クレヨンしんちゃんからここまで引き出してしまう原恵一はすごい!

原恵一クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』

 

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驚いた。。

なんというか、ものすごく丁寧なんですよ。

1つ1つのセリフに一切子供だましの手抜きがないんですよ。

モーレツにすごい!とかじゃなくて日常描写がものすごくシッカリしてるんです。

 

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「おまたのおじさん」や「れんちゃん」としんのすけの交流が素晴らしい。

 

しんのすけが自宅の裏庭からタイムスリップしてしまった天正2年、1574年の春日合戦という史実を絡めるという構想。

 

しんのすけを預かっている無骨者の武士、井尻又兵衛(しんちゃんはおまたのおじさんと呼んでます)、彼が密かに恋心を寄せる廉姫(れんちゃん)との身分の違う恋愛を、しんのすけの視点(それは現代人の視点でもありますが)からとてもデリケートに描いていることに驚嘆します。

 

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武士同士の約束を交わす2人。アホアホ幼稚園児がしっかりとした男の子になっていく描写が素晴らしい。

 

なんというかですね、あまりにもちゃんと作っていて、腰が抜けますよ(笑)。

 

脚本は監督の原恵一が自ら書いていますが、ものすごい実力者です。というか、実写も含めて、日本でもトップクラスの方と言ってよい。

こんな、手堅い仕事ができる監督が日本にいたんですね。

しかも、『クレヨンしんちゃん』の映画で行なっているというのが、なんともすごい。

そこに野原一家もタイムスリップしてから、ドタバタ度が上がってきて、ちゃんと子供を飽きさせないように配慮して作っているところがうまい。

 

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ホントに合戦に巻き込まれてしまった野原一家。

 

車ごとタイムスリップしていて、なんだか『戦国自衛隊』を彷彿とさせるのもいいですね。

こういう丹念な描写とともに、戦闘シーンが恐ろしく緻密でかなり時代考証にこだわって描かれていることにも驚いてしまいますね。

 

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合戦シーンの描写の確かさにも驚いてしまう。

 

何度も言いますが、『クレヨンしんちゃん』ですよ、コレ(笑)。

しかし、やっぱり一番驚くのは、人間描写ですよね。

 

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 ひろしに刀を渡す又兵衛。こういうサムライの高潔な精神が随所に光る作品だ。

 

それがあればこその合戦シーンの素晴らしさですし、そこに野原一家が突撃する荒唐無稽さが生きるんですよね。

しかも、泣けますからね、この映画。

クレヨンしんちゃん』を使ってここまで自在に自分の絵を描ききった原恵一の才能に脱帽です。

山中貞雄丹下左膳余話・百万両の壺』や宮崎駿ルパン三世 カリオストロの城』の系譜の作品と言えると思います。

いやー、ホントに面白かった!見てない方は是非ともご覧ください。

キッズコーナーからDVD借りるのに少々勇気が要りますが。

 

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れんちゃんがかわゆす。。

 

加藤+鈴木コンビが生んだ、シリーズ最高作!

加藤泰『緋牡丹博徒 お竜参上』

 

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シリーズ第6作目ですが、内容は「花札勝負」の後日談。

イカサマ賭博で儲けている「ニセお竜」と「バケ安」の娘で病気で盲目となっていた五十嵐君子(高倉健が手術代を出してくれた事で手術を受けて視力が回復しております)をお竜さんが探す。というところから話しが始まります。

 

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今回は、鈴木則文加藤泰が脚本を書いた入魂の一作でシリーズ最高傑作という人もいますね。

もうどこからが加藤泰なのか鈴木則文なのかが判然としないほど完全に融合してしまっていて、驚きます。

私も加藤泰の最高傑作の1つは、コレだと思います。

冒頭の花札勝負のシーンは相変わらず身震いするほど美しいです。

 

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このシリーズは、いろんな東映はスターとお竜さんの共演がお約束になってますが、お竜さんとの相性は、この菅原文太が一番素晴らしい。

 

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このみかんを渡すシーンの美しさ!

 

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 加藤泰のローアングル!

 

仁義なき戦い』でのギラギラしたキャラクターが強烈すぎるのですが、ここでの抑えた演技もいいんですよね。

それにしても、明治時代の浅草を再現した美術が見事!

 

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東映の美術で感心した事はあんまりないんですが、やっぱり加藤泰は違いますね。

もう、全編いい構図の連発で、完璧という領域に達してしまっていて、ケチのつけようがございません。

 

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加藤泰の美学は本作をもって完成したと言っても過言ではないでしょう。

お君とお竜の出会いのシーンの驚異的な長回しは、東映任侠映画史上というよりも、日本映史上に残る名シーンでしょう!

