ジャンル分け困難な変態映画です。

ポール・バーホーベン『ELLE』

 

f:id:mclean_chance:20180527111749j:image


現在はヨーロッパを拠点として映画を撮っているバーホーヴェン監督の新作ですが、はじめの30分くらいは、一体どういう映画なのかよくわかりません。


主人公でゲーム会社の社長をしているイザベル・ユペールが一体どういう人間なのかが、見ていてもつかめないんです。

 

f:id:mclean_chance:20180527111826j:image

最近当たり役の多いイザベル・ユペールホン・サンス作品でも主演でした。


しかし、それが突然明らかになります。


ユペールの父親は、無差別に27人もの人々を殺し、その後、刑務所に服役し続けているのです。ひいっ。


しかも、ユペールはその父親の犯行後の姿を見ているのです。ぎゃっ。


しかし、そういうエグいところをバーホーヴェンはものすごく淡々と見せるんですね。


そして、ここで冒頭に戻るわけですけども、ユペールは覆面をつけた男に突然レイプされるところから始まります。

 

f:id:mclean_chance:20180527111954p:image

いきなりレイプシーンから始まるというすごさ。。


しかし、警察に電話するでもなく、風呂に入って、寿司を注文して次の日、何事もなかったかのように自分の経営するゲーム会社(なんだか、エロとバイオレンスのわけわからんゲームを作ってるんですけど)で仕事をしてます。

 

 f:id:mclean_chance:20180527112045j:image

ハリー・キャラハンの精神を継承?


そして、その合間に病院に行ってると。異常な出来事があまりにもスッと描かれていき、主人公も何事もなかったかのように生活しているのが、なんだかよくわからんかったのですけども、そこに、少女時代の凄惨な出来事があった事がわかったときにすべて氷解するという。

 

要するに、警察やマスコミに「無差別殺人者の娘」として好奇の目にさらされてしまっていた事が彼女を大いに傷つけて

いたわけです。


アドモドバルだったら、その辺がもう少しポップな感じになると思いますが、そこはバーホーヴェンですので、やっぱりドギツいです。


こういう強烈な過去を持つ主人公をイザベル・ユペールが実に違和感なく演じているのがコレまたすごいですね。

 

f:id:mclean_chance:20180527112447j:image


このレイプ事件から主人公の周囲ではおかしな事が起き始めるのですが、これとともにお話の中で進むのが、主人公と父親の問題が描かれます(この辺りは実際にご覧下さい)。

 

f:id:mclean_chance:20180527112635j:image

何度も現れる覆面の男。

 

サスペンスそれ自体はそれほど入り組んでいるわけではなく、そこに時間があまり割かれてはいませんが、本作が際立つのは、「どうして主人公はそのような選択をするのか?」という事に時間を割いている事ですね。


安直な勧善懲悪とか、そういう所に落とし込もうとはしないのは、昔からからのバーホーヴェン監督の姿勢ですけども、本作ほど、どう考えたらいいのかが難しい作品はないでしょうね。


それでいて、見終わった感じが悪いどころか妙にスッキリ感がすらあります。


思えば、『ロボコップ』や『トータル・リコール』も、よく考えると問題解決から程遠いのですが、なぜが爽快でした。


問題は死ぬまで続き、何がスッキリと全面解決してハイ、おしまい。みたいな事はなく、とりあえずココで映画としては終わっときますね。みたいな事をずっとやり続けている人で、それはフランスで映画を撮っても全く変わってないんですね。


奇しくも、この映画が公開される前後から、ハリウッドでMeToo運動が始まり、それは2018年現在も進行中であり、そのきっかけとなったプロデューサーのワインスタインがついに起訴されましたが、こういう嗅覚の鋭さも、バーホーヴェンが作家として未だに現役である事を感じます。


ジャンルわけや予定調和を拒否する、大変強烈な映画でした。

 

f:id:mclean_chance:20180527112737j:image

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画館で見直したら、やっぱり最高でした!

S. S. ラージャマウリ『バーフバリ 王の凱旋 完全版』

 


バーフバリの後編がとうとうインドでの公開と同じ完全版として公開されました!

