まさかのエリントン映画でした!

ミシェル・ゴンドリー『うたかたの日々』

 

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ボリス・ヴィアンの同名小説を、天才PV監督が忠実に映画化。という説明で実はすべてが完結している映画だと思います(笑)。


それでは味も蓋もないので、もう少し説明いたしますが、ビョークが世界的な大スターになるキッカケとなったのは、彼女の類まれなカリスマ性ポップアイコンとしての圧倒的な強度、そして都はるみデイヴィッド・サンボーンに肩を並べるコブシの効きまくった歌唱が大前提としてだが、ミシェル・ゴンドリーのPVがあったればこそですよね。

 

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ビョークの登場は衝撃的でした。

 

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本作は、そんなゴンドリーのPV監督としての才気が、劇映画と250%シンクロした、大変な傑作ですね。


ボリス・ヴィアンは、そのぶっ飛んだ文体でフランス本国よりも、むしろ、日本で大変な人気を誇る作家であります。

 

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実は心臓が弱く早逝している、ボリス・ヴィアン

 


本作の原作も、驚くことに2020年現在で、3種類の翻訳が存在し、『うたかたの日々』と『日々の泡が』の2種類の邦題があるくらいです。


そのスカスカした構造と、少女マンガのようなキラキラとした世界観が日本人にはフィットしたのかもしれません。

 

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ディストピアというわけでもない。

 


本作は、そんなヴィアンの世界を目一杯キラキラと描き、特に前半はゴンドリーのPVをコレでもかコレでもかと見せられているような快楽に満ちています。

 

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不思議なダンスシーンは必見!

 


しかも、ヴィアンのアイドルであったデューク・エリントンが巧みにフィーチャーされていて、ある意味でエリントン映画と言ってもいいくらいの映画になっています。

 

 

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もはやジャズを超えた大巨人、デューク・エリントン。ヴィアンとは1947年に会ってます。

 

 

もう、小説として古典と言ってよいので、ネタバレを規制せずに進めますが、ゴンドリーはヴィアンのぶっ飛んだ描写を実に忠実に映像化していて、それはそのまんまゴンドリーの世界であるので、映像が爆発的に面白いです。

 

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コランとクロエのデートシーン。ほぼこんなシーンが連発します。

 

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しかし、原作の通り、この楽しいトーンがクロエが肺の中に水仙が感染するという、恐らくは結核の隠喩と思われる病に罹ってからは、急激に暗いトーンに。

 

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コランが雇っている料理人の設定を黒人に変えてますが、このオマール・シーが一番素晴らしいですね。

 


常に彼女の周りに花を飾る事で水仙を枯らすという治療のために、主人公コランの貯蓄がドンドンなくなっていき、クロエは結果死んでしまうんです。


この、ドンドンストーリーが萎れていくようになっていくのは、実はヴィアンの原作がそうであるから。というよりも、80年代以降のフランス映画に偏在している問題のような気がしてならないのですが、それは置いておきまして、この意図的とも言える書き割りのようなスカスカ感は、どこか少女マンガを思わせます。

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哲学者パルトル狂の友人シックはエルヴィス・コステロジョン・ゾーンを融合したような人です。

 

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サルトルのパロディ、パルトル。


全面的に好きとは言い切れないのですが、前半の大林宣彦を思わせるようなおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさだけでも見る価値が十分あります。


ボリス・ヴィアンが戦後出現した事が後にヌーヴェル・ヴァーグ出現の助走になったと言えると思います。

 

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ちょっとだけエリントンが出てきます!

 

 

単なるモンスター映画どころか韓国映画を代表する傑作!

奉俊昊(ボン・ジュノ)『グエムル

 


『パラサイト』によって、アジア人で初めて、アカデミー作品賞、脚本賞という主要部門を受賞しただけでなく、カンヌ映画祭パルム・ドールまでも受賞してしまったポン・ジュノですが、彼の名が、世界規模となったのは、本作からと見て良いでしょう。

 

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カンヌ、アカデミーを受賞し、今や世界の巨匠となったポン・ジュノ李明博朴槿恵政権のブラックリストに載っていたという、反骨の士でもあります。

 


『パラサイト』はソウルの厳しい経済格差を描いたことが注目されていますが、本作のテーマの一つです。


ソウルには漢江(ハンガン)という大きな河が流れていまして、ちょうど南北に街が分かれます。

 

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このように、ソウルの常に中心地が遠景です。

 


主人公である、朴一家は、その河岸で売店しており、その3人の兄妹と父親パク・ヒボンがメインキャストでして、ソン・ガンホ演じるカンドゥは、奥さんにも愛想を尽かされてしまうほどの男でうだつが上がりません。

 

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貧しくとも明るく生きる一家を、怪物が襲いかかる!