鈴木則文映画の常連の京唄子鳳啓助山城新伍やシルクハットの大親分は、相変わらず楽しいですね。

 

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上海に行くらしい、大親分(笑)。

 

鈴木則文ワールドが加藤泰美学に違和感なく溶け込んでいるのがまことに楽しゅうございます(笑)。

これから間も無くして、深作欣二の『仁義なき戦い』が大ヒットして、こういうファンタジックな様式美の世界である任侠映画はあっという間に消えてしまい、主演の藤純子も呆気なく引退してしまいました(その後、司会者として復活し、役者としても芸名も富司純子と改めて復帰しました)。

 

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ラカンから劇場の興行権を奪い取ろうとする鮫洲一家。

 

お竜さん=藤純子というのは、余りにも強烈に結びつきすぎてしまっており、任侠映画とともに消えていかざるを得なかったんですね。

その意味でも、次のスターである菅原文太との共演というのは、とても象徴的な意味がありますよね。

太く短く燦然と輝いたからこそ、「緋牡丹のお竜」は未だに輝き続けるのだと思います。

 

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お竜さん!

加藤泰『緋牡丹博徒 花札勝負』

 

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緋牡丹博徒シリーズの第3作目。

加藤泰の極端なローアングルのワンシーンワンショットが冴えまくってますね!

冒頭のお竜さんの口上のシーンから、もうしびれました!

 

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この人物をちょっと真ん中からズラす構図が加藤泰美学!

 

戦後、いろんなスタイルを持った映画監督がいましたが、ワンショットだけでこの監督です!とわかる人のチャンピオンは、恐らく、加藤泰でしょうね。

 

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このローアングルは加藤泰の専売特許!

 

加藤泰のローアングルと独特のアップは画面に独特の緊迫感をホントに与えますね。

似たような撮り方の人が後にも先にもまったくいないです。

こういう撮り方は、当然のことながら、とても時間がかかったと思うのですが(構図にものすごくこだわっていると思われ、少しでも監督のイメージと違うとテイクがかさみそうです)、加藤はこのスタイルをやめませんでしたね。

本作の脚本はある意味、加藤泰と真逆の美学を持つ鈴木則文です。

ほとんど「お約束」のような脚本にして、シリーズの途中から見ても観客がついてこれるようにする、サービス精神の塊のような人でしたが、これを使って、様式美を作っていくと言う方向に持っていった加藤演出は見事という他ありません。

 

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賭博のもつ独特の緊張感も本作の魅力。

本職のヤクザに花札の指導を受けているそうです

 

渡世人としての修行を行なっている緋牡丹のお竜が、なぜかいつも嵐寛寿郎が親分の組みにワラジを脱いで、その地域のヤクザ同士の揉め事に巻き込まれていくという(アラカン前近代的なヤクザであるのに対し、相手はかならず近代的なヤクザ組織を目指していて、洋服を着ていたりします)、筋書きはもう完全に決まっているのですから、加藤の仕事は、後はそれをいかに見せるのか。という事に専念できるという事であり、そこにトコトンこだわる加藤泰にとって東映任侠映画とジャンルは、やはり適性があったのだと思います。

 

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 アップと引きだけで映画を構成していくというのも独特ですよね。

 

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 お竜さんと健さん手のアップだけで表現する仄かな恋心!しびれます!!

 

コレは今更いう事でもありませんが、藤純子という、「お竜さん」を演じるために生まれてきたような人が主役であった事が、本作の人気を決定づけましたね。

女性の侠客。という得意なキャラクターによって、和服を着てのまったく独自の殺陣、そして、それを極端なアップと引きのワンショットのつみ重ねで撮る加藤演出は、まことにユニークという他ありません。

 

また、バケ安こと、五十嵐安次との花札勝負は、必見。

 

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 水道橋博士にロレックスなバケ安。

 

そこに鈴木則文のギャグ(若山富三郎演じる、「シルクハットの大親分」という名物キャラなど)がそこかしこに用意されていて、2人の良さも見事に生きているところが素晴らしいです。

 

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 ズルイよね、このメイク(笑)。

 

どこもかしこも加藤泰の美意識にあふれたショットの連続にクラクラしますが、シルクハットの大親分の舎弟、不死身の富士松との最後の討ち入りシーンは(途中から健さんも参加します)、もう加藤泰!というしかない美学が溢れる名ショットですので、是非!

 

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始めと終わりのキメの構図が同じなのだ!

