ラストシーンに思わず「あっ」と軽く声が出てしまいました。。

アンリ・コルピ『かくも長き不在』

 

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やっと見ることができました。


VHSもないし、DVDにもならないし、映画館で上映しないの三重苦作品のトップと言ってよい作品がとうとうDVDになった事に快哉を。


7月14日のパリ祭(このような言い方は日本だけです。ルネ・クレールの映画の邦題にちなんでいます。それにしても、「パリ祭」というのは、素晴らしい意訳だと思います)。


この日もいつものようにカフェを切り盛りするアリダ・ヴァリ演じるテレーズ。

 

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かなりグイグイやってしまう役に説得力を与えられるのは、アリダ・ヴァリ以外には考えられないでしょう。

 

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バカンスに入り、街はガランとしてしまいます。


しかし、パリ祭が終わると、フランスは一気にバカンスのシーズンにも入ってしまい、パリの郊外は閑散としてしまいます。


そんな所に、フラっと現れた男。


テレーズは、どこかで見たことがある人と思いながら思い出せません。


男は鼻唄を歌いながら、この界隈を日々彷徨っていて、どうやら、セーヌ川の近くで野宿しているようです。


男はどうやら過去の記憶をなくしており、自分が何者なのか全くわかりません。


記憶を失った男は、雑誌の切り抜きを箱の中に蓄えています。


「失われた時」を埋めようとしているのでしょうね。


テレーズは、どうやら、この男を知っているようなのです。

 

そして、テレーズのカフェ周辺に限定された場面設定、限られた登場人物という、ちょっと変わった設定の中、一体この男は何者なのか。テレーズとの関係を決して饒舌にではなく、ジックリと、極めてシャープな白黒映像と編集で見せていくんです。


こういう、甘さのない、ドライな感覚は、フランス映画ならではで、同じ頃のアラン・レネ去年マリエンバートで』ほどではありませんが、かなり極端な設定で語られる「男と女」(フランス映画は畢竟この問題に帰結しますね)。


ここまで書くとおわかりだと思いますし、もはや、映画史に残る作品ですから、ネタバレしてもその面白さは1ミリも損なわれないのでありましょうから書きますが、この男は、どうやら、第二次世界大戦中に生き別れた夫らしいのです。


しかし、夫と思しきこの男は、過去の記憶を一切失ってしまった、かなり重症の記憶喪失者なのでした。


唯一覚えているのが、ロッシーニのオペラ、『セビージャの理髪師』(フィガロの結婚の前日譚です』の一節。というのが実にうまいですね。


ですので、ホントにこの男に夫かどうかを証明する事ができません。

 

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彼は本当にアルベールなのだろうか。


この絶望的な悲劇を生んだ戦争を声高に告発するのではなく、2人の、不器用な中年男女を淡々と描く事で伝わってくる、誰にもぶつける事のできない悲しみが見事に伝わってきます。


セリフも必要最小限に切り詰め、説明的な部分はほとんど排除しています。


本作の公開は1961年ですから、戦争の記憶は世界中の人々には生々しく、この映画を当時の人々は相当なリアリティをもって見たのではないでしょうか。


監督のアンリ・コルピは映画の編集として大変有名ですが、映画監督としての作品はとても少なく、本作は彼の代表作と言ってよいでしょう。

 


あえて、ガランとしたロングショットを多用し、男の悲しみすら失われてしまった、空っぽの心象風景を表現しています。

 

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セーヌ川のほとりでホームレス生活している男。


そこに男の何度もくりかえされる鼻唄が切なく響きます。


ラストシーンの、名前を呼ばれて、男が思わずしてしまう行為が、あまりにも悲痛ですね。。


脚本、マルグリット・デュラス、音楽、ジョルジュ・ドリュリューという、最高の布陣の見事な作品でした。必見。

 

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ダンスシーンは映画史に残る名シーンだと思います。

 

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残念!

