オリンピックってなんだっけ?

ヒュー・ハドソン炎のランナー

 

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ヴァンゲリスの音楽と映像が一体化!

 

本作は戦後であり、そして、戦前でもある1942年のオリンピックパリ大会を描いた、実話に基づいたお話です。

ホントにジェントルマンシップが満ち溢れていた頃のオリンピックというものは、どういうものであったのか。という原点を確認したくなって久しぶりには見ました。

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パリ大会のポスター。

 

ケンブリッジ大学に入学したハロルド・エイブラハムズは、入学早々、第一次世界大戦で亡くなった学生たちの名簿を見るのですが、実は相当数の学生が第一次大戦で亡くなっているんですね。

 

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実際のハロルド・エイブラハムズ。のちにスポーツジャーナリストとなります。

 

デイヴィッド・アテンボローの『素晴らしき戦争』という映画も、第一次大戦を描いた名作でした。

血みどろの戦闘シーンなど一切出てきませんが、近代戦争の虚しさ、恐ろしさが伝わってきます。

本作もフレッシュメンの晩餐会での学寮長のスピーチで、多くの戦死者を悼んでおりますね。

もう一方の主人公である、宣教師の息子として、北京で生まれたスコットランド人のエリック・リデル。

 

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実際のエリック・リデル。彼は後に北京で布教を行なっているところを日本軍に捕まり、収容所で1945年に病死するんですね。。

 

彼はスコットランドでは俊足で有名なラグビー選手でした。

イギリス映画を見ていると、その英語の発音の美しさが魅力ですけども、イングランドスコットランドの英語は全く違いますね。

日本人には、スコットランドの英語のほうが聞き取りやすいですし、言葉遣いが明らかに優しいです。

 

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布教をしながら走る、リデル。

 

イングランドは、なんでしょうか、京都のようなエゲツないものを感じますよね(笑)。

「いけずの精神」というのでしょうか。

 

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ケンブリッジの名物行事で、恐るべき俊足ぶりを発揮するエイブラハムズ。

 

かたや、ケンブリッジ大学に行くほどのエリートのユダヤ人。

もう一方は、長老派のプロテスタントの宣教師の家に生まれた、純朴なラガーマンで、父の言いつけ通り、「神の栄光」のために短距離走の選手となります。

こういう、イギリス好きをうまいことくすぐる設定がニクいですよね。実話なんですけど。

個人的にはリデルの素朴な人柄に惹かれますが、ユダヤ教徒である事でイングランドでは差別されている事をエネルギーにしているエイブラハムズの闘志もまた素晴らしいです。

 

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こんなですけども、国際的な大会だったりします。テレビもラジオもありません。

 

1920年代の陸上競技を忠実に再現しているんでしょうけども、ビックリするほど素朴で、その辺のグランドみたいなところで、スコットランド代表とフランス代表の試合がおこなれているのが面白いですね。

そういえば、テレビはないし、ラジオだってまだまだ普及しきっていない時代で、 電報とか電話が最新の通信機器なんですよね。

わずか100年ほどで私たちの生活は驚くほど変わってしまったんですね。

それにしても、全編に漂う高潔な精神。

そして、浮つかず、落ち着き払った絵作りが素晴らしい。

 

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サークルの勧誘というのは、この頃の大学もやってるんですね。

 

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 オペレッタ「ミカド」の上映シーン。当時、欧米では大変人気がありました。

 

エイブラハムズとリデルの初の対決は1923年のロンドンでのイングランドスコットランドの対決。

ここでは、リデルが勝ちます。

しかし、エイブラハムズは、マサビーニをコーチとして、フォームの改造を行います。

今となっては当たり前の事ですけども、この事が「アマチュアニズムに反する」として、ケンブリッジ大学の不興を買うことになります。

さて、そんなこんなで1924年のパリ大会(日本も参加しております!)リデル、エイブラハムズはともに英国代表に選ばれますが、思わぬ事態が訪れるのですが、コレは見てのお楽しみです。

陸上競技は、事実上、イギリスとアメリカの対決になるんですけども、さてどうなるのかは是非とご覧ください。

英国の権威主義や保守的なところがとても出てくる映画なのに、見終わった後にはそんなことはきれいサッパリ忘れてしまって、ココロには清々しさばかりが残る名作。

 

