神話と真実

パブロ・ラライン『ジャッキー』

 

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実際のジャクリーン・ケネディナタリー・ポートマン演じるジャクリーン。


ケネディ大統領の夫人であり、のちにギリシャの海運王アリストテレスソクラテス・オナシスと再婚したジャクリーン・ケネディから、大統領暗殺事件の顛末を描くという、ちょっとした異色作。


監督はなんとチリ人のパブロ・ララインです。


ジャッキーを演じたナタリー・ポートマンは、アカデミー主演女優賞を受ましたが、恐らく彼女のキャリアハイと言ってよい、見事な演技ぶりです。


伝記映画、とりわけ、超がつく有名人のそれはもうストーリーは丸見えですから、やはり、見せ方、そして、役者たちの存在感、演技の素晴らしさで見せるしかないのですが、本作は、何よりも、ナタリー・ポートマンでひたすら見せていくというのが特徴というか、ほとんど画面の中心に出ずっぱりで、ケネディ大統領と一緒にいる場面であっても、キャメラはジャッキーを中心に写していて、JFKは見切れてます。

 

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この徹底した撮り方は、ホントにユニークですね。

 

全然違うタイプの伝記映画、ルキノ・ヴィスコンティ『ルートウィヒ』も四時間にわたってほとんど ヘルムート・バーガーが出ずっぱりでそれ以外をほとんど背景にしていますけども、本作の撮り方も、徹底してジャッキーの心の動きを追っていくという大胆な演出です。

 

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暗殺直後のジャッキー。


ジョンソン大統領やロバート・ケネデ司法長官も画面上には映ってますが、特に重要な役割は果たしてません。

 

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エアフォース・ワンで急遽大統領に就任する、リンドン・ジョンソン


ストーリーはおおよそは時間軸に沿って進むのですが、時々時間が前後します。

 


それは、本作がジャッキーの自宅を訪問したインタビューとして進んでいくからです。

 

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インタビューは、あくまでも「ケネディ家の神話」に沿ったものを要求するジャッキー。


こういう描き方ですので、ある程度ケネディ大統領やジャッキーの事を知っていないと、ちょっとわかりにくい作品に見えるかもしれませんが、目の前で最高権者の夫が狙撃されて即死するのを見た。という極端な経験が、一体どういう事をもたらすのか?という点に絞って見て入れば、史実はそれほど知らなくても大丈夫な気はします。


本作は時間軸としては、大統領が暗殺され、その葬儀が行われるまで(ホントはもう一つあるのですが)が描かれます。

 

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キャロラインとジュニアを連れての葬儀。


先程、本作は、ジャーナリストのインタビューに沿って進む。と書きましたが、実は、本作はもう一つの対話が進んでいきます。


それは、ジョン・ハート演じる神父との対話です。

 

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ジャッキーは、ジャーナリストに対しては、「偉大なるケネディ家における悲劇とその妻の物語」を語りながら(要するに、徹底した検閲を行なっているのです)、神父には、心の奥底に眠る真実を告白しているのですね。


アメリカの偉大なる「王家の物語」と「ある女性の神父への告白」という二つの軸を使って、それが恰も、ジャッキー・ケネディのオモテとウラのような関係でえがかれているんですね。


こういう物語ですので、ケネディ暗殺云々についての掘り下げが見たい方は、そちらをご覧ください。


内容はとてもよいのですが、どうも日本では過小評価されている気がします。

 

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ある男の1週間を綴った、詩のような作品。

ジム・ジャームッシュ『パタソン』

 

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ニュージャーズィー州パタソン市に住んでいる、パタソン氏の1週間を描いた作品。


立川市に住んでる、立川さんみたいな感じでしょうね。


パタソンを演じているのが、アダム・「ドライヴァー」というのも、ギャグなのでしょう。


ジャームシュは、若い頃からミニマルな作風の人ですけども、本作はとりわけミニマルな作品です。


月曜日から日曜日までの一日一日を担当淡々と描いているんですが、朝のバスの出発前に詩を書き、そこにインド系の同僚のドニーが挨拶に来る、仕事中の乗客の会話、奥さんのローラとの会話、犬のマーヴィンとの散歩、その途中でバーへの寄り道といったシーンが繰り返し出て来ます。