ベニー・ブーム『All Eyez on Me』

 

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2PACそっくりな役者さんが善戦してはいますが。 


ヒップホップ史上、最もレコードを売ったラッパー、2PACの生涯を描いた作品。

 


NWAを描いた『Straight Outta Compton』の続編とも言える内容で(NWAのメンバーだった、Dr.Dreが、2PACを見出し、彼のアルバムをプロデュースしています。『Straight~』でもほんの少し2PACは出演してます)、ヒップホップというジャンルのパブリックイメージを良くも悪くもつける結果となった、その痛ましくも短い生涯が、とうとう映画となったわけです。


結論から言えば、「早いよバカヤロウ!」(by 鬼瓦権蔵@アルプス工業)でした。


まずですね、1990年代のヒップホップカルチャーは、今見るとまだイタいんですよ。


そこが致命的です。

 

あと、20年は寝かせるべきでしたね。

 

さらに言えば、関係者がまだ現役ですし、みな若いですよね?


何しろ、約20年前に2PACは何者かに射殺されているわけですが(犯人は未だに不明です)、亡くなった時、わずか25歳です。


あの銃撃で死なずに生きていたら、まだ、50歳にもなってません。


関係者は、今でも音楽業界で現役だったりしますから、突っ込んだ内容にはなりようがないです。


クリント・イーストウッドの痛恨作『バード』がよくないのは、主人公である、天才アルティストのチャーリー・パーカーの未亡人である、チャン・パーカーが必要以上に作品に干渉してきたからです。


最近、内縁の妻に射殺されたジャズトランペッターのリー・モーガンのドキュメンタリーが公開されましたけども、アレも内縁の妻が亡くなる数ヶ月前に、証言を残していたという奇跡があったので成立しているんですが、ヒップホップ史上最大の大ネタといってよい、いわゆる「東西抗争」の1つのクライマックスでもある、2PACの射殺事件は、モーガンとは比べものにならないほどに関係者も多く、その経済的社会的なインパクトの度合いの違いがあまりにも違いすぎます。


若くして非業の死を遂げたサム・クックも未だに満足な伝記映画ですらなかったはずで(そろそろソニー・ピクチャーズでやりそうな気はします)、そういう意味でも、「早いよ、バカヤロウ!」なのであります。


2PACを語る上で重要である、ブラックパンサー党や、ロサンジェレスで目撃せざるを得なかった厳しい現実、デス・ロウ・レコードとの接触やビギー、スヌープドックといった同時代に活躍したラッパーとの関係などなどの重要な部分への掘り下げがめちゃ浅く、その程度の事は、昔、雑誌で読みましたよ?程度の事を特に何のヒネリもなく映像化されても、別に何の感慨もないのです。


同じミュージシャンの伝記映画だったら、ティナ・ターナーのほうがずっとよかったです。


主演の役作りの凄さもありましたが、アイク・ターナーを演じるウォーレンス・ウィシュバーンの極悪非道ぶりが見事でしたけども、そういう役者の演技や存在感みたいなものが、実在の人物に明らかに負けていました。


明らかにアイスキューブやDr.ドレーをキレイに描きすぎている『Straight Outta Compton』も、役者陣が魅力的だったので、面白かったんですけど、そこが明らかに弱かったですね。


ヒップホップ最大の大ネタなのですから、もっと大事に映画化して欲しかったですねえ。残念。

 

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タイトルにもなった、2PACの二枚組の大作。ヒップホップ史上初めての二枚組アルバムにして、全米第1位という金字塔の作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ビックリした!こんなすごいキャメラ、見たことないですよ!!

チョン・ビョンギル『悪女』

 

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いきなりこんな映画です(笑)!


私はほとんどゲームはやらないんですが、『バイオハザード』という作品がありますよね?


本作は、あの目線でずっとノーカット(実際は巧みにつないでいるかもしれませんが、見た目はずっと一つのキャメラで延々撮ってるように見えます)で次々と銃やナイフを使ったアクションが繰り広げられます。


しかも、敵の数が『男たちの挽歌』なんてモンじゃないんですね、コレが(笑)。


この、一切説明なしの問答無用の掴みっぷりは、なかなか豪快です!