娘ヒョンソは中学生です。

 


次男ナミルは家族の中で唯一大学は出たものの、活動家だった事が災いきてか、フリーターです。


長女ナムジュはアーチェリーの選手です。

 

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唯一の戦力(?)ナムジュ。

 


本作はタイトル通り、怪物映画なのですが(グエルムとは韓国語で怪物の意味です)、舞台のほとんどが漢江の周辺のみで、ソウル市内はほとんど出てきません。


大事件のはずなのですが、パニックが起こっているのがどこか他人事のように見えます。


ソウルの中心部は朴一家の住む反対岸であり、高層ビルが遠くに見える。という構図で一貫して見せています。


この構図が既に、ソウルの厳しい経済格差そのものを視覚的に印象づけ、また、市内全体のパニックの様子が全く出てこないところに、制作費の問題で見せていないというよりもポン監督の演出意図を感じます。


また、コレはもう映画の冒頭で出てくるので、ネタバレでもありますから呆気なく書きますが、この怪物は、在韓米軍基地が、危険な化学物質をなんの処理もせずに漢江に流してしまった事が原因で誕生してしまいました。

 

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ゴジラが水爆実験によって誕生した。に比べるとインパクトはありませんが、明らかな在韓米軍批判ですね。


日本にも日米地位協定に基づいて米軍基地が日本の各地にありますけども、在韓米軍はなんと、ソウルの中心部に本部があります(現在は京畿道平沢市にある、ハンフリーズ基地に本部が移転しました以下は、映画公開時のソウルに本部があった話としてお読みください)。

 

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かつてソウル市内に広大な敷地を誇っていた、在韓米軍基地の本部。

 

 


ソウルは北朝鮮との国境近くにある事が原因であるのと、朝鮮戦争が未だに講和条約が締結していない事が本部がソウルにある根本原因ですが、つい最近まで、韓国軍の最高司令官は韓国大統領ではなく在韓米軍の司令官でした。


日本よりも遥かに米軍が存在する意味が重く、冷戦構造がほとんどそのまま温存されているのが朝鮮半島の現実です。


そんな米軍が生み出した怪物に翻弄される人々の話しという点が、明らかな米軍批判である事は明らかです。


しかし、ポン監督はそんな米軍に唯々諾々と従っている韓国の人々への批判がより強く、ワイロが常態化している役所への批判も込められいます。


と、本作の背景を書いていると、なんだかとてもシリアスな作品であるように思えてきますが、本作はむしろかなり喜劇として描いているところが見事ですね。


ポン監督は、シリアスな場面こそ笑えてくる。という事を描いている監督でして、コレは、彼の代表作の一つと言ってよい『母なる証明』でも一貫しています。

 怪物が何らかのウィルスを持っているらしいのですが、パク・カンドゥは無謀にもコレに襲いかかり、返り血を少し浴びてしまい、コレによって、カンドゥは感染者扱いされてしまうのですが、このあたりのドタバタぶりの描き方のうまさ。

 

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コレはコワイ!!しかしウマイ!

 


しかも、そんな状況で娘のヒョンソが怪物に食い殺されていたと思っていたら、カンドゥの携帯電話に微弱な電波ながらヒョンソから電話がかかってきました。

 

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ヒョンソが生きていた事から話が展開していきます。

 


朴一家は、この事実を政府機関の人々にも医者たちにも信じてもらえなかったので、病院を脱出して、自分たちで救出しようとするという、どう考えても無謀なお話しです。


シン・ゴジラ』が事件が会議室で進行していく話しであるのに対して、本作はドロドロの現場であり、しかも、ウィルスが蔓延しているという事で、誰も近づけない場所になってしまっています。


この、韓国の役所こそが信頼できない。自分の力で解決するしかいないという、ハリウッド映画にしばしば見られるような考えは、どうもポン監督作品に一貫してあるようです。

 

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ゴーストバスターズ』よりも無謀な装備です。

 


怪物のデザインはそんなにすごくはないんですけども、見せ方は本当にうまいですね。

 

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こうやって全体を見せない構図!『エイリアン』からの基本です!

 


ホラーというのは、舞台がものすごく限定されていた方が面白いです。


私は、『シン・ゴジラ』よりもこちらを強く推します。

 

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『シン西部戦線異状なし』と言ってよいでしょう。

ピーター・ジャクソン

『They Shall Not Glow Old』

 


ピーター・ジャクソンと言えば、かの『指輪物語』3部作という、空前の大作を作り上げまた監督ですが、もともとはB級ホラー映画を撮っていたニュージーランド人監督でした。


そんな彼がトールキンの世界的ベストセラーを映画化する事になった経緯は寡聞にして知りませんけども、ハリウッドの巨匠の1人に登り詰めたジャクソンが、2018年に作ったのが本作です。


邦題は現代の痛烈な皮肉をうまく表現できていないため、表記しません。


1914-19年にわたってヨーロッパを主な戦場とし、当時のヨーロッパの大国同士が総力戦を行い、未だにその後遺症に苦しんでいるとも言える、第一次世界大戦西部戦線をイギリス側の映像(帝国映像戦争博物館所蔵)を使って作られたドキュメンタリー映画です。


そんなものは、今更彼が作らなくても、幾らでもあるのではないのか?と思いますし、ルイス・マイルストン撮った1930年の作品『西部戦線異状なし』という古典的名作もあるわけです。

 

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戦争文学の傑作を原作とする『西部戦線異状なし

 


本作の凄さはその手法の斬新さですね。


『1917』という、奇しくも第一次大戦を扱った作品がほぼ同時期に公開されましたけども、こちらは一兵士の視点を使った驚異的な長回し撮影を行ったという、その手法そのものの奇抜さが目を引く作品なのであって、第一次大戦がどうであったとかという問題は後衛に引いています。