 

f:id:mclean_chance:20180517042321p:image


いやー、映画館で見ましたけど、この作品は、映画館で見ないとダメですね。


心底そう思いました。


この完全版上映は、実は、前編を見てなくても、ものすごく丁寧な前編のあらすじを恐らく日本独自に作成していて、見るには支障ありません。


敢えてゲーム的な動きのままにしたCG表現が効果を上げていて、それが見ていてマイナスどころかプラスなのがとても面白いですね。


イントレランス』、『ベン・ハー』、『スパルタカス』、『スターウォーズ』、そして、『タイタニック』というアメリカのスペクタクルな大作映画のおいしいところを全部入れて、更にコテコテのお笑いコント、インド映画お得意の(本作はボリウッド映画ではないですが)ミュージカルまで入った、まことにぶっとい映画でした。


内容に立ち入ったものはもうすでに書きましたので、もうここでは繰り返しません。


やはり、忠臣カッタッパと国母シヴァガミがめちゃよかったですね。


とにかく、3時間近くあるのに、退屈させてくれない、最高のエンターテイメントを堪能いたしました。


見直してみて、敢えて難を言えば、ジブドゥ/マヘンドラ・バーフバリと行動をともにしていたレジスタンスの存在が、後編だとかなり弱くなってしまう事でしょうかね。


ココはもうちょっとなんとかすべきだったかもしれません。


それにしても、インド映画の水準が確実にワンランク上がりましたね。

 

f:id:mclean_chance:20180517042149j:image

国母!

見事な短編小説読んだように面白かった!

マーティン・マクドナー『スリービルボード

 

f:id:mclean_chance:20180505170107p:image

町外れの誰も見ないような広告板でした。


なんとなくショービズの内幕描いた作品みたいなタイトルですけども、ビルボードの本来の意味、野外に建てられている大きな広告板の事で、それが、それがミーズリー州の小さな町で3つの掲示板に出された広告がもたらした出来事を描いた作品です。

さて、その広告板どんな広告だったのかというと、


「逮捕はまだ?」


「ウィロビー署長は何してる?」


「娘はレイプされて殺された」


という、恐ろしくドギツい広告であり、

出したのは、娘を殺された挙句、遺体を焼かれた母親のミルドレッドでした。

 

f:id:mclean_chance:20180505170303j:image

レイプ犯を見つけようとするミルドレッドを演じる、フランシス・マクドーマンド

 

f:id:mclean_chance:20180505170658j:image

名指しで署長をディス!

 

地元の警察官は激怒し、中でも、ディクソンという、アホな警官の怒りは並々ならぬものが。

 

f:id:mclean_chance:20180505170515j:image

「黒人を拷問してるのか?」とのディスりに激怒するディクソン。そりゃ怒るでしょう(笑)。


広告を出した母親ミルドレッドを演じるフランシス・マクドーマンドは、ラーメン専門店の気合の入ったお兄さんみたい作務衣にバンダナみたいな格好で(笑)、ほとんどクリント・イーストウッドばりの「正義は我にあり!」という人で、警官たちにも住民にも喧嘩上等であります。

思い切り名指しされてディスられた署長は、実はものすごくいい人で、当然ですが、娘さんの捜査は手抜きどころかすべてキチンと行った上で、確実な証拠が何一つ出てこない事でお手上げになってしまった事をミルドレッドに伝えるのですが、「んなもん関係ねえ。ちゃんと捜査しな!」と、ロッキンママなのでした。

 

f:id:mclean_chance:20180505170849j:image

あまりに過激すぎるミルドレッドを心配する署長。ウディ・ハレルソンが好演してます。


しかし、ココで1つの問題が判明します。

署長は膵臓癌を患っていて、それほど余命がなかったのです。

「んなもん知ってる。でも、出さないとやんないしょ」と、異様な覚悟でこの暴挙に出ていたんですね。

ココから、小さな街中では、ギクシャクしたものが少しずつマクドーマンドの周囲で起き始めました。

コレ、どうすんの?どうなんの?と、思って見てますと、なんと、署長が休みの日に家族サービスをした日の夜に、銃で頭を打ち抜いて死んでしまうのです!