この、「バイオハザード目線で延々とアクションする」というアイデアは、もうゲームの世界では当たり前ですから、そんなに斬新でもないし、多分、世界中の映画監督がやりたかったアイデアなのかもしれませんが、コレをここまで見事にやり切ったのは、恐らく本作が初めてなのでしょうね。

 

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この視点で延々とアクションが続くんです!


いや、オーストラリアの映画でスゲエのがあるよ!というのをご存知の方はご一報を。


仮に、コレに先んじてあったとして、本作のこの撮影のすごさにどれだけ迫れているのか。


冒頭10分が驚きの撮影。というのは、映画史的に言えば、まずはオーソン・ウェルズ黒い罠』や、恐らく、これへのオマージュと思われるロバート・オルトマン『ザ・プレイヤー』でしょうけども、それに勝るとも劣らない偉業を本作は成し遂げましたね。

 

ちなみに、この「バイオハザード目線」はゲーム的には第3ラウンドに当たるシーンで、プツンとその時点からキャメラと主人公の女性が離れて、普通のアクションになるのですが、一体どうやって離れたのか、技術的に全然わからないですね。

 

しかも、ワンキャメラで撮るのは、全く変わらないんです。


そして、そのまんまキャメラは窓ガラスを破ってビルの三階から飛び降りたりまでします(笑)。


とにかく、どういう風に撮影してるのかが全くわからず、ひたすら驚天動地の撮影をコレでもかと見せるんですね。


数年前にアカデミー作品賞と撮影賞を受賞した『バードマン』の撮影もたまげましたが、本作の冒頭の撮影は、それを遥かに凌いでいます。

 


韓国映画の技術水準は、もはやハリウッドとほとんど遜色ない事を証明しておりますね。

 


一切説明なしで話が進むので、彼女が何の目的でこの組織をたった1人で壊滅させ、その直後に逮捕され、脱走しようとして失敗。までが一体どういう事なのかわからないのです。


しかも、一貫して、ワンキャメラが恐ろしくスムーズに主人公を追い回したり、追い抜いたりして撮影していて、とてつもない。


主人公の身のこなしは、終始、並大抵ではない点も重要です。


スタントなしで、唖然とするようなアクションの連続をこなしています。


顔を無理矢理整形され(ですので、1人二役になります)死んだ事にされ、職業訓練を施され、別人として生きる事となった(しかも、妊娠してました。女の子でせ)、スクヒ(淑姫)。


整形手術後をよーく見ると、パク・チャヌク『渇き』に主演していたキム・オクビンではないですか!

 

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二階堂ふみに似ている、キム・オクビン


政府機関の殺し屋に完全に変貌したスクヒ(チェ・ヨンスという別人のIDを与えられています)ですが、その活躍ぶりは実際にご覧になって下さい。

 


次第に明らかにされていく、スクヒの過去。

 


イヤイヤ、これ以上は言えねえ言えねえでございます(笑)。

 


ここまで書いて、映画のお好きな方ならば、リュック・ベッソンニキータ』を思い出すかもしれませんが、もう、アクションの次元が全く違っていて、比較になりません。

 


才能はチョン・ビョンギルの方が圧倒的に上であるのは、見るとおわかりになるでしょう。

 


アクションが余りにもすごいので、ウッカリ見落としてしまいそうになりますが、ラブコメ的な日常を撮ってもうまいのに驚きます。

 


それにしても、韓国映画界はホントに次から次へと新しい才能が出てきて恐ろしいですね。

 

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こんなに気配りと配慮のかたまりみたいな作品はない!

ジョス・ウェドンアベンジャーズ: エイジ・オブ・ウルトロン』、

アンソニー&ジョー・ルッソキャプテン・アメリカ : シヴィル・ウォー』

 

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すちゃらか社長と真実の人。


2本目はキャプテン・アメリカ名義の作品ですが、事実上、アベンジャーズの第3作目と見なしてよいと思うので、合わせて論じていきます。


会を重ねるごとを作品としてのクオリティが上がって行きますね。


このアベンジャーズの特徴は、敵があんまり強く。というのがあります。


特に後者は、『24』あたりに出てきそうな、テロリストの中ボス級のキャラです。

 

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なんと、ラスボスはアベンジャーズに家族を殺されてしまった事への私怨を晴らそうとするテロリストです。


