実際、このような姿で広場で発見されたのだそうです。
原題を訳すると、「人は皆ひとりぼっちで、神はそれを救わない」なのですけども、コレでは何だかわからないという映画会社の判断で、謎の多い実在の人物である、主人公のカスパー・ハウザーをタイトルに入れたのでしょうね。
原題は、とてもいいタイトルだと思いますけども。
ガスパー・ハウザーは、1828年にニュールンベルグで発見さたんですけども(16歳頃だったと推定されています)それまでの生い立ちが今もって謎でして、なぜ、言葉も覚えずに生きていたのかは、よくわかっていません。
本人の証言によると、ずっと監禁されていて、食事だけを与えられていたので、人間と接する機会もなく、よって、言葉を習得するのもなく生きてきたのだそうです。
初めはこのように立ち上がることすらできませんでした。
しかも、「カスパー・ハウザー」は本名かどうさすらわかりません。
発見された時に、「カスパー・ハウザー」と署名できたそうです。
ちなみに、カスパー・ハウザーを演じるブルーノ・Sは、幼い頃に親からの虐待を受けたり、精神病院に収容されたりと、かなり過酷な人生だったようですが、路上で音楽活動していたところを、ヘルツォーク監督が偶然見つけて起用したそうです。
なんとか椅子に座って食事をさせようとするが...
それにしても、クラウス・キンスキーといい、ヘルツォークはよくこういう強烈な人を見つけてきますよね(笑)。
彼以外に、この謎の人物を演じる事は、できないのではないか。というくらいの怪演ぶりであり、ヘルツォーク作品のキンスキーとまさに双璧の存在だと思います。
そんな彼の事を、なかなか荒っぽいですが、歩き方や読み書きを教えたのが、とある牧師さんです。
当時のキリスト教的な使命感で、この少年を教化しなくてはならないという使命感でしょうね。
多分、フィクションでしょう。
でも、コレもよくよく考えると結構ギリギリですよね。
前回紹介しました『アギーレ、神の怒り』の主人公、アギーレが信じていた黄金郷へと黙々と突き進む狂信と紙一重ではないありますよね。
カスパー・ハウザーにとって、何が幸せなのか、そんな事は簡単に決められませんよね。
そのカスパーを調べてみますと、腕に種痘の跡があります。
ココから、どうやら、庶民ではない事が伺えます。
カスパーは凶暴ではなく、とてもおとなしかったようで(生きていく上での基本的なフォーマットがかなり欠損している。というのが事実でしょうね)何とか椅子に座らせて、食事をさせました。
ただ、かなり偏食らしく、パンと水くらいしか食べられないようです(これは次第に改善したようです)。
子供が一生懸命言葉を教えているシーンは、とてもよいですね。
このネコちゃんと遊ぶシーンが和みます。
「それは腕じゃなくて、手だよ」と身近な事から具体的に教えているのは、いいですよね。
カスパーは、今まで使った事のない脳を使って、必死に覚えようとしています。
不謹慎を覚悟で言いますが、何か、人間がロボットを作り出して、まだ、アタマの中がからっぽな状態なので、いろんな事を教えているようにも見えますね。
この辺りに、ヘルツォークの独特のブラックユーモアを感じますけどもね。
カスパーがどういう生活していたのは、今もって謎のですが、およそ人間として最低限必要な事が何1つ身についていないというのは、とにかく異様としか言いようがありません。
火すらなんの事かわからず、恐れようともしません。
ロウソクの火を触って初めて熱いことがわかり、涙を流すのです。
鏡すら知らないのでした。。
ただ、子供たちと接するようになって、外界に興味を持つようになってきたようで、小鳥を見て笑ったりもしてます。
子供たちは、カスパーに優しく接するのですが、大人は好奇の目しか向けず、からかい半分でニワトリを連れて来て驚かせたり(カスパーは動物すらまともに見た事がないようです)、とにかくゲスの極みです。
とうとう見世物小屋にさらされる羽目に。。
赤ちゃんを可愛がったりしているので、カスパーはとても心優しい青年のようです。
コレを見ていると、ボリス・カーロフが演じていた『フランケンシュタイン』を思い出しますね。
マッドサイエンティストのフランケンシュタインによって生み出された人造人間は、何も教えられずにフラフラと彷徨っているのですが、やはり、子供は彼の事を恐れようとしないですよね。
そういう意味で、本作は『フランケンシュタイン』へのオマージュであるとも言えるでしょう。
そして、カスパー・ハウザーの無垢さと、好奇の目でしか彼のこと事を見ない大人たちの「眼差し」が、引いては、欧米社会がアジアやアフリカ諸国を見る眼差しと同じではないですか。という批判が込められているのでしょう。
カスパーが「母さん、オレ、みんなから笑われているんだ」と涙を流してたどたどしく話すシーンはなかなか痛切です。
学ぶコツを掴み出すと、カスパーはものすごい勢いで学習し、いつしか、自分から質問すらない始めます。
「女性には、どうして洗濯や料理しかさせないの?」
とか、人間社会の常識や固定観念に一切縛られていないカスパーの質問は、時に、鋭かったりもします。
常識や固定観念に一切とらわれないので、彼の発想は独創的だ。
どうやら、キリスト教が全く馴染めないらしく、教会から逃げ出したりしていますね。
「合唱や説教が叫んでいるみたいで不快だ」と。うーむ。
なんと、ピアノまで弾けるようになります。
カスパー・ハウザーは、1833年に、男性に襲撃され(現在も犯人は不明です)、それがもとで亡くなってしまいます。
こうして、彼が一体何者であるのかが、本人からほとんど語られる事なく終わってしまったのです。
彼の人生をとやかくいう事は誰にもできないでしょうけども、ある社会において「正しい」とか(間違っている」というのは、一体どういう事なんでしょうということは、考えさせられますね。
特に、本作で最も批判されるのは、キリスト教である事は間違いないでしょう。
ヘルツォークは、彼を通して、キリスト教を明らかに批判していますね。
それは、ドイツ語の原題「人は皆ひとりぼっちで、神はそれを救わない」にハッキリと示されています。
いろんな事を考えさせられる、ヘルツォーク初期の傑作でした。
追伸
盲目のピアニストが映画のチラッと出てきますが、彼はよく見るとフロリアン・フリッケですね。
ポポル・ヴーのメンバーの1人で、本作の音楽を担当しています。