ペットショップ・ボーイズは中国人民を救う?

賈樟柯ジャ・ジャンクー)『山河ノスタルジア

 

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いきなりダンス!

 

いきなりビックリです。

なんと今時スタンダードサイズで撮影してますよ。

1950年代の映画ではないですよ、コレ。

2010年代の中国です。

内戦から立ち直ったアフリカのとある国が乏しい機材でなんとか撮って、カンヌに出品したら、めちゃ評価された。ではなくて、GDP世界第2位の国の映画です。

しかも、冒頭にペットショップボーイズがかかっていいて、それに合わせて若人(こう言う表現がピッタリな、「昭和30年代の日本」を感じさせる人たちなんですね)が踊っている。

何事かと(笑)。

中国の町並みは、それこそ魯迅が小説に描いている頃からほとんど変わっているようには見えないんですが、日本製と思しきスクーターに乗っているので、ようやく、現代の中国(1999年の春節から始まります。なんでしょうね、この微妙な昔から始まるというのは)である事がわかります。

 

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この風景が一貫して変わらないのだ!

 

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春節の準備をするタオ。

 

汾陽。という場所のようです(後で調べましたら、山西省の都市ですね)。

ドイツ製の新車を買った事を自慢するとか、高度成長期の日本そのもので、微笑ましいです。

 

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新車を無邪気に乗り回す。

 

この新車を買った、成金男のジンジェンは、恐らくは幼馴染なのでしょう、タオという女性の事が好きになります(私の通院している整骨院の女性にちょっと似ています)。

彼が所有する炭鉱で働く幼馴染のリャンズーもクビにしてしまいます。

ジャイアンなところが少しある、純情な青年ですね。

 

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成金男のジンシェン。

 

そうかと思うと、すんごい爆音のテクノがかかったクラブで踊るシーンが出てきて、かなり仰天します。

道路もロクに舗装されてきない、いつも砂埃な待っているような街なのですよ。

このアンバランス感が強烈で、コレは現在の日本映画では表現できませんね。

役者さんたちの顔に刻まれている生活感(これはメイクでは出てこないと思います)とリアルが、日本人からは消え失せてますからね。

現在の日本人は、空虚でツルンとしています。

タオは結局、ちょっと千原兄弟ほせいじに似ているジンシェンと結婚してしまいます。

 

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結婚式の招待状を渡すが。

 

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で、リャンズーは街を出ていってしまいます。

それにしても、ワンショットが結構長いです。

アンゲロプロス相米慎二のように引いたアングルでなくて、かなりよった距離で、キャメラも当然ながら人物の動きに合わせて微妙に動かしながら(手持ちで手ブレさせている。みたいなゴダールとは違いますね)、撮ってるのがとても印象的です。

で、それをスタンダードサイズであえてやっているので、画面が結構な密度と圧迫感が出てきますね。

で、なんと、ここまで約40分がプロローグでして、ようやくタイトルが出てきまして、画面がビスタサイズになるんですよ。

腰が抜けました(笑)!

原題は山河故人。で、故人というのは、中国語(というか、コッチがオリジナルで日本が勝手に改変して使っているのですが)で、友人の事です。

旧約聖書にある言葉です。

時代は一挙に2014年となります。

故郷を捨てたリャンズーはどうにか結婚して子供も生まれ、つつましい家庭を築いているようです。

やはり、炭鉱夫をしているようです。

 

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しかし。。というところまでとしまして、後はDVDなどで続きを。

iPhoneなどが出てくるので、まるでSF映画見てるみたいに見えますけども、それだけ中国の変化はものすごいスピードなんですね。

 

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すれ違う母と子。

 

それを微妙な過去から現在、そして、微妙に未来(なんと、2025年のオーストラリアです!しかも画面がシネスコサイズになるのです!!)という時間軸出て描かれているのが、ありそうでなかったのが、とても新鮮です。

ちょっと後半がアタマで作っている感がありますが、ノスタルジー。というよりも、iPhoneiPad魯迅が同居しているのが、現在の中国である(それは「格差社会」などという、単純なものではない)。という事がよくわかる作品です。

 

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 ペットショップ・ボーイズが重要です。

 

EU映画って、初めて見ましたね(しかも治療付き)

マーレン・アーデ『ありがとう、トニ・エルドマン』

 

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 仕事に追われまくる娘を案じる父。

 

