まさに新古典主義。

ダニエル・シュミット『ヘカテ』

 

なんともアナクロな、1930年代の雰囲気を持った映画です。
1942年、すなわち、第二次世界大戦中のスイスのベルンに始まり、そして、終わる、1980年代には誰もやっていないようなメロドラマです。

お話は、主人公の回想です。

 

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うたかたの恋を回想するロシェル。

 

おそらくは、1930年代のモロッコに赴任して来たフランスの外交官、ジュリアン・ロシェルは、クロチルドという人妻に一目惚れして恋に落ちてしまいます。

男は仕事もそっちのけで、恋して、狂わんばかりになります。

 

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運命の女、クロチルド。アメリカ人です。

 

上司はそれを知りつつ、彼の無断欠勤などをかばっています(のどかな時代ですね。余裕がある時代だったのでしょう)。

現在のフランス、ひいては、ヨーロッパのテロの続発する恐ろしい現実は、実は、この時代に原因があるんですね。その事は、お話のメインではないですが、領事館の上司のややニヒリスティックな態度に端的に現れています。

単なるエキゾチズムのみで、モロッコを舞台としてお話を作っているのではなく、ゆっくりと没落していく、「ヨーロッパの黄昏」を描いているんですね。

ダニエル・シュミットは、辛気臭くなりそうなお話を、実に趣味のいい、クールな手つきで、とても綺麗にまとめていますね。

 

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狂った男の人嫉妬や狂気に一定の距離を持って、夢中になりすぎないで撮っていますね。

クロチルドを演じる、ローレン・ハットンがいいですね。

超美人!みたいな感じではないんだけども、とてもうまい。

カルロス・ダレッシオの音楽も素晴らしいです。

こんな、戦前のメロドラマみたいなお話を、非常に現代の感覚で見事に撮ってしまう、ダニエル・シュミットは、やっぱり只者ではないですね。

2003年に若くして亡くなったのがホントに残念です。

70歳、80歳になったシュミットの作品が見たかったですね。

 

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黒澤明(とコッポラ)が腰抜かすと思います。

侯孝賢『黒衣の刺客』

 

 

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節度使(この頃は唐朝から事実上独立してます)田季安を暗殺しようとする、隠娘。

 

まず第一に、まさか、侯監督がここまで黒澤明へのオマージュを丸出しにした映画を撮るとは思いませんでした。

隠し砦の三悪人』、『七人の侍』、(以上はアクションシーン)『羅生門』、『蜘蛛巣城』、『乱』(それ以外の基本的な絵作り)と言った代表作が続々と浮かんできます。

しかも、映像にとてつもない労力が割かれている。

ロケハンを含めて、なんと、5年もかけて撮影したそうです。

黒澤明フランシス・コッポラもビックリな時間のかけ方です。
基本的な絵作りは、さきほど挙げた黒澤作品の『乱』ですね。

唐朝のお話というのもありますが、ワダエミばりの色彩のメリハリがものすごくシッカリとした衣装で、アップはほとんどなくて、ヒキの絵で構成されているのは、完全に『乱』を意識してますね。

 

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これくらいの絵がとても多いです。

 

アップが少ないので、登場人物の判別があまり顔ではつきづらいので、衣装でして下さい。という事でしょう。

お話は、女性の刺客が魏博節度使(実はこの二人は婚約者同士だったというのがこのお話の核です。話しの最初の方にボーンと出てきますから、ネタバレさせてもよいでひょう)を暗殺するという、中国お得意の武侠モノなのですが、何しろ、ベースが黒澤明の『乱』ですから、ワイヤーアクション使いまくりの目まぐるしい展開は期待しないで下さい。

 

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もう一人の主人公、田季安。事実上、地方の軍事、民政を支配する実力者。

 

侯孝賢の作品を何本か見たことある方ならわかると思いますが、彼は基本的にゆっくりゆっくり話しを進めていく人ですから、突然、猛烈にスピーディな映画を撮るはずなどなく、あの悠然たるテンポ感で進んでいく武侠モノですから、そういうのを好む方には、本作はちょっとキツいかもしれません。

しかし、ロケーションにしても、美術、衣装にしても、世界最高水準で挑んでおり、決して多いとは言えないアクションシーンは、ものすごいクオリティなので、私はもうそれだけで本作には高い評価を与えたいと思います。

 

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 とにかく驚くほど豪華で重厚な絵作りの連続!