 

 

 

とてつもないスケールで描かれるSF大作の結末!

富野由悠季『The Ideon : Be Invoked』

 

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主人公コスモの家族や友人を殺された事への怒りこそが本作の原点!

 

一応、テレビアニメの『伝説巨神 イデオン』は39話をもってイデが発動して終わります。

が、オチの方向としてはおかしくないのですが、些か説明不足で、飛躍しすぎているという批判が、熱狂的な視聴者が湧き起こりました。

富野由悠季も本来の話数をカットして番組が終了した事が無念だったようで、あのような乱暴な終わり方を敢えてしたのでしょう。

で、要望に応える形で総集編の「接触編」と、放映できなかった、4話分を劇場公開用した「発動編」をまとめて一挙に公開するという事となりました。

『機動戦士 ガンダム』3部作は、テレビアニメ版よりも格段に完成度の高い作品ですが、本作には問題があります。

それは、「接触編」だけを何の予備知識もなく見ても、ストーリーがサッパリわからないんですよ(笑)。

38話分のストーリーをたったの100分でまとめるというのは、富野由悠季でも不可能なことであり(笑)、ハッキリ言って、「発動編」を上映するためのアリバイでしかなかったのではないでしょうか。

という事で、止むを得ず、最終回を除いた第38話までを見ることをオススメしたんですね。

 

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さて、前置きが長くなりましたが、ここからがようやく本作に入っていきます。

ほとんどの原画を湖川友謙が描いたと言われる絵は、現在見ても桁外れです。

余りのクオリティに心底驚きます。

とりわけ戦闘シーンの描写の凄さは、今もってこれを超える作品はないかもしれません。

バッフ=クランは、とうとうドバ・アジバ総司令自ら出馬して全軍をあげて数百万光年を包囲してイデオンとソロシップを撃滅するという、宇宙大戦争に発展してしまいます。

 

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総司令ドバ・アジバ。オーメ財団と手を結び、ズオウ大帝の打倒を考える。

 

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 長女のハルル・アジバ。

 

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ハルルは重機動メカ、ザンザ・ルブに乗ってコスモたちと戦います。ちなみにバッフ=クランでは、「白」には皆殺しの意味があります。

 

これまでは、バッフ=クラン側はサムライ数人が重機動メカを数機を従えて、イデオンとソロシップを奪い取る事が目的だったのですが、アバデデ様、ハルル・アジバ、オーメ財団の傭兵のダラム・ズバらの猛攻撃を受けるも、コスモたちはコレを乗り切ってしまい、しかもイデオンの力が明らかに強大になっていくことがわかるにつれて、ドバ総司令が自ら動かざるを得ない所にまで自体が悪化してしまったわけです。

 

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イデによって、突然、ドバ総司令の母艦に送られてしまった、カララとジョリバ。

 

ユウキ・コスモたち、ソロ星の生存者たちは、あくまでも、異星人、バッフ=クランから攻撃されているのを(なんと、地球人からも攻撃や裏切りを受けます)、必死で逃げ回っているだけなのですが、惑星を一瞬で破壊してしまうような力までもってしまうイデオンは、バッフ=クランから見ると、バッフ星を滅ぼしかねない存在にしか見えないんですね。

 

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テレビの後半では、惑星を破壊してしまうほどの存在になってしまうイデオン

 

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 板野一郎独特の爆発効果!

 

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 半狂乱となったシェリルの最期。

 

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子供すら白兵戦をやらざるを得ないほどの極限状態を描く。

 

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 「死ぬかもしれないのに、なんで食べてるんだろう、オレ」

 

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 イデオンのミサイル一斉放射!!

 

ココに、このお話しの根本的な悲劇があり、お互いの生存をかけた殲滅戦にまでなってしまうという、余りににも絶望的なお話に向かっていきます。

機動戦士ガンダム』は、むしろ、地球連邦政府の腐敗や宇宙移民政策における政治的経済的格差問題に反旗を翻したコロニーが独立戦争を企てるという、極めて人間的なお話しです。

 

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オーメ財団が開発した、最終兵器ガンドロワ!いいデザインですね(笑)。


本作は、人間ドラマは愛憎のドラマということではむしろ濃厚なぐらいなのですが、話しの核心が、「イデ」という、謎の存在についてのお話しなんですね。

テレビアニメ版を見ていると、おおよその事はだんだんわかってきます。

高度な文明を誇った、「第6文明人」(地球人が宇宙開拓を行ってから、6番目に出会った人類とあう事です。バッフ=クランは『第7文明人』という事になります)が生み出した技術が「イデ」であり、それがイデとソロシップの原動力であるという事。