 

f:id:mclean_chance:20180505171041j:image

家庭ではホントにいいお父さんのウィロビー。


ココから、話がガラッと動き始めるんですね。

実は、家族にガンの症状があったする事で介護が大変になる事で迷惑をかけたくなかったので、署長はかなり用意周到に準備をして自殺していたんですが、これを誤解したディクソンは怒りを爆発させて、広告会社のお兄ちゃんを二階から投げ飛ばしてしまいます。

コレを、ちょうど、後任でやってきた黒人の署長が目撃してまして(警察署の向かいに広告会社があるんですね・笑)、ディクソンを解雇します。

前半は、ミルドレッドとウィロビー署長の話しでしたけども、後半は、元警官のディクソンとミルドレッドのお話しになっていきます。

と、このようにあらすじだけを書いてしまうと、なんだかシリアスな話だなあ。という印象がものすごく残ってしまうのですが、実際に見ると、実は、かなり笑えるシーンやセリフが多く、映画館で見ていると何度も笑い声が聞こえてきました。

マクドーマンド演じるミルドレッドがディクソンに対して、「今日も黒人を拷問してるのか?」とかを平然と聞いたり、「オレは署長の味方」みたいな事を言い出した歯医者を、あの歯医者さんが使っている歯に穴を開ける機械で親指の爪に穴を開けてしまったり、クルマに缶をぶつけてきた高校生のに金的を食らわしたりと、キャラハン刑事も真っ青なぶっ飛びキャラを演じていて、実に清々しいですし、合間、合間にスッと挿入される会話のトボけたおかしさがホントに絶妙なんです。

 

f:id:mclean_chance:20180505171217j:image

ミルドレッドのエジキとなる歯医者さん(笑)。

 

f:id:mclean_chance:20180505171313j:image

ママと一緒に住んでいるディクソン。


見どころは、そのどこかトンチンカンなミルドレッドとディクソンの微妙な認識のズレだったり、おっちょこちょいが起こしてしまう、しかし、ソレ、ヤバくないか?の連続なのですが、コレは見てのお楽しみに。

ディクソンを役のサム・ロックウェルはホントに、無知でどうしようもない、しかし、善良な白人警官を見事に演じてました。

アカデミー賞受賞は納得です。

全く予測もできない方向に物語がドンドンと転がり、スッと終わります。

この終わり方がまたうまいですよね。

何というか、一級の短編小説を一気に読んでしまったような爽快感がありました。

それぞれの人物の行動の是非を問うとか、そういう事ではなく、まずは、どうなるの?どうなるの?とハラハラしながら見るのがよいでしょう。

本年度アカデミー賞脚本賞逃したのが不思議としか思えないほどに見事な脚本でしたけども、マーティン・マクドナーは、もともと劇作家としてイギリスで大変高い評価を受けている方であったんですね。

本年のベスト5入りは確実であろう傑作です。

 

f:id:mclean_chance:20180505171427j:image

 

天才大林宣彦の凄さを世に知らしめた快作/怪作。

大林宣彦『HOUSE』

 

f:id:mclean_chance:20180430132308j:image

映画のイメージ画。こういうキャッチーな見せ方が当時の日本映画には、ほとんど皆無の才能でした。


大林監督の商業映画としてのデビュー作。


彼の自由な感性とテクニックがここまで爆発した作品は他にはないのではないか。というくらいに自由に描かれたファンタジー。


ハッキリと書き割りとわかるようなセットが連発するリアリズムを一切廃した画面構成、自由奔走なキャメラワーク。


いい意味でチープでほとんどマンガと言ってよい絵作りは、今見ても驚異的なすごさです。

 

f:id:mclean_chance:20180430132452j:image

登場人物の名前がファンシー、クンフー、オシャレ、ガリというのもかなり人を食ってます。まあ、食われる話なんですけど(笑)。


低予算を逆手に取ってここまで思い切ってデフォルメしきった作りにしてしてしまう大胆さは、心底驚かせられますが、それらがみま見ても全く古めかしさがないのが驚きです。

 

f:id:mclean_chance:20180430133140j:image

昭和の高校生はこんなものでした(笑)。


夏休みに、おばの住む人里離れた丘の上にある洋館を、7人の女の子が訪れるという、古典的とも、ベタとも言えるシチュエーションで、女の子が次々と行方不明になっていく。というホラー映画なのですが、大林監督の撮るホラーは、まことにファンタジックです。