 

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仕事の直前まで詩を書いている。


あと、なぜか、双子に出会います。

 

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しかし、それは全く同じではなくて、微妙に違っているんです。


大きな事件は何一つ起こらず、泣いたり叫んだりするシーンは全くありません。

 

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よく見ると、カイロ・レン。


7話のオムニバスを見ているようにも思えますが(ジャームッシュはオムニバス形式の作品が結構多いですよね)、時間経過は直線的でパタソンとその妻、愛犬、バーの店長ドクと店の常連は固定されています。

 

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少々トんだ感覚の奥さん、ローラ。

 

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ジャームッシュは犬派?


そういう意味では、コーヒーとタバコが出てくるオムニバス形式の『コーヒー&シガレット』よりも更にミニマルな作品ですね。

 

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こういう横並びの男女のショットが多いです。


お話として盛り上がってくるのは、金曜日からなのですが、そこは見てのお楽しみに。


会話の独特の間合いと場面のつなぎ方だけで2時間近い映画を成立させてしまう(しかも、ちゃんと観客を惹きつけるのです)という、余裕綽々たる、巨匠のお仕事ぶりなのでした。

 

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同時期に、イギー・ポップのドキュメンタリーを作って公開しているのも、とてもお茶目だと思います。

 


この辺からジャームッシュの世界に入って、80年代の作品を見てみるのもいいかもしれません。

 

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『ミストリー・トレイン』以来の出演となる、永瀬正敏が出てきます。

 

モデルとなる主人公は映画公開後に射殺されます!

深作欣二『北陸代理戦争』

 

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深作欣二実録やくざ映画の最終作。


いきなり組長の西村晃が生き埋め!

 

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のちに水戸黄門をやる事になるとは(笑)


競艇の経営の権利を若頭の松方弘樹に強奪されてしまいました(笑)。

 

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福井のやくざはかなり凄絶です!

 

そこに、大阪のやくざの武闘派である金井組が着々と進出しているんですね。


その組長が千葉真一でして(笑)、もう、笑ってしまうほどテカテカ、ギラギラです。

 

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テカテカすぎて笑ってしまいます(笑)。


要するに、西村晃の組内の内部抗争に、大阪のやくざが干渉してきているという構図です。


更にややこしい事に、松方弘樹の方にも大阪のやくざの組が協力すると言い始めています。

 

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大阪のやくざの協力を拒む松方弘樹


つまり、組の抗争はそのまま大阪の組間の抗争でもあるという、なんとも冷戦下のアジア、アフリカの内戦そのまんまなのですが、日本最大の暴力団である山口組は、そのようにして、全国にわたる巨大な組織を作る事に成功しました(その山口組が現在2つに分裂してしまいました)。

 

西村晃の若頭、ハナ肇が、これまでの実録モノの中ではちょっと異色の独特のトボけた味わいがあって、いいんですよ。

 

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ハナ肇西村晃の後を継ぐ事に。

 

というか、北陸という土地柄なのか、これまでの実録モノとはどこか違う粘っこい味わいが全体的にあります。


冬の抗争なので、福井の雪の多さも、かなり絵が変わりますよね。


松方は組長側のだまし討ちを受けて重症となり、死を偽装して、輪島に潜伏してケガの回復を待ってますが、そこからは見てのお楽しみという事で。

 

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バイオレンスシーンがかなりエゲツないです。


仁義なき戦い』シリーズとは一味違う、独特の暗さがある逸品。


主人公の松方弘樹は相方の伊吹吾郎とともにひたすら撹乱者として機能します。


敵味方が平然と何度もコロコロと変わっていくのも(実際のやくざはそういうものなのでしょう)、本作の見どころでしょう。


ちなみに、これは当時の北陸で起こっていた抗争をモデルにしていたそうで、本作公開後に松方弘樹のモデルとなったやくざは射殺されています。。


菅原文太が出演していないなどの致命的な問題もあり、実録やくざ映画の中でも、飛び切り興行成績が悪かったのだそうです。


こんな凄絶な作品なのに、90分で終わるのもすごいです。

 

