変態はとまらない!

増村保造痴人の愛

 

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 オープニングがカッコイイですねえ。

 

谷崎潤一郎原作の映画化(3度目)。

31歳の製造業に勤めるリーマンのジョージ(小沢昭一)がナオミ(大楠道代が安田道代として活躍していた頃ですね)という女に食いものにされていくお話しです。

 

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自分の理想の女に育てようとしている小沢昭一

 谷崎独特のどM感が全編にわたって横溢しているんですが、それをズブズブではなく、サラッと描いているのが増村らしいです。

 

その吸血鬼はジョージだけでは飽き足らず、慶応大学の学生までグイグイと巻き込んでいんですが、アレッ、田村正和(笑)。

 

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まだまだ存在感は全くありませんね。

原作は、1925年に単行本が出たんですけども、お話しは現代になってます。

見ていても特にどの時代か。という事はそんなに重要ではないので、戦後日本に置き換えやすかったのでしょう。

 

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ヤバい描写ですね(笑)。

 

『刺青』や『卍』もそうですけども、谷崎潤一郎は、大正から昭和初期にかけて、なかなか挑戦的な作品を書いてますが、これらをことごとく増村は映画化していて、
そのいずれもだいたい90分くらいの、要するにプログラム・ピクチャーとして増村は撮っていたんですね。

でも、全く安普請な感じが一切せず、あっけらかんとしていて、小沢昭一があっという間に転落していく様をドライに見せております。

本作の見どころは、ナオミではなくて、転げ落ちていくドMの小沢昭一でして、いやー、もう見事でございますよ(笑)。

たった1人で馬になるシーンはもう最高でございますよ(笑)。

なんというか、客観的にはひどいんですけども、当人たちはとても幸せな境地に至ってしまう、なかなか結構な作品でございました(笑)。

 

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原作よりも早いところでパツン。と切るように終わるのがいいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

荒木飛呂彦もビックリな映画!

フェデ・アルバレスドント・ブリーズ

 

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 ゴーストタウンにたった1人で住んでいるおっさんの家から大金を盗み出そうとする3人。

 

コレはよく考えられた映画だなあ!

映画の性質上、ネタバレしたら、全く面白くないので、できるだけしないようにしますけども、ホラー映画の「暗い密室」というシチュエーションから、こういう映画がまだできるんだ。という映画ですね。

 

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こんな弱々しそうなオヤジですが。

 

ホラー映画は、主人公たちが、わけもわからず、怪物たちに襲撃されて、殺されていくわけですけども、本作は、実は、悪いのは主人公たちというのも面白いですね。

銃を所持しての不法侵入と大金を窃盗しているんです。

 

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異様な身のこなし!

 

この視点の倒錯感は、本を正せばヒッチコックではありますけども、それをより今日的な、「ビンボで希望も夢もないデトロイトの白人の若者」による犯罪にしているんですね。

 

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野生生物ですね。。

 

足を骨折してヒマな中年のオッさんがカメラの望遠レンズで隣人の生活を覗く。という、言わずと知れた『裏窓』みたいな優雅さではなく、ガチのデトロイトの厳しさが背景ですね(そういう意味で、もうかつてのアメリカ映画のような世界は、もうアメリカには存在しないというこの事でも)。

この家に住んでいる男性もまた、気の毒な人です。

あの愚かなイラク戦争で負傷して、失明してしまっているんですね。

で、家族はいるようなんですが、天涯孤独になってしまっています(なぜこうなったのかは、本編の核心なので見てください)。

登場人物はたったの4人(実はそうではないのですが)。

舞台は、ほぼおっさんの家の中。

経済破綻したデトロイトから逃げたじているので、周りは誰も住んでいないんですね。

盲目のおっさんは、自衛のために戦っているのですが、シチュエーションが完全にホラー映画のモンスターが、主人公たちを襲撃しているのと同じなので、なぜか悪い人逃げたじて見えてしまうという、ホラー映画というものの持つ構造の強さが、価値観を転動させているのがとても面白いですね。

 

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かなり正確に銃を撃ってきます!

 

こういう発想はちょっと思いつかなかったです。

最近のアメリカ映画には珍しい、わずか90分の映画で、恐らくはかなりの低予算映画ですが、シャレにならないほどの超高密度です。

 

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 近接戦闘で勝てる見込みはほぼありません!

