小津安二郎『お早よう』
小津の作品としては、あまり脚光を浴びてませんけども、コレ、なかなかの隠れ名作だと思います。
本作は、小津が戦前に得意としていたコメディと戦後のスタイルを混交させたという、ちょっといつもと違う作風でして、そういうことで、等閑視されやすいですが、肩の力が抜けた、巨匠からのちょっとしたプレゼントのような嬉しい作品です。
小津映画はサントラに恐ろしく無頓着なのですが、本作の音楽は黛敏郎で、いつもより音楽がシッカリ主張しているのも、珍しいです(オナラでも活躍します)。
戦前の小津を知っている人には、思わず顔がほころんでしまいます。
戦後の小津映画の視点をちょっとズラして作っているんですね。
戦前の小津は、天才子役であった、突貫小僧(青木富夫)を起用した、映画を何本か撮っているのですが、その時の映画を思い起こさせ、カラーの色調がちょっと、ジャック・タチ『ぼくの伯父さん』にもちょっと似ていますし、ロケーションが極端に狭いのも似通っていると思います。
主役と言える人物は特になく(一応、林家が中心になって話しは進みます)、相撲中継をテレビで見たい!という子供のおはなしと、婦人会の会費がちゃんと納められていないのはどうしてなんだろう。という大人のお話しが1つのテーマになっていて、この何の関係もない2つがコロコロと思わぬ方向に絡み合ったり転がっていく。というのが一応のスジなのですが、小津の絶妙なセリフの間合いと、テンポの良い編集だけで、映画一本分見せてしまうという名人芸です。
集合住宅という、極端に狭いロケーションを巧みに利用した登場人物の絡み合いが見事ですね。
とはいえ、セリフの調子やワンショットがものすごく短くて極端なローアングルなのは、いつもの小津です。
小津は昔から子供を使うのがものすごくうまい人ですが、戦後になっても、その腕は全く落ちていませんね。
本作では、小津のそういうところが久々に発揮されてます。
もっと小津が長生きしていたら、もっとこう言う側面を見ることができたかもしれませんね。
見ていて、ホントに幸せな気持ちになる映画です。
人間社会いうのは、如何に「余計なこと」で成立しているのかを示すとともに、しかしながら、大人は「余計なこと」ばかりでどうして「本当のこと」をいつまでたっても言わないんだろう?というお話しになっており、本作のタイトル『お早よう』は、ちゃんとその内容と関わっているのが実に秀逸です。