 

主人公の女性の殺陣は見事というほかございません。

 

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というか、昨今、こういう重厚で悠然と構えた映画ってほとんど見かけなくなったので、とても嬉しくなりましたよ。

日本人の2人(妻夫木聡忽那汐里)も、とてもいい役をもらってますね。

残念ながら、インターナショナル版では忽那汐里のシーンは全てカットだそうですが。

 

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侯孝賢が、黒澤明へのオマージュをここまでストレートかつ誠実に行ったという事を、日本の映画界はどのように受け止めたのかは寡聞にして知りませんが、こういう格調高い作品はなかなか興行的には厳しそうだなあ。という気はします。

とはいえ、コレは近年稀に見る立派な作品であり、私は強くオススメいたします。

 

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エキゾ感も満天です。 

ベルイマンと比較して見てると面白いです。

マノエル・ド・オリベイラメフィストの誘い』

 

またしても、独特の味わいです。

オリヴェイラの作品は、ホントに誰とも似てないですね。

ジョン・マルコヴィッチオリヴェイラ作品に結構出演してますね)がシェイクスピア研究をしている大学教授役で、その奥さんがカトリーヌ・ドヌーヴ。という、結構なキャスティングです。

 

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マルコヴィッチ教授夫妻が、ある文献を求めて、ポルトガル修道院までやってきます。

教授は、自身の「シェークスピアユダヤ人説」の肉付けのために修道院を訪れますが、ココが何か奇妙な修道院なんです。

敢えて薄暗い映像で見せていますが、この修道院の責任者である、バルタールという男は、悪魔崇拝者のようですね。

つまり、修道院の外観を持ちながら、その内実は悪魔崇拝の拠点であったと。

これに対して、彼のもとで働いているバルタザールとマルタの夫妻は、カトリックを装って、白魔術を行なっているようですね。

 

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とてもオカルト的な話なんです。

このお話しの核心はシェイクスピアではなくて、実は、ゲーテファウスト』なんです。

ゲーテ。という人は一見、穏当な文学者のようですが、『ファウスト』を読むと、明らかにキリスト教を逸脱どころか、実は、アンチ・キリストなのでは?とすら思わせるところがあり(ですので、ニーチェは唐突にドイツに出てきたわけではないんです)、オリヴェイラは、その事を踏まえて、本作を作っているんですね。

「闇から光が生まれた筈なのに、光が闇を滅ぼそうとしている」

という、『ファウスト』の中でのメフィストのセリフにあるように、「光=神、闇=悪魔」というキリスト教の構図がそのままヨーロッパへの文明批判になっており、同時にキリスト教批判にもなっている事をオリヴェイラはお話しに組み込んでいます。

そこがわからないと、本作はチンプンカンプンになってしまうでしょう。

オリヴェイラは、ゲーテファウスト』にキリスト教批判を見出しているんですね。

メフィストの誘い」を受けているのは、ドヌーヴでして、修道院の管理者が次第に「メフィスト」になっていきます (誘惑者になる時はドヌーヴの母語であるフランス語になります。召使いたちにはポルトガル語、マルコヴィッチには英語で話します。悪魔ですから、言葉が巧みなのですね)。

この「誘惑者」を演じるルイス・ミゲル・シントラが素晴らしいですね。

 

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ヘレンの嫉妬心につけ込むバルタール。

 

淡々としているのに、ジワジワと恐さが滲み出てきます。

彼は、ドヌーヴの嫉妬心につけ込んでいるんですね。

マルコヴィッチの助手をやっている若い女性、ピエダーテへの嫉妬です。

ビックリするようなCGもなにも出てきませんが、人間の弱さにつけ込んでくるというのが、やはりコワイ。

このピエダーテと管理者である、バルタールの対話が本作の最大の見どころでして、マルコヴィッチとドヌーヴは一見主演なのですが、実質は助演なのでした(笑)。

こういう世界的な大スターを逆手にとってうまいこと観客を誘い出し、自身の世界に巧みに誘い出してしまうオリヴェイラこそが、実は最高の「誘惑者」なのでは?とイジワルな事を言って、本論を終わります。

私の言っていることは、そのまま信用してよいものではありません。

 

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『ライトスタッフ』の最後の決めては人力であった。しかもアフリカ系アメリカ人の。

セオドア・メルフィ『Hidden Figures』

 

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「隠された存在」である、メアリー・ジャクソン、キャサリン・ジョンソン、ドロシー・ヴォーン(左から)

 