イデは意志の集合体のようなもので、赤ん坊が生きようとするような、純粋防衛本能に反応して、強力な力を発揮する。

そして、そのイデのエネルギーは無限であり、よき力はよき心によって発動する

 。と、ココまでは、わかってくるのです。

余り言いすぎると、ネタバレになりますので、違った側面から、この「イデ」というものを考えてみたいのですが、この「イデ」は、西アジアに起こった、万物創造主としての神。というものとは、実は違うのが、とても興味深いです。

この「イデ」が左右しているのは、あくまでも人類の運命だけなんですね。

強烈な二項対立でありながら、それは、正義と正義の戦いなのでありまして、だから熾烈なのですが、善が悪を滅ぼすようなことでもないですし、神罰を下しているようなラストでもありません。

むしろ、イデは両人類にチャンスを与えているようにも見えます(しかも、何度も?)。

なので、どちらかというと、東洋的な転生とか輪廻の思想に近く、手塚治虫の『火の鳥』の、まさに火の鳥ような存在に近いと思います。

 

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コスモの「なぜ殺す!?」という簡単なセリフがこれほど痛切に響く作品もないだろう。富野演出の真骨頂だ。

 

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「そうよ!みんな星になってしまえ!」イデオン全編でもベスト3に入るカーシャの名セリフ。

 

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ドバ総司令の怒りの涙!『イデオン』は、アジバ家の愛憎劇でもあります。

 

そういう意味でも、富野由悠季手塚治虫門下生の中で、1番コアの部分を継承した1人と言えるでしょう。

アニメ史上、最も凄絶な戦いを描きながら、とうとう哲学的、宗教的な領域にまで入り込んでしまった、まさに金字塔とも言える作品です。

見終わった後、ポカーンと呆然とするようなラストを目撃する事になるでしょう。

私はテレビシリーズから本作を含めて、富野由悠季の最高傑作と呼んでいいのではないかと思っています。

 

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俗に「トミノ節」と言われる、シェークスピアのようなキメ台詞が余りにもカッコよくキマるのが、富野作品の特徴だか、本作はそのキマりっぷりが他の作品を圧倒している。

 

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2001年宇宙の旅』は富野監督に多大な影響を与えたものと推測されます。

コレを見ないと、映画版を見る事が出来ないのです!

富野由悠季『伝説巨神 イデオン』第1〜38話

 

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 イーデオーン。

 

今回は映画ではないのですが、それには少々説明が必要です。

と言いますのも、映画『伝説巨神 イデオン 発動篇』を見るためには、このテレビアニメの38話まで見る必要があるのです(笑)!

と言いますのも、この映画は、止むを得ず映画になったという経緯があります。

富野由悠季の『機動戦士ガンダム』で一大ブームが起こりまして、その次回作として大変、このアニメ作品は大変期待されておりましたが。

が、コレが『機動戦士ガンダム』を更に上回る低視聴率番組となり(ほぼ1%だったそうです)、なんと、最後の4話は放映せず、打ち切りが決定されました。

そこでやむなく強引に作られた第39話がテレビ放送の一応の完結となったのですが、実は『ガンダム』と同じく、この少数の視聴者がとても熱狂的に本作を支持しておりまして、「あの終わり方はなんだ!」「全然、謎の核心に迫ってないじゃないか!」と大変な批難の電話が放映していた当時の東京12 チャンネルに押し寄せたんです。

しかし、富野由悠季は更にその上を行っておりまして、キャラクターデザインと作画監督をしていた湖川友謙に、最後の4話分の原画をほとんど1人で描かせていました。

程なくして、この放映できなかった4話を劇場公開する。という、またしても『機動戦士ガンダム』と同じような事になってしまったんです。

ですので、この映画を見るためには、テレビ放映の最後の1話を除いた全てを見なくては、何の事だか全くわからない作品なんですね。

機動戦士ガンダム』の3部作は、テレビ放映から作画の拙いところを修正したり、明らかに不要と思われるエピソードをカットして再編集したものなので、テレビを一切見なくても、映画だけ見ればわかるのですが、本作は、打ち切られた4話分なのですから、テレビ放映分を見ないと、もうどうしようもないんですね(笑)。

