えっ。。とその場に置き去りにされてしまいます。

ミケランジェロ・アントニオーニ『欲望』

 

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1960年代のロンドンをこんな冷たいタッチで描いた監督はいないでしょう

 

なんでしょうね。

どのシーンも何かガランとした印象です。

ロンドンの街中を写そうと、室内を写そうと、常にガランとしているんですね。

こういう撮り方をする監督というのは、ちょっと見たことないです。

 

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 彼ら彼女らが何であるのかは一切説明しません。

とにかく、画面が全体的に冷めているんですね。

画面の構図はとてもキマッていて、よくわかる考えて撮っているのはわかるんですが。

アントニオーニは、俳優はどうでもよく、女優コンシャスな人らしく、女優は基本的にスラッとした体系で、端正な顔立ちの人ばかりが出てきますが、それは好みというよりも、「マネキン感」を出そうとしています。

なので、出てくるモデルさんはキレイですが個性がありません。

実際の彼女たちがそうということではなくて、アントニオーニが意図的にそういう風に撮っているんですね。

主人公の写真家はとてもイヤな男ですが、写真の腕は確からしく、劇中で彼の作品を編集者らしき人が見ているシーンがあるのですが、とてもいい写真です。

 

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写真家としての腕前は一流だが、どこか虚しさを感じている主人公。

 

彼がアンティーク・ショップに行って、店長がいないものだから、余っている時間に何気なく撮影をしていたら、2人の男女が映りこみました。

その女性が、「撮るのはやめて欲しい。買い取る」と懇願するのですが、「私は写真家で作品を撮っているのだから、すぐには返せない」と言います。

 

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しかし、女性は、男の撮影スタジオまで押しかけてきます。

この時の2人の会話の間合いですね。

あまりにも独特で、誰とも似ていない、まさに、アントニオーニ的としか言いようのない間合いです。

 

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結局、ニセモノを女に渡す。

 

ジミー・スミスのレコードらしきものを男がかけるのですが、「音楽にノるな」とか、なんとも不条理感があります。

結局、女性には撮影したフィルムは渡さず、違うフィルムを渡してダマしてしまうのですが、彼が偶然写したフィルムには、なんと、計画殺人の現場が映ってたのでした。

ですから、女性は必死になってフィルムを渡すように要求したわけですね。

と、ココだけ取り出すと、ほとんどヒッチコックなのですが、ここから先がアントニオーニの世界ですね。

 

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時間経過が曖昧になってきて、会話が極端に減り、主人公はあてどもなく彷徨うようになっていき、もう、ドンドン筋書きからは逸脱していきます。

 

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このガラーンとした構図がとても特徴的な映画です。

 

そして、冒頭に出てくるかおを白塗りにした若者の集団が、また唐突に出てきます。

 

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何も起きていないし、何もなかった。という事を表現しているのでしょうかね。

ここに、有名なジミー・ペイジジェフ・ベックが在籍するヤードバーズのライヴが出てきますね。

 

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とにかく、マネしようったってだれにも撮ることなどできない作品でございます。

 

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考えるよりも感じるための映画ですね。

ブニュエルともまた違った置いてきぼり感が素晴らしいアントニオーニの傑作。

 

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 一体あれはなんであったのか。

 

 

 

現代のクールな鳥獣戯画

セス・マクファーレン『Ted』

 

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日中はマリファナばかりやっているどうしようもないぬいぐるみ。

 

コレは予想以上に面白かったですあ。

クマのぬいぐるみを使った毒にも薬にもならないどうしようもない映画の体裁を敢えて取りながら、その実は大変ブラックコメディ映画というところが実に人を食っていて素晴らしかったですね。

クマのぬいぐるみである事を逆手にとって、お下品な事やおバカなことをトコトンさせるという、まさに現代の鳥獣戯画です。

 

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8歳のジョン・ベネットがプレゼントされたぬいぐるみがテッドでした。

 

そのはっちゃけぶりは、DVDでご覧ください。

お子さんがいる方は一緒に見てはいけませんよ(笑)。

TSUTAYAでもR指定で貸し出しておりますからね。艶笑シーンが結構ございます。

 

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ベネットとのアクションシーンもあります。

 

この映画の面白さは、鈴木則文級のおバカとエロを、とてもクールな手触りで扱っているところで、現代アメリカの様々な厄介な問題(それは日本とも似通っている気がしますが)を深く掘り下げず、敢えてドライに扱うことで、深刻になる事を回避しているんですね。

 

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カミナリ兄弟!