 

f:id:mclean_chance:20180430133118j:image

 

f:id:mclean_chance:20180430132616j:image

ほとんど『13日の金曜日』並みのベタなシチュエーションで好き放題やってます。


動く映像を見せられないのが実に残念ですけども、彼がやりたかった映像技法のありとあらゆるものをコレでもか!というくらいにつぎ込んでおりまして、以後の大林作品にも、彼の独特の画面作りというのは(「大林マジック」としでも言いましょうか)、しばしば散見されますけども、本作ほど、ほとんど全画面にコレを駆使した例はなく、この点は見ていてついていけない人はいるかもしれませんね。

 

f:id:mclean_chance:20180430132732j:image

f:id:mclean_chance:20180430132800j:imagef:id:mclean_chance:20180430132820j:image

f:id:mclean_chance:20180430133234j:image

女の子では、クンフーがよかったですね。クビチョンパでスンマソン(笑)。

 

私は大いに楽しみましたが。

古い洋館に住み着いている幽霊に、女の子たちが次々と食われていく。という、文章にしてしまうと、トビー・フーパーとかのグチャグチャデロデロな絵が浮かんで来そうですが、そこをキレイに見せるところが、大林監督の美点ですね。

 

f:id:mclean_chance:20180430132955j:image

こういう、ほとんどマンガみたいな表現が満載です。

 

f:id:mclean_chance:20180430133358j:image

大林監督の娘さんのアイディアをもとに脚本を作ったのだそうです。


池上季実子大場久美子がまだ10代の女の子なのも、要チェックなのでした(笑)。

 

f:id:mclean_chance:20180430133447j:image

f:id:mclean_chance:20180430133502j:image

2人とも若い!

 

f:id:mclean_chance:20180430140024j:image

南田洋子の怪演が光ります。

 

f:id:mclean_chance:20180430140059j:image

キュピーン!

 

ローラ・パーマーの後半は一切いらないのではないか。

デイヴィッド・リンチ『Twin Peaks : Fire Walk with Me』

 

f:id:mclean_chance:20180419211904j:image

テレビシリーズへの怒りの表明でしょうか。この後、テレビを思いっきり破壊します(笑)。


邦題は本作の内容を的確な表しているとは言い難いので、原題のままで。

コレ、公開当時に見た時は、正直、アタマを抱えてしまいました。

というのも、何か、もっと続きがある上での一部を見ている気がしてならなかったからです。

で、それは当たってまして、テレビドラマ放映から25年後に続きが放映される事となりました。

この完結編とも言える続編は、全てリンチが自ら監督し、脚本もマーク・フロストと完全に協力して全話を書き上げました。

そして、予想をはるかに上回る傑作である事に驚いてしまうのと同時に、この続編が、映画版に描かれていると事とものすごく結びついている事がわかりまして、改めて見てみると、なるほど、そういう事だったのか!とスンナリわかってくるんですね。

ローラ・パーマーの殺人事件の一年前に起こった、テレサ・バンク殺人事件の捜査から本作は始まるのですが、この捜査を行うFBIのチェット・デズモンド特別捜査官(恐らく、ジャズミュージシャンのチェット・ベイカーとポール・デズモンドの名前をくっつけたものでしょう)は、ゴードン・コールやデイル・クーパーとともに、「青いバラ事件」を追っていたのですが、彼も捜査中に失踪してしまいます。

 

f:id:mclean_chance:20180419212101j:image

デズモンド特別捜査官。

 

f:id:mclean_chance:20180419212219j:image

胸には、「青いバラ」が。詳しくテレビ新作をご覧下さい。

 

f:id:mclean_chance:20180419212419j:image

コレも実はヒントです(笑)。


実は、失踪したのは、彼だけではなく、デイヴィッド・ボウイ演じる、ジェフリーズ特別捜査官も失踪していました(続編では触れられませんでしたが、ウィンダム・アールも失踪してます)。

 

f:id:mclean_chance:20180419212509j:image

失踪していたはずのジェフリーズが突然FBI本部に現れます。彼がいう「ジュディ」はテレビ新作で最重要タームとなります。

 

f:id:mclean_chance:20180419212633j:image

止まっている絵なので、わかりづらいですが、クーパーが画面に固まって当たり続けて、その横をジェフリーズが歩いているというシーン。コレと似たシーンは新作の第17話で出てきます。