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ストーリーは言えねえ言えねえ。

パク・チャヌク『OLDBOY』

 

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復讐の鬼と化す、オ・デス。

 

狩撫麻礼の原作を韓国の映画監督が映画化。

昔だったら、こんな事考えられなかったけども、それだけ日本の文化が韓国でも受け入れられているんですね。

とにかく驚きの連続。

15年間も一体どういう理由なのかもわからず監禁されている主人公オ・デスの描写が延々と続く冒頭からして、どういう話しなのかすらわからないという凄さ。

コレだけで20分近くを使って観客を宙ぶらりんにしてしまうんですね。

監禁されているうちに、妻を殺した容疑者にされています。

テレビのニュースで見るんですね。

監禁。ではあるのですが、テレビも自由に見ることができて、食事などもすべて充分ニュース揃っています。

しかし、理由が一切不明です。

コレは、普通はこわくてできませんが(客が我慢できなくなって怒るからです)、見事に引っ張ります。すごいですねえ。

しかも、なぜか呆気なく解放され、携帯と現金まで渡されるんです。

なぜ監禁されたのかが、一切わからない、『モンテ・クリスト伯』です。

 

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なぜか一緒に行動を共にする板前さん。

 

デスは監禁場所を驚くべき方法で探し出し、復讐を開始するのですが、この辺はタランティーノの影響を感じますね。

バイオレンス描写の振り切れ具合も凄まじいですが、すごすぎてちょっと笑えてもくるのですが。

 

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話しの要所要所に、オ・デスを知っている者が突然出てくるのが、どこかデイヴィッド・フィンチャーの『ゲーム』のようですが、フィンチャーよりも表現が痛々しいですね。

なぜ、監禁が15年なのか。はだんだんと明らかになっていくのですけども、これは言うわけにはいきません。

とにかく、驚きの映像表現の連発でございます。必見!

 

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渡哲也が破滅的なヤクザを凄絶に演じる。

深作欣二仁義の墓場

 

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仁義なき戦い』の大ヒットを受けて作られた、東京実録ヤクザ作品。

戦後の闇市(ここでは新宿の闇市です)を舞台とするヤクザの抗争であり、キャスティングも一部かぶります。

しかし、本作が『仁義なき戦い』ほど持ち上げられないのは、今ひとつキャラクターの魅力に欠ける事と、ユーモアやギャグの要素が入り込む余地のないガチすぎる展開が、どこか潤いが不足している事ですね。

 

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GHQからの物資を闇市横流しして儲けようとするハナ肇

 

仁義なき戦い』のハードな部分をグッと濃縮したようで、今見てもかなりキツめです。

菅原文太演じる広能は、金子信雄を殺そうとはしませんが、本作の
渡哲也は、親分であるハナ肇に重傷を負わせて服役し、刑務所内でも命を狙われるという、容赦のない展開です(実際の石川力夫がそういう人物だったんですね)。

 

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潜伏先の大阪で、ヘロイン中毒となる渡哲也。

 

また、主人公がヘロイン中毒で荒みきっている、破茶滅茶な人物なので、バイオレンスシーンが凄まじいですよね。

人によっては、『仁義なき戦い』よりもこっちがいいという人もいるでしょう。

私は、「広島死闘編」が好きなので、どうしても本作を行き過ぎと感じてしまうのですが。。

渡哲也は、撮影中にかなり体調を崩してしまい、その顔色の悪さがそのまんま画面に映っているのもこわいですね。

ラウォール・ウォルシュ『白熱』のような、一切の情緒を拒絶したような作品です。

 

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 誰1人として感情移入できる人物がいないという凄さ。

 

 

 

 

偉大な芸術家の死を悼む。

鈴木清順ツィゴイネルワイゼン

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死人のようなのに、一番元気に動き回る、原田芳雄

 

初めて見た時の衝撃は未だに忘れられないですね。

初めて見た清純の作品は『けんかえれじい』で、高橋英樹のほとんど初主演くらいの作品だったと思いますが、はち切れんばかりのエネルギーの通奏低音に、軍部の台頭という、暗い世相が描かれている傑作で、恐らくは清純監督自身の青春時代が反映した作品なのでしょう。