ジョン・グレンによる、アメリカ初の有人宇宙飛行は、『ライトスタッフ』によって映画化されていますが、その背後には、アフリカ系アメリカ人の女性の活躍があったことは、ほとんど知られていません。

本作は、いわば、『ライトスタッフ』の裏話として、位置付けられる作品でして、アメリカでは、2016年(ジョン・グレンが亡くなった年です)に公開されたのですが、日本ではなかなか公開が決まらなかったようで、ようやく、『ドリーム』という、なんともボンヤリとした邦題がついて公開となりました。

コンピュータ。というのは、実は、物理学や数学の難しい数式の検算をする人々を指す言葉でして(残念ながら、本作ではそれがうまく字幕では表現されてません)、それはコンピュータが開発されるまで、つまり、20世紀の中頃までは、存在した人々です。

本作は、NASAでこの「コンピュータ」を行なっていた、アフリカ系アメリカ人女性の、特に3人、キャサリン・ジョンソン、ドロシー・ヴォーン、メアリー・ジャクソンのお話に絞って描かれているお話であり、コンピュータが人間からIBM製の機械に変わっていくその瞬間を描いたお話でもあります。

キャサリンは、子供の頃から天才的な数学の才能があり、アフリカ系アメリカ人でありながら、奨学金を得て、大学院まで進んで学位を取っており(コレは、黒人初だそうです)、その才能が見込まれて、NASAに採用されますが、薄給で「Colored」と書かれたオフィスで働かざるを得ませんでした。

それは他のアフリカ系アメリカ人も同様でドロシーとメアリーも同じような待遇でした。

NASAのラングレー研究所のある、ヴァージニア州ハンプトンは、コテコテの南部であり、つまり、人種隔離政策が露骨におこなられている州でありまして、トイレから何から何まで、「カラード専用」が区別されていて、キャサリンがその事で苦労するシーンは、人種差別がたったの50年前まで、平然とアメリカで日常化していた事がわかります。

 

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黒塗りされまくったデータから情報を読み解こうとするキャサリン

 

ドロシーは、管理職としての能力がありながら、いつまでも昇進できず(黒人だからです)、メアリーも大学まで出ているのに、技術職として出世できませんでした。

 

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コンピュータ言語のFotranを独学してIBMの最新鋭コンピュータを動かそうとするドロシー。

 

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黒人女性初のNASAの技術職となるメアリー。

 

キャサリンは、その才能が買われて、有人宇宙飛行のために、安全に海に着水するための軌道計算を行うのですが、職場は白人しかいません。

 

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 キルステーン・ダンストが人種差別者の象徴を演じます(架空のキャラです)。

 

上司には、全てのデータを開示されず(どこかの国の役所では、21世紀になっても行なっていますが)、やはり、形式的な検算をやらされます。

しかも、そのオフィスには、カラード用のトイレはありません(連邦政府の機関なのに、露骨な差別が存在したというのは、唖然としますね。。)。

この辺の描写は事実とは異なり、1950年代には、もうこのような人種隔離政策としか言いようのない施設は全て撤廃されているのですが、それでも、それらは実在したんですね。。

本作は、かなり史実を脚色して描いてはいるんですが(ケヴィン・コスナー演じるアル・ハリソンは、実際はキャサリンの上司ではありません)、1960年代まで、アフリカ系アメリカ人が合法的に差別的な政策がとられていた事実は変わりません。

 

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キャサリンの才能を見抜くハリソン。

 

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ジョン・グレン。今回は脇役です。

 

 

それにしても、驚くのは、ジョン・グレンの乗るフレンドシップ7が最後に着水するための計算は、IBMのコンピュータで行わず、キャサリンが行なっていたという事実ですね。

つまり、マーキュリー計画の最後の最後は、人間の計算によって成功したんです。

この驚異的な事実を、敢えて事実を改変して、登場人物を絞り、3人の女性が男性優位社会、黒人差別の世界で如何にのし上がっていくのか?という、良質なブラックムーヴィに仕上げた監督の手腕は素晴らしいですし、『ライトスタッフ』と合わせて見たいです。

 

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 ブラックムーヴィ好きにはたまらん映像もちゃんとございます!

