カンヌン→カンヌ(笑)

ホン・サンスクレアのカメラ

 

ヤラレタ(笑)!


もう、すごいですわ。

 

上映時間たったの70分。撮影も実際にカンヌ映画祭にキム・ミニとイザベル・ユペールが、それぞれの主演作(『お嬢さん』と『ELLE』というどっちも相当エグい作品ですが・笑)でカンヌに来ている合間の数日間で撮影してしまったという脅威の作品。


前作がカンヌンなので今回はカンヌ。みたいなギャグで舞台を決めているのか?とすら思える、ミニマム級のフットワークで映画を撮るホン・サンスは、作家として明らかに全盛期と言っていいでしょう。


『三人のアンヌ』でも出演していたイザベル・ユペールがやはり本作でも素晴らしく、ユペールが出演すると、作品のクオリティが明らかに上がりますね。


ホン・サンス作品で私が一番好きなのが『三人のアンヌ』なのですが、それに匹敵するほど本作はやられました。


お話しは、そのまんまカンヌ映画祭でして、主人公のキム・ミニ扮するマニが映画会社に勤務していて、カンヌ映画祭に出張で来ているんです。


しかし、突然社長からハッキリとした説明もなく解雇されてしまいます。

 

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突然、解雇を告げられるマニ。


で、仕方なくカンヌの街を観光せざるを得なくなったマニがフランス人のクレアという高校で音楽の教師をしているという女性と偶然出会います。

 

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このクレアがイザベル・ユペールで、彼女の趣味は詩を書くことと、ポラロイド写真(デジカメではない所がポイントです)を撮ることなんですが、タイトルにもあるように、このカメラが本作の重要な役割を果たしていきまして、ルイス・ブニュエルがフランスでいい具合にネジの外れたようなトボけた味わいの、しかしながら、なかなかにとんでもない映画を連発していたあの感覚が蘇ってくるような、アレレ、つながりがおかしいよね?みたいな事が始まり出すんです。

 

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社長と映画監督は恋愛関係でした。


クレア。ユペールは言ってますが、多分、韓国人相手にわかりやすく、英語読みしていて(英語で会話指定しています)、実際はクレールと言うのでしょうけど、そういえば、ホン・サンスが影響受けたであろう映画監督にエリック・ロメールがいると思いますが、ロメールの代表作に『クレールの膝』という作品がありまして、そこからつけかのかもしれないですね。

 

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この犬もホン監督お得意の反復として出てきます。


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クレアは、写真を撮るという行為に独特の考えを持っていて、不思議にもお話がよじれていきます。


毎度の事ながら、ホン・サンス作品は重要な登場人物がとても少ないんですけれど、マニ、クレア以外には映画監督と社長しかいません。


しかし、この人物が全員同じ画面に映るシーンは一度もありません。


マニと社長、社長と監督、クレアと監督、クレアと監督と社長、マニと監督、マニとクレアというシーンがあるんですが、絶妙に全員が一緒になりません。


多少ネタバレさせても本作の面白さには支障はないと思うので、書きますが、本作を駆動させているのは、マニ、社長、監督の三角関係なのですが、その3人が一緒の場面が一切ないんです。

 

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ユペールが他の3人を駆動させます。


で、クレアが必ずどっちかにいる形なんですね。


会いそうで絶妙にすれ違い、しかも時空がおかしな具合によじれてすらいるという(笑)、なんとも不思議な感覚なんですね。


本作はさすがに世界的な大スターである、ユペールが出演し、舞台がカンヌだけに、いつもより画面のクオリティがよいです(笑)。


相変わらず、ソニーのそんなに高くないデジタル機材1つで撮影しているのですが、キム・ミニの衣装が結構変わるので、視聴者サービス的なショットもあります。


で、それを逆手にとったギャグのようなシーンが唐突に出てきます。

 

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ユペールのような大女優を相手にしても全くひるむ事なく演じるキム・ミニはなかなか根性ありますね。