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見直しました。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ『メッセジ』

 

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シャレにならないほど巨大な物体が世界各地に出現。


見ていると、初めは『アレッ、これはタルコフスキーの『サクリファイス』と『惑星ソラリス』のパクリなのかな?と思わせるところが多々ありました。

 

あと、明らかに『2001年宇宙の旅』のパクリみたいなショットがチラッと出てきます。


恐らく、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は、相当にアンドレイ・タルコフスキーが好きなのでしょう。


自作の『ブレードランナー2049』でも、明らかに『サクリファイス』を思わせるシーンが冒頭に出てきます。


ある時、巨大な12の物体が地球上に現れ、大混乱になります。

 

アメリカのモンタナ州にも、それは出現しました。


言語学者のルイーズ・バンクスの元に、陸軍が現れます。

 

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地球外生物の言語の解析を依頼される、言語学者のルイーズ。


「この言語を分析してほしい」

 

なんと、あの巨大な物体には、地球外生命体がいるようで、コンタクトを取ってきているようなのです。


その地球外生命体は、7本の脚があり、「セプタポッド」と便宜上呼ぶ事にしました。

 

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ガラス越しに二体のセプタポッド(アボットコステロと呼んでます)と接触します。


ルイーズの根気強い接触によって、彼らの言語は、発話と文字は結びつかない事がわかり、表意文字である文字を使ってのコミュニケーションが可能である事がわかってきました。

 

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なんと、これがセプタポッドたちの文字なのです。


ルイーズたちの研究者スタッフは、「あなた達は何の目的で来たのですか?」という質問が出来るようにするために、セプスポッドの言語のボキャブラリーを蓄えていきました。


しかし、ココで大問題が起きます。


このセプタポッドと接触しているのは、アメリカだけではなく、ロシアや中国、日本などの国もそれぞれに接触していたんですね。


そこで、「武器」という言葉が出てきたことで中国の人民解放軍がセプタポッドに恐れを感じ、とうとう宣戦布告を宣言し、これにロシアとスーダンが同調し、各国も情報交換を一切やめてしまいます。


この接触から対立までを、ヴィルヌーヴはゆっくりじっくりと描いていくんですね。


こういう静かでゆっくりとしたら語り口が実にうまいですね。


ブレードランナー2049』は大変残念な作品でしたが、本作は大変素晴らしいと思います。

 

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セプタポッドの手(?)は、結構コワイです(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テーマは「父と子」!

ライアン・クーグラーブラックパンサー

 

※公開してそれほど経ってませんので、写真は少なめです!

 

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ワカンダの最新テクノロジーを駆使したスーツは、アイアンマン以上の性能を持つ。

 


すでに「アベンジャーズ」などの作品で登場していた、ブラックパンサーが満を持して公開。

 

監督は、なんと、『クリード』の監督です。


『ロッキー』のスピンオフ作品という、正直かなりイカモノ臭ふんぷんたるイメージを覆す、見事な傑作を撮り上げた気鋭のアフリカ系の映画監督が起用されたと聞いて、見ないわけにはいかないではないですか。


ブラックパンサーは、マーベルコミックのヒーローの中でも異色の存在で、アフリカの王国、ワカンダの王様です。


アベンジャーズでもチラッとワカンダ王国は出てきますが、謎の鉱石ヴィヴラニウムが採掘される、ほとんど鎖国状態の国です。

 

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各部族の首長のデザインも秀逸です!


外見上は、アフリカ内陸に存在する、貧しい小国なのですが、実際は、桁外れの科学技術をもった国家でして(笑)、ブラックパンサーのスーツも、そのテクノロジーを駆使してできています。

 

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桁外れな未来都市を形成するワカンダ王国!