では、何に重点が置かれてるのかというと、アベンジャーズの内部の対立なんですよね。


『ウルトロン』はアイアンマンこと、トニー・スタークのちょっとした気の緩みが、邪悪なAIを生み出してしまい、コレが人類を滅亡させようとするんです。

 

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そんなに強そうではないウルトロン。


出来事としては、めちゃくちゃデカイ事になっていくのですが、その肝心のAIが身体をもって戦うと、ハルクには、全然敵いません。


しかも、ウッカリとはいえ、コレを生み出したのは、すちゃらか社長のスタークです。


彼は、何とか手に入れたAIの能力をアベンジャーズに活かせるのではないか?と学者ハルクとコッソリ研究しようと考えていたんですね。


原因を作っているのが、主人公であり、その結果、かなりの惨事が起き、何とかハリウッド映画的に危機を救うわけですが、そんな彼らの行動が糾弾されてしまうのが『シヴィル・ウォー』なのですね。


タイトルから繋がっているように見えないという作り方は、正直、ファンにのみアピールするようなやり方なので、私はあまり関心しません(ラジオ番組で、「コレは続編ですよ!」と聴かなかったら、今でも気がついてなかったと思います)。


もう1人の主人公と言えるキャプテン・アメリカにより焦点を当てながら、正反対の考え方を持つアイアンマンとの対立がやがて、アベンジャーズの事実上の分裂となり、その対立が描かれるという、ヒーローものとは思えない、かなり異色なテイストを持った作品であり、タイトルは『アベンジャーズ : シヴィル・ウォー』とした方が、実はシックリくる内容です。


内容が内容のため、ハルクとトールがうまくストーリーに登場しません。


ハルクは余りにも強いので、ついた側が勝ってしまいますし、トールは神なので、対立するならば、どっちにも雷を落として、自分が地球を守る。人間には任せられない。という、シンプルな結論を下してしまうので、人間的な「正義と正義の対立」にはなり得ません(笑)。


その代わり、より人間的なキャラクターとコメディリリーフが入ってきます。


前者がブラック・パンサーであり、後者がスパイダーマンアントマンです。

 

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とうとう出てきました、ブラック・パンサー!


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すちゃらか社長にフックアップされて、スパイダーマン登場。


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アントマン、大活躍です!


アベンジャーズでも、チラっと出てきていた、ワカンダという、アフリカでほとんど鎖国状態となっている謎の王国の王子である、ティチャラこと、ブラック・パンサーは、本作では、国王である父がウィーンの国連の施設での演説中に爆弾テロで殺害されしまいます。

 

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ティチャラは、ブラック・パンサーとして復讐を誓う。


話が前後しますが、なぜ、ワカンダ国王が国連で演説しているかというと、その原因がなんと、アベンジャーズでした。


アベンジャーズが追い回していたヒドラという犯罪集団をナイジェリアの首都レゴスで突き止め、追いかけ回している時に、レゴスを訪れていたワカンダ王国の使節の人々が巻き込まれて死んでしまいます。


コレと前作のヨーロッパでの悪行三昧(?)が国際世論の批判を招き、アベンジャーズは国連の監視下に置かれるべき!という意見が強まってきます。


米国の国務長官ロスがアベンジャーズたちを説得しますが、スタークは賛成するのですが、アメリカの伝統的な保安官的な正義観を持っているキャプテン・アメリカは、コレに反対します。

 

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国務長官のロス。


この対立が残ったまま、国連でのアベンジャーズ監視についての議論が始まろうとしていた矢先に、テロが起きてしまい、議論はストップしてしまいました。


このテロを起こした者の真の目的は、アベンジャーズたちが反目する事で壊滅する事が目的でした。


そして、その目的は、成功してしまう。という終わり方です。


ハリウッド映画の主人公の系譜を考えるに、その基本は、やはり、キャプテン・アメリカの持つ、「保安官的な正義」です。

 

西部開拓時代のアメリカというのは、およそ法治国家とはいえず、それぞれの街にいた保安官が現在でいうところの警察、検察、裁判所をすべて兼任していたようなもので、連邦政府はそれを事実上容認していました。