こんな映画上映は前代未聞ですし、これ以外では、『エヴァンゲリオン』以外には存在しないのではないでしょうか。

さて。本作が悲劇的に視聴者が低かった理由は、前半10話程の話しの展開に問題があります。

ソロ星。という地球人が植民を始めた惑星から話が始まるのですが、ココで秘かに、科学者たちが謎の遺跡を発掘調査している事が判明するんですね。

そして、それと同時に、バッフ=クラン。という異星人もこのソロ星(彼らはこの惑星を「ロゴ=ダウ」と呼び、地球人の事を、ずっと「ロゴ=ダウの異星人」と呼びます)に「イデの巨神」を捜索に来ていて、両者が遭遇してしまう事で、いきなり武力衝突になってしまうんです。

この「巻き込まれ型」の始まり方は、『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイが、なりゆきでガンダムを動かさざるを得なかったのと似ていますが、こちらは、100mはあるやたらと巨大なロボットで、主人公たちがどういう原理で動いているのかがわからないまんま(実は、最後までよくわからないまんま動かしています・笑)、手探りで動かしながら、異星人を撃退するんです。

 

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コレがイデオン。全長100mほどのバカデカさです。

 

ロボットが発掘された異物であり、それを推定復元して、どうにか動かせるようにしている途中に襲撃を受けてしまった。という点で、『ガンダム』よりも切迫感が強く、そのための右往左往がソロ星の人々とバッフ=クラン側にかなり長い話数を費やさざるを得なかったので、明らかに見ていてイライラした視聴者が多かったのでしょう。

また、『ガンダム』のジオン軍のような魅力的なメカが全く出てないんですね。

ガンダム』はお話しもよくできていましたが、大河原邦夫のメカデザインの素晴らしさによるところがとても大きい作品でしたが、本作の敵のロボットである、重機動メカがしばらく出て来ず、出てきたメカは、巨大なタコというかイカというか、何とも愛想のないメカばかりで、ほとんど感情移入が、イデオンを含めてほとんど不可能という(イデオンの振る舞いは要するに神そのものですし・笑)、致命的な問題がありました。

 

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ギラン・ドゥという重機動メカ。理解し得ない異星人。という事をデザインでわからせる意図があったのでしょう。  

 

また、登場人物が鉄火場状態でギスギスしているのも、なかなか感情移入しづらい。

 

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イムホフ・カーシャ。地球人の名前は姓、名の順です。バッフ=クランは逆。

 

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イラ・ジョリバ。技術関係を担当。

 

双方の膠着状態に、なんと、10話も使うという演出は、流石にやりすぎで、コレは視聴者から愛想を尽かされても仕方がなかったのではないでしょうか。

しかし、話でイデオンの力が突然目覚めてからは、作画に参加した天才板野一郎の力もあり、俄然面白くなってくるんですね。

この長い膠着状態についてこれた豪傑たちが、その後の爆発的に面白い展開を熱狂的に見ていたんです。

感情移入しづらかった人物たちも、だんだん状況が明らかになるにつれて、魅力的になってきます。

ユウキ・コスモが、主人公としての役割を果たすように次第に魅力的な存在になっていくのもストーリーが回転していく推進力となっていきます。

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主人公ユウキ・コスモとアフタ・デク。

 

バッフ=クランも初めはアバデデ様という、今川義元感のある敵くらいしか出てこないんですけども(最初に後に重要なキャラクターが出てくるんですが、彼らがホントに活躍するのはもっと後になります)、彼をイデオンで倒してから、魅力的なキャラクターが出てくるんです。

 

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アバデデ様。実は家族思いなのでした。

 

要するに、この話しの核になっている、「イデ」という謎の存在が如何に御し難く、それを偶然にも(実は偶然ではないことがだんだんわかってくるんですが)ソロ星で発見してしまい、それを手に入れてしまった事が、実は悲劇の始まりなのだ。という設定をするために、ものすご入れて話数をかけた事が問題なのですね。

 

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アバデデ様の重機動メカ、ドグ=マック。

 

更にマズイことに、この間の作画

のクオリティ俄然かなり悲劇的でして(笑)、これも相当失望させれのでしょう。

しかし、コレは何か違う。何かあると感じたごく少数の人々がちゃんと見ていたというのは、富野由悠季という人の、やはり、並外れた神通力としか説明しようのない才気があったのでしょうね。

ほとんど内容に立ち入ることなくココまで進みましたが、こうでもしないとアニメ映画の金字塔に達する前に怒って見るのをやめてしまう事を恐れての事ですので、ご容赦を。

さて、映画版までの流れは実はものすごくシンプルでして、イデオンとソロシップを発掘して、ソロ星からはほうほうの体で脱出した、植民した人たちの生き残り人々は、ずっとバッフ=クランに執拗に追いかけ回され続けます。

 

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イデの力によって動いているイデオン。何がこの力を発動させているのかは、映画版で明らかとなります。