 

プロデューサーにサム・ライミがいるのも納得。

それにしても、今のアメリカの貧しい白人がのし上がるには、ココまでしなくてはならないのか。という所がウウムではありましたね。。

 

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韓国映画の水準の高さを証明する傑作!

キム・ホンソン『技術者たち』

 

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 キム・ウビン演じる金庫破りがとにかく見事!

 

ジョン・ヒューストン『マルタの鷹』のように、体脂肪率が10%を楽々と切った、良質なタンパク質だけで見せてしまう映画はそうないですが(増村保造くらいでしょうね)、それがなんと、韓国映画にあるんですね。

タイトルが『プロジェクトX』みたいですけども、見事なクライムサスペンスで、1秒のムダのない構成力をもつ脚本に惚れ惚れとします。

主演のベネディクト・カンバーバッチを思わせる、韓国の大スターキム・ウビンが演じる天才金庫破りが素晴らしいです。

相棒のマサ斉藤みたいなコメディリリーフのおっちゃん(韓国映画が詳しくないもので、役者の名前がわかりません)と、天才ハッカーでヒップホップが好きな青年(韓国映画に詳しいないので以下省略)がまたいいキャラです。

こういう、華麗なテクニックで犯罪を行なっていく映画には、傑作が多いですけども、本作はその伝統を継ぎ、そこに更に内容的なアップデートまでしてしまった、昨今の韓国のエンタメ作品の中でも屈指の名作です。

 

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うまいこと宝石を盗み出した3人。

 

この天才金庫破りトリオのとてつもない実力に目をつけた悪い社長さんたちが、彼らを拉致して、仁川湾にある、隠し資産の1500億ウォン(日本円で約150億円です)をセキュリティを破って盗み出そうというのが大筋です。

 

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 この面々を中心に1500億ウォンを盗み出すのだが。

 

これ以上は作品の性質上。実際に見ていただいた方がよいでしょう。

とにかく、伏線の張り方からどんでん返しの連発まで何から何まで完璧という域に達していて、見ている方はとにかく「うめー!」とただ感嘆し続けて、見続けるばかりです。

ココまで惚れ惚れと見ていられるクライムサスペンスというのは、そうないですよ。

ちなみに、ちゃんと「銭形警部」も出てきますよ(笑)。

とにかく呆れるほど面白くて、しかも、トム・クルーズ級の大スター映画でもあるという本作を是非ともご覧ください!

 

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恐怖映画はサービス精神がないとね。

ヴェルナー・ヘルツォーク『ノルフェラトゥ』

 

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F.W.ムルナウの同名タイトルの古典的名作のリメイク。

全編にわたってムルナウというか、サイレント映画へのオマージュが散りばめられていて、かなりの力作です(白黒で撮ったら、もっとよかったですね)。

クラウス・キンスキー扮するドラキュラ伯爵の手の動きの気持ち悪さが素晴らしいですね。

 

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ホーカー夫妻ですね。

 

なんというか、大暴れとか大立ち回りを期待する方には本作は完全に期待外れですけども、コレを「ヘルツォーク映画」として見ると、彼が撮りたいことは、リメイクであろうとなんであろうと変わらず一貫していますね。

ヘルツォーク映画とは、

1. 森、密林、秘境好き
2. 狂人、怪人への偏愛
3. 未開社会への憧れ

にほとんど集約され、本作もすべて登場します。

1.は、ドラキュラ伯爵の居城ですし、2.は、ドラキュラ伯爵その人です。3.は、ロマが出てきます。

 

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コレを吸血鬼。と表現しきったムルナウがスゴイ!

 

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 コッチがムルナウのオリジナル。

 

で、西ドイツ期のヘルツォークで2.を重荷になってきたのが、クラウス・キンスキーなのですが、困ったことに、本作で一番インパクトあるのは、実は、ルーシー・ホーカー役のイザベル・アジャーニです。

サイレント映画の映像、動きを再現するために、アジャーニのメイクは、異様なまでに濃いです。

 

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 濃い(笑)!そして、コワイ(笑)!!