とにかく、キム・ミニを見出す事で、作家として今絶好調を迎えているホン・サンスの作品はどれを見ても当たりですので、是非ともご覧下さい。


ラストはギャフンという事必定です。

 

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ハンブルグ→カンヌン

ホン・サンス夜の浜辺でひとり

 


2017年にホン・サンスはキム・ミニ主演で3本も映画をとりましたが、本作はその1つです。


映画は「1」「2」にハッキリとわかれてまして、ハンブルク編とカンヌン(江陵)編になってます。

 

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近年のホン・サンス作品のような、同じストーリー複数やるとか、時間軸がズレていて、どうなってんの?みたいなブニュエルとかリンチみたいな構造にはなっていなくて、芸能スキャンダルに巻き込まれた女優が先輩のいるハンブルクに逃亡した時のお話と、その後、韓国の江陵の友人達との交流を描いているお話しという、シンプルな構造で、出来上がってます。

 

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海外だと少し絵が良くなりますね(笑)。

 


が、やはり、そこはホン・サンスでして、やっぱり観客にイタズラを仕掛けてきます。


「2」の最初はキム・ミニ演じるヨンヒが映画を見終わったところから始まるのですが、あたかも、「1」が彼女自身が見ていた映画であるかのようにも見えるんですね。

 

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「1」は彼女が見た映画に見えなくもない。

 

自分の主演作を見ているかのような。


映画監督との不倫が発覚して、ハンブルクに逃亡した女優。という自身が主演した映画を見ているという。


そして、ラストシーンがアッ。と思わせるオチになっているので、それは実際に見て確認してください。


また、やはり、ホン監督特有の反復がやはりありまして、それはどちらも水辺のシーンが出てきます。

 

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ハンブルグは湖畔です。

 

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カンヌンは浜辺です。


そこで、砂浜で監督の似顔絵を描くシーンがどちらも出てくるのですが、ハンブルクは髪の毛を描いていないのですが、江陵では描いてたりして、ちょっと反復をズラしてます。


今回、あまり構造を弄らずにシンプルな構造で見せた理由はハッキリしていて、それは、 女優キム・ミニの演技力に焦点を当てて撮っているからです。

 

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久しぶりに出会う先輩。


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このシーンは必見(笑)。


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パク・チャヌク『お嬢さん』での体当たりの演技が記憶に新しいキム・ミニが、女優を復帰しようかどうしようかと逡巡しているという、特にヤマもないし(ヤマはとっくに過ぎ去っているんですね)、劇的なオチも一切期待できない、要するに、パク・チャヌク作品と真逆の作品で、どれだけやれるのか?というところをホン・サンスは見せたかったんですね。


そう意味では、ホン監督作品にしては結構野心がある、ギラギラした映画ではあります。


で、実際、キム・ミニの演技は素晴らしく、小津安二郎『晩秋』における原節子のように、感情をむき出しにする(と言ってもホン・サンスなので、激情むき出しとかではないですけど)熱演を、特に、江陵編で見ることができます。


ホン・サンスは、恐らく、小津安二郎にとっての原節子のような存在として、キム・ミニを見出したと思われ、しばらくは、彼女を主演に撮り続けるものと思われます。

 

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ホン・サンスにとっての原節子か?

ホン・サンス正しい日 間違えた日

 


ホン・サンスの2015年の作品が2018年にようやく一般公開されました。


と、思ったら、新作までまとめて4作が一挙に公開という(笑)。


主演のキム・ミニを気に入ったホン・サンスが、立て続けに4本も映画を撮ってしまい(まあ、彼の映画は撮影に時間がかからなそうなのでできるんでしょうね)、日本ではなぜかそれが一挙に公開される形となりました。


ホン・サンスお得意の、同じ話を2回繰り返し、それが前半と後半では微妙に違う。というお話で、微妙な違いなんで助けも、ラストシーンが全然違ってしまい、全く違う作品になってしまうというのが、やはりすごいですね。