 

それは、アメリカの現在がそれだけシリアスであることの裏返しでもあるんですが。

 

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ベネットのためにシラノ・ド・ベルジュラックとなるテッド。

 

 

あのチープなスペオペで、今でも熱狂的なファンが存在する『フラッシュ・ゴードン』の主演が本人役で結構活躍するのが結構笑えます(笑)。

 

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町山智浩監修の吹き替え版の意訳もツボでございました。

なかなかよろしゅうございました。

 

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コレも完全版が見たいですねえ。

ベルナルド・ベルトルッチラスト・タンゴ・イン・パリ

 

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衣装と撮影が素晴らしい作品でした。 

 

日本で発売されているDVDでは「完全版」と書いてますが、ご存知のように、完全版は4時間近い大作です。

残念ながら、このバージョンを見る事はどの国もできないようです。

未だに各方面から、お許しが出ていないのでしょう。

主演の2人の人生に少なからぬ影響を与えてしまった、ベルトルッチがわずか30歳で撮った作品ですけども、30歳だからできた作品とも言えるでしょうね。

ゴダールに憧れ、ヌーヴェル・ヴァーグに心酔していたベルトルッチがパリでロケーション撮影したかったのが、ブランドウが絶叫する冒頭からムンムン感じます。

 

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 妻の自殺に絶望しているブランドウ。

 

ベルトルッチ作品を決定づける、ヴィットリオ・ストラーロキャメラ余りに流麗かつ縦横無尽に動き回るので、ブランドウの絶叫が、絶望ではなくて、喜びにすら誤解してしまいそうなくらいなのですね。

あと、どこかくたびれたような色調を落とした画面が実に素晴らしい。

 

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本作でよく出てくる構図ですけども、敢えて画面半分が曇りガラスで見えないんですね。

 

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このフランシス・ベーコンの独特の歪んだ身体の書き方を曇りガラスを使って映像化したのでしょう。

 

 

とにかくパリを美しく録りたい。そして、完全に落ち目に見られていたブランドウを復帰させたい。

そういう若い熱気みたいなものがコレを作らせたんでしょうね。

事実、本作を傑作たらしめているのは、マーロン・ブランドウの見事な演技にある事は間違い無く、妻が謎の自殺を遂げてしまって、人生に絶望している中年男性を見事に演じております。

 

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左右で違うものを写すという構図もよく出てきますね。

 

若い頃から脚光を浴びた人ですが、60年代には最早忘れ去られた存在でしたが、本作と『ゴッドファーザー』でのドン・コルレオーネ役は、彼のキャリアの畢生のものとなりました。

マッシモ・ジロッティとの会話のシーンがこれまたいいですよね。

 

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ほとんど素で喋っているように見える映像をフト挿入する面白さですよね。

 

どこまで演技なのかわからないような、かなり曖昧な撮り方をしてますけども。

この映画で一番よくわからないのは、ジャン=ピエール・レオーですよね(笑)。

一応、何やらマリア・シュナイダーを主演として映画を撮っているんだか何だかわからないんですけども、この時折挿入されるこの2人のシーンの意味があんまりわからないんですよね。

特にストーリーと関係あるわけでもないですし。

こういう全くの無関係なシーンがこの映画は、先ほどのブランドウと大物俳優の絡みとかにも散見されまして、ある種の遊びのようなものが映画の中に入り込んでいるんですね。

お話の構造は、マーロン・ブランドウの話し、マリア・シュナイダーのお話し(ここにレオーが出てきます)、そして、ブランドウとシュナイダーのお話しになっていて、ブランドウとシュナイダーの話しは、一切交わりません。

本作の下敷きには、明らかにゴダール勝手にしやがれ』があると思うのですが、あそこまで、ダラダラシーンを延々と撮るというのは、さすがにベルトルッチにはできませんから(というか、あれはゴダールという天才の所業なので)、大枠の構造を決めて、そこにいろんなハプニングを入れ込んでいるんですね。

また、ゴダールは音楽すら切り刻んでしまいますけども、ベルトルッチは映像と音楽のシンクロがやはり快楽になっていきます。

泥酔したブランドウとシュナイダーかタンゴのコンテストに乱入するシーンはその真骨頂だと思いますが、イタリアの監督らしく、オペラティックですね。

 

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ベルトルッチなりのヴィスコンティへのオマージュなのでしょう。

 

 

また、全体から漂うオモチャのようなリアリティのなさ(レオーとシュナイダーがこれを一層助長します)が、逆にブランドウの異様な存在感を際立たせます。

とかく過激なセックスシーンとかそういう所に目が行きがちですが、マーロン・ブランドウという不世出の俳優がどれだけすごいのかという事をイヤというほど知ることのできる傑作だと思います。