 

 

今見たら、また違う見方がありそうです。

ミケランジェロ・アントニオーニ砂丘

 

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今見てもカッコいいタイトル。

 

なんと、アントニオーニがサイケデリックの世界に。

サントラに、ピンク・フロイドやグレートフル・デッドと言った、気鋭のロックミュージシャンを起用し、学生運動サイケデリックの世界を描くという、またしても挑戦的な、初のアメリカ進出作品。

前作『欲望』は、イギリス映画でしたが、それにしても、感性が若いですよね。

いきなり、大学生たちの集会から始まります。

 

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時代を感じますねえ。 時代の風俗を取り入れる才能がずば抜けている監督です。

 

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本気で革命という事を考えていた時代です。

ヴェトナム戦争はドロ沼化し、学生たちは反戦運動を起こし始めています。

日本の学生運動もこの動きに連動していたんですね。

 

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政治的な議論にはウンザリしているマーク。

 

主人公マークはいわゆるノンポリで、政治的な議論や運動にはそれほど興味はなかったようですが、友人を拘置所から保釈しようとしたら、逆に逮捕された事に恨みを持ち、銃を手に入れ、大学に警察が突入した際に、警官を撃ってしまいます。

 

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この、ジョン・カーペンターを思わせる撮り方がイイ!

 

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ロス市警は、学生運動に介入!

 

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外国人として、クールにアメリカの激動を写してます。

 

こうして、ロサンジェレスから逃亡せざるを得なくなってしまうのですが、逃亡の途中で偶然にもカギのかかっていないセスナ機を見つけるんですね。

 

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マークはセスナ機を運転することができ、これを盗んで、飛び立ってしまいます。

さて。

もう一方の主人公ダリアは、ロサンジェレスの郊外、といっても、何にもない砂漠みたいなところに住宅地を作ろうとしている会社の社長の秘書をやっている女性です。

 

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SF感満点な会社。

 

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郊外の人々の大企業による強引な開発を批判を聞くダリア(実は大事な伏線です)。

 

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 こういうストーリーに全く関係ない絵がとてもよいです。

 

 

仕事で車でフェニックスに向かう途中です。

このセスナ機と車が偶然出会うんですね。

男女は程よく仲良くなり。。というところまでは、一応普通にストーリーは展開するんですが、ここから先は『欲望』よりもすごいです。

登場人物は2人だけになって、周りは何もない渓谷(デス・ヴァレーですね)です。

 

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原題の「ザブリスキー点」は、デス・ヴァレーに実在します。

 

アントニオーニの映画は、どこかSF的な映像ですけども、その極致と言ってよいでしょうね。

勅使河原宏砂の女』と双璧と言ってよいでしょう。

 

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こんなです(笑)。『トータルリコール』ですね。

 

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セスナ機も、エリック・クラプトンのクリーム時代のギターのようになってしまいました。

 

描いている内容は全然違うのですが。

特にドラックについての具体的な描写はありませんけども、明らかにそれを匂わせるシーンがあります。

1912年生まれのアントニオーニは、ゴダールよりも更に年齢が上であり、世代的には、ヴィスコンティとほぼ同年代ですが、そんな彼がコレほどまでに60年代のサイケデリックな世界を見事に描いているというの(ヴィスコンティは『家族の肖像』でうまくはできてません)は、全くもって脱帽です。

圧巻のラストシーンを是非ともご覧ください。

 

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 梶井基次郎もビックリです!

 

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105歳の監督が問う、ホントに根性があるということ。

マノエル・ド・オリヴェイラ『家族の灯り』

 

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1908年生まれ。と言うことは、朝比奈隆とかヘルベルト・フォン・カラヤンレスター・ヤングと同い年という事です!

気が遠くなる。。

登場人物が少ない映画は、別に珍しくはないですけども、こんな狭い部屋だけで、とんでもなくワンショットが長い映画というのは、見たことがないです。

 

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全編がほぼこの構図です。

 

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 たまにこんなショットが入ります。

 

狭い部屋の中で延々と続く会話(フランス語ですが、おそらく、ポルトガルのお話しです)は、何か脈絡があるわけでもなく、一体コレが何の話なのかも、全く見えない状態で数10分宙吊り状態というものすごさ。

小津安二郎もビックリなほど何も起きないし、アンゲロプロスの驚異のワンショットの意味すら超越した、完全に固定したキャメラの中で繰り広げられる老夫婦と息子の妻の会話。

原作は戯曲だそうですが、こんな視点がほぼ固定された状態というのは、演劇ですら想定していないでしょうから、本作の極端なまでのミニマリズムは、唖然とします。

老人のモノローグになったり、三人の会話になったり、夫婦だけの会話を黙って息子の妻が聞いていたり。

部屋を出たり入ったりするタイミングで、ショットがスッと切り替わり、また、元のアングルに戻ったり。

そういう、恐ろしく淡々としたリズムと積み重ねだけで成り立っている。という、現代音楽みたいな構造の映画でして、齢100を超えて会得したオリヴェイラの境地というものの、とんでもないものを見ているような感じです。