 

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映画監督と元モデルの偶然の出会いを2パターン描く。


時間のつながりが意図的におかしかったりするような、過激な手法は今回は使わないんですけど、大筋(映画監督が仕事で訪れた街で出会った女性との交流という、ある意味、毎度毎度の展開ですね)が大体同じなのに、オチか違う。というのは、やっぱり驚きますね。

 

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茶店、アトリエ、寿司屋、先輩のカフェと同じ反復をしているのに、微妙に2つの話しは違います。


音楽はますます適当に(もう、小津を超えていると思います・笑)、カメラワークも恐ろしくシンプルで、編集のタイミングが考えてるのかいないのか全くわからない感じが相変わらずすごいですねえ。


タイトルロール/エンドロールも、恐らくは監督自身の、ボールペンか何かの手書きみたいなモンですし(笑)。

 

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アトリエのシーンは見せようとしているのに事がアングルからして全く違うシーンです。


何もしてなさそうで、演技に関してはかなり緻密にやっているのが、前半と後半を見るととてもよくわかります。

 

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監督の酔っ払い方が、1と2ではかなり異なります。


「今は正しく、その時は間違い」というタイトルをそのまんま邦題にしたほうがよかった気がしまたけど、反復と差異をこれだけミニマムにやって映画ができてしまうという、もうそれ自体が驚きの作品でした。

 

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リンチの頭の中をそのまんま映像化したような傑作。

デイヴィッド・リンチインランド・エンパイア

 

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リンチの今のところの映画での最新作。


リンチの映画では最も長い、3時間におよぶ大作であるのですが、製作スタッフは最低限とし、脚本、音楽、音響効果、編集、撮影はリンチ自身が行い、制作費も自身で出しているという、要するに、ほとんど自主制作映画です。


そして、リンチの作品で最もアブストラクトな作品となりました。

 

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ローラ・ダーンハリー・ディーン・スタントン、グレイス・ザブリスキー(ローラ・パーマーのお母さん役ですね)、ダイアン・ラッドローラ・ダーンのお母さんですね)、ナオミ・ワッツ(声のみ)などなど、リンチ組の常連が出演する中、ジェレミー・アイアンズ、そして、裕木奈江が出演するという、リンチ作品としては、一際キャスティングが豪華です。

 

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ジェレミー・アイアンズは映画監督役です。


面白いのは、キャメラ機材がこれまでのリンチ作品とは思えないほど、明らかに安い機材で撮影している事ですね。

 

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あえてチープな技術を選択していますね。それでもあのリンチ演出になるのですから、すごいです。


ほぼ、ハンディサイズのデジタルキャメラを、時にリンチが自分の手で持って撮影しています。


近年のホン・サンスの作品もとても安価なデジタルキャメラで撮ってますね。


しかも、これまでのリンチ作品には珍しいくらいに、顔のどアップを多用しています。

 

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冒頭からしてこの寄りです。

 

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ローラ・ダーンのドアップがこれほど存在する映画が皆無でしょう。そこがストライクゾーンの方にもオススメの作品です。


そういえば、ゴダールもデジタルの安価な機材で撮影してますよね。


あと、全編にわたって、音楽ではなくて、音響がなっています。それは大きくなったり、そのまんまサントラになっていったりしますが、ほぼ全編、作中の中でなっている音ではない、不穏な音が鳴り続けていますね。 


この映画は悪夢である事を意味しているのでしょうか。


このアブストラクトな作品を読み解くための重要なセリフは、冒頭に出てくる、外国人(ポーランド人?)と思われる、異様なまでにグイグイ迫ってくる女性のセリフ、

 


「もし、今日が明日だったら」

 


に端的に表現されている、リンチの得意とする、世界は多重に存在していて、それらはひょんな事で繋がったりする。という、表現ですよね。

 

