでしょうが、ところどころ、会話が聞き取れないまんまだったりします。

勝新太郎の素晴らしい失敗作テレビドラマ『警視K』でも撮影とセリフ録りを同時にやってますが、こちらは、会話の不明瞭は、むしろ、勝の演出である事がちゃんとわかります(生々しさが欲しかったんですね)。

しかし、ガニオンは単にカネがないからそうなっているに過ぎないとしか思えないです(笑)。

こういう録り方をすると、アンビエンスがタップリ入りますから、つなぐのホントは大変なのですが、ガニオンは雑につないでますね。

ココまで商業映画で雑なのって、なかったんじゃないでしょうか。
ATG映画は、音声がとてもよくなくて、全体的に会話が不明瞭なところがあるのは事実ですけどね)。


この映画を、よく、「ドキュメンタリー・タッチ」とかはなんとか言う事が多いですけども、ならば、原一男のドキュメンタリー作品と比べてみてください。

原一男は演出もあるし、音声もし編集も考えてますよ、どうまても。

また、出演者もすごいですよね。

演技というものがほとんどない。

これはガニオンの意図しているところなのでしょう。

何もさせないことで、空虚感を表現しているのだとおもいますが、これもかなりギリギリですよね。

素人を使った映画は、やまほとありますが、ココまでボンヤリとしてるのって、珍しいです。

と、ココまで散々かいてますけども(笑)、実は、見どころは監督のいとせざる所にあります。

それは、まんま映ってることなんですね。

カネがありませんから、京都の町並みがそのまま映り込み、ケイコの住むアパートもホントに人が住んでいる部屋で撮影しているような按配ですよね。

コレが素晴らしいんです。

高度経済成長期以後、バブル経済前。という、パックス・ヤポニカをもっとも満喫していた時代の断片が、ほぼそのまま映り込んでいるという、今となっては史料的な価値すらある映像の連発なんですよね。

奈良公園で、コルトレインの曲を演奏してる人がいたり、ジュースは瓶でしか売ってなかったり。

缶ビールをホントに自販機で買ってるんですが、当時はロング缶はないので、たくさん買わなきゃいけなかったり。

後、冷蔵庫に貼ってある、意味不明なヒマワリのデッカいシール(笑)。

携帯もメールもないので、恋人が来るのを部屋で黙って待ってるしかないというシーンは、平成生まれの人たちは是非とも見て欲しいですよ。

しばしば、昭和ノスタルジーが語られますが、これほどリアルに昭和50年代のドキュメントになっている映画はちょっとありませんね。

70年代後半の京都を知っている人には、更に懐かしい映像のオンパレードでしょうね。

そして、このテクニックもカネもないのに、見よう見まねで撮ってしまたカナダ人の映画は、ある意味、パンク映画であり、やはり、その根性だけで異邦人が撮ってるという事が(しかも、映像から、「ガイジンから見た日本人」かんが、アメリカ人ほどエゲツなくはないですが、ほんのりといい感じで違和感を与えてくれるのが、とてもいいんですよ)、当時のシネフィルにストライクしたと思われ、妙な評価を受けてしまった、なんだかよくわかんない映画とも言えます。

その意味で、ATG映画最大の怪作の1つではないかと思ってます。

最後に。

この映画のテーマである、レスビアニズムは、今でこそ、映画の題材として扱われますが、当時は、相当ぶっ飛んだ映画でも扱ってはいません。

なぜ、それを扱ったのかは、知りませんが、そういうところも、クロード・ガニオンのよくわからんところです。

後半このシーンは妙に生き生きとしていて、カメラも編集もなぜか冴えてくるのが面白いですね。

撮ってるうちに上手くなってきた(笑)?

家探しから引っ越しにかけてのシーンは、なかなか美しいですよ。

ケイコのセリフが初めはぎこちない標準語なのに、後半は京都弁でイキイキと話しているのも重要ですね。

ココにガニオン監督の開眼を見ました。

コレ、若い人にみてもらいたいですね。

韓国だと勘違いしますよ、恐らくは(笑)。

私には、もう、懐かしくてしょうがない風俗ばかりで、もう、胸がそれだけでいっぱいで、映画の内容が半ばどうでもよくなりましたが。

音楽が、なんと、深町純で、ものすごいガチなんですよ、この映画(笑)。

おいおい、ヴァンゲリスかよ!と思う瞬間すらあり(笑)。

そのギャップもかなり衝撃的です。


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