結局、クーパーも失踪しているんで(笑)、この事件に関わる人間は、コールとダイアン、アルバート以外は全員失踪しているんですね。

 

デズモンドはテレサ・バンクス、ジェフリーズはジュディ、そして、クーパーはローラを追いかけているという事で、失踪した3人は、実は同じ構図になっています。

 

f:id:mclean_chance:20180419212905j:image

テレサ・バンクス。


この事はこの映画版ですでに示されていて、「青いバラ」をデズモンドが捜査している事も示唆されてたんですね。

また、テレサ・バンクスが住んでいたトレーラーハウスの管理人をしていたのは、改めて見ていると、ハリー・ディーン・スタントン演じる、カール・ラッドでした。

 

f:id:mclean_chance:20180419212959j:image

管理人のカール。リンチ作品にはチョイチョイ出てくるハリー・ディーンですが、2017年に亡くなりました。合掌。


そして、ここにあの「6」の番号のある電信柱がありましたね。

 

f:id:mclean_chance:20180419213836j:image


続編で何度も出てくる電信柱ですが、もう出てきていました。

 

f:id:mclean_chance:20180419213856j:image

デズモンド特別捜査官もこの電信柱が気になっています。

 

f:id:mclean_chance:20180419214600j:image

デズモンド失踪後にクーパーが現場を訪れます。

 

ブラックロッジへの道は、電線、もしくは電気を介して繋がっている事が続編で描かれていますので、ここで仄めかしたのは、デズモンドの失踪は、やはり、ブラックロッジと関係があり、「ボブ」もまた、コレを通って移動している事がわかりますね(その近くにテレサ・バンクスが住んでいました)。こういう謎解きが、テレビでの続編を見ると、一挙にわかってくるんですね。

映画版で唐突に出てくる「コンビニエンス・ストア」は、テレビドラマ続編で何度も出てきます。

 

f:id:mclean_chance:20180419214018j:image

映画版だと唐突な「コンビニエンス・ストア」ですが、新作ドラマだと何度も出てくる重要なシーンとなります。こういう所がリンチ/フロストの油断ならない所です。

 

f:id:mclean_chance:20180419214732j:image

f:id:mclean_chance:20180419214752j:image


要するに、この映画版は、新作テレビシリーズを見ないと、よくわからないような作りに初めからなっていて、そりゃ、わからないわけなんです(笑)。

ただ、本作は、ローラが「ボブ」に殺害されるまでの7日間を追うという、ホントにリンチがやりたかったのかどうか疑問の展開がかなりの部分を占めているんですけども、正直、ココは面白くないと思います。

ローラの最期は、映像化するよりも、観客の想像に託したほうが良いことぐらい、リンチ/フロストがわからないとは到底思えないのですが、『ツインピークス』が『誰がローラを殺したんだ?」という所にばかり注目されてしまい、シリーズの途中で、犯人を明らかにせざるを得なかった事は、リンチ監督にとって、最も不本意だったと思われ、それを映画でもやらざるを得なかったのは、かなり辛かったでないかと思われます。

よって、リンチの演出もローラ・パーマー中心のシーンになると、俄然、気が抜けて凡庸に見えます。

ローラと友人達を演じる役者たちの力量不足も目立ち、見ていて辛いですね。

 

f:id:mclean_chance:20180419214408j:image

あっちゃ〜、ドナ役が変わっている。コレは痛恨事であります。恐らく、ハードなシーンをやりたくなかったのでしょうね。。


ツインピークス』の中で、ジェームズやボビー、ドナと言った友人たちが語っているローラをただそのまま映像化しているだけで、特段それに意味があるように思えません。

すでに「ボブ」が何者なのかも、テレビドラマで見て知っているわけですから、オチがわかりながら見ているサスペンスなど、面白い筈がありません。

 


このように大変問題が多い作品なのですが、前半のテレサ・バンクスの事件の面白さがバツグンなので、そこだけを見て、ローラ・パーマーのお話しは一切見ない。という見方もあるでしょうね。

 


テレビドラマの新作を見た方には、前半は必見だと思います。

 

f:id:mclean_chance:20180419214831j:image

一応、ローラの魂は救われたのだ。という終わり方です。リンチも納得してない気がしますけど。

 

 

 

 

 

宮崎駿の作品の全てがこの作品に入ってます!