 

その追いかけっこが延々続くというお話しなんですが、なぜなら、このイデオンとソロシップこそ、バッフ=クランが宇宙を探し回って手に入れようとしていた、彼らの伝承としての伝わる、「イデ」なのです。

 

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ソロシップ。巨大なイデオンが難なく乗っかれるほど巨大な宇宙船。これもイデの力で動いている。発掘された時からソロシップ内部に植物が生い茂って動物がいるなど、謎だらけの宇宙船。

 

生存者たちは、そんな事はわかりません。

単に、異星人に追い回されていて、なんでなんだろう?と思うわけです。

しかし、それがなぜなのか?が、だんだんとわかってくるんですね。

それは、なりゆきでバッフ=クラン側の女性がソロシップで一緒に逃げることになったからです。

カララ・アジバ。という、バッフ=クランの名門貴族の出身で、父親のドバは最高司令官なのです。

 

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カララ。姉のハルル、父のドバ総督とともに最重要キャラクター。

 

バッフ=クランが当初、探り探り、恐る恐る、地球人に接近するのは、このカララがソロ星に勝手に上陸してしまっているからで、この捜索、救出が、イデの奪還とともに重要であったのですね。

これが前述の膠着状態を生んでいたという、実はストーリーとしての必然性があったんです。

つまり、何をしに来たのか?とか「イデ」とい呼ばれる存在について、このカララから断片的ですが、聞くことができる事で、このイデオンがどうやら「イデ」の発動によってうごいていることや、この力をバッフ=クランは手に入れる事で、平和と繁栄を得る事ができるという伝承を信じていることを知るのです。

 

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イデオンやソロシップについているゲージ。このマークが出ると、イデの力が発動している事を示している。

 

バッフ=クランは、ハッキリとは描かれていませんが、とてつもないテクノロジーを持ち、強大な軍事力を持った統一帝国で、かなり厳しい身分制社会であるらしく、絶対権力者の皇帝であるズオウを頂点とし、貴族、サムライ、平民、奴隷から構成されているようです。

 

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バッフ=クランのサムライの1人、ギジェ・ザラル。第1話から登場する重要キャラクター。

 

この作品がすごいのは、バッフ=クランの全貌をほとんど描こうとせず(テレビバンでは名前くらいしか登場しませんが)、コスモたちをひたすら攻撃してきて、イデオンを奪い取ろうとする連中としてしか描いていない事です。

ガンダム』は、連邦軍の官僚腐敗やジオン公国内部の権力闘争という内部事情がふんだんを盛り込まれた、とても重層的な世界観を持っているんですが、『イデオン』は極端なほどシンプルで、地球人とバッフがクランはひたすら憎み合い、すれ違い、殺し合い続けます。

しかも、ソロシップで逃げ回って居る人々は、地球から「迷惑だから帰ってこないでくれ!」と言われて、完全に孤立状態で逃げ回ります。

ガンダム』は歴史劇なんですけども、『イデオン』は完全にSF作品です。

一見似てますけども、全く違う作品なのですね。

ココも見ていて面食らったところでしょうし、ココに気がついた人たちが見続けたと言えると思います。

なので、舞台の大半がソロシップと宇宙空間とたまに生物が生息して居る惑星に着陸するというだけしかないんですが、逃げ回っているソロシップは、けたはずれに巨大なイデオンを余裕で収容できるとほど巨大な宇宙船なので、『ガンダム』よりも乗っている登場人物がものすごく多彩勝手に多数になるので、1つのムラでの出来事がバッフ=クランとの戦闘以外はでは起きているので、日常シーンは実は確保できていて、思いの外、単調ではないのが見事です。

 

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ソロシップの事実上の責任者、ジョーダン・ベス。地球人の主要人物では数少ない職業軍人。まあ、ブライト・ノアです(笑)。

 

しかも、この話しの最大の謎である「イデ」のサスペンスが話を引っ張るのがやはり見事です。

 

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 イデオンを発掘調査していた言語学者のフォルモッサ・シェリル。父親は、バッフ=クランの襲撃で殺されてしまう。

 

バッフ=クランの攻撃は当然のことながら、ドンドン厳しくなっていくのですが、なぜか、メインパイロットであるユウキ・コスモたちが次々と倒せてしまう(しかも、イデオンはドンドン強くなっでいくんですね)、普通に考えるととてもおかしいのですが、それが何故なのかは、映画版「発動篇」を見ると、すべてがわかるのです!

さあ、富野由悠季が自ら「最高傑作」と断言する作品を是非ともご覧くださいませ!