コレに対して、『ツィゴイネルワイゼン』はたまげました(笑)。

一見、同じ監督とは思えないほどにアナーキーデカダンで死の匂いが全編に充満した、とても異様な作品で、こんなの見たことがない(笑)。

 

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大正デカダンを独自の視点で蘇らせる手腕が素晴らしい。

 

戦前の有閑階級のお話しで、やたらとメシを食っているシーンばかりが出てきて(コレがやたらとう美味そうなんです)、あくせく働いている気配が全くなく、登場人物は何だかみんな生きていないような気配すらする。

 

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この器の配置もなんとも異様です。

 

いつ、どこかのかはあんまりハッキリしないですけども、大正時代なのでしょう。

セリフに「ハイフェッツを聴きにいった」とあるのですが、関東大震災はお話の中で起きていないようなので、1917年の出来事ですし、大谷直子演じる原田の奥さんが亡くなる原因であるスペイン風邪の流行は1918〜19年なので、つじつまが合う事は合うのですが。

この、いつどこだかもハッキリしないし(後半になればなるほどそうなっていきます)、登場人物がまるで幽霊みたいで、一応、時間の経過はあり、ストーリーもしっかりあるんですが(笑)、全体的な印象はとても夢幻的で、悪夢的という、もう清純にしか撮り得ない、全く独特の世界になっています。

日活時代の清純は、言ってしまえば、小林旭宍戸錠といった、日活のアクションスターを主人公にしたプログラム・ピクチャーの映画監督でしたから、ここまでぶっ飛んだ映画は撮っていませんでした。

しかし、そのような映画の中で、「清純的美学」としか言いようのない映像が必ず挿入されていて、他の日活映画とは明らかに違うものを放っていました。

本作は、その異彩の部分だけ、即ち、日活を解雇されて、全く映画が撮らなくなってしまった苦境からようやく脱出できたという、開放感を、一挙に爆発させた作品といえ、清純作品の中でもとりわけ異彩を放っているものと思われます。

この清純のイメージを忠実に再現した、木村威夫の美術のすごさは、やはり、特筆すべきで、原田芳雄の家に招かれた藤田敏八が一緒に食べている牛鍋に「ドチャッ」という異様に強調された音とともに鍋に乗せられるちぎりこんにゃくや、藤田の妻の役を演じる大楠道代が腐りかけた水蜜桃を食べるシーンなど、生理にまで訴えかけてくる言い知れない不気味さを見事に演出しておりますね。

 

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食べるシーンがそのままエロスとタナトスを想起するというのは、日本映画ではほとんど見られませんね。

 

思うに、鈴木清順が大正時代にものすごい執着を持って映画を撮っていたのは、あまり、前後の日本が好きではなかったのだろうと思うんですね。

なんでも合理的で効率がよくなっていって行くことにとても嫌悪感があったのではないか。

なので、モダニズムとプレモダニズムが混交していた大正時代への愛着を映像化し続けたんではないかと。

ただ、その執着というか、妄想が他の誰とも違っていてあまりに独特なものですから、私たちは度肝を抜かれてしまうんですけども(笑)、清純が私たちに見せてくれる、幻惑の美に私は酔いしれるばかりです。

明らかに、ブニュエル『アンダルシアの犬』、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー『情婦マノン』の引用があります。

 

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ハイ、同じですね。

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適当な映像が見つからなかったのですが、原田芳雄大楠道代をこのように担ぐシーンがありますよね?

 

元気のいい死者/死んだような生者を演じる原田芳雄の役(明らかに薬物中毒です)はある意味、これまで彼が演じたきた無頼漢のヴァリエではあり、定番ではありますけども、藤田敏八が演じる静かな狂気をたたえたドイツ語の教授
が素晴らしいですね。

 

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映画監督としても素晴らしい業績をのこした藤田敏八

 

原田芳雄がいつものさすらいをしている最中に唐突に死んでしまってからの展開は、もう鈴木清順の独断場。

 

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こういう唐突なシーンがフト油断していると、パッと挿入されて驚くんですよね。参ります。

 