 

『シビル・ウォー』を見るとわかるように、国王ティチャカがウィーンの国連の会議で演説中にテロリストに暗殺されてしまい、王子のティチャラが急遽、国王にならなくてはならなくなりました。


お話は、その『シビル・ウォー』の直後から始まります。


本作のテーマは「父と子」です。


ヴィブラニウムをめぐるすったもんだも面白いわけですけども、本作のメインは、やはり、ティチャラが真にワカンダの王の継承者なのか?という事が問われ る事です。


本作の冒頭は、なぜか1992年のオークランドから始まり、先代のティチャカがブラックパンサーの頃を描いています。


それが意味するところがしばらくわからないまま、お話が進むのですが、ヴィブラニウムを追う中で現れるアフリカ系アメリカ人の存在が浮かび上がった時に突如、その意味がわかってきます。


ここからお話は、「王位継承」にうつっていくんですが、ここからが本作の見せ場になっていくといえましょう。


この、「父と子」の問題をここから実に、丁寧に描いていく手腕には心底驚きました。


ライアン・クーグラーはマーヴェル映画という、巨大なプロジェクトに乗りながらも、実は、見事なまでに自分のテーマに引き込み、完全に自分の表現にまで高めている事に驚きました。


また、登場人物の多くがワカンダ王国という架空の王国の人々で、一応、英語で話すのですが、アフリカの英語圏の人々の訛りをかなり忠実に再現し、英語自体も文法がかなりピジン化しており、細部がキチンとしているのは、ホントに関心しました。

 

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主人公ティチャラの熱演が光ります。すちゃらか社長と並ぶマーヴェル映画最強キャラの誕生です。


さて。

 

ここまで書いてきて、一番引っかかるのが、本作のタイトルである、「ブラックパンサー」と、1960年代に実際に誕生した政治結社ブラックパンサー党の関係です。


クーグラー監督は否定しますが、ブラックパンサー党が誕生したのは、本作の冒頭シーンである、カリフォルニア州オークランドで誕生した事は偶然の一致とは思えません。ブラックパンサー党は、アフリカ系アメリカ人が銃で武装する事を主張していた事から、とても過激なイメージが強いのですが、彼から彼女らが一番力を入れていたのは、アフリカ系アメリカ人貧困層への支援でした。

 


コレはネタバレしても問題ないと思うので、してしまいますが、ティチャラは、これまでワカンダが頑なに守ってきた、他国への不干渉主義をとうとう破り、オークランドにワカンダ王国初の「国際支援センター」の支部を作ります。


明らかにブラックパンサー党を意識しているラストシーンだと思うのですが、あんまり指摘されてないようです。


また、王位継承をめぐる大河ドラマとして、『バーフバリ』二部作もありましたが、あちらのとにかく豪快で痛快な面白さとは一味違う奥行きが感じられます。


マーヴェル映画の中でも屈指の傑作であり、2018年公開映画では、間違いなくベスト5に入ると思います。

 

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ダルトン・トランボーの脚本が素晴らしい!

アーヴィング・ラパー『黒い牝牛』

 

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原題は「勇気ある者」。そのものズバリを描いております。


日本ではほとんど忘れ去られていた映画ですね。


監督のアーヴィング・ラパーは1898年(あるいは、1902年)生まれで、本作を撮っている頃にはもう結構な年齢のベテランです。


しかし、これまた忘れられています。


とは言え、1941年にOne Foot in Heavenという作品が、アカデミー作品賞にノミネートされた事もあったそうで、実力がないわけではありません。


さて。お話の舞台は1950年代のメキシコの貧しい農村です。


奥さんが亡くなったお葬式の日に、牧場主の代理人が尋ねます。


「お前の持っている牝牛に私の牧場の焼印が押してあるようだが?


「いえ、ダンナ。この牛は私のものです。ダンナ様の姪御さんを助けた時にお礼にもらったものです。今度生まれる子牛も私のものです」


と持ち主は言います。

 

この牝牛、チャパの事の可愛がっているレオナルド少年は、自分たちが飼っている牛が持っていかれるのではないかと不安で仕方がありません。


ある嵐の日に、その可愛がっているチャパがなぜか外に飛び出して木の下敷きに。


牛の鳴き声に気がついたレオナルドが駆け寄ると、チャパは死んでしまいます。


しかし、子牛を出産していたのでした。


レオナルドはこの子牛に、「ヒターノ」(ジプシーの意味)と名付けました。

 