高畑勲『太陽の王子 ホルスの冒険』

 

f:id:mclean_chance:20180415152908j:image

もう「の」が多いです。

 

監督高畑勲作画監督大塚康生、場面設定宮崎駿、原画小田部羊一という、今となっては信じられないような陣容で作られた、伝説の作品。

音楽はなんと、間宮芳生

見ていると、宮崎駿が初めて演出を担当した『未来少年コナン』の原型はほぼ本作にある事がわかりますし、それは取りも直さず、宮崎駿がいかに高畑勲の演出から多くの事を学んでいた事の証左でもあります。

当時のアニメ映画は時間制限がとても厳しかったので、本作も80分程度の短い作品なのですけども、あらゆるムダを廃し、大切な骨組みだけでものすごくスピーディに展開していくストーリーが、今見てもかなりすごいものがありますね。冒頭の10分くらいで、主人公ホルスは、伝説の剣「太陽の剣」を手に入れ、お父さんが亡くなる寸前に「実は、かくかくしかじかで」と言い残して亡くなり、もう相棒のクマのコロちゃんと冒険です。

 

f:id:mclean_chance:20180415152940j:image

巨人モーグ。『ナウシカ』の巨神兵であり、『ラピュタ』の戦闘ロボットですよね。

 

f:id:mclean_chance:20180415160649j:image

ホルスは、モーグの肩に突き刺さった、「太陽の剣」を手に入れる。


ホントは130分くらいかけてやりたかったんでしょけども、当時のアニメーションの地位はとても低かったんですね。

この辺の旅立ちは、完全に『コナン』とおんなじですね。

 

f:id:mclean_chance:20180415160145j:image

なんで危篤になってから大事な事を言うんだろう。

 

f:id:mclean_chance:20180415155152j:image

おじいを埋葬して、のこされ島を去るコナンとほとんど同じです。

 

f:id:mclean_chance:20180415153446j:image

ほぼ『コナン』です(笑)。


そして、すぐにラスボス、グルンワルドに「私の弟になれ!」と脅迫されて、これを拒んで崖から転落!

 

f:id:mclean_chance:20180415155834j:image

ラスボスのグルンワルド。デザインに一貫性があんまりないのも本作の特徴です。

 

もう、息つく暇もないほど、展開が早いのなんのって(広川太一郎調に)。

宮崎駿の「場面設定」という役職がとても不思議ですけども、それは見ているとよくわかります。

グルンワルドの手下の狼がホルスに襲いかかるシーンの見事さ。

 

f:id:mclean_chance:20180415153533j:image

ホントに殺気がありますねえ。

 

f:id:mclean_chance:20180415153616j:image

村人がお祭りで楽しんでいるのに、村長になにやら吹き込むシーンを挿入するうまさ。


村人たちが、大漁を祝う祭りのシーンなどなど、群衆シーンのキャラクターが恐ろしく生き生きと動いているのは、明らかに宮崎駿が設定しているものと思われます。


そして、その動きを大塚康生がつけているわけですから、当代最高水準のアニメーションが展開しているんですね。

そして、その村を一挙に襲撃に来る、オオカミたち!

 

f:id:mclean_chance:20180415154116j:image

神様のように無類に強い。ほとんど内面がないキャラです。

 

f:id:mclean_chance:20180415160334p:image

残念!これが止め絵なのです!!宮崎、大塚両氏は盛大に動かしたかった事でしょう!

 

恐らく、宮崎駿はこの戦闘シーンを、それこそ、『七人の侍』のように動かしたかったんでしょうけども、当時のスタッフの水準ではフルアニメーションで動かす事はできず、止め絵で表現してますが、それでも、凄絶さが充分伝わって来るのは、やはり、宮崎駿の並外れた力量を思わずにはいられません。