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このどアップでグイグイと迫ってくるのですが(笑)、彼女のセリフが本作の本質を端的に説明しています。


また、お話がかなり進んできたところで、主人公のローラ・ダーンがある男に向かって、

 

「問題は何が先で何が後だかわからない事なのよ」


と告白していることからも、この作品の本質が何なのかがわかります。


ツインピークス』では、もっと物語として大掛かりに作っていますけども、本作はもっと箱庭的で、もうちょっとルーズな作りにしていますよね。


そういう、アレレ?世界って奇妙によじれておかしな風にくっついてるよね。というものを、リンチ独特の語り口で、ジックリと見せようというのが本作でして、そういうあやふやで曖昧なものがダメ。という方には不向きな作品でしょう。

 

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何度も出てくるいかにもリンチ作品的な部屋。しかし、シーンによって部屋の意味がガラッと変わってしまうんですね。

 

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例えば、こんな風に。


ローラ・ダーンがハリウッドで撮影しているリメイク映画『暗い明日の空の上で』、そして、未完に終わったポーランドのオリジナル『4-7』、暴力を振るう男から逃亡するために、ポーランドを脱出した女性の話し、そして、ウサギの世界。

 

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ウサギの声を担当しているはナオミ・ワッツです。


しかも、映画の撮影をしている映像なのか、映画の世界の中に入り込んでしまっているのかが、だんだんと曖昧になっていき、時間と空間がアブストラクトになっていきます。

 

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どこからが映画の撮影で、どこまでが現実なのかが判然としません。


ですので、なにがどうつかながっているのかわからないシーンすらあって、ますます混乱しますが(笑)、そこを酔いしれる事ができるか否かが、本作を見ていく上でのカギでしょうね。

 

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電球くわえているだけの男(笑)。

 

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リンチ作品に照明は欠かせません。


もともとリンチに備わっていた、アブストラクトな映像にドローン音楽が鳴り続けるという側面を、極限まで推し進めた、ある意味で最もリンチのプライヴェートな作品であるといえますね。

 

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ですので、リンチ作品としてコレから見ることはオススメできません。

 
リンチを知るには、『ブルーベルベット』や『ワイルド・アット・ハート』から見た方がよいでしょうね。

 

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デイヴィッド・リンチが自分の中にあるものをジックリと出し尽くした、奥の院的傑作。

 

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本年最大のナーメテーターでした!

ジョナサン・デイトンヴァレリー・ファレス『Battle of Sexes』

 

f:id:mclean_chance:20180829125212j:imageWTAという女子テニスの協会を使ったことが、テニス協会を刺激しました。


バトル・オブ・セクシーズ。という邦題は昨年公開された『ドリーム』と同じくらいひどい!

 

「セクシーズ」て(笑)。午後ローじゃないんだから。


はい。


本作は、1973年に行われた、男女によるテニスの試合、Battle of Sexesに基づいた映画です。

 

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セクシー金髪水着美女軍団は出てきません(笑)。


史実ですから、当時、現役女子プロテニス・プレイヤーのトップ選手である、ビリー・ジーン・キングが、往年の名選手である、ボビー・リッグスに勝利して、当時としては破格の賞金10万ドルを獲得した事は、ウィキペディアにすら書いてあります。


当然、この手の作品は、役者の力量、監督の演出力の確かさ、美術や撮影のこだわりが問われるわけですが、結論からいうと、これらすべてがおしなべて高水準!