しかし、本作は当時のホンモノの映像です。


ナチスドイツによるユダヤ人などの大量虐殺を実際のアウシュヴィッツ収容所の映像の再構成によって行なった、アラン・レネ『夜と霧』が知られますが、この本作は、当時の手回しで撮影され、音声の一切ついていない白黒映像にデジタル技術による彩色を行い、現在のフィルムの速度に合うように再生させて、1910年代のフィルム特有のピョコピョコした動きを修正し、そこに銃声やタンクの動く音を正確につけ、口の動きを読み取って兵士たちが恰もホントに喋っているかのように声をつけました。

 

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実際のアウシュヴィッツ収容所の映像を世界的に知らしめたアラン・レネ『夜と霧』。

 


彩色程度ならば、1990年代にNHKで制作された力作『映像の20世紀』でもされていましたけども、そんなレベルありません。


まるで、1950年代のアメリカ映画のようなカラーがついていて、何も説明しなければ、第二世界大戦のカラーフィルム撮影と勘違いしてしまうほど精巧です。

 

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しかも、ジャクソン監督の見せ方は巧みで、はじめは正方形の当時のフィルムサイズで従来の再生方法で、戦争直後の、後に地獄の絵図となる西部戦線となる事など梅雨知らず、ティーネイジャーの男の子たちが何十万人も志願しているというシーンを淡々と進めていくんです。

 

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そして、気づかないようにピョコピョコした動きがだんだんと1950年代の映画くらいに動きが滑らかになっていき、それが、西部戦線になると、突然パッとカラーになるんですね。

 

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コレはギクっとしました。このタイミングかと。。


もはや歴史的事実であり、それ自体は腐るほどの書籍、映像がありますから、それを覆すものはありませんし、ストーリーはすでにネタバレしまくってますから、完全にバラしまくりで進めますが、信じられないほど長大な塹壕が作られて、イギリスとドイツが膠着状態となっている、西部戦線の凄惨な現実に実際に参戦した人々の、BBCが録音した証言を元に組み立てていくんですね。

 

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とにかく驚くのは、イギリスがこれほどまでに膨大な映像と証言を残している事ですよね。


これ無くしてピーター・ジャクソンの作品はあり得ません。


残念ながら、日本にはこれほどの記録があるのかというと、なかり厳しいものがあるのでは。。


あと、写っている、ホントに少年たちとしか言いようのない兵士たちの屈託のない笑顔と凄惨な死体の強烈なコントラストをデジタル技術で見せられる、異様な虚構のリアリティが、見る者を混乱させ

ますね。

 

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更にうまいなあ。と思わせたのは、停戦協定が結ばれてからの描写ですけども、本作はドキュメンタリーの形を取った、劇映画だなあと思いましたね(コレは決して本作をディスっている言葉ではない事は見ればわかります)。


あと。


エンドタイトルは是非見てください。


席を立ってしまっては、本作の真骨頂を見逃す事になりますので、ご注意を。


DVDでココは念入りに見たいと思ってます。


ちなみに、本作は監督の祖父に捧げられています。

 

彼の祖父は、第一次大戦時に陸軍に勤務してしました。

 


追伸1

本作で第一次世界大戦には興味を持った方は、デイヴィッド・アテンボロウ『素晴らしき戦争』、フィリップ・ド・ブロカまぼろしの市街戦』もオススメです!

 

追伸2

このドキュメンタリーでは全く言及されてませんが、当時、「スペイン熱」と呼ばれたインフルエンザの世界的な大流行によって死者が大量に出てしまった事が、第一次大戦終結を早めました。

 

本年は第一次大戦終結101年目になりますが、奇しくも新型コロナウィルスという、かなり厄介なウィルスが現在、北半球を中心に蔓延しているのは、不思議な合致です。

 

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ドイツ側から見た西部戦線のドキュメンタリーも見てみたいですね。

またしても見てしまいました!しかも復元バージョンです!

セルジオ・レオーネ『Once Upon A Time in America』補論

 

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この、ただコーヒーを飲むだけのシーンがヌードルスの凄みを表現してますね。

 


実は、完全版を見た後に、更に20分ほどのレオーネが泣く泣くカットしたシーンを補った、ホントの完全版がある事を知りまして、コレはどうしても見たくなり、ワザワザ、ブルーレイをアメリカ版の買いました。


ブルーレイでは日本はアメリカと同じリージョンAになりますので、見るのに問題ないんです。


で、見ましたよ。4時間10分です。『旅芸人の記録』よりも長いのです(笑)。

 

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コレも名シーンですね。


結論から言えば、レオーネの言いたい事は、さすがに本人の納得して行った編集の現行版で言い切っていると思いました。

 

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ヌードルスがトイレで読んでいた小説は、ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』でした。自由な放浪者に憧れている事を暗示してますよね。

 


が、補われたシーンはかなり重要でしたね、やはり。


もう古典的名作になるとは言え、このシーンに関しては具体的には言わない方が良いでしょうね。


前回、ジミー・オダネルの存在を意図的にぼやかしている。と書きましたが、レオーネはそうするつもりはなかった事がわかりました。


コレは言ってもいいと思いますが、大女優になったデボラの女優として活躍するシーンがもともとあったのはとてもよかったです。


総じて、ジミー・オダネル絡みとデボラとの関係がより丁寧に語られるようにレオーネはもともと作っていた事がわかりました。


ラストの謎めいたシーンの伏線が意外な場所に出てきますが、コレは言えません(笑)。

 

 

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この復元は残念なことに、フィルムの劣化が著しく、復元しても相当良くないです。


ですので、この作品見たことない方は、まずは普通に見られる「完全版」をご覧になった方がいいでしょう。


それから見てもこの復元バージョンは十分だと思います。


より復元技術が向上し、現行版とほとんど遜色なくなったら、それが真の完全版と呼ばれるようになるでしょう。

 

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少年時代の美しさを描いた超大作!男の子は必見です!!