しかし、それを唐突に打ち切るような展開をポン!とやってしまう。

 

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コレは、実際ご覧になっていたいただいた方がいいと思いますが、思わず、ヤラレタ!と必ず思いますよ。

それにしても老夫婦の妻が、クラウディア・カルディナーレという事実にも、仰天してしまいます。

 

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クラウディア・カルディナーレジャンヌ・モロー

 

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この場面が一番登場人物が多いです。

 

ヴィスコンティの代表作『山猫』に出てくるあの美しい女性が、ただのおばあちゃんという。

途中でジャンヌ・モローも出てきます。

お話は大きく分けて3つの場面に分かれるのですが、これまで説明したのが、最初のパートです。

残りの2つは実際にご覧になっていただいた方がよいでしょう。

終わり方が見事です。

 

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とうとう日帝時代も単なる設定になる日がきました。

チェ・ドンフン『暗殺』

 

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暗殺指令を受ける3人。

 

前作『10人の泥棒たち』に続き、チョン・ジヒョン全智賢)を主演とする作品で、キャストも前作とかなりかぶりますね。

今回はタイトル通り、暗殺者たちの映画です。

舞台は、1930年代の日本の植民地下にある朝鮮半島で(上海や満州のシーンもあります)、日本の軍人の川口守と朝鮮人でありながら、日本側に協力している、カン・インヌクを京城キョンソン。現在のソウルですね)で暗殺するのが彼ら彼女らの指令です。

 

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近眼の射撃の名手を演じる、チョン・ジヒョン

 

コレを命令しているのは、独立運動家の金九(キム・グ)です。

 

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実際の金九。なかなか評価の分かれる人ですが、韓国では知らない人はいないです。

 

日本ではほとんど知名度はありませんが、彼は歴史上の人物で、大韓民国創立後、首相になった人です(大統領の李承晩と対立して、暗殺されてしまいます)。

日帝時代。というのは、未だに一部の日本人を過剰なまでのヒステリアに陥れる「国民のキズ」として、巧みに黒歴史化されていますけども、本作は、ジョン・ヒューストン栄光への脱出』やジョン・スタージェス大脱走』などのハリウッド映画に出てくるナチスによる支配、有り体に言って、それは、『スターウォーズ』の帝国軍のようなものであり、要するに、物語を成立させるための設定でしかありません。

 

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あっ、『10人の泥棒たち』のポパイが。

 

こういう設定は、2017年に日本でも公開されたパク・チャヌク『お嬢さん』にも継承されていて、韓国映画での日本の描き方も、相当な変化が起きている事がわかりますね。

コレは戦後の日韓関係に於いても、とても大きな出来事だと思うんですけども、コレを書籍でキチンとしてきているのは、ジャズミュージシャンの菊地成孔さんくらいしか見かけないのは、大変残念な事です。

本作は、金庸の義侠小説のような、凄腕の義侠たちによる、悪漢官僚の暗殺。という、東アジアの人々の鉄板と言ってよい内容ですが(日本の「必殺!シリーズ」はそのヴァリエでありましょう)、前作同様、裏切りが1つのテーマとなっており、そこがこのお話を面白くしております。

 

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京城三越の店内の素晴らしさ(実在しました)!

 

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悪漢、カン・インヌク。日本の爵位を得ようとする。

 

タイトルから分かる通り、最後は、壮絶なアクションとなるわけですけども、そこで戦う3人は、『男たちの挽歌』のようで、実は、人間関係がそうなってないのが、ひとひねりしてあって、単なる、ペキンパー&ジョン・ウーリスペクトにはなっていないところが面白いですね。

 

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完全にジョン・ウーでございます!

 

残念なのは、暗殺のターゲットであるはずの川口大尉が、マックス・フォンまでとは言いませんが、もうちょっと悪役としての凄みが足りないというか、なんというか、彼だけが全体のキャスティングの中でもスポンと存在感がないんですよね。残念。

ラスト近くで『灰とダイヤモンド』の有名なシーンのパクリがなんと、2つもありますので、注目。

それにしても、2010年代の韓国映画のクオリティの高さは一体なんなのだ!

 

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意外とコミカルなシーンが多いです。