 

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ロボットアニメ史上に残る、悪魔的な強さを誇るイデオンの波動ガンが炸裂!!

 

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 全身にミサイルを装備!!

 

 https://youtu.be/lUBBVU28Hx4

 

https://youtu.be/yW5N92AOzQs

 

https://youtu.be/CeoVNn8o7xc

 

イーデオーン

 

 

 

 

 

 

本作をもって『仁義なき戦い』は完結です。

深作欣二仁義なき戦い 頂上作戦』

 

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警察の捜査を受ける打本組の事務所(タクシー会社なのですが)。

 

第4作。これまでは土着のヤクザとナアナアで癒着しきっていた警察も、抗争がエスカレートしてしまい、東京オリンピックを開催するという国際的な体面もあり、ついに「頂上作戦」という一斉検挙が始まるというところから物語が始まります。

 

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警察の検挙にやがて追い詰められていく広能

 

前作の最後の凄まじい銃撃戦が全国各地で起こってしまうと(要するに、山口組が広域暴力団化していんですね)、さすがに自○党もビビってしまったのでしょう。

しかし、それでも広島、呉の抗争は一向に収まらず、広能は山守組傘下の槇原組に常に命を狙われるような状態になってしまいます。

そこで、広能がもともと懇意にしている明石組の若頭の梅宮辰夫を介して、広島で賭博を中心に勢力を持つ義西会と連合する必要が出てきました。

この義西会の幹部として、第1作で死んでしまった松方弘樹が復活します。やはり、異様なまでにメイクが濃いです。肝硬変かと(笑)。

 

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 黒すぎ(笑)。

 

義西会の組長も、小池朝雄でコレも復活です(村岡組の幹部でしたが、第2作目で北大路欣也に殺されています)。

ややこしくなった抗争の構図をココでいっぺん整理しましょう。

この代理戦争は明石組と神和会の対立です。


明石組--打本組、川田組、広能組、義西会

神和会--山守組、武田組、槇原組、早川組、江田組


実際に対立しているのは、明石組と神和会のですが、コレが山守組と広能組とそれに伴う山守組系の槇原組との抗争という形で現れているんですね。

ココで、主人公である広能が、実は事実上、山口組の勢力拡大の最前線にいたという冷厳たる事実が分かるわけです。

要するに、主人公広能はヤクザ組織を巨大化させただけなんですね。。

当然、全体像は彼には見えていないですし、本人は生き残るためにやっていたに過ぎませんが、結局はそういう事なんですね。

滾る若いヤクザは、思いのままに、第1作の菅原文太のように暴れまわった結果、両陣営の幹部も続々と逮捕され、いずれも身動きが取れなくなっていきます。

遂に広能は暴行傷害罪。という広島県警による別件逮捕によって形勢は一挙に逆転し、広島、呉における神和会-山守組に覇権は確立したんですが残された広能組の組員が凶暴化し、暴れ回ります。

 

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遂に逮捕!それでも終わらないのがとても斬新ですね。司馬遼太郎を参考にしたのでしょうか。

 

更に義西会会長が殺害される事で、義西会、打本組、広能組の組長たちへの抑えが効かなくなっていくんですね。

未遂に終わりますが、とうとう山守組組長である、金子信雄まで襲撃を受けます(未遂に終わったのは、事前に打本が幹部のマイトガイ武田に密告したからです)。

 

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加藤武演じる打本の煮え切らない態度が終始、陣営を不利にしている。

 

と、ストーリーを追うのはもうやめますが、菅原文太がストーリーの中盤で逮捕されても話が続いていくという、この冷徹さが本作の素晴らしいところで、かつての東映では絶対にありえない事を連発したが故に、この大河ドラマは無類に面白いのでしょう。

前作と比べると、ストーリー展開がやや単調で、実録なので仕方がないのですが、菅原文太がいなくなってしまうと、俄然魅力が落ちてしまうのは止むを得ませんね。

本作をもってこの大河ドラマは、一応、終結といってよいのですが、ココから東映の悪いクセが出てきまして、この後も笠原和夫深作欣二が抜けながらも作り続けてしまいます。

菅原文太は、この事を後悔していたのでしょう、『トラック野郎』シリーズという、大変安定感のあるクオリティを持つ作品を第10作目をもってやめてしまいました。

そういう意味で、私も、本作をもって『仁義なき戦い』は完結したという事にしたいと思います。

 

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広島=怖い街。というイメージを決定づけましたよね(笑)。

 

 

 

 

ココからが本格的なお話になります。

深作欣二仁義なき戦い 代理戦争』

 