ドイツ映画。というのは、ヴィム・ヴェンダースヴェルナー・ヘルツォーク辺りしか見ることはないんですけども、この映画はそういう西ドイツ時代の巨匠と並べても何ら遜色のない出来栄えでした。

おおざっぱに言ってしまえば、「父と娘」という、人類の歴史開闢以来の普遍的なテーマでありますが、コレをちゃんと、現在の問題として、更新できているところがこの映画が卓越しているわけですね。

なにが新しいのかというと、EUって、今、こんな事になってるんですよ。という事がこんなに物語に自然に取り込まれているのか。というところでして、ホントにコレは驚きました。

本作の主な場所は、なんと、ルーマニアの首都、ブカレストなんですよ。

EUを実質的に支配し、「帝国」として君臨しているドイツですが、そんなドイツにとって、東欧諸国はまさに「植民地」なんですね。

主人公のザンドラ・ヒュラー演じる企業コンサルタントは、ルーマニアの油田会社を合理化するために(要するに、大量リストラの請負をしてるわけですね)ブカレストに派遣されていているんです。

えっ。ルーマニアに油田?と思うかもしれませんが、実は、ルーマニア共産党独裁政権時代から産油国でした。

しかし、もともとは農業国としてそこそこうまくやっていたのを、チャウシェスク大統領が、無理な工業化を推し進めてしまって経済が一挙に混乱してしまい、大変な事になりました。

コレが、国民の怒りを買っていたのですが、独裁政権ですから、不満は無理くり抑え込んでいたんです。

しかし、チャウシェスクがイケないのは、権力を自身に集中させるだけでなくて、「共和国宮殿」なる豪勢な私邸を作ったりなど、一族とその取り巻きによる私利私欲が始まったんです。

ですので、一連の東欧諸国での共産党政権の崩壊時において、最もひどい幕切れなったのは、ルーマニアで、ただでさえ経済的に停滞していた東欧諸国の中でも、最低ランクの経済力でした。。

チャウシェスク大統領とその妻のは、なんと、公開処刑です。

で、その後、ルーマニアがどうなったのかがよくわからなかったのですが、ポーランドブルガリアハンガリーチェコと一緒にEUに加盟しました。

これらの国々は、かつてのドイツやオーストリア帝国勢力圏だったので、実は、ドイツ帝国オーストリア帝国の領土が戻ってきた事を意味します。

当然ですが、ここにドップリとドイツの資本がEUの名の下に入って行き、経済的に支配されるわけですね。

結果として、東欧諸国の人々はドイツやフランスにも出稼ぎができるし、製造業が進出してくるので、経済的にはよくなっていくんですが、主導権はすべてドイツが握るという構図が出来上がります。

コレが、ドイツの経済の強みなんですね。

そういう中で、主人公は、ルーマニアの油田会社のリストラという、ヨゴレ仕事を担っているわけです。

 

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お得意さんの取締役をうまいこと自分たちのプランに引きずり込むのが仕事。

 

 

そんな娘の事が心配なのが、お父さんなんですけども、この人のエクセントリックさが、本作を際立たせておりますね。

休暇をとってブカレストの娘の会社に突然現れるのですけども、そのアプローチの仕方がかなり変わっている(笑)。

娘からみて、父というものが、多かれ少なかれ、ウザキモい存在であるのは、変わらないと思うんですが、そこに、「トニ・エルドマン」というキャラクターを作り上げて迫ってくるんですよ(笑)。

それが本作のタイトルなんですね。

 

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すごい造形の「トニ・エルドマン」。

 

要するに、藤井隆が一時期テレビ番組で作り出していた「マシュー南」みたいな事をして、娘の同僚やお得意さんに絡んでくるんですよ。

これはもう、ウザいを通りこしたものがあります。

コレ、たぶん、アメリカ映画だったら、ロビン・ウィリアムズがもっと達者でキレイに演じたんだと思うんですけども、何しろドイツ映画なんで(笑)、結構ドギツいんですよ。

「トニ・エルドマン」というのは、フレディ・マーキュリーがひどくなったみたいな顔面に、デブってしまって残念なマラドーナが合体したみたいなどうしようもないキャラで、ホラばかり吹いている、要するに、「ばばっちいほら吹き男爵」でして、なんでそんななのか?は、映画を見終わっても特によくわからないし、それは別にどうでもよくなっていくところがいいんです。

 

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 ホイットニー・ヒューストンを熱唱するハメになるシーンは必見!