 

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このサイレント映画の表現を見事に再現したシーンはスゴいです。

 

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コレもうまいですねえ。鏡にアジャーニを写すという。

 

 

 しかも、あのハッキリとした顔立ちの美女で、カッと目を剥いて、コウモリに驚いたりするんですが、その顔のインパクトが本作で一番怖いです(笑)。

なものですから、キンスキーの懸命なキモ演技が、アジャーニの恐怖顔のインパクトで霞んでしまって、なんだか存在感がいつもの狂気絶好調キャラぶりがかなり減衰しているんです。

太陽を浴びても、キンスキーは、ウワーッといってひっくり返るだけという表現も、どんなもんでしょうか。

ペストという疫病の象徴としてドラキュラが描かれていて、そういう得体の知れないジワジワと迫ってくる恐怖がアジャーニによってすべて減衰してしまって、全体的にボンヤリしてしまっていて、もう、主演のブルーノ・ガンツがどうでもよくなってしまっている程です(左利きなんですね)。

 

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ドラキュラ伯爵とともにやって来たネズミを介してペストがロンドンで流行!

 

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ヴァン・ヘルシング教授の活躍も全然ないんですよ。

この、結局、特に何か起こりそうで何も起きない感じって、70年代のヘルツォーク作品に一貫しているんで、コレは彼が狙った演出ではあるんですが、本作はそれがアジャーニのインパクトに全部持っていかれたのと、ムルナウへのオマージュが強すぎて、恐怖映画としてのサービス精神がかなり欠如してしまっているのが、ちょっと今ひとつな作品でした。

 

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邦題に惑わされずに見てください! 傑作!!

サム・ペキンパー『Cross of Iron』

 

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とにかく、ペキンパーを侮辱していると思えない邦題はやめてくれ!

 

邦題、ひどすぎ(笑)!スプラッター映画じゃないよ!

さて、西ドイツ、イギリスの資本で製作された本作は、ソ連ナチスドイツの凄絶な戦いを描いた大作ですが、主人公はジェイムズ・コバーン演じるロルフ・シュタイナー伍長(曹長に昇進します)という、とても優秀だが、とても扱いにくい(しかし、部下にとってはとても頼もしい)軍人です。

 

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コバーンにとっても最高の役でしょう。

 

まさに、ペキンパーの分身です。

彼の小隊は、さしずめ、岡本喜八の名作『独立愚連隊』に出てくる小隊まんまであり、悪童たちの集まりですが、とても人間臭い集まりでして、これまたペキンパーの大好きな「荒くれども世界」ですね。

 

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シュタイナーの「独立愚連隊」。

 

彼らはヒトラーナチスへの忠誠心もなく、己の意思を貫く集団です。

ご存知の通り、スターリングラードの戦いで大敗北したドイツ軍はソ連領内から追いやられていきます。

シュタイナーたちは、とても厳しい撤退戦を強いられている立場です。

アメリカの戦争映画で、こういう敗北する側を描くのは、当時はかなり異色ですし、現在でもアメリカはヴェトナム戦争映画を結構撮りながらも、敗退していく姿を具体的な映像にはしていません(厭戦感や狂気は多く描いてますが)。

その意味でも、本作がアメリカ映画の文脈では相当変わっている、しかも、ドイツ軍の事を敵役ではなく描くという意味でも、相当な異端といってよい。

異端児ペキンパーの面目躍如と言ったところでしょうね。

そのシュタイナーの部隊に、シュトランスキー大尉側を赴任してきました。

 

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シュトランスキー。無能な軍人です。

 

大変イヤミで権威主義的な男で、まさに、シュタイナーと好対照なキャラクターです。

この対立がこのお話を推進していく基本エンジンです。

 

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シュタイナーたちの部隊は、ソ連軍からの奇襲を受けてしまいます。

彼も奮戦しますが、負傷してそのまま病院に運ばれるのですが、どうも頭を強く打ったらようで、目が覚めても、幻覚が見えているようなんですね。

シュタイナーの見ている幻覚を、短いショットを積み重ねて表現するシーンは、大変見事で必見です。

 

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シュタイナーの入院シーンは単なるバイオレンス監督ではない事を証明してます。

 

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こういう優しい映像も撮れる人なのです!