セルジオ・レオーネ『Once Upon A Time In America』

 

 

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現行版はレオーネ監督が最終的にオーケーしたバージョンで、なんと、3時間50分もある大作です。

 

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ニューヨークのユダヤ人ゲットー中心としたお話しです。

 


セルジオ・レオーネは、『Once Upon A Time In〜』という映画をもう一本撮ってまして、日本では、昔、『ウェスタン』という、なんとも味気ない邦題がつき公開された、『〜The West』です。


こちらは、タイトル通り、西部劇でして、チャールズ・ブロンソン主演で、ヘンリー・フォンダが悪役という、コレも3時間の大作です。


この2つの映画は、イタリア人監督セルジオ・レオーネアメリカへの愛に満ち溢れた作品なのですが、どちらも映画会社側がカットを加えて公開しており、しかも、本作は時系列を少年期、青年期、老年期に編集し直し、130分ほどの映画にしてアメリカでは公開されたため、惨憺たる評価で、レオーネは大変失望したそうです。


ただ、海外では3時間ほどのバージョンでの公開だったので(日本もそうです)、アメリカでの評価とは違ったのですが、トータルの興行収入は、膨大な制作費を回収するには至っておりません。


完全版。とされる、現在、一般的に見ることのできるバージョンは、レオーネが次回の準備中に急死してからかなり経ってからです。


ただ、インターミッションの入るタイミングを考えると、後半はもっと長かったのでは?と推測されますね(前半2時間40分、後半70分)。

 

 

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最近の映画はインターミッションが滅多に入らなくなりました。

 

 

ちなみに、『〜The West』も、監督の意図した通りのバージョンに現在は戻され、再評価されています。

 

この2作に『夕陽のギャングたち』を加えて、三部作と現在では考えられています。

 

さて。

 

オーソン・ウェルズ黒い罠』に匹敵する無残な編集を受けた本作ですが、死後、ようやく再評価を受け、今日ではレオーネの代表作の一つとなってますけども、なぜ、こんな無残な編集を受けてしまったのか?というのは、多少気持ちはわかります。

 

1920年から1968年という大変長い時間軸を描いている事と、そのための伏線の引き方とその収束が、4時間近い上映時間もあり、見ている側が分からなくなってくる可能性がとても高かったからでしょうね。


コレは映画館で一回見たくらいでは、圧倒的な映像の凄さだけがわかるけども、ストーリーが今ひとつわからなかった。になりかねません。


しかし、VHSの時代になって繰り返し見ることができるようになる事で、コレが解消され、レオーネ監督の言いたい事がようやく伝わってきたんだと思います。


私もコレで3回目ですが、再発見がとてもありました。

 

長大な作品ですが、軸は明確であり、ユダヤアメリカ人のギャングである、ヌードルス(デイヴィッド・アーロンソン)とマックス(マクシミリアン・バーコヴィッツ)の友情を描いた大河ドラマであり、その2人の間にいるデボラという女性が重要です。

 

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ヌードルスとマックスの友情物語です。


メインの登場人物は『ゴッドファーザー』ほど多いわけではなく、ただ、後述しますが、監督が意図的にぼやかして描いていたりしているところがあるので、そこが分かりにくさになると思われます。

 

ですので、本作を説明する上で、2つの観点にわけてみたいと思います。


一つは2人の友情物語とデボラを巡る恋愛物語であり、もう一つがアメリカの暗黒史の一つである、ジミー・ホッファーです。

 

まずは友情物語と恋愛物語ですが、時間軸が3つありまして、少年期(1920年)、青年期(1920年代後半〜1933)、老年期(1968年)に分かれています。


お話しは1968年、老年期から始まります。


すっかり老いぼれ、とっくにギャング稼業も足も洗ってしまったヌードルスが何者かから手紙を送られて、35年ぶりにニューヨークのユダヤ人ゲットーに戻ってきました。

 

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偽名を使い、別人として生きていたヌードルス


彼は幼なじみのファット・モーの店にやってきました。


ファット・モーとは、禁酒法時代に密造酒を飲ませる秘密クラブを共に経営してきたのですが、これまで姿を完全にくらましていたヌードルスが戻ってきて驚きます。


「カネを持っていったのは、テッキリお前だと思っていたんだよ」

 

と、モーは言いますが、そのカネとは、ヌードルスたちが儲けの半分を駅のコインロッカーに入っているカバンにずっと入れて、全員の財産としていたんです。

 

このカネは、実はヌードルスが持ち出して逃げようとした際に既に消えてました。

 

この逃げようとした時、即ち、1933年にヌードルスの仲間が全員死しました。

 

モーを含めて、仲間しかカネのありかは知らないのに消えている。

 

この謎が解けないまま、35年が経った途端に突然の手紙。

 

偽名を使い、別人ととして姿をくらましていたにもかかわらずです。


手紙は墓の移動についてのものであり、彼のギャング仲間であった、マックス、パッツィ、コックアイの移動された墓をヌードルスは見に行くと、墓場には見覚えのある鍵がかかっていました。

 

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左から、パッツィ、コックアイ、そして、マックス。

 


なんと、その鍵が駅のコインロッカーの鍵であり、その中にはカバンがあったんです。


そして、その中には殺人の依頼のための前金がギッシリと入っていたんです。

 

とんでもない大金でした。

 

一体コレはどういう事なのだろうか?というところで回想になり、1920年(ハッキリとでてきませんが、禁酒法1920年に施行されているので、そこから推測できます)、つまり、ヌードルスが少年時代になります。

 

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のぞき穴を「タイムマシン」に使う演出のにくさ!