 

しかし、「マシュー南」になって言えることがあるように、「トニ・エルドマン」になって言えることがお父さんにもあるわけで、それがなんなのかは見てのお楽しみという事なのですが、まあ、若干ネタバレさせますと、お父さんというものは、古来、娘さんの事なんて、よくわかんないし、そんなに会話できてないわけですよ。

そういう事を克服するためのキャラ、「トニ・エルドマン」なのであって、それは、そのまんま、カウンセラーと患者の関係にそのままスライドしているんだと思います。

お父さんらしい、雑で粗っぽい「治療」とそれによって「治癒」されている娘との過程を大変ユニークに描いておりますね。

また、本作のキモは、ドイツ映画ではあるのですが、コレは同時にルーマニア映画なのであり、EU映画なんですよね。

ヨーロッパの映画を見ていて、実はあんまりEUである事をそれほど意識させる作品に出会っていなかった気がするのですが、本作の会話がドイツ語、英語、ルーマニア語が行き交う状態でお話が進み、ある人は、ドイツ語と英語がわかり、別な人はルーマニア語と英語がわかり、あるいは、ルーマニア語しかわからない人というのが混在しながらお話が進んでいくんです。

こういう複雑な言語の状況によって、ルーマニアの置かれている状態がハッキリと浮かび上がってきていて、しかも、それはEUそのものの縮図にもなり得ているという点が実に巧みです。

脚本が大変優れていますよね。

物量は本作よりも桁はずれにかかっているであろう、『エヴァンゲリヲン』が言いたいことの中心は、ほとんどこの作品で解決している気もするんですが、どんなものでしょう。

かなり長い映画なのですけども、長さを一切感じさせない映画でした。

 

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 ザンドラ・ヒュラーの演技も見事でした。

 

小津的なテーマをヴィスコンティが撮ったら、こうなります。

ルキーノ・ヴィスコンティ『家族の肖像』

 

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 趣味で「家族の肖像」をコレクションする老教授。

 

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とても変わった映画です。

というのも、バート・ランカスター演じる老教授のアパートメントから一切出る事がありません。

そこにやってくる、シルヴァーナ・マンガーノ演じるイヤミでグイグイ来すぎる一家や彼女の恋人であるヘルムート・バーガー(どうも、1968年の学生運動に深入りしてしまった、元左翼学生のようです)が家にやってくる事で起こる出来事のみを描くという、かなり特異な手法で撮られた作品です。

 

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シルヴァーナ・マンガーノが絶好調です。

 

しかも、久々の現代劇です。

それにしても、上品で温厚な教授に対して、マンガーノたちのお下品なキャラクター造形のすごいこと(笑)。

ちなみに、ここでのマンガーノの夫はファシストの大物ですから、バーガーは、ファシストに囲われている元左翼という事になります。

とてもマジメな作品なのですが、ヴィスコンティは時々ギャグなのかガチなのか判然としないところがあるのですが、ここでのマンガーノとその娘役のメイクは、ほとんどフェリーニのキャラです(笑)。


バート・ランカスターは終始マンガみたいなマンガーノ一家の騒々しさに振り回され続けるのですが、ランカスター老教授は、マンガーノの愛人のコンラッドは美術の教養も豊かであることから、次第に彼に興味を持ち始めます。

 

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ベルリンで学生運動をしていた若者に魅かれる老教授のランカスター。

 

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 ギャンブルによる借金のトラブルを抱えるバーガー。

 

しかし、老教授と若者たちとの価値観のギャップがものすごく(教授のアタマの中は過去で一杯です)、やはりついていけないのでした。

 

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回想にのみでてくるクラウディア・カルディナーレ。老教授の奥さん。

 

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これまた回想のみに出てくるドミニク・サンダ。老教授の母親。

 

この映画が教授のアパルトマンから一切出ないのは、ヴィスコンティが前作『ルードウィヒ』の撮影の際に倒れてしまい、後遺症で半身不随となってしまったためです。

つまり、彼の動ける範囲で演出し、撮影するために舞台が極端に限定されていたんですね。

全体的に死のイメージがあるのも、彼自身、もうそれほど生きることができない事を自覚していたのでしょう。

ヴィスコンティの最後の傑作。

 

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 ここに奇妙な「家族」が出現するが。

 

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スゲエわ、アントニオーニ(笑)。

ミケランジェロ・アントニオーニ『L'eclipse

 

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オープニングがいつもカッコいいんですよね、アントニオーニは。

 

邦題は誠に不愉快!