いやー、またしてもトコトン堪能させていただきました。合掌。

 

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またしても映画ではないですが(笑)。

渡辺信一郎『カウボーイ・ビバップ

 

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タイトルからして、好きなものを2つ組み合わせるという「お子さまランチ感」が満点だ。

 

とにかく唖然とするほど、好きなものをぶっこむだけぶっこんでいる、この圧倒的な情報量。

ブルース・リータランティーノ松本零士深作欣二、ペキンパー、松田優作などなど。

毎回のお話を精緻に分析していけば、もう数限りなく膨大なテクストの引用がありますね。

ストーリーの大半が本筋と関係のない逸脱であるというすごさ(であるがゆえに情報量がものすごい)。

しかし、それを絶妙なバランスでミックスされたスタリリッシュさ。

非常にまとまりが悪い作品だと思いますけども(笑)、それが魅力になっているという稀有な作品。

渡辺信一郎は、『サムライチャンプルー』にも言えますけども、主要キャラが圧倒的に立っていて、それでストーリーが自然に動いてしまうというか、いかにこのキャラクターを使って逸脱していくか。を楽しんで作っているようです。

 

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宇宙船「カウボーイビバップ」の面々。元警官、元ヤクザ、冷凍保存されていた人、天才ハッカーと天才犬による珍騒動が基本。

 

そして、そのなんでも放り込んでいく世界観を見事に再現していく、圧倒的な画力には心底驚きます。

多分、コレに匹敵するものを考えると、ガイナックスが制作した『王立宇宙軍』くらいしか思いつきません。

今や、日本を代表する作曲家となった菅野よう子のサントラの出来栄えは、ちょっと桁外れですね。

今堀恒雄菊地成孔という、日本でもトップクラスのミュージシャンを起用して作られたサントラのハイブラウ感は、とてつもないです。

とにかく、過剰なまでのクオリティをテレビアニメという枠から溢れ出すような勢いで作ることができたのは、『王立宇宙軍』と同じく監督第1作であったというのが大きいのでしょうね。

好きなもの、やりたい事を全部放り込んで、後は野となれ山となれ。という無謀なエナジーが全話にみなぎっていて、それは逸脱の会でも、主人公スパイクを中心としたシリアスな回でも同じ熱量というのがすごいです。

ルパン三世』以後、最もキャラクターを確立したアニメ作品だと思いますが、意外にスピンオフ作品やpart2のような形で制作される事がない作品ですが(映画版が1作だけ作られました)、恐らくは、もうこの熱量で作る事は監督はできないほどに打ち込んだという事なのかもしれません。

かのサンライズがロボットアニメ以外で作り上げた金字塔である。というのも、よく考えると衝撃的です。

 

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若いクリエイターたちのまっすぐな「大人ぶり」が眩しい。

 

 

コレが原点。

三隅研次座頭市物語

 

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勝新太郎をスターダムに押し上げた異形のヒーローの記念すべき第1作。

勝新が驚くほど若く、まだスーパーマン的な部分がなく、テレビ版に漂っているような、あの独特の虚無感はまだ漂っていないですが、やはり原点というのは、見ておくものです。

 

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座頭市というお話しの基本はもう完成していて(座頭市は、スジはいつもシンプルです)、旅から旅の生活をしている、盲目の按摩師(それを座頭というんですね)にして侠客(そして天才的な居合の達人)である、市という男が宿場町にたどり着いて、地元のヤクザにわらじを拭ぎ、そこの抗争に巻き込まれていく。という筋書きですね。

 

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飯岡助五郎一家。 

 

ある意味、この長大なシリーズは、そのヴァリエーションだけで成り立っていると言ってよく、なので、この作品の魅力は、細部にあります。

冒頭のサイコロ博打での、市がワザとサイコロを外にこぼして全員にサイコロの目がわかるようにして大負けし、今度は騙して全員からカネを巻き上げるというシーンは、市のこれまでのヒーロー像を覆る痛快なシーンですが、コレがこのお話しの価値観の基準なんですね。