事実、土地の権利の争いなどが殺し合いになる事もあり、強力な権限を持ってこの紛争に介入する実行力がなくては、法秩序が維持できなかったんですね。


コレが、無数に作られた西部劇の元ネタとなっていくんです。


アメリカ合衆国が先進国で稀に見るほど、銃を保持しており、それによる犯罪が後を絶たないにもかかわらず、決して銃規制に向かわないのは、こうした歴史的背景があるためで、今でも田舎では自分の身は自分で守らなくてはならないという考え方は根強いんですね。


アメリカが法治国家になっていったのは、鉄道網や道路網の整備が進んだ20世紀に入ってからなのであって、まだ、100年ほどしか経っていないんです。


FBIすらなかったんです。


そんな国のヒーローの行う正義は、おおむね、そのもたらす結果はほとんど蛮行スレスレでありますが、ハリウッド映画の中では、それらはほぼ是。として描いているんですね。


しかし、アベンジャーズは、2作目から顕著になりますが、彼らが敵と戦う事によって、街が破壊され、死傷者が出ている事が問題視されるようになります。


遂には国連の議題にすらなるという、イランや北朝鮮のような核兵器問題とほとんど同一視されるような眼差しがアメコミヒーローたちに向けられていて、それはそのまま、現在のアメリカ合衆国の状況そのままとなっているんですね。


と、これまでの保安官的な正義というものを、具体的な被害から糾弾する。という事が、今度、どのように展開していくのかはわかりませんが、この一連のマーヴェル作品のすごいところは、1人のクリエイターが中心となって作っているのではなくて、プロジェクトとして進行させている事ですね。


ですので、常に複数の映画製作が同時進行可能であり、それらの作品との整合性がものすごく取れており、かつ、アベンジャーズだけを見ていても、それほど困らないように作られているのがすごいです。


一言で言えば、「心配りの塊」のような作品群であり、細かいディテールをもう少し詳しく知りたければ、ここのヒーローを主人公にしたシリーズを見たりするというあり方も可能です。


個人的には少なくとも『アイアンマン』と『キャプテン・アメリカ』は見た方が奥行きは出てくるでしょう。


と、ここまで、本作の良い点を褒めてみましたが、最後に欠点を。


壮大な世界観を非常にバランスよく描いているが故に、何か、突き抜けたものがない。何か常に85点のクオリティを見せられている感はどうしても否めませんね。


どうしても、圧倒的に太くて豪快な『バーフバリ二部作』と比べると、細い気がします。


しかし、現在のアメリカの様々なジャンルにおける表現はおしなべて繊細な方向に向かいつつあり、ハリウッド大作映画ですらも、そうなってきているという事なのだと思います。

 

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すでにタルコフスキーらしさが出てますね。

アンドレイ・タルコフスキー僕の村は戦場だった


タルコフスキーの長編第一作。

 

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びっくりですね。こんなにキャメラが動きまくって、登場人物が動きまくり、結構ベタなサントラがバッチリ貼り付いている。


タルコフスキーといえば、静謐で説明的な描写はほとんどなく、画面もゆっくり動くのが特徴ですけども、もっと劇的な手法で撮っていたんですね。


とは言え、タルコフスキーの重要なモティーフである、「水」や「火」はすでに出てきます。

 

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もう「水」や「馬」が出てきます。


結論から言ってしまえば、タルコフスキーはこの題材で映画を撮りたくなかったんだと思います。


ストーリーのベタさは、およそ、後のタルコフスキーとはあんまりつながりません。


それが、時折挿入されるハッとするような映像美に感じます。

 

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黒澤明を影響を感じますね。


監督の意気込みと題材が空回りしてるんですよね。


コレは明らかに作りたくなかったんだろと。


しかし、知名度も実績もなかったので、「この題材で撮れ」と言われてもイヤとは言えなかったのでしょう。


とはいえ、タダでは転ばないのが、タルコフスキーであり、明らかに黒澤明羅生門』を思わせる、戦争で廃墟になってしまった町のシーン、白樺が生い茂っているシーンなどなど、並々ならぬ才能はすでに開花していて、当時のソ連にはとんでもない才能がいる事が、この一作で十分伝わってくるんですね。