『暴力脱獄』(原題Cool Hand Luke)と並ぶ、最悪邦題と言ってよい(このタイトルのせいで、ツタヤでは、アクション映画のコーナーに平然と置いてある)。

当時、撮る映画がどれもこれも傑作という絶頂期のアントニオーニに対して、余りにも失礼という他ないです。

直訳の『蝕』の方が、ずっと素晴らしいのではないか。

アラン・ドロンにも失礼でしょう。

じゃあ、この前に『サムライ』がヒットしていたら、『サムライはひとりぼっち』にでもしたのだろうか(ちょっとこのタイトルの映画は見てみたい気がするが)。

閑話休題

何事にも飽きてしまう、モニカ・ヴィッティ演じるローマのブルジョワジーの生活が描かれています。

 

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 婚約を反故にしてしまうヴィッティ。

 

友人宅でのアフリカ人のモノマネ(ホントのアフリカの音楽です)、別れたリカルドがいつまでもつきまとったり、自家用セスナ機に乗ったり、そして、証券取引所に行ったり。

 

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なかなかぶっ飛んでます。

 

ある日、株価が暴落しました。

アラン・ドロン演じる証券会社の社員もかなりの損害を出したようです。

 

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コンピュータが導入されるまでは、ホントにこうやって株を売買してたんですよ。

 

ヴィッティの母親は、ドロンの顧客なんですね。

支払いの回収が始まるんですね。

それにしも、ここでのドロンはホントに野卑だなあ。

そういうどこか下品なところがある役者ではあるんですけども、こんなにドロンを下品に撮った映画もないのではないか(笑)。

最初の90分くらいは比較的普通に作っていて(といっても、凡庸に作ってるって事ではないですよ)、アレッと思うくらいなんですけども、ココからが真骨頂です。

異様なまでにガラーンとした町。

 

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街全体がオブジェ作品みたいになってしまうんです。

前半は、証券取引所が出てきますから、過剰なまでに人間が出てくるのですが、ドロンの車が酔っ払いに盗まれて、暴走させた挙句、川に転落して、引き上げられるシーンから、唐突にほとんどヴィッティとドロンしか登場人物がいなくなります。

 

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イタリアじゃないみたいです。。

 

唖然とする事必定です。こんな展開の映画、見た事がない(笑)。

ずっと、「ゴーッ」という音がうっすら入っているのが、リンチみたいです(影響受けてるのかな?)。

この、なんとも言語化しづらい、アントニオーニ的としか言いようのない、観客を置いてきぼりにする映画をご覧ください。

 

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『地獄の黙示録』と『キングコング』をマッシュアップ!

ジョーダン・ヴォート=ロバーツ
キングコング 髑髏島の巨神』

 

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完全に『地獄に黙示録』(笑)。

 

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あまりのデカさに呆然!

 

すごい!ブラックサバス「パラノイド」が爆音でかかる中を髑髏島をヘリで爆撃(一応、地質調査してるのですが・笑)!

面倒な前フリはサッサとかたづけて、コングのいる南太平洋の孤島、髑髏島に調査に行く場面に持っていくテンポのよさが素晴らしい。

娯楽映画はこうでなくてはなりません!

ヴェトナム戦争の香りがプンプンする設定もいいですよね。

爆撃シーンは、当然、『地獄の黙示録』へのオマージュです。

しかも、そのヘリコプター部隊はコングとの最初の接触で壊滅!

 

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島の守護神であるコングの強いのなんのって!

 

とにかく、ほれぼれするほどコングが強い!

辛うじて3つのヘリの生存者達が集まりました。

隊長のサミュエル・L・ジャクソンは自分の部隊が壊滅された事に激怒し、調査隊の隊長であるジョン・グッドマンに銃を突きつけます。

 

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復讐の鬼と化すサミュエル・L・ジャクソン。  

 

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実は地質調査はウソで、初めから島の怪物たちの調査に来ていたのだ!

 

グッドマンは、「第二次大戦中にこの怪物を見たけども、誰も本気にしてくれなかった。地質調査というのはウソで、初めからバケモノの捜索を行うための調査だった」と真実を話します。

ココからがこの過酷なお話しの始まりです。

 

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この島の調査に雇われたイギリス人のコンラッド。『地獄の黙示録』の原作者と同じ名前です。

 

この島の生物はどれもこれも桁はずれにデカく、人間は最弱です。

途中がめちゃ面白いので一切割愛しまして(笑)、結論から申しますと、本編は第1章と言ってよく、この島の謎は全く解明されていません!