また、飯岡助五郎から出入りの時の為の褒美を倍に跳ね上げるなど、抜け目のないキャラクターとして、これまでのヒーロー像を見事に変えていきました。

本作は、飯岡一家と笹川一家の抗争に座頭の市が巻き込まれていくというお話しですが、やはり見どころは、笹川一家の用心棒に没落した浪人の平手造酒(ひらてみき。と読みます)を演じる、天知茂でしょう。

 

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 座頭市と平手造酒の奇妙な友情。

 

ちなみにいうと、この平手造酒は実在する人物でして、飯岡助五郎と笹川繁蔵の抗争によって、1844年に死んでおります。

この武士でありながら、ヤクザ同士のケンカで死んだという得意なキャラクターは、講談や映画の格好の素材でして、戦前から無数の作品が作られました。

そういう大定番のキャラクターに、盲目の居合の達人を戦わせるという、キワモノ寸前の、今風に言えば、ほとんどマンガみたいな設定のお話しです。

コレを普通にやってしまうと、ホントにマンガ以下というか、どうしようもない感じですけども、勝新太郎は、この非現実的なキャラクターにどうやったら説得力を持たせることができるのかな、徹底的に腐心したようです。

あの、座頭市特有の異様な殺人は、勝新太郎自身で編み出したもののようでして、「盲目が圧倒的に強いという事はどういう事なのか?」を真剣に考えたんですね。

天知茂は、ある意味、これまで培われてきた結核になりながらも酒に溺れている剣豪。というすでに定番となったキャラクターを演じるという安定感があります。

しかも、役者としてのキャリアは明らかに天知茂が上ですし、それは画面からハッキリ伺えます。

 

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あの怪物、勝新太郎は、まだまだ天知茂を圧倒するには至っておりません。

そういう、まだまだ未完成な部分も踏まえて本作を楽しんでもらいたいですね。

三隅研次の、暗さを活かした画面演出も、素晴らしいです。

大映のプログラム・ピクチャーに過ぎなかった作品(当時の大映のスターは市川雷蔵なのであって、勝新太郎は、正直、三番手、四番手の俳優でした)が、映画26作、テレビドラマ100話にまで広がり、世界中にファンを獲得するまでになった第1作目を是非ともご覧ください。

 

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コレもよかった!

原恵一百日紅

 

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杉浦日向子のマンガの映画化ですがとても不安でした。

杉浦の素晴らしい原作を台無しにしやしないのか。という不安ですよね。

しかし、監督の名前をちゃんと見てなかったんですね。

 

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ファザコンのお栄。親を「鉄蔵」と呼び捨てにする。自分の作風を確立しようと悩んでいる。

 

 

原恵一。と言えば、あの『クレヨンしんちゃん』の映画版の名作、『嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』の監督です。

よほどの覚悟があっての杉浦作品への挑戦であるとすぐに思いました。

しかもその挑戦は全く無謀でもない。

杉浦作品の素晴らしさもまた、「細やかな日常描写」なのであり、まさに原が『戦国大合戦』で私たちに見せてくれた世界なのですよね。

原監督は、『クレヨンしんちゃん』での挑戦を更に深めるために、敢えて最も険しい作品に挑んだのでしょう。

それだけ、やり遂げたい意欲が満ち満ちていたのでしょうね。

葛飾北斎を中心とする人間模様。と、言って仕舞えばたったそれだけのことを浮つくことなく丹念に、しかし、重くならずに描けると言うのは、やはり、並ではありません。

 

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北斎とお栄。ゴミ屋敷です。

 

北斎やお栄の「絵の世界」、盲目の少女、お猶(北斎の娘です)の「音の世界」をさりげなく対比させる巧さ。

決してベタベタやナアナアにならず、行きすぎてカサカサにもならない人間描写だけで全く飽きがこない。

 

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北斎と離縁した元妻。北斎の余りにアナーキーな生活に逃げ出しただけで、交流はある。

 

 

 

そういうリアリズムと叙情の見事なバランスに、気持ちいいファンタジックな描写が生きるんですね。

監督の人間を見る目の優しさが一貫しています。

 

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 妹のお猶。

 

確かな時代考証も素晴らしい。

 

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細かいところに行き届いた描写。

 

なんちゅうか、ホントにうまいですよ(笑)。

 

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コレがお栄こと、葛飾応為の絵です。

ものすごく凝った技法で描いてますねえ。