 

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どこか、アントワーヌ・ドワネルを思わせるイワン少年は、戦争の恐さ。というものがわかっていません。

 

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ソ連軍のために密偵をやっているイワン少年。


とはいえ、一応、第二次世界大戦のドイツとの戦いを描いてはいるものの、戦闘シーンはそんなに重要ではなく、どこか緩慢です。


しかし、時折挿入される、イワン少年の夢や回想シーンが実に素晴らしく、タルコフスキーの才能が羽ばたいています。

 

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こういう、のびのびとした感性をもっと伸ばしていけるような環境で映画を撮っていたら、もっと違った彼の側面を見る事が出来たでしょう。


1960年代のソ連はまだまだ元気があり、インテリ層もソ連への期待がありましたから、タルコフスキーは注目を集めることになりまして、次第に映画製作も彼の望む形になっていきます。


が、結局は亡命してしまうのですが。


ラストシーンは、今見てもなかなか物議を醸し出します。

映画監督としての表現はまだ未熟ですけども、だからこそ、いろんな発見のある映画でした。

 

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とにかくバランスがよい!

ジョス・ウェドンアベンジャーズ

 

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第1作はまだ顔ぶれ少ないです。


はい。今頃になって第1作を見ました(笑)。


面白かったですね。


アメコミの事はあんまり詳しくないですけども、事実上の主人公と言ってよいアイアンマンは、実はマーヴェルのヒーローの中ではそんなに人気のあるキャラクターじゃなかったようで、当時、低迷しきっていたアメコミ原作の映画化でネタが尽きてしまった状態で残っていたのがアイアンマンだったのだそうです(マーヴェルの映画化権が、複数の映画会社にあった事が大きかったようです)。


しかも、アイアンマンを演じるロバート・ダウニーJr.は、実はその前はかなり役者として低迷していました。


要するにあんまりいい要素がない状態で始まったのが『アイアンマン』なのでありましたが、フタを開けたらコレが大ヒットしてしまい、ダウニーJr.はかつて以上の大スターになってしまいました。

 

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ダウニーJr.の最大の当たり役となりました。


そんなアイアンマンに、トール(ソーという言い方はどうしても馴染めまないですね)、ハルク、キャプテン・アメリカという、マーヴェルのヒーローを加えた作品にしてしまおうという、なんというか、ビフテキ、刺身の盛り合わせ、天ぷら、うな重ビーフストロガノフが一気にきたような塩梅です。

 

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柳生十兵衛しているサミュエル・L・ジャクソン(悪役ではありません)。 

 

が、実際、コレが一挙にテーブルに並んだだけでは、「いやいや、ごちそうだけども、食い合わせが悪すぎるよ!」と叫んでしまいますよね。


本作のうまい所は、それぞれのキャラクターの特性をうまく生かした脚本であると思います。

 

特に、アイアンマンとハルクの使い方が上手いんですよね。


「チョイ悪社長」であるアイアンマンが超真面目キャラのキャプテン・アメリカをからかったりする絡みやイザとなった時の連携がやはりよくできています。

 

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キャプテンアメリカ


そして、多分、アベンジャーズ最強であろうハルクは、タメてタメて、最後に大爆発させる!という活躍のさせ方ですよね。


ハルクは基本的にコントロールできないキャラクターですから、こういう活躍のさせ方以外できないわけですけども、こういう、エガちゃん的な時間的な活躍時間は少なくても、インパクトがハンパではないという使い方は、ベタですけども、ツボにハマります。

 

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ホンの少しですが、ハリー・ディーン・スタントンが、ハルクことバナー博士と絡みます。


要するに、この映画は、気をてらった事はほとんどしていなくて、ある意味、基本的な事を慌てず騒がずにキチンと設計して作ったというところに勝因があったと思います。

 

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悪役のロキ(トールの弟です)はちょっとちょっと弱いかな?本作のテーマはアベンジャーズの団結がメインではあります。