 

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静かな余韻が心地よい名品。

バリー・ジェンキンス『ムーンライト』

 

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 バリー・ジェンキンスは、わずか長編2作目にして、アカデミー作品賞となりました。

 

いやー、沁みました。

予想をはるかに超える出来栄えでホントに驚きです。

こんな繊細な映画を撮るアメリカ人監督がいるんですなあ。

メインキャストがほぼアフリカ系アメリカ人という映画は、もうアメリカでも結構作られるようにはなってますけども、こんなに繊細な描き方をした映画は多分、なかったのではないでしょうか。

主人公のシャローンは、母親と二人きりで生活している、ちょっと内向的な少年ですが、この少年が、青年となり、ヤクの売人になるまでを描いた映画です。

しかし、こうして書いてしまうと、「黒人のゲトーでのハードな殺し合いの映画でしょ?」というイメージしてしまいますが、全く違うんですね。

 

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無法松の一生』を思わせるファンとシャローン。

 

映画は3パートに分かれていて、少年期、思春期、青年期のシャローンを描いておりまして、役者も3人がそれぞれのシャローンを演じています。


少年期のシャローンは、友達にいじめられています。

そんなシャローンの事を偶然助けるのが、ファンという、キューバから不法入国してきた、いかつい男で、実はヤクの売人です。

ファンは、子供が昼間とはいえ、麻薬の売買が行われるような危険な場所に子供がいるのが心配だったからです。

心配しなくていいいよ。おじさんが奢ってあげるから。と、レストランに連れて行ってそれから家に車で送ろうとするのですが、シャローンは何も言いません。

仕方ないので、ファンは自宅に泊める事にするんですね。

シャローンは、母親が麻薬中毒になってしまっているのがイヤで、帰りたくなかったんです。

ファンはとてもいかつい黒人で、ヤクの売人としては、かなり一目置かれているような男なのですけども、子供が好きなのでしょう、シャローンの事を可愛がるようになります。

この2人の交流をホントに優しく静かに描くんですね。

 

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 シャローンに泳ぎを教えるファン。

 

でも、シャローンはやがて、母親がファンから麻薬を買っている事を感づいてしまいます。。

 

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薬物中毒の更生施設に息子の薬物の売り上げで入っている母親。

 

そんなシャローンが高校生になります。

母親の麻薬中毒は更に酷くなり、とうとう息子からカネをせびってヤクを手に入れようとするんですね。

シャローンは、まだ、家に帰りたくない時は、ファンの家に泊まるのです。

しかし、ファンはすでに死んでいました。

なぜ死んだのかは説明されませんが、恐らくは麻薬の売買でのトラブルなのでしょう。

テレサという恋人がファンの家に住んでいて、彼女が母親のようにシャローンの事の面倒を見ているんですね。

そんなシャローンは高校生になっても、友人たちにいじれられていて、そんな彼の事を唯一心配しているのが、ちょっとやんちゃなケヴィンなのですけども、このケヴィンとある夜、海辺でキスをしてしまいます。

ケヴィンは「こんな事してゴメンよ」と言うのですが、シャローンは「謝ることなんてないよ」と返します。

黒人のラッパーの筋骨隆々たる姿を見てわかると思いますが、アフリカ系アメリカ人の価値観はかなりマッチョですから、同性愛というものをカミングアウトしたりする事はかなり難しいです。

ロックンローラーであるリトル・リチャード(奇しくも、シャローンの少年時代のアダ名は「リトル」ですが)が、ゲイである事を公言していますけども、コレはほとんど例外的な事です。

ココで一挙にはしょりまして、いかついヤクの売人になってしまった青年期のシャローンに話しを移しましょう。

高校生の頃からは想像もできないようなマッチョな体格で上下の歯が金歯で(取り外し可能・笑)、デカい金のネックレス。

改造したクルマからは爆音でヒップホップが流れています。

しかし、ココまで読んでいただければわかるように、彼は心優しい少年でした。

つまり、彼のものすごいいかつい風貌はむしろ、彼の傷つきやすい内面を守るための鎧なのですね。

ヤクの売人としてかなり成功しているらしく、そのお金で母親を麻薬の更生施設に入所させているんですね。

やってる事はむちゃくちゃですが、やはり優しいシャローンは変わっていないわけです。

さて、本作で素晴らしいのは、やはり、色彩です。

あえて、色調を全体的に落としています。とても淡いんですね。

夜の撮影が素晴らしいです。

本作は、夜の海辺が各パートで出てくるんですが、その美しさが見事です。

あと、音楽の使い方がホントにうまい!