 

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このオッさんが途中から出てきますが、見てのお楽しみです!

 

テンポのよい話し運び、次回を見たくさせてしまう終わらせ方、とにかく、ツボを押さえた演出、ヴェトナム戦争という設定のうまさ、そして、コングの見事な大立ち回りと、サービス満点なアクション娯楽映画でございました!

次回は映画館で見なくては!

 

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美女に優しいのは、キングコングのお約束ですね。

 

 

『ツインピークス』の要素はここにすでに出来上がっていました。

デイヴィッド・リンチブルーベルベット

 

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オープニング。青いカーテンを赤くしたら、ブラック・ロッジですよね。

 

コレはホントに何度見たのかわからないほど見ましたね。

リンチの作品で一番好きな映画は何ですか?と言われるとやっぱりコレです。

彼の作品で一番最初にハマったのは、あのテレビドラマ『ツインピークス』がキッカケでしたが、ほの主演が同じカイル・マクラクランなので、レンタルビデオで借りて見たんですけども、たまげましたね(笑)。

なんだこの映画はと(笑)。

 

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この呑気な映像にロイ・オービソンが歌う「ブルーベルベット」がかぶるのですが。

 

ツインピークス』と同じくサスペンス仕立てなんですけども、大学生役のカイル・マクラクランが、お父さんのお病気のお見舞いに行った帰りに、耳の片方を拾う。というところから、好奇心でアレコレ調べ始めるというところが、何やら青春ムービーなのですが、そこから先がリンチなのですね。

 

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耳を拾うっていう発想がすごい。。

 

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恋人のローラ・ダーンと興味本位で片耳事件を調べはじめる。

  

その片耳を切り落とされた男と息子が人質にされていて、言うことを聞かされている人妻がいるんです。

その女性を奴隷にして言うことを聞かせているのが、デニス・ホパーなものだから、大変なんですね(笑)。

 

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デニス・ホパー演じる最高のキャラ、フランク・ブース!

 

ホパーが演じるフランク・ブースという男は、なぜか酸素ボンベを常に携帯していて(笑)、タイトルにある通りの青いベルベットが好きなんです。

まあ、ベルベットフェチなんですね。

その女性を演じているのは、ロベルト・ロッセリーニ監督と大女優イングリット・バーグマンの間に生まれたイザベラ・ロッセリーニです。

 

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ロッセリーニ本人に歌わせてますが、めちゃ歌がヘタです(笑)。

 

彼女は売れない歌手なんですけども、彼女の家にマクラクランが興味本位で浸入してしまった事から、彼の住む、ツインピークスよりも更に田舎町にとんでもなく病的な連中がいる事が判明していくんです。

 

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ロッセリーニの自宅に潜入してマクラクランが見てしまったものは?

 

どうですか?

コレだけでも『ツインピークス』とかなり似ていると思いませんか?

マクラクランの彼女役はローラ・ダーンですが、このマクラクランとダーンは、そのまんま『ツインピークス』のジェームズとドナになりますよね。

 

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だんだんとリンチの変態ワールドに取り込まれていくマクラクラン。

 

ここではクーパーに当たるのは、ダーンのお父さん(刑事です)なのでしょうか。

あと、本作が重要なのは、音楽として初めてアンジェロ・バダラメンティが起用された事でしょうね。

リンチとバダラメンティのコンビは映画では『マルホランドドライブ』まで続くことになりますけども(『ツインピークス』の新作で再びコンビが復活しました)、あの独特なリンチの世界観を構築する上で、バダラメンティの音楽を欠かす事は出来ないでしょう。

バダラメンティなのか、リンチのアイディアなのか私にはよくわからないのですが、ロイ・オービソンの曲を狂気や暴力のシーンに使うという発想は、キューブリックが『時計じかけのオレンジ』で「雨に歌えば」を歌いながら主人公のマルカムが男性を殴るシーンよりも強烈なインパクトがあります。

 

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この「エア・オービソン」のシーンは、一度見たらもう忘れられません!