アクションの切れ味は、ジェイソン・ボーン・シリーズのキレキレほリアリティやイーサン・ハントのファンタジックを極め尽くした(実際の撮影は凄絶を極めているのでしょうけど)凄さから比べると、正直見劣りしますけども(敢えてそういうクオリティにして、より広い層にアピールしているのでしょう)、正義というものがそもそもどこにあるのか?というところでアベンジャーズたちが迷走し、そこにつけ込まれて壊滅的な打撃を受けてしまったりするという、単なる勧善懲悪になっていない作りなどは、非常に今日的です。


第2作目も早速見てみようと思います。

 

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ジャンル分け困難な変態映画です。

ポール・バーホーベン『ELLE』

 

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現在はヨーロッパを拠点として映画を撮っているバーホーヴェン監督の新作ですが、はじめの30分くらいは、一体どういう映画なのかよくわかりません。


主人公でゲーム会社の社長をしているイザベル・ユペールが一体どういう人間なのかが、見ていてもつかめないんです。

 

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最近当たり役の多いイザベル・ユペールホン・サンス作品でも主演でした。


しかし、それが突然明らかになります。


ユペールの父親は、無差別に27人もの人々を殺し、その後、刑務所に服役し続けているのです。ひいっ。


しかも、ユペールはその父親の犯行後の姿を見ているのです。ぎゃっ。


しかし、そういうエグいところをバーホーヴェンはものすごく淡々と見せるんですね。


そして、ここで冒頭に戻るわけですけども、ユペールは覆面をつけた男に突然レイプされるところから始まります。

 

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いきなりレイプシーンから始まるというすごさ。。


しかし、警察に電話するでもなく、風呂に入って、寿司を注文して次の日、何事もなかったかのように自分の経営するゲーム会社(なんだか、エロとバイオレンスのわけわからんゲームを作ってるんですけど)で仕事をしてます。

 

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ハリー・キャラハンの精神を継承?


そして、その合間に病院に行ってると。異常な出来事があまりにもスッと描かれていき、主人公も何事もなかったかのように生活しているのが、なんだかよくわからんかったのですけども、そこに、少女時代の凄惨な出来事があった事がわかったときにすべて氷解するという。

 

要するに、警察やマスコミに「無差別殺人者の娘」として好奇の目にさらされてしまっていた事が彼女を大いに傷つけて

いたわけです。


アドモドバルだったら、その辺がもう少しポップな感じになると思いますが、そこはバーホーヴェンですので、やっぱりドギツいです。


こういう強烈な過去を持つ主人公をイザベル・ユペールが実に違和感なく演じているのがコレまたすごいですね。

 

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このレイプ事件から主人公の周囲ではおかしな事が起き始めるのですが、これとともにお話の中で進むのが、主人公と父親の問題が描かれます(この辺りは実際にご覧下さい)。

 

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何度も現れる覆面の男。

 

サスペンスそれ自体はそれほど入り組んでいるわけではなく、そこに時間があまり割かれてはいませんが、本作が際立つのは、「どうして主人公はそのような選択をするのか?」という事に時間を割いている事ですね。


安直な勧善懲悪とか、そういう所に落とし込もうとはしないのは、昔からからのバーホーヴェン監督の姿勢ですけども、本作ほど、どう考えたらいいのかが難しい作品はないでしょうね。


それでいて、見終わった感じが悪いどころか妙にスッキリ感がすらあります。


思えば、『ロボコップ』や『トータル・リコール』も、よく考えると問題解決から程遠いのですが、なぜが爽快でした。


問題は死ぬまで続き、何がスッキリと全面解決してハイ、おしまい。みたいな事はなく、とりあえずココで映画としては終わっときますね。みたいな事をずっとやり続けている人で、それはフランスで映画を撮っても全く変わってないんですね。


奇しくも、この映画が公開される前後から、ハリウッドでMeToo運動が始まり、それは2018年現在も進行中であり、そのきっかけとなったプロデューサーのワインスタインがついに起訴されましたが、こういう嗅覚の鋭さも、バーホーヴェンが作家として未だに現役である事を感じます。


ジャンルわけや予定調和を拒否する、大変強烈な映画でした。

 

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