ブラックミュージックをホントによく知っていて、わかる人にはニヤッとする様な曲の使い方ですね。

タランティーノのびっくりさせる様な使い方と真逆の発想です。

見終わった後の余韻がのこる作品でした。

 

 

 

 

 

 

 

衝撃/笑撃のラスト!

ルイス・ブニュエル『皆殺しの天使』

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オペラ鑑賞の後の楽しい晩餐の筈が。。

 

メキシコ時代にブニュエルはたくさんの映画を作りましたが、これもその中の1つ。

フェリーニがこういう映画を作ったら、当然、ニーノ・ロータの音楽がついていて、シルヴァーナ・マンガーノクラウディア・カルディナーレなどのお気に入りの女優に煌びやかな衣装を着せ、当然、マルチェロ・マストロヤンニが主演でしょう。

で、音楽も登場人物たちも躁病的に盛り上がり、最後は鉄球でお屋敷は崩壊。みたいな(笑)。

しかし、本作の監督はブニュエルです。

大スターは一切出てこず、恐らくほとんどは地元メキシコの役者さんです。

お世辞にも上手い人たちではありません。

 

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音楽は、ピアニストが余興でピアノを弾くシーンと、お客の1人がポロポロと弾いているのを、「病人がいるからやめろ!」と、とめるシーンしかなく、いわゆるサントラはありません。

  

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この音楽がほとんどないというのは、ブニュエル作品の1つの特徴です。

が、この音楽がめずらしく重要な要素になっていきます。

作品のほとんどはオペラ鑑賞のあとに食事に招かれた客と、お屋敷の主人、奥さん、召使いたちが屋敷から出ることなく進みます。

 

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異様なのは、なぜか、この客たちは迎えが来ることもなく、誰一人帰ることができなくなってしまいます。

 

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ブニュエルには、いつまでもご馳走にありつく事のできないという、『ブルジョワジーの密かな愉しみ』という、どこかネジが外れたような傑作がありますが、本作はその原点に当たる作品でしょう。

 

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なぜ出られないのか?

 

なぜか、兵糧攻めにでもあったように食料はなくなり、誰一人電話で連絡を取ろうともしない。

歩いて帰ればいいのに、それもしないで、ただイライラしている。

しかも、一人は体調が急変しているにも関わらず、誰も救急車すら呼ぼうとしない。

結局、男性は死んでしまうのですが。。

ブニュエルはなぜ帰れないのかへの説明は一切しません。

やがて、警察や家族たちが屋敷に殺到するのですが、彼ら彼女らも中に入る事ができません。

 

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どうして誰も踏み込もうとしないのか。

 

中は水すら欠乏して、とうとう水道管を壊して直接飲む始末です。

ほとんど唯一医者だけが理性的な行動をし、ヒステリーやパニックになりそうになる客たちをなだめています。

 

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幻覚まで見てしまいます。

 

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この不条理な寓話は最後、トンでもないラストを迎え、観客は完全に置いてけぼりを食らうのですが、コレは見ていただくほかありません!

 

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 どうして教会なのかは見てのお楽しみ。

 

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 エーッ!と大声を上げざるを得ないラスト!! カンヌ映画祭で観客は呆気にとられたとか(笑)。

 

 

 

 

 

恐るべし、韓国映画!

パク・チャヌク『お嬢さん』

 

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原作は19世紀のイギリスですが、日本植民地下の朝鮮のお話に置き換えられています。どこかヴィスコンティ的な発想ですね。

 

ド変態監督(褒め言葉ですよ、念のためですが)、パク・チャヌクがまたしても変態ぶりを爆発させた大作。

 

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詐欺師「藤原伯爵」が日本の華族の財産を奪う計画を持ち込む。

 

まだ、公開してる最中ですので、ネタバレは最小限にいたします。

なんというか、この所の韓国映画な質と量は、ちょっとすごいですね。

映画は三部構成になってまして、最初の2部はなんと同じ事を違う視点から描いておりながら、同じ所で終わるのに、その感じ方がガラッと変わります。

 

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召使いとして上月家に入り込むスッキ。

 

こういう作り方で思い出すのが、デイヴィッド・リンチマルホランド・ドライブ』なのですが、本作は、2人の主人公のそれぞれの視点からという描き方なので、どちらかというと、タランティーノ的な「なんでこうなるのかを説明しましょう」の超ロングバージョンみたいに思えます。

 

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上月家の財産を相続している秀子。

 

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ド変態の上月。

 