 

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こういう、映像と音楽をシンクロさせていく力は、フェデリコ・フェリーニに匹敵するでしょう。

また、歌姫であるジュリー・クルーズの歌がここで初めて出てくるのも、『ツインピークス』とつながっていきますね。

ただ、『ツインピークス』と違うのは、謎解きはそんなに重要ではなくて、異様な登場人物たちの奇行に力点があるのが、只者ではないんですね(笑)。

リンチは本作の前に『砂の惑星』というSF映画を撮っていて、批評家からも駄作の烙印を押され、興行的にも大惨敗して、ドン底におりました。

最近明らかにされましたが、このSF小説の金字塔的作品の映画化を熱望し、ものすごい準備をしていたのは、当初はアレハンドロ・ホドロフスキーでした。

制作寸前まで話が進んでいたのですが、そのすべてご破算になっていく過程が『ホドロフスキーのDUNE』というドキュメンタリー映画で明らかになっているので、是非ご覧ください。

話が逸れましたが、映画監督としてのリンチの危機的な状況を救ったのが、大物プロデューサーのディーノ・デ・ラウレンティスで、彼がいなかったら、リンチはもう映画を撮る事は出来なかったかもしれません。

かなりの低予算で、撮影期間も短く、役者たちのギャラも相当安かったそうですが、それでもこの傑作をモノにして、現在につながっていく、1950年代のアメリカ文化への偏愛と、そのダークサイドを描いていくという、リンチ独特の美意識が確立し、なおかつ、興行収入も確保したという、リンチ復活のキッカケとなった傑作。

リンチ入門編としても最適です。

 

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 いつの時代なのかわからないのも、リンチ作品の特徴ですね。

 

 

アントニオーニ作品としては、見やすいですよ。

ミケランジェロ・アントニオーニ『夜』

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白黒で無機的には映し出される高層ビル群が不穏で美しい。

 

末期ガンの友人のお見舞いにいく、マルチェロ・マストロヤンニジャンヌ・モロー(結局、友人は亡くなってしまいます)。

 

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マストロヤンニは白黒がホントに似合いますね。

ここでの彼の役は、気鋭の人気作家、ジョヴァンニ・ポンターノです。

 

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フェリーニ作品でのてんやわんや監督のグイドとは違っていますね(ちなみに『81/2』の方が後に制作されています・笑)。

作品としては、『甘い生活』のマルチェロのその後にも見えますね。

モローは、『死刑台のエレベーター』みたいに今度はローマの夜ではなくて、昼間のミラノにそぞろ歩きをしています。

 

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アントニオーニは、あえてルイ・マルの代表作のパロディみたいな事をモロー本人にさせてパロディ的に反復させながらも、全く異質な作品に持っていくんですね。

そういう所がやはり並大抵ではない。

マルの作品に漂う虚無感とアントニオーニのもつ空虚は何か違っていますね。

マストロヤンニとモローの夫妻は、特に対立しているわけでもないし、むしろ、マストロヤンニは、作家として成功している人で、前途洋々には見えます。

 

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その2人のの茫漠とした不安の原因についての説明は最後までありません。

言って仕舞えば、単なる結婚倦怠期では。と思いますが(笑)、そういうほのぼのとしたものを描こうという気が全くないのがアントニオーニです。

どこか実存主義的ですね。

マストロヤンニがパーティで出会った、富豪の娘(モニカ・ヴィッティ)と出会ってから、物語は動き始めます。

 

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フェリーニの『甘い生活』と描いているものはかなり似ている作品だと思うんですけども(それは主演が同じだから。という事だけではなく)、受ける印象はまるで違います。

それは、フェリーニはどこまで言っても個人の心情を中心に描こうとしているのに対して、アントニオーニには、社会批評が強いからでしょう。

 

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アントニオーニが撮ると、高層住宅もSF映画みたいになってしまいます。

 

『赤い砂漠』での不気味な工場のように、本作のオープニングに映し出させるミラノの高層ビル群への冷徹な眼差しは、明らかに急激なイタリアの戦後復興への批判を感じます(アントニオーニは、イタリア共産党の党員でした。後に『中国』というドキュメンタリー映画を巡ってのドラブルで、除名されてしまいます)。

高度経済成長期のイタリアの人々が、裕福にはなっていくけれども、何かココロが置いてきぼりになってしまった様子を、ある日の夜を中心に描いた小傑作。

 

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『赤い砂漠』や『欲望』よりも、本作から入った方が、アントニオーニは入りやすいかもしれません。

 

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アントニオーニはフェリーニと対比して見ると面白いです。