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生まれたばかりのヒターノ。ハウス名作劇場的なかわいらしさです。


はい。コレが冒頭部分なのですが、恐ろしくシンプルで地味なお話しです。


スターらしき人が皆無ですし、興行的にもダメだったらしいです。


しかし、こんな地味なお話を書いたの人が後に、ダルトン・トランボーである事が判明するんですね。


ご存知のように、トランボーは、赤狩りの餌食となって、アメリカでは脚本家として活動する事が出来なくなってしまいます。


しかし、その才能を惜しむ人々は少なくなく、偽名を使って結構な数の映画のための脚本を書いたと言われています。


その最も有名な作品が、ウィリアム・ワイラーローマの休日』でして、イアン・マクレラン・ハンター名義(実在する脚本家です)でした。


本作では、「原案 ロバート・リチ」という偽名で、事実上脚本を書いています。


映画はかなり地味な作りですが、レオナルドが学校で習う歴史はフアレス大統領の頃のメキシコの歴史であり、つまり、フランス第二帝政に政治干渉を受けている時代を教えていたりと(ハプスブルク家から擁立された皇帝、マクシミリアンが即位していました。フランスの傀儡政権です)、なかなかハードコアな授業でして(笑)、さすが反骨の人、トランボーだな。と思います。

 

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フランスのナポレオン3世による露骨な政治干渉と戦った、フアーレス大統領。初の現地人の大統領でした。

 

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メキシコ皇帝マクシミリアン。のちに反乱軍によって処刑されます!


動物のシーンは、かなり待ちまくっていい絵を撮っているのがわかるかなりの苦心のシーンでして、動物自体は当然のことながら演技ではなく、のびのびと動いているだけなのですけども、それが癒されてますよ(笑)。

 


コレとほとんど同じですけども、恐らくはほぼシロウトであろう、レオナルド少年の純朴さがいですね。

 

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多分、映画の出演はコレしかないのでしょうけども、であるがゆえの素晴らしいさですね。


ホントにどこにでもいそうな感じで、それがいいんです。


ヒターノの事が好きすぎて、ついつい学校にまで連れてきてしまうシーンとか、もう子ども好き、動物好きの私は溶けました(笑)。


子どもと動物の組み合わせは基本的にズルいです(笑)!


ちなみに、メキシコで雄牛を育てる。というのは、闘牛用の牛を育てる事を意味するようでして、ヒターノも当然のことながら、闘牛となる運命なのですね。

 

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闘牛になる運命を知るレオナルド少年。


レオナルドは子どもですから、お父さんからその事を告げられてもどうしてもその事が理解できないんですね。


ヒターノは、結局、牧場の焼印を押されて、牧場主のものになってしまいます。。


法的にどうしようもないのでしょう。しかし、学校の先生にお願いして牧場主に手紙を書いてもらうと、牛は返してもいい。という返事が。

 


意外にも話しのわかる人なのでした。


ランボーの優しいの視点を感じますね。


登場人物がみなとても優しいです。

 

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やんちゃな子どもたちを叱るシーンが全然ないんですよね。


後半にメキシコの大統領が出てくるんですが、大統領も優しいのです(笑)。


牧場主のドン・アレハンドロは本業はカーレーサー(!)なのですが、ヨーロッパでのラリーレースの事故で亡くなってしまうのです。

 

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一番左の人がドン・アレハンドロ。

 

ここからレオナルド少年の大冒険が始まるのですが、ココからは見てのお楽しみです。


イタリアのネオリアリズモの影響をトランボーが受けて、こういう映画になっているのかもしれませんけど、音楽が大巨匠のヴィクター・ヤングがフルオケのサントラがたっぷりついているのが、今となってはかなりの違和感がありますけど、当時のハリウッド映画というものは、そういうものですので、仕方がありません。


個人的には、1950年代のメキシコシティのロケの映像が見事でしたね。


当時のメキシコシティで行われていた闘牛が見られるのは、とても貴重です。


ストーリーはご都合主義が強いですけども、子どもを主人公にしたファンタジックなお話にもかかわらず、ラストに原題The Brave Oneが示す勇敢さ、崇高さというものが描かれている点は、特筆すべきであり、後のスタンリー・キューブリックスパルタカス』を思い起こさせます。