そういう意味で、タランティーノの傑作『デス・プルーフ』や『ジャッキー・ブラウン』に近い作品だと思いました。

本作の舞台の大半は、日本人の華族と結婚した事で大金持ちとなった朝鮮人(要するに、バリーリンドンですね)となった完全なる変態である上月と実際に財産を相続している秀子の屋敷が住んでいるとてつもなく巨大なお屋敷で繰り広げるのですが、そのセットがとにかくすごい。

 

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美術は特筆すべきものがありますね。

 

調度品がウソっぽくなく、質感がズシンと伝わってくる映像が、それこそ、ルキノ・ヴィスコンティ並みに見る側に迫ってきて、題材がどこか『地獄に堕ちた勇者ども』のような下世話スレスレを狙っている辺りがどこが、晩年の絶好調なヴィスコンティを思われる意図的に安っぽいキャメラワークを頻発させるところも何か似たものを感じます。

 

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秀子に取り入る「藤原伯爵」。実際は済州島出身の小作人です。

 

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 上月家の大邸宅。洋館と日本建築を合体させた異様な作り。

 

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遺産の詐取は果たしてうまくいくのか?

 

閉鎖的空間内でドラマが繰り広げられるのも、ヴィスコンティ的です。

総じて、イタリア映画のもっている、ゴージャスと下世話が同居したような作品なんですよね。

上月。という、江戸時代のエロ小説を買いあさってコレクションして、変態華族たちを邸宅に招いて朗読会をやるという設定は、かなりクローネンバーグしています。

 

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変態朗読会をくり開げる書庫。秀子を子供の頃から仕込んでいるのだ。

 

なんというか、世界の名だたる変態監督からの、ほとんどあからさまとも言える引用をしながらも、それをまとめ上げたものは、パク・チャヌクとしか言いようがない、エゲツない濃厚で、剛腕な映画になりますね。

それにしても、これほどまでの映画を作りあげてしまう韓国映画界の底力は並大抵のものではないでしょうね。

 

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呆気にとられる大ベテランの快作!

イエジー・スコリモフスキ『11ミニッツ』 

 

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老いて益々盛んというか、作品が全く老成するどころか、若返っているのでは?というスコリモフスキの新作。

 

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ロマン・ポランスキの名声と比べるとなぜか日本では今ひとつ知られていないスコリモフスキ。

 

またしてもたったの80分くらいの映画なのですが、恐ろしく濃厚な作品です。

最初は1つ1つのエピソードがものすごく断片的で一体何の話なのかがほとんどわかりません。

 

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 敢えていうと、映画監督リチャードと女優アーニャの枕営業が話しの中心といえば中心。

 

女優の枕営業、ホットドッグを売っているオッさん、絵を描いている男、質屋を襲撃したら店長は自殺、出産寸前の女性ととベットで弱っている男を救出する救急隊員たち、何かをバイクで運んでいる若者などなど。

 

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ホットドッグを食べる修道女たち。 

 

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そのホットドッグを売ったおじさん。刑務所を出所したばかりらしい。

 

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何かを届けたバイクのお兄ちゃん。

 

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ポルノ映画を見ている2人。

 

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強盗未遂のあんちゃん。

 

登場人物にはほとんど名前すらなく、主役らしき人物は特にいません。

このほとんど無関係とも思われるそれぞれの話しがどう関係していくのかが不明のまんま、映画は進むのですが、だんだんある事に気がつきます。

ほぼ同じ時間にこれらの出来事が起こっている事を。

それは「午後5時から何分遅れている」というセリフとか、着陸態勢に入っている旅客機が何度も別な角度で出てくるんです。

そこで不可解なタイトル、『11分』という意味がわかってきます。

要するに、たったの11分間の出来事を描いている映画だったんですね。

しかも、それぞれのお話しは、そんなに離れた場所ではない事に気づきます。

それをいろんな人物の主観から見せ、時間は何度も行きつ戻りつしながらも、しかし、確実に時間は冷酷に経過していく。という事だったんですね。

 

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犬を連れている女性。

  

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絵を描いいたおっさん。

 

とにかく、手法のすごさに驚いてしまうのと、1960年代から映画を取り続けている大ベテランであるスコリモフスキがこんな大胆な手法の映画を撮ってしまった事に、驚嘆せざるを得ません。

 

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あれっ、さっきホットドッグ食べていた修道女たちが。この女性はなにを見ているのでしょうか。

 

この映画が最後どうなっていくのかは、実際にご覧になっていただくほかありません。

とにかく呆気にとられてしまうような映画でありました。

 

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