基本的なお話の構造は、『バーフバリ』なのですが、高畑監督は流石にもう一捻りしています。

それが、ヒルダという少女の造形なんですね。

 

f:id:mclean_chance:20180415153808j:image

f:id:mclean_chance:20180415163508g:image

高畑組は、こういう無類にかわいいキャラを作る能力がずば抜けてました。


彼女も、ホルスと同じように、グルンワルドによって村を滅ぼされてしまったんですが、その能力を買われて、妹として生かされているんです。

そんな彼女が、ホルスたちのいる村にいるのですが、なかなか村人の中に溶け込む事が出来ないんですね。

 

f:id:mclean_chance:20180415163606p:image

ナウシカなのかクシャナなのかわからないキャラクター、ヒルダ。

 

f:id:mclean_chance:20180415153942j:image

ヒルダはグルンワルドの命令に従って、村人とホルスの分断工作を行う。


村の様子を探るためのスパイのような役割をしてはいるのですが、グルンワルドの事実上の手下てしても、あんまりうまく機能しないんです。

ホルスたちの楽しい様子を見て、葛藤しているんですね。

これは、後に、『コナン』に出てくるモンスリーや『風の谷のナウシカ』のクシャナなどに引き継がれていくキャラクターの原型と見てよいでしょう。

あるいは、そのとんでもない力の秘密を握っている、ラナやナウシカの葛藤にも似ていて、その後の宮崎作品の少女キャラの原液みたいな存在ですね、ヒルダというのは。

そういう意味ではあまりにもいろんな意味づけを彼女にして与えてしまっているので、なんだかわからないキャラクターになってしまっているのもまた事実です。

その後の高畑/宮崎、もしくは、宮崎/大塚作品では、ラナとモンスリークラリス峰不二子ナウシカクシャナみたいに整理して提示するようになってますね。

主人公のホルスは、そんなに面白くない、ある意味、典型的なヒーローであり、『ニーベルングの指環』の無敵の戦士(なのに、劇中では死んでしまうのですが・笑)、ジークフリートですから、かなり記号的な存在ですね。

内面の葛藤などなく、ラスボスのグルンワルドを倒すためにのみ、行動し続けます。

これを修正したのが、コナンです。

あと、この作品を見ていてつくづく思ったのが、1968年という時代ですよね。

群衆シーンの描写(恐らくは、宮崎駿が考えているものと思います)を見ていると、一番思い出すのが、エイゼンシュテインですよね。

 

f:id:mclean_chance:20180415154311j:image

一時期は神の如く崇められていた、悲劇の天才エイゼンシュテイン

 

ソ連の映画監督で、生前は満足できる作品をほとんど撮ることができないまま若くして亡くなった人なんですけども、その群衆シーンを撮らせたら、とにかく天下一品な人であり、宮崎駿高畑勲とともに相当にゴリゴリな左翼でしたから、エイゼンシュテインは神様だったと思われ、それをストレートに表現してますよね。

 

f:id:mclean_chance:20180415154355j:image

f:id:mclean_chance:20180415154415j:imagef:id:mclean_chance:20180415154428g:image

こういう群衆スペクタクルを撮る才能がズバ抜けていたので、ソ連では、プロバガンダばかり作らされていたんですね。。そして、戦後の若者は、エイゼンシュテインにカンドーしたわけです。


明らかに労働万歳!的な表現が散見されます。

革命とかそういう事がホントに信じられていた時代であり、妙に生々しいです。そういうものへの失望感が、高畑、宮崎両氏の後の作品には色濃く滲み出ている点は見逃せません。

今見ると、稚拙でストレートに過ぎるところもありますが、宮崎駿作品の原型のほとんどが本作にある事がわかる、大変重要な作品です。

ちなみに、高畑監督の「呪い」ですが、本作もご多分に漏れず、興行的には振るわず、当時の評価は大変低かったのでした。

 

f:id:mclean_chance:20180415160542p:image

ラスボスの襲撃!