パッツィ、コックアイ、ドミニクという悪ガキとつるんで、スリなどの犯罪をしていました。

 

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新聞売りの露店に放火する悪ガキ集団!

 

そこにブルックリンからやってきた、マックスという少年。

 

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マックス。悪ガキ集団のリーダーとなります。


ヌードルスたちはいつしか彼と意気投合して、やがてギャングスタになっていきます。

 

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左から、パッツィ、ドミニク、コックアイ、ヌードルス

 


しかし、このユダヤ人ゲットーをシマとして牛耳っているのは、バクジーという男であり、彼らの跳ね返り行為を常に監視していたのでした。


ヌードルスたちは、密造酒業者に接近して、密造酒が警察に絶対にバレないように輸送する方法を思いつき、コレを提案します。

 

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禁酒法が悪ガキ集団をギャング団にしていきます。


コレで見事に運び出した、彼らは一挙に羽振りがよくなります。


そこでマックスはある提案をします。


「コレからは仕事の儲けの半分は常にこのカバンに入れて、全員の共有財産として、カバンはこのコインロッカーにしまう。そして、ロッカーのカギは、ファット・モーの店に何のカギかは教えずに置いておくこと」

 

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なんと、少年時代に決めていた事だったんですね。

 

しかし、そんな羽振りのよいヌードルスたちをバグジーが許すはずがなく、銃を持って襲いかかり、ドミニクが射殺されてしまいました。

 

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バグジー

 

コレに怒り狂ったヌードルスは、バグジーをナイフでメッタ刺しにして殺してしまい、コレを止めようとした警官まで殺害し、殺人罪によって服役する事になってしまいます。

 

コレが少年期なのですが、ここだけで映画一本分ほどの時間をかけてじっくりと語られるんですね。

 

つまり、本作の一番重要な部分はこの少年時代なんです。

 

ココにエンニオ・モリコーネの胸が一杯になってしまう、あの甘く切ないメロディがタップリと流れるんですね。

 

思春期の少年あるあるが満載で、実はそのディテールが一番見どころなんですよね。

 

後にマックスやヌードルスの一味となるペギーとセックスするために、パッツィが彼女の好物のケーキをアパートメントのドアまでくるのですが、彼女を待っている間にどうしても我慢できなくなってケーキを全部食べてしまうシーン。

 

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本作の名シーンの一つですね。性欲よりも食欲です!


ファット・モーの妹でツンデレ美女のデボラを覗き見するヌードルス

 

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ヌードルスが覗いていたのは、デボラでした。

 

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映画初出演だったという、ジェニファー・コネリー。なんという美少女!

 

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ヌードルスが唯一愛した女性、デボラ。ファット・モーと全く似てません!

 

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デボラは女優を目指します。

 

青年期は、ヌードルスの出所から始まり、マックスたちは、禁酒法という、奇妙な状況を利用して大儲けをし、同時に強盗、恐喝、殺人などの犯罪も行うという、文字通りのサグ・ライフを生きる姿を描きますが、マカロニ・ウェスタンで磨き上げた、リアルなバイオレンス描写は凄まじいものがあります。

 

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密造酒を飲ませる秘密クラブの経営が彼らの資金源です。

 

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拷問されるファット・モー。

 

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至近距離から射殺などの容赦ないバイオレンスはマカロニ・ウェスタン仕込みです。

 

しかし、この第一次大戦戦勝国としての空前の好景気を背景としたサグ・ライフにおいて、マックスとヌードルスの考え方の違いがだんだんと明確になってきます。

 

ニューヨークで最大の力を持っている犯罪集団はなんと言ってもイタリア・マフィアです。


マックスはフランキー・マノルディというマフィアのボスの庇護のもとで仕事をしていくべきであると考えていたが、ヌードルスはフランキーなど信用できない。いずれ、取り込まれ、殺されてしまうと考えていました。

 

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マフィアの大物、フランキー。ジョー・ペシはこういう役がピッタリです。

 

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宝石強盗の依頼のシーンの卑猥なトークがすごいですね。名優たちのうまさが光ります。


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フランキーの兄弟分でシカゴを拠点とする、ジョー。バート・ヤングは頭の悪い下品な役がやらせると天下一品ですね。

 

 

ココに2人のミゾが次第に出てくるんですが、彼らの繁栄は長くは続きません。


1933年に禁酒法は終わってしまいます。


マックス一味の収入のメインである秘密クラブが閉店せざるを得なくなります。


そこでマックスはとんでもない計画を考え出すのですが。


さて。ここで話題をかえまして。

 

もう一つの論点は、アメリカ暗黒史です。

 

そんなに多くのシーン出てきませんが、労働組合のリーダーである、ジミー・オドネルという男が出てきます。

 

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アンマリ印象に残らないキャラですが、実はアメリカ暗部を代表する大物になっていきます。


彼は、1968年にもヌードルスが見ているテレビのニュースにチラッと出てきます。

 