 

この映画の原題でもある、「鉄十字」というのは、ドイツ帝国時代からの伝統の勲章で、シュタイナーはその勇敢な戦いぶり(というよりよりも、仕事ぶり。という言葉がピッタリなほど、冷静沈着です)によって、ナチスドイツからこの鉄十字勲章が与えられているんです。

つまり、この主人公の軍人としての誇りの結晶です。

 

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これが鉄十字勲章。

 

プロイセン貴族の血を継いでいるシュトランスキーはこの鉄十字勲章が欲しくて(実は彼もナチスには全く興味がありません)、ワザワザ激戦である東部戦線を志願したんですね。

ですので、「はらわた」とは何の関係もないです!

シュタイナーは自宅に戻ってもよかったのですが、彼は自分の意思で東部戦線に戻っていくのですが。。というところで、あらすじはストップでございます。

ペキンパーお得意のスローモーションと短いショットのモンタージュを多用したバイオレンス(ココではソ連軍の容赦ない攻撃ですが)は相変わらずの切れ味ですが、私がそれ以上に驚いたのは、軍隊を描いているからというのもありますが、組織の中の腐敗などをうまく描いている点ですね。

 

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戦争シーンの情け容赦なさはさすがです。

 

荒くれ者やならず者を主人公にした映画を撮っている監督ですので、むしろ、「男たちの友情」とかそういうものを描く事が中心だったペキンパーがそれは相変わらず中心に据えながらも、そこに官僚組織の不正が絡んでくる事で、ペキンパーの世界に奥行きが出てきているんですね。

 

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シュタイナーに理解を示す上官たち。

 

ペキンパーの世界は、実はとても小さい世界を描いています。

その中の「コップの中の抗争」ともいうべきものを、トコトン描く事に長けている監督ですね。

本作もある勇敢な小隊長のお話という意味では小さいですけども、その背景には、ソ連軍との戦いという大きなお話があり、ドイツ軍という巨大な組織の中での出来事になっているんです。

そこにこのお話し後半の、まさにペキンパー的な凄絶さと悲愴美を嫌が応にも高めていきます。

あと、一応、ドイツ軍の視点で描いてはいますが、ペキンパーはドイツには、特に興味はないと思います(笑)。

そういう描写がかなり希薄ですが、それは本作のキズにはなっていません。

あと、女性への描写がかなりひどい監督ですが(笑)、それに対する彼なりの反論が描かれている点も注目ですね。

サミュエル・フラー『最前線物語』と双璧をなす、第二次世界対戦のヨーロッパの戦いを描いた傑作。

 

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ペットショップ・ボーイズは中国人民を救う?

賈樟柯ジャ・ジャンクー)『山河ノスタルジア

 

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いきなりダンス!

 

いきなりビックリです。

なんと今時スタンダードサイズで撮影してますよ。

1950年代の映画ではないですよ、コレ。

2010年代の中国です。

内戦から立ち直ったアフリカのとある国が乏しい機材でなんとか撮って、カンヌに出品したら、めちゃ評価された。ではなくて、GDP世界第2位の国の映画です。

しかも、冒頭にペットショップボーイズがかかっていいて、それに合わせて若人(こう言う表現がピッタリな、「昭和30年代の日本」を感じさせる人たちなんですね)が踊っている。

何事かと(笑)。

中国の町並みは、それこそ魯迅が小説に描いている頃からほとんど変わっているようには見えないんですが、日本製と思しきスクーターに乗っているので、ようやく、現代の中国(1999年の春節から始まります。なんでしょうね、この微妙な昔から始まるというのは)である事がわかります。

 

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この風景が一貫して変わらないのだ!

 

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春節の準備をするタオ。

 

汾陽。という場所のようです(後で調べましたら、山西省の都市ですね)。

ドイツ製の新車を買った事を自慢するとか、高度成長期の日本そのもので、微笑ましいです。

 

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新車を無邪気に乗り回す。

 

この新車を買った、成金男のジンジェンは、恐らくは幼馴染なのでしょう、タオという女性の事が好きになります(私の通院している整骨院の女性にちょっと似ています)。

彼が所有する炭鉱で働く幼馴染のリャンズーもクビにしてしまいます。

ジャイアンなところが少しある、純情な青年ですね。

 

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成金男のジンシェン。

 