本年公開した新作の中でもベスト3は確実なのではないでしょうか。

 

主演の2人、エマ・ストーンスティーヴ・カレルは共にキャリアハイを叩き出しております。

 

エマ・ストーンの演じる、ビリー・ジーンを見ていると、ジョディ・フォスターが思い出されますね。

 

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だんだんジョディー・フォスターに似てくるんですよ。


恐らくですが、レズビアンでもある彼女は、この役やりたかったでしょうね。


しかし、ジョディはかなり小柄な人なので、どうしてもテニスプレイヤーを演じるには難しかったでしょうし、まだ時代的にこの企画は難しかったのでしょう。


この手の話しは何と言ってもヒールが立ってないと面白くないですが、ボビー・リッグスを演じるスティーヴ・カレルの、「おもしろ憎たらしいオヤジ」ブリがまあ見事でした。

 

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ヒールがギャンブル依存症のおもしろおじさんという設定がよかったですね。

 

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お祭り生活に愛想をつかされてしまう、リッグス。


彼のコミカルさが、とかく、真面目すぎるフェミニズム映画になりかねない作品を、そうではない方向に持って行くことに成功してますよね。


型通りのマッチョな白人オヤジvsフェミニズムの闘士。など、誰も見たいとは思わないです。

 

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マーガレット・コートがリッグスに滅多打ちにされる試合を見て、覚悟を決めるビリー・ジーン。


キングの恋人として出てくるアンドレア・ライズボローさんがものすごくよかったですね。

 

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実は、南アの元テニス選手でした。


映画では美容師としてのみ出てきて省略されてますけど、彼女もテニス選手でした。


あと、本作で特筆すべきは、1970年代の風俗を見事に再現しているのと、1970年代のアメリカ映画のザラついた質感の映像を、デジタル技術で再現していることですね。

 

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WTAのスタッフには、ゲイの方もいたんですね。


そして、更にすごいのは、その凄さがこれ見よがしなところが全然なくて、ものすごく自然なのが驚きました。


自然に見えることにデジタル技術を駆使する。という方向が実に面白かったですね。

 


ウィキペディアを見ているだけでこの2人人生は相当に面白いのですが、そういう部分はほとんどカットして、どこまでも、この世紀の一戦がもつ歴史的な意味(それはラストシーンで、ゲイのスタッフがビリー・ジーンに語りかけるセリフに凝縮されています)に焦点を当てつつ、それをロバート・オルドリッチロンゲスト・ヤード』のように清々しく見せたところがよかったですね。


日本ではタイトルのせいもあってか、今ひとつ注目されていない映画ですが、こんなに清々しいアメリカ映画見たのは久しぶりです。

 

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この試合がなかったら、女子テニスの賞金は相当低いままだったでしょう。

 

 

ゾンビ映画はアイディアの源泉だなあ。と改めて痛感させられた傑作!

上田慎一郎カメラを止めるな!

 

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東京都心部は連日こんな感じらしいです


当初はたったの2館しか上映していなかったのですが、連日満席となり、とうとう、現在は全国100館を超える上映となってしまった作品。


本作は、実際見ることによってビックリドッキリという、言ってしまうと、ヒッチコック『サイコ』のようなところがあるので、あまり内容に立ち入ることは極力控えようと思います。

 

といいますが、本作は何の予備知識も持たずに見るのが一番良いと思いますので、明日にでも映画館に観にいく方は、この文章は見終わってから読んでください(笑)。


「うわ、今までのは映画だったんだ」という冒頭を映画史的に最初期に成功させたのは、恐らくは、オーソン・ウェルズ市民ケーン』だと思いますが、本作もゾンビ映画という形で、それを成し遂げます。


しかも、手持ちキャメラ1つで延々と30分です(ココをバラしても、驚きが減衰する事はない事を保証します)。

 

かつて、相米慎二という、撮影現場が地獄のような映画監督がいましたが、その彼でもやならかった30分ワンショットというのは、映画史上でもこれに匹敵するものはないでしょうね。

 

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主人公の監督が作品内のドラマで怪演。なぜ思い切りキャメラ目線なのかは見てのお楽しみ。


本作はかなりの低予算映画ですが、それすらもを逆手にとって展開していく後半が(低予算でアクシデントだらけである事が生きてくるんですね)、なぜ、こんな激越な手法を使ってのゾンビ映画になっているのかを明るみにしていくここからは、ホントに笑えますし、ラストシーンは、なんと、感動すら湧き上がってきます。驚くべきことに。

 

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一切説明なし!


