高校の頃に見て以来ですが、黒澤明『白痴』を見ています。
驚くべきことに、戦後すぐの札幌の冬を映してるのが今となってはとても貴重ですね。
小学校2年生の途中まで、札幌で過ごしたので、生まれ故郷のようなモンです。
当時の札幌は、日本とは思えないですね。
ドイツ表現主義のセットみたいです。
黒澤明のロケーションの才能はズバ抜けてますね。
雪まつりのシーンは、本編のロケーションの白眉と言ってよく、黒澤映画の中でも屈指の映像といっても言い過ぎではありません。
ドストエフスキーの原作の冒頭は、ムイシュキンとロゴージンの長々とした列車での会話(そういう場面が彼の小説はとても多いですが)で始まるのですが、映画では青函連絡船〜函館本線へ乗り継いでいるのですが、ほとんどカットされてますね。
黒澤らしからぬ、文字説明やナレーションが前半にたくさん入ってます。
コレでは黒澤が激怒して当然でしょうね。
ドストエフスキーの作品が長くなってしまうのは、その事件に至るまでの積み重ねがものすごくミッチリしてるからなのですけども、黒澤明も、それを受けて、ガッチリ4時間越えの2部構成の映画にしたんですけども、松竹の首脳から、「長いよ!」の一喝を食らってしまって、およそ2時間を黒澤の意向など聞かずに、無残にカットです。
どうりで、初めて見たときにストーリーがよくわからなかったはずです。。
『エロス+虐殺』も、完全版が見られるようになったのだから、是非とも『白痴』も完全な形で見られるようにしてほしいものですが。
フィルムはちゃんとあるらしいですし。
白痴の登場人物はムイシュキン公爵=亀田以外は全員早口でギスギスとしている(笑)。
こんなにギトギトと暗い黒澤作品もないです。
画面作りも、東宝での作品ではあり得ないほど、暗い画面。
黒澤映画でも、恐らく、一番客が入らなかったでしょうね、これは。
役者では、東山千栄子が抜群にうまいですねえ。
この人と左卜全がいないとかなり救い難く暗くなってしまったでしょうね。
それにしても。すごいねえ、三船敏郎。
目を剥いちゃって(笑)。
まあ、黒澤がやらせてるんですが、こういうオーバーテフォルメに応えてくれるところをとても気に入っていたんでしょうね。
アクションがダイナミックで黒澤演出にホントにピッタリな役者ですよ。
だけど、ビッチを演じる原節子っ
前半の山場は、大野=エバンチン将軍の秘書である香野の自宅に三船と明らかに原たちが乱入するシーンですが、アル中、ビッチの原、癲癇の発作を持ったおのぼりさんの森雅之、そして、歌舞伎の荒事みたいな三船と左卜全が同じ画面に(笑)!
そして、子供は隅っこで怯えている。
こういう、ドストエフスキー的な凝縮された異常状態を、これでもか!ってくらいのエネルギーを注いで撮ってますね。
森雅之演じるムイシュキンはキモコワウザさが全編にわたって500%!
この目つきがそのまま次回作の『生きる』での志村喬の演技ニラつながっているのではないでしょうか。
志村喬演じる、エパンチン将軍=大野の俗物ぶりが、とても、『生きる』で公園を作るために命をかけている市役所の市民課の課長さんと同じと思えん(笑)!
黒澤の演出はものすごい執念です。
役者に瞬きをさせてませんね。
みんな目を見開いて、登場人物同士を睨みつけさせている。
こんなに、エゴとエゴをバッチバチにぶつけるようなあり方は、大方の日本人は好まないはずだが、ドストエフスキーを描くにあたっては、こうでなくてはならんという信念があるのでしょうね。
原作のムイシュキン公爵は、癲癇の発作の治療のために、スイスのサナトリウムにいた。という設定なんですが、黒澤版は、沖縄戦で米軍の捕虜になり、B級戦犯として、銃殺される寸前までになって、アタマがおかしくなってしまったという設定なんですよ。
1951年公開の映画なので(要するに、朝鮮戦争真っ只中です)、戦争の傷跡が生々しい頃ですので、コレは相当なリアルです。
そういうものすごい重さが、見る人によっては堪らなくイヤになると思う。
でも、黒澤明という人を知りたければ、この映画を外すことはできないね。
ちなみに、改めて言っときますけど、コレ、松竹映画ですからね(笑)。
原節子の貫禄がハンパじゃないす(笑)。久我のコトをガン見ですよ(笑)。
ドストエフスキー作品によくある、凄絶なビーフです。違いますね(笑)。
三船もかすみます。。
全体としては、やっぱり何かのダイジェストを見ている感はどうしても否めませんね。
アレッというくらいに、話が飛んでるんですよね。
それでも黒澤明の並々ならぬ執念が伝わってくるのですから、ますます、黒澤本来の意図する形で見てみたくなるのが人情というものです。
黒澤プロダクション並びに松竹のみなさま、どうかおねがい致します。やっぱり見たいです。