そうかと思うと、すんごい爆音のテクノがかかったクラブで踊るシーンが出てきて、かなり仰天します。

道路もロクに舗装されてきない、いつも砂埃な待っているような街なのですよ。

このアンバランス感が強烈で、コレは現在の日本映画では表現できませんね。

役者さんたちの顔に刻まれている生活感(これはメイクでは出てこないと思います)とリアルが、日本人からは消え失せてますからね。

現在の日本人は、空虚でツルンとしています。

タオは結局、ちょっと千原兄弟ほせいじに似ているジンシェンと結婚してしまいます。

 

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結婚式の招待状を渡すが。

 

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で、リャンズーは街を出ていってしまいます。

それにしても、ワンショットが結構長いです。

アンゲロプロス相米慎二のように引いたアングルでなくて、かなりよった距離で、キャメラも当然ながら人物の動きに合わせて微妙に動かしながら(手持ちで手ブレさせている。みたいなゴダールとは違いますね)、撮ってるのがとても印象的です。

で、それをスタンダードサイズであえてやっているので、画面が結構な密度と圧迫感が出てきますね。

で、なんと、ここまで約40分がプロローグでして、ようやくタイトルが出てきまして、画面がビスタサイズになるんですよ。

腰が抜けました(笑)!

原題は山河故人。で、故人というのは、中国語(というか、コッチがオリジナルで日本が勝手に改変して使っているのですが)で、友人の事です。

旧約聖書にある言葉です。

時代は一挙に2014年となります。

故郷を捨てたリャンズーはどうにか結婚して子供も生まれ、つつましい家庭を築いているようです。

やはり、炭鉱夫をしているようです。

 

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しかし。。というところまでとしまして、後はDVDなどで続きを。

iPhoneなどが出てくるので、まるでSF映画見てるみたいに見えますけども、それだけ中国の変化はものすごいスピードなんですね。

 

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すれ違う母と子。

 

それを微妙な過去から現在、そして、微妙に未来(なんと、2025年のオーストラリアです!しかも画面がシネスコサイズになるのです!!)という時間軸出て描かれているのが、ありそうでなかったのが、とても新鮮です。

ちょっと後半がアタマで作っている感がありますが、ノスタルジー。というよりも、iPhoneiPad魯迅が同居しているのが、現在の中国である(それは「格差社会」などという、単純なものではない)。という事がよくわかる作品です。

 

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 ペットショップ・ボーイズが重要です。

 

EU映画って、初めて見ましたね(しかも治療付き)

マーレン・アーデ『ありがとう、トニ・エルドマン』

 

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 仕事に追われまくる娘を案じる父。

 

ドイツ映画。というのは、ヴィム・ヴェンダースヴェルナー・ヘルツォーク辺りしか見ることはないんですけども、この映画はそういう西ドイツ時代の巨匠と並べても何ら遜色のない出来栄えでした。

おおざっぱに言ってしまえば、「父と娘」という、人類の歴史開闢以来の普遍的なテーマでありますが、コレをちゃんと、現在の問題として、更新できているところがこの映画が卓越しているわけですね。

なにが新しいのかというと、EUって、今、こんな事になってるんですよ。という事がこんなに物語に自然に取り込まれているのか。というところでして、ホントにコレは驚きました。

本作の主な場所は、なんと、ルーマニアの首都、ブカレストなんですよ。

EUを実質的に支配し、「帝国」として君臨しているドイツですが、そんなドイツにとって、東欧諸国はまさに「植民地」なんですね。

主人公のザンドラ・ヒュラー演じる企業コンサルタントは、ルーマニアの油田会社を合理化するために(要するに、大量リストラの請負をしてるわけですね)ブカレストに派遣されていているんです。

えっ。ルーマニアに油田?と思うかもしれませんが、実は、ルーマニア共産党独裁政権時代から産油国でした。

しかし、もともとは農業国としてそこそこうまくやっていたのを、チャウシェスク大統領が、無理な工業化を推し進めてしまって経済が一挙に混乱してしまい、大変な事になりました。

コレが、国民の怒りを買っていたのですが、独裁政権ですから、不満は無理くり抑え込んでいたんです。

しかし、チャウシェスクがイケないのは、権力を自身に集中させるだけでなくて、「共和国宮殿」なる豪勢な私邸を作ったりなど、一族とその取り巻きによる私利私欲が始まったんです。

ですので、一連の東欧諸国での共産党政権の崩壊時において、最もひどい幕切れなったのは、ルーマニアで、ただでさえ経済的に停滞していた東欧諸国の中でも、最低ランクの経済力でした。。