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全米トラック協会の委員長となった、オドネル。

 


このお話しはフィクションですが、このオドネルは明らかに実在の人物をモデルにしています。


それは、全米トラック運転手組合のリーダーとして、絶大な権力を振るった、ジミー・ホッファです。

 

ホッファが組合のリーダーとなるために多くのマフィアなどの犯罪組織が支持したと言われています。

 

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ホンモノのジミー・ホッファ。フィクサーとして政財界に君臨しました。


アメリカの物流の中心であったため、この組合を通じて政財界へ絶大な影響を発揮したましたが、ケネディ政権の司法長官、ロバート・ケネディが、マフィアやラスベガスのカジノ経営者たちとの癒着を暴くべく行動を起こし、長きに渡る法廷闘争に及びましたが、1975年に行方不明になり、1984年に法的に死亡となりました(遺体は未だに見つかってません)。


このジミー・ホッファをモデルとしたのが、ジミー・オドネルと思われます。


ヌードルスの回顧で、ジミーは経営者に果敢に戦う労働組合として出てきます。

 

経営者が雇ったギャングがジミーを拷問してストをやめさせようとしているんですが、経営者は呆気なく折れてしまい、ギャングは拷問をやめて去ってしまいます。

 

なぜかと言いますと、経営者もまたギャングに恐喝されていたんですね。


その仕事をしていたのが、なんと、マックスたちだったんです。


お話ではハッキリとは言ってませんが、民主党の大物議員がギャングを使って、労働組合運動を推進していた事をにおわせるんです。


つまりですね、民主党ルーズヴェルト政権は、労働組合AFL-CIOの支持を受けて樹立しましたが、そこには、マフィアなどの犯罪組織が大きく絡んでおり、それは、1968年のジョンソン政権も変わらないという事を暗に示しているんです。


マックスたちは、民主党の大物議員に接近して、労働問題を組合側について解決する役割を担っていた事が想像されます。


ヌードルスは、マックスのこのような政治への接近に反感を持っていたんです。


当人たちの思惑をはるかに超えた巨大な権力闘争が本作のバックボーンにある事をレオーネは匂わせてます。


しかし、オドネルやマックスたちを手下扱いしていた、マフィアの大物フランキーが何をしているのかを敢えてハッキリとは描いてないんです。


フランキーとオドネルが急速に接近したであろうことはチラッとだけ出てきます。

 

余談ですが、21世紀に入ってから、「私がホッファを殺した」という衝撃的な告白本が出版され、マーティン・スコシージがコレを原作とした映画を制作し、Netflixで『アイリッシュマン』というタイトルで公開されました。

 

主人公の殺し屋はデニーロが演じており、ジョー・ペシも出演しているので、明らかに本作へのオマージュがあるものと思われます。

 

閑話休題

 

とはいえ、本作はヌードルスとマックスの友情物語があくまでもメインであり、そちらには立ち入らないのが本旨ですね。

 

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そして、そこに、デボラという美少女/美女が絡んでくるという、ある意味、ベタと言っていいほどのドラマを大仕掛けに、見る側はトコトン酔いしれるわけです。

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青年期以降は、エリザベス・マクガヴァンが演じます。最近だと、『ダウントン・アビー』でグランサム伯爵夫人コーラ役が良かったですね。


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ヴィスコンティのような豪華なシーンがすごいですなあ。

 


正直申しますと、本作のサスペンスの部分は圧倒的な回想シーンによってそれほどたいした問題ではなくなっていって、途中でオチはある程度見えてしまいます。


そういう甘さがある作品なのですが、レオーネが見せたいのは、やはり、「かけがいのない、輝かしい少年時代の思い出」なんです。


ですから、青年期のサグ・ライフは一見豪華で、エロとバイオレンスの嵐ですけども、少年期よりも見劣りがします。

 

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マカロニ・ウェスタンのリアリスティックなバイオレンス、ヴィスコンティの豪華絢爛とデカダンス、そして、ベルトルッチマジックリアリズム的な表現、トルナトーレの『ニューシネマパラダイス』のような甘美とノスタルジー。という、イタリア映画のホラー映画以外のものが全部詰め込まれた、セルジオ・レオーネの人生の総決算のような作品です。

 

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チョイ役ですが、ダニー・アイエロ演じる、腐敗しきった警察署長が良いです(笑)。


ヴィットリオ・ストラーロと並びに称せられるイタリア人撮影監督、トニーノ・デリ・コリのクレーンを多用した移動撮影は映画という贅沢を存分に堪能させてくれますし、レオーネとは何度もコンビを組んでいる、音楽のエンニオ・モリコーネの音楽は彼の最高傑作の一つと言って良いでしょう。

 

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本作はDVDで最低2回は見て、映画館で酔いしれたいものです。

 

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追伸

音楽を担当したエンニオ・モリコーネが2020年7月に亡くなりました。91歳という大往生でした。合掌。

 

 

 

ヒトラーとチャップリンは紙一重なのです。

トッド・フィリップス『JOKER』

 

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アーサー・フレックはいかにしてジョーカーとなりしか。


「このモンスターはいかにして生まれたのか?」を作って大失敗した双璧が『スターウォーズ』1~3部と、『羊たちの沈黙』の前日譚、『レッド・ドラゴン』でしょう。

 


それぞれ、ハリウッドでも最強クラスの悪役である、レクター博士ダース・ベイダーが如何にして生まれたのか?を描いた作品なのですが、それを見せちゃったら、種明かしした状態で手品を見ているのと同じなのであって、どう上手くやっても面白いはずがありません。