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高度経済成長期に入って、神戸のヤクザ明石組(つまり、山口組という事です)まで介入してきてますます抗争が複雑化しエスカレートしていく、第3作目。

本作は、呉港でしょうもないシノギしかできておらず、ジリ貧になっていた広能が山守組(経済ヤクザに変貌しております)に帰参する事となり、広島県のヤクザの抗争に戻ってまいります。

プロレスの興行などによって、ようやく舎弟を人並みに食わせる事が出来るようになり、次第に広能のもとにも暴れん坊が舎弟に入ってくるようにやります。

本作の特徴は一度死んでしまった役者が別な役で平然と復活するという、いかにも東映らしい大らかなお約束があるのですが、第1作で亡くなった梅宮辰也、渡瀬恒彦は、それぞれ明石組の幹部、広能の舎弟として復活しております。

 

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梅宮辰夫がこのまんま家に帰ると、ム娘のアンナが怯えて泣いたそうです(笑)。

 

川谷拓三に至っては、第2作目で千葉真一と舎弟たちに銃ではちゃめちゃに撃たれて亡くなるという、村岡組の組員役だったのですが、コントは広能組の組員になっております。

いいですよね、こういうイージーさ。

凄絶で救いようのないヤクザ同士の殺し合いの話しなのですが、どこかユーモアがあるというか、笑えるシーンが毎回あって、こういう役者の使い回しも、そういうギャグなんでしょうね。

本作の序盤で笑えるのが、外国人レスラーに反則負けをした力道山をモデルにした思われるレスラーを広能がビール瓶で思い切り殴って血だらけにし、「好きな女、いくらでも抱かせてやるけえ、もういっぺん戦って来いや!」と気合を入れるシーンが、もうホントにおかしくて(笑)。

 

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この暴力的なのにキャッチーというのが、菅原文太の素晴らしさです。

 

ビール瓶で頭を殴るタイミングがホントに絶妙なんですよ。

菅原文太はホントに喜劇の才能がありますよね。

ドジを踏む舎弟に、「このクソバカたれが!」というのが広能の口グセなのですが、これもホントにおかしい(笑)。

 

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ほとんど桃さんです(笑)。

 

単なるバイオレンス作品じゃないところがこの作品のミソです。

何しろ、菅原文太の親分が金子信雄というのは、どう考えてもおかしいわけで(笑)。

村岡組組長が健康上の問題で引退するので、その跡目を継ぐのは、誰なのか?という問題が本作のテーマなのですが、当初は村岡の舎弟であり、打本組組長の打本昇になるであろうと見込まれており、彼との関係も深かった広能も(プロレス興行は打本のおかげで広能組も仕切れるようになったんですね)、打本を後継者にと考えていたのですが、彼が神戸どころか西日本に巨大な勢力を誇る明石組(山口組ですね)と関係を持つことに、村岡組の幹部たちの一部が反感が出てきたんですね。

 

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山守組と合同した村岡組の面々。マイトガイが山守組の若頭として後半台頭していきます。

 

そして、広能と村岡組の幹部たちは、山守組組長の金子信雄を後継者にと考えます。

文字だけ見るとそうでもないかもしれませんが、金子信雄広島県のドンて(笑)!

 

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打本を明石組幹部の前で侮辱する金子信雄。コレが後に一大抗争に発展してしまうのだ!

 

しかし、コレが必然的に様々な不満を誘発し、抗争に発展していくんですね。

山守組と旧村岡組の内部対立、山守組の少数派閥としての広能組の立ち位置、打本組を通じての、事実上の明石組の広島県への勢力拡大という、とても重層的な利害関係が出来上がっていて、全2作とは比べものにならないほど複雑な話しになっているんですね。

ですので、全体的にはアクションよりもそういう政治的な駆け引きが中心になりますから、比較的バイオレンスは少ないんですけども、それでも話し全体にみなぎるギラギラとしたエナジーが落ちないんですから、大したものです。

シンプルにドンパチが見たい人には、ちょっと不満かもしれませんけども、群像劇として、日本映画史上のトップクラスの作品だと思います。

前半のタメにタメを効かせた伏線が最後の「広島代理戦争」として大爆発するという構成は、ホントに見事です。

脚本家、笠原和夫の最高傑作でしょう。

日本の戦後史の闇で暗躍した山口組の勢力拡大。というテーマを、広島、呉のヤクザから見たという点も、この作品は実に興味深いですよね。

 

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本作のラスボスなのですが、ほとんど出てきませんし、セリフもなし。

そこがコワいわけです。何しろモデルの田岡一雄は公開時に生きてますからね。