 

f:id:mclean_chance:20180415154705j:image

モーグは最後に大活躍です。東映的です。

 

f:id:mclean_chance:20180415160016j:image

おしまい。は、もう本作からやってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

普通に面白かった。

デレク・ジャーマンヴィトゲンシュタイン

 

f:id:mclean_chance:20180408115408j:image


20世紀最大の哲学書の1つであろう、『論理哲学論考』を著した哲学者、ルードウィヒ・ヴィトゲンシュタインの生涯を描いた作品。

 

f:id:mclean_chance:20180408115457j:image

実際のヴィトゲンシュタインオーストリア帝国の大富豪の生まれで、西部劇やミュージカルを見るのが趣味でした。


脚本にテリー・イーグルトンがジャーマンと共にクレジットされているのに驚きますが、過激な作風で知られるデレク・ジャーマンとしては、意外なほど真っ当な伝記映画なので、彼の作品の入門編としてもいいかもしれませんね。

生前のヴィトゲンシュタインを知っている人のいろんな証言がありますけども、どう割り引いてもかなりの奇人変人だったようで、やっぱり天才というのは、なんとかと紙一重ではあります。

この作品はものすごく低予算で作られているんですけども、それは極端なほどに簡便なセットと限られたキャスティングのみで映画が構成されている事に由来します。

 

f:id:mclean_chance:20180408115614j:image

ほとんど北野ファン倶楽部並みの簡素なセットです(笑)。

 

背景は基本的に黒で、そこにイスやテーブル、ベットなどの最低限の小道具が置かれているだけで場面ができていて、時には、時代考証を無視した電話機が出てきたり(1920年代頃なのに、プッシュホンを使っています)、ちょっとしたイタズラもあります。

 

f:id:mclean_chance:20180408115716p:image

経済学者のケインズヴィトゲンシュタインケンブリッジ大学で働けるように尽力しました。


また、登場人物は、バートランド・ラッセルケインズ、そして、その助手でケインズの愛人であるジョニー、ケインズの奥さんのリディア・ロポコワ、そして、ヴィトゲンシュタインの姉と兄くらいしか出てきません。

 

f:id:mclean_chance:20180408115823j:image

左がバートランド・ラッセル衣装デザインが素晴らしいですね。


ヴィトゲンシュタインは、20世紀最大の哲学者の1人として、有名ですが、いわゆる哲学書の類いはほとんど読んだ事がなく、アリストテレスヘーゲルといった著作は一切読んだことがないらしい(笑)。

 

f:id:mclean_chance:20180408115929j:image

ケン・ラッセルの影響を感じますよね。


ハイデガーとは真逆の態度で哲学していた人で、ハイデガーは、シャレにならないほど膨大な著作を遺しましたが(とても長生きで、第二次大戦後は、一切公職に就かず、ほとんど隠遁して著作に専念してました)、ヴィトゲンシュタインは、生涯に発表した哲学の著作は、ケンブリッジ大での博士号取得の契機となった、『論理哲学論考』と、教師時代に作った、ドイツ語習得のための単語帳だけです。

 

f:id:mclean_chance:20180408120037j:image

一応航空工学の実験です(笑)。この研究が実は後にヘリコプターの開発に役に立ってるそうです。

 

ヴィトゲンシュタインの著作のほとんどは死後に発表された遺稿でして、晩年に『哲学探究』という著作に取り組んでいたのですが、完成せずに亡くなってしまいます。


本作は、そういう過程を、非常にうまく省略してコンパクトにまとめた好編でして、途中に挿入される、いわゆる、前期ヴィトゲンシュタインと後期ヴィトゲンシュタインの思想の展開の違いを、とてもわかりやすく伝えているのが、とても好感が持てました。

 

f:id:mclean_chance:20180408120209j:image

犬はウソをつく事はできない。


さすが、テリー・イーグルトンですね。また、そのヴィトゲンシュタインのユニークな哲学を形成する過程を、ヴィトゲンシュタインと彼の妄想であろう、火星人の「Mr.グリーン」との対話によって作られているのが面白かったですね。

 

f:id:mclean_chance:20180408120253j:image

Mr.グリーンと子供時代のヴィトゲンシュタインの対話。


サン・ラやジミヘン、ユングのように、天才というのは、宇宙に向かうしかないのだと(笑)。

ちなみに、筒井康隆岩波書店から発表した小説『文学部只野教授』のプロットは、テリー・イーグルトンの『文学とは何か』を用いている事は有名です(大変面白い小説です)。

 

f:id:mclean_chance:20180408120340j:image


デレク・ジャーマンは決してとっつきやすい作品を撮っている人とは言い難いですが、本作は上映時間たったの75分というものあり、展開もサクサクしていて、見ていて面白かったです。おススメです。

 

f:id:mclean_chance:20180408120355p:image