 


本作の大前提にあるのは、どう考えても、クリストファー・ノーランが作った『バットマン三部作』の第2作目、『ダークナイト』で、ヒース・レジャー演じるジョーカーの鬼気迫る、狂気のキャラクターでしょう。

 

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ダークナイト』が遺作となった、ヒース・レジャー

 


しかし、そのタネを明かしてしまったら、やっぱりダメなのでは。。と、私も思いました。

 


が、映画館で見る予告編でのホアキン・フェニックス演じる、アーサー・フレック=ジョーカーは、ヒース・レジャーのソレとは全く違う狂気が漂っていて、単に、ノーラン版の前日譚みたいな安易な企画ではないのでは?という予感がありました。

 


すると、本作が、なんと、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞をとってしまい(最高賞です)、アメコミをベイスとした映画で史上初めてメジャーな映画祭の大賞を受賞してしまったのです。

 


後で知りましたが、監督のトッド・フィリップスは、初めからホアキン・フェニックスにアーサー=ジョーカーを演じてもらう事を想定して脚本を書いていて、相当な熱量で彼にオファーをかけて出演を説得したそうです。

 


本作の凄さは誰にも分かると思いますが、ホアキン・フェニックスの凄まじい演技ですね。

 

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突然笑い出してしまう障害をもつ、アーサー。

 


あることが原因で、突然笑いが止まらなくなってしまうという障害を持ちながら、ピエロのアルバイトをしつつ、スタンダップ・コメディアンを目指しているというアーサー・フレックという、不運と不幸が車輪のように回転している男を演じているのですが、この男の不気味さは、まず、その、突然笑いだすというところにもあるのですが、極端なまでにガリガリに痩せていて、しかも身体の動きがホントに薄味悪いのです。

 

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こんなに肉体の動きで不気味さを表現したジョーカーはなかった!

 

 

役作りで痩せたり太ったりして、人々を脅かす人は今ではたくさんいますけども、元祖はなんといっても、ハリウッドでは、ロバート・デ・ニーロですが、ホアキンのそれは、その痩せた身体を実に不気味に見せる事を意識しているんですね。

 


痩せたり太ったりの役作りの次元がかなり違っているんですね。

 


この辺からして、ものすごいものを感じます。

 


そして、驚くべきことに、そのデ・ニーロがとても重要な役で出てきます。

 


「マレー・フランクリン・ショウ」という、ソフィスケイトされた、いわば、大人のお笑い番組の司会者である、マレー・フランクリン役です。

 

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デニーロの出演は驚きであった。

 


ココでお気づきになると思いますが、デ・ニーロは、マーティン・スコシージ監督『 キング・オブ・コメディ』で、売れない芸人、ルパート・パプキンを演じていて、彼は、「ジェリー・ラングフォード・ショウ」という番組に出演するために、司会のラングフォード(ジェリー・ルイスが演じてます)を誘拐までしてしまうという、かなり狂気じみたキャラクターです。

 

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ルパート・パプキンの妄想部屋は必見です!

 

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パプキンに誘拐されてしまう、ジェリー・ルイス演じるラングフォード。

 


マレー・フランクリンは、あたかも、パプキンのその後のようにも見えるんですね。

 


そして、アーサーはマレーの番組への出演を夢見ているんです。

 


本作は、まず、『キング・オブ・コメディ』が下敷きにある作品なのです。

 


そして、やたらと上半身裸でテレビを見ているシーンがよく出てきますけども、コレは明らかにスコシージの『タクシードライバー』です。

 

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アーサーのアフリカ系の彼女(ココが微妙なのですが)が頭に拳銃を突きつけて撃ち抜く仕草を手で行うシーンが何度か出てきますが、コレも『タクシードライバー』の名シーンです。

 

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つまり、アーサーは、ルパート・パプキンであり、トラヴィスでもあります。

 


しかも、ポール・カージーでもあり、ポパイ刑事でもあるのです。

 


この2人は、それぞれ、『狼をさらば』、『フレンチ・コネクション』の主人公ですが、本作には、ほとんどこの2作と同じシーンがあり、そのもたらす結果がもとの作品よりも大変な事になってしまいます。

 

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ポール・カージー

 

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ポパイことドイル刑事。

 

 

『キング・オブ・コメディ』以外の3作はすべて1970年代に公開された映画であり、すべてヴェトナム戦争で社会的にも経済的にも荒廃した、ニューヨークを舞台にしているてんで、4作は共通しています。

 


つまり、本作の舞台ゴッサム・シティは、1970年代のニューヨークなんです。

 


しかし、本作の更なる凄さは、単なるノスタルジーやレトロ趣味なのではなく、この時代に仮託して、現在のアメリカそのものを描いている事なんですね。

 


レッド・ドラゴン』や『スターウォーズ』エピソード1~3がつまらないのは、レクターの狂気、ベイダーの悪への転落は結局のところ、ファンタジーだからなのですが、本作は社会的背景があるリアルとジョーカーの誕生が固く結びついているからです。

 


つまり、本作は、DCコミックや1970年代に仮託した、「ファシズム前夜」を描いているのです。

 


では、アーサーの狂気の根底にあるのは、一体なんなのか?と言いますと、「自分が存在しているかわからない」という事なんです。

 


しかし、「それがだんだんと存在を認められるようになってきているので、嬉しい」とアーサーはカウンセラーにいうんですね。

 


やってしまった事は、不可抗力だったんですけども、それによって、ゴッサムの市民が「よくやった!」「誰なの?」みたいな事になってくるんです(このお話しは、ネットや携帯が出てきませんし、テレビがブラウン管です)。

 


これまで、説明しておりませんでしたが、アーサーは、先述の突然笑い出してしまう障害もあり、精神的な問題と経済的な問題を抱えていて、市の福祉サービスとして、無料の処方薬とカウンセリングを受けています。

 


アーサーは、単に売れない芸人。というだけではなく、社会的に存在していないような扱いなんですね。

 

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私は存在しているのだろうか?