まさかのスポ根とゾンビ映画の融合。という、それぞれに鉄壁の安定感のあるフォーマットを組み合わせるという意外性が、こんな形で転がっていくのか。という事の快感が見事としか言いようがありませんね。


ジョージ・A・ロメロに生前是非とも見てもらいたかった近年稀に見る痛快作。

 

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前半と後半でガラッと同じシーンの意味が変わります。

 

 

 

神話と真実

パブロ・ラライン『ジャッキー』

 

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実際のジャクリーン・ケネディナタリー・ポートマン演じるジャクリーン。


ケネディ大統領の夫人であり、のちにギリシャの海運王アリストテレスソクラテス・オナシスと再婚したジャクリーン・ケネディから、大統領暗殺事件の顛末を描くという、ちょっとした異色作。


監督はなんとチリ人のパブロ・ララインです。


ジャッキーを演じたナタリー・ポートマンは、アカデミー主演女優賞を受ましたが、恐らく彼女のキャリアハイと言ってよい、見事な演技ぶりです。


伝記映画、とりわけ、超がつく有名人のそれはもうストーリーは丸見えですから、やはり、見せ方、そして、役者たちの存在感、演技の素晴らしさで見せるしかないのですが、本作は、何よりも、ナタリー・ポートマンでひたすら見せていくというのが特徴というか、ほとんど画面の中心に出ずっぱりで、ケネディ大統領と一緒にいる場面であっても、キャメラはジャッキーを中心に写していて、JFKは見切れてます。

 

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この徹底した撮り方は、ホントにユニークですね。

 

全然違うタイプの伝記映画、ルキノ・ヴィスコンティ『ルートウィヒ』も四時間にわたってほとんど ヘルムート・バーガーが出ずっぱりでそれ以外をほとんど背景にしていますけども、本作の撮り方も、徹底してジャッキーの心の動きを追っていくという大胆な演出です。

 

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暗殺直後のジャッキー。


ジョンソン大統領やロバート・ケネデ司法長官も画面上には映ってますが、特に重要な役割は果たしてません。

 

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エアフォース・ワンで急遽大統領に就任する、リンドン・ジョンソン


ストーリーはおおよそは時間軸に沿って進むのですが、時々時間が前後します。

 


それは、本作がジャッキーの自宅を訪問したインタビューとして進んでいくからです。

 

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インタビューは、あくまでも「ケネディ家の神話」に沿ったものを要求するジャッキー。


こういう描き方ですので、ある程度ケネディ大統領やジャッキーの事を知っていないと、ちょっとわかりにくい作品に見えるかもしれませんが、目の前で最高権者の夫が狙撃されて即死するのを見た。という極端な経験が、一体どういう事をもたらすのか?という点に絞って見て入れば、史実はそれほど知らなくても大丈夫な気はします。


本作は時間軸としては、大統領が暗殺され、その葬儀が行われるまで(ホントはもう一つあるのですが)が描かれます。

 

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キャロラインとジュニアを連れての葬儀。


先程、本作は、ジャーナリストのインタビューに沿って進む。と書きましたが、実は、本作はもう一つの対話が進んでいきます。


それは、ジョン・ハート演じる神父との対話です。

 

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ジャッキーは、ジャーナリストに対しては、「偉大なるケネディ家における悲劇とその妻の物語」を語りながら(要するに、徹底した検閲を行なっているのです)、神父には、心の奥底に眠る真実を告白しているのですね。


アメリカの偉大なる「王家の物語」と「ある女性の神父への告白」という二つの軸を使って、それが恰も、ジャッキー・ケネディのオモテとウラのような関係でえがかれているんですね。


こういう物語ですので、ケネディ暗殺云々についての掘り下げが見たい方は、そちらをご覧ください。


内容はとてもよいのですが、どうも日本では過小評価されている気がします。

 

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