チャウシェスク大統領とその妻のは、なんと、公開処刑です。

で、その後、ルーマニアがどうなったのかがよくわからなかったのですが、ポーランドブルガリアハンガリーチェコと一緒にEUに加盟しました。

これらの国々は、かつてのドイツやオーストリア帝国勢力圏だったので、実は、ドイツ帝国オーストリア帝国の領土が戻ってきた事を意味します。

当然ですが、ここにドップリとドイツの資本がEUの名の下に入って行き、経済的に支配されるわけですね。

結果として、東欧諸国の人々はドイツやフランスにも出稼ぎができるし、製造業が進出してくるので、経済的にはよくなっていくんですが、主導権はすべてドイツが握るという構図が出来上がります。

コレが、ドイツの経済の強みなんですね。

そういう中で、主人公は、ルーマニアの油田会社のリストラという、ヨゴレ仕事を担っているわけです。

 

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お得意さんの取締役をうまいこと自分たちのプランに引きずり込むのが仕事。

 

 

そんな娘の事が心配なのが、お父さんなんですけども、この人のエクセントリックさが、本作を際立たせておりますね。

休暇をとってブカレストの娘の会社に突然現れるのですけども、そのアプローチの仕方がかなり変わっている(笑)。

娘からみて、父というものが、多かれ少なかれ、ウザキモい存在であるのは、変わらないと思うんですが、そこに、「トニ・エルドマン」というキャラクターを作り上げて迫ってくるんですよ(笑)。

それが本作のタイトルなんですね。

 

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すごい造形の「トニ・エルドマン」。

 

要するに、藤井隆が一時期テレビ番組で作り出していた「マシュー南」みたいな事をして、娘の同僚やお得意さんに絡んでくるんですよ。

これはもう、ウザいを通りこしたものがあります。

コレ、たぶん、アメリカ映画だったら、ロビン・ウィリアムズがもっと達者でキレイに演じたんだと思うんですけども、何しろドイツ映画なんで(笑)、結構ドギツいんですよ。

「トニ・エルドマン」というのは、フレディ・マーキュリーがひどくなったみたいな顔面に、デブってしまって残念なマラドーナが合体したみたいなどうしようもないキャラで、ホラばかり吹いている、要するに、「ばばっちいほら吹き男爵」でして、なんでそんななのか?は、映画を見終わっても特によくわからないし、それは別にどうでもよくなっていくところがいいんです。

 

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 ホイットニー・ヒューストンを熱唱するハメになるシーンは必見!

 

しかし、「マシュー南」になって言えることがあるように、「トニ・エルドマン」になって言えることがお父さんにもあるわけで、それがなんなのかは見てのお楽しみという事なのですが、まあ、若干ネタバレさせますと、お父さんというものは、古来、娘さんの事なんて、よくわかんないし、そんなに会話できてないわけですよ。

そういう事を克服するためのキャラ、「トニ・エルドマン」なのであって、それは、そのまんま、カウンセラーと患者の関係にそのままスライドしているんだと思います。

お父さんらしい、雑で粗っぽい「治療」とそれによって「治癒」されている娘との過程を大変ユニークに描いておりますね。

また、本作のキモは、ドイツ映画ではあるのですが、コレは同時にルーマニア映画なのであり、EU映画なんですよね。

ヨーロッパの映画を見ていて、実はあんまりEUである事をそれほど意識させる作品に出会っていなかった気がするのですが、本作の会話がドイツ語、英語、ルーマニア語が行き交う状態でお話が進み、ある人は、ドイツ語と英語がわかり、別な人はルーマニア語と英語がわかり、あるいは、ルーマニア語しかわからない人というのが混在しながらお話が進んでいくんです。

こういう複雑な言語の状況によって、ルーマニアの置かれている状態がハッキリと浮かび上がってきていて、しかも、それはEUそのものの縮図にもなり得ているという点が実に巧みです。

脚本が大変優れていますよね。

物量は本作よりも桁はずれにかかっているであろう、『エヴァンゲリヲン』が言いたいことの中心は、ほとんどこの作品で解決している気もするんですが、どんなものでしょう。

かなり長い映画なのですけども、長さを一切感じさせない映画でした。

 

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 ザンドラ・ヒュラーの演技も見事でした。