 


まるで、若い頃、売れない画家をやっていた、アドルフ・ヒトラーのようです。

 

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ピエロで生計をたてながら、コメディアンとしての腕を磨く。

 


その事へのルサンチマンと彼の狂気が結びついて、あの狂気の犯罪者、ジョーカーとなっていく様が、これでもかこれでもかと描かれているんです。

 


それは、出生の秘密、幼少期の記憶にまで及ぶんですね。

 

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この階段が実に効果的に使われていますが(芸能事務所の階段もそうです)、オリジナルはコレでしょうか。

 


しかし、それだけではないところが、本作の更に一筋縄ではいかないところなんです。

 


見ていて気がついてくると思いますけども、一体、どこからが現実でどこからがアーサーの妄想なのかが、だんだんわからなくなってくるんです。

 


ソコが実は一番コワい。

 


実は『キング・オブ・コメディ』も、果たしてどこまでが現実で、どこからが、パプキンの妄想なのかが、判然としません。

 


売れっ子司会者、ラングフォードに、自分のネタを聞かせるために、自宅でカセットテープに録音するシーンがあるのですが、母親の声がするんですけども、姿が一度も出てきません。

 


このシーンを見た時、私が思い出したのは、アルフレッド・ヒッチコックの傑作『サイコ』を思い出しました。

 

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古典的名作なので、ネタバレしてもよいと思いますが(知っていても面白いのが古典です)、母親は実は白骨死体になっていて、アンソニー・パーキンス演じる青年が母親の格好をして一体化していました。

 


ですので、あのシーン自体が、パプキンの妄想であり、『サイコ』へのオマージュではないのか?とすら思えてきたんです。

 


実は、アーサーも病気の母親と暮らしているのですが、それ自体がアーサーの妄想という可能性すらあるんですね、この作品。ひいい。

 


本作は、作品の構造上、「狂気と妄想の反復」となっているので、続編など作りようもなく(『もし作ったら、『サイコ』の続編のような惨事となるでしょう)、DCコミック原作の諸作品とも関連づけようのない、「狂ったダイヤモンド」です。

 


それにしても、こんな救いようのない映画が大ヒットしてしまう世界に生きているという事を、少し考える必要があるのかもしれません。

 

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2019年の映画ベスト!

特に順位はありませんが、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』と『JOKER』が特に凄かったですね。最近見たというのもありますが。

 

 

前者は今後、ますます評価が上がっていくでしょう。単なるシーン追加ではなく、全く別の作品であり、同じシーンやセリフの意味が変わってしまうほどです。しかも、前作を遥かに凌ぐ傑作。

 

監督の言いたかったのは、明らかにコレであると。


後者は、ファシズムと笑いは実は紙一重である事実を突き付けた、現在進行形のリアル。

 


チャップリンヒトラーは同い年なのである。

 


1970年代のアメリカ映画へのオマージュだらけ。

 


現在進行形のリアルという点では、ローチ作品は実にコワイ。いずれ、日本の現実となる事は止められないでしょう。もうなりつつあるのかも。

 


ローチ、ゴダールイーストウッドは、オリヴェイラ監督の記録を超えてほしいものですが、ゴダールは、ルグラン、カリーナを相次いで失い、とうとう一人ぼっちになってしまいました。。

 


リーの復活とジェンキンスの見事さは、ホントに嬉しかった。

 


タランティーノは今回もオスカームリでしょうけども、シャロン・テイト役のマーゴッド・ロビーが助演女優賞を獲れるのか否か。

 


ブラピの飼っているわんちゃんは、アカデミーワンダフル賞。

 


ワイズマンの大作は、もう参りました。アメリカの底力はすごいです。と思わざるを得なかった。

 


この図書館がある限り、ニューヨークは、ゴッサムシティにはならないでしょう。

 

イ・チャンドンのような正攻法で素晴らしい映画を撮れる監督(村上春樹原作ですよ。大丈夫ですか、ニッポン)どうして日本でごく一部の例外を除いてほとんど生まれないのかが、全くもって謎である。先進国と思えない。

 

 

 

 

 

 

片渕須直『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』

 


トッド・フィリップス『JOKER』

 


ケン・ローチ『Sorry, We Missed You』

 


スパイク・リー『ブラック・クランズマン』

 


イ・チャンドン『バーニング』

 


クエンティン・タランティーノ『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

 


バリー・ジェンキンス『ビール・ストリートの恋人たち』

 


フレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館』

 


ジャン=リュック・ゴダール『イメージの本』

 


クリント・イーストウッド『運び屋』

 

パヴェウ・パヴリコフスキ『COLD WAR』

 

次点エレイン・コンスタンティンノーザン・ソウル

 

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