傑作とは言えませんが、それでも特に後半は心に残ります。

 

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ラストシーンに思わず「あっ」と軽く声が出てしまいました。。

アンリ・コルピ『かくも長き不在』

 

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やっと見ることができました。


VHSもないし、DVDにもならないし、映画館で上映しないの三重苦作品のトップと言ってよい作品がとうとうDVDになった事に快哉を。


7月14日のパリ祭(このような言い方は日本だけです。ルネ・クレールの映画の邦題にちなんでいます。それにしても、「パリ祭」というのは、素晴らしい意訳だと思います)。


この日もいつものようにカフェを切り盛りするアリダ・ヴァリ演じるテレーズ。

 

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かなりグイグイやってしまう役に説得力を与えられるのは、アリダ・ヴァリ以外には考えられないでしょう。

 

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バカンスに入り、街はガランとしてしまいます。


しかし、パリ祭が終わると、フランスは一気にバカンスのシーズンにも入ってしまい、パリの郊外は閑散としてしまいます。


そんな所に、フラっと現れた男。


テレーズは、どこかで見たことがある人と思いながら思い出せません。


男は鼻唄を歌いながら、この界隈を日々彷徨っていて、どうやら、セーヌ川の近くで野宿しているようです。


男はどうやら過去の記憶をなくしており、自分が何者なのか全くわかりません。


記憶を失った男は、雑誌の切り抜きを箱の中に蓄えています。


「失われた時」を埋めようとしているのでしょうね。


テレーズは、どうやら、この男を知っているようなのです。

 

そして、テレーズのカフェ周辺に限定された場面設定、限られた登場人物という、ちょっと変わった設定の中、一体この男は何者なのか。テレーズとの関係を決して饒舌にではなく、ジックリと、極めてシャープな白黒映像と編集で見せていくんです。


こういう、甘さのない、ドライな感覚は、フランス映画ならではで、同じ頃のアラン・レネ去年マリエンバートで』ほどではありませんが、かなり極端な設定で語られる「男と女」(フランス映画は畢竟この問題に帰結しますね)。


ここまで書くとおわかりだと思いますし、もはや、映画史に残る作品ですから、ネタバレしてもその面白さは1ミリも損なわれないのでありましょうから書きますが、この男は、どうやら、第二次世界大戦中に生き別れた夫らしいのです。


しかし、夫と思しきこの男は、過去の記憶を一切失ってしまった、かなり重症の記憶喪失者なのでした。


唯一覚えているのが、ロッシーニのオペラ、『セビージャの理髪師』(フィガロの結婚の前日譚です』の一節。というのが実にうまいですね。


ですので、ホントにこの男に夫かどうかを証明する事ができません。

 

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彼は本当にアルベールなのだろうか。


この絶望的な悲劇を生んだ戦争を声高に告発するのではなく、2人の、不器用な中年男女を淡々と描く事で伝わってくる、誰にもぶつける事のできない悲しみが見事に伝わってきます。


セリフも必要最小限に切り詰め、説明的な部分はほとんど排除しています。


本作の公開は1961年ですから、戦争の記憶は世界中の人々には生々しく、この映画を当時の人々は相当なリアリティをもって見たのではないでしょうか。


監督のアンリ・コルピは映画の編集として大変有名ですが、映画監督としての作品はとても少なく、本作は彼の代表作と言ってよいでしょう。

 


あえて、ガランとしたロングショットを多用し、男の悲しみすら失われてしまった、空っぽの心象風景を表現しています。

 

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セーヌ川のほとりでホームレス生活している男。


そこに男の何度もくりかえされる鼻唄が切なく響きます。


ラストシーンの、名前を呼ばれて、男が思わずしてしまう行為が、あまりにも悲痛ですね。。


脚本、マルグリット・デュラス、音楽、ジョルジュ・ドリュリューという、最高の布陣の見事な作品でした。必見。

 

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ダンスシーンは映画史に残る